episode65・研究と勇気
それから数時間が経過した。その結果、2羽の回収に成功した。それぞれを傷裏、戸田が回収し、残すは2羽となった。
皆があちこち探し回っている時、傷裏はある部屋の前でふと止まった。
「ここは……あの人の……」
扉のネームプレートには『赤井研究室』と書かれており、ウサギが1羽が入れる程度の隙間が生まれるほど半開きになっていた。さらに、その半開きのとこには白い体毛が落ちているわけで。
「この中……か」
他人の部屋、しかも研究室に入るとなるといささか抵抗があるが、ウサギがいるかもしれないのだから仕方ない。
ということで侵入する。
どうやら赤井は不在のようだ。中は小さく簡素な作りとなった薄暗い部屋であり、無数の紙媒体書類や電子機器の数々が敷き詰められていた。
「さて、赤井さんが来ない内に退散したいからな……とっとと逃げ出したいなぁ」
呟きながら、書類に気をつけながら足元を探っていると、今回は意外と簡単に見つかった。
見つかったのだが、発見と同時に別のものも発見してしまった。
それはA4サイズの書類の束だ。PCのみにデータを保存しておくと奪われる可能性があるため、こうやって紙媒体で予備保存するというマイナー手法があると聞いたことがあった。
そんな書類の1番上の紙には、次のように書かれていた。
『演算ソフト直結型思考操縦システムHEについて』
HEとはhuman_experimentation、つまり人体実験の隠語であるとわかった。なぜなら、ページを進めていく中でそれを実証する言葉が次々と出てきたのだ。
『実験1、被験者、美原庄亮。四肢を拘束した上で思考操縦システム01を接続、起動。結果、30秒足らずで脳が負荷に耐えられず死亡。システムに不備が見られる』
『実験2、被験者、貴条伊月。同様の手法で思考操縦システム02を起動。結果、1分の耐久に成功したがその後死亡。まだ不備が確認され、改善が必要』
『実験3、被験者、桜崎勇輝。本件では思考操縦システム02と同質の電気信号を永続的に流して最適な質を計測するため実験を敢行。結果、45パターン目の実験時点で被験者死亡』
『実験4、被験者、名原警護。実験3継続のため電気信号を永続発信。結果、72パターン目が最適な信号パターンと判明、現在の思考操縦システム03の開発に成功。被験者は全身不随の障害を負ったため、焼殺処分』
「……なんだ、これは…………」
見る限り、このレポートに記されていることは危険極まりない事項のオンパレードだ。人を拉致監禁、不安定要素の多い初期型の思考操縦システムを強制的に接続、データを採取していた。
まさか、あのシステムがここまで危険な代物だとはさすがに想像の範疇を超えていた。これは、人間に使っていいものではない。
「とりあえず、証拠を押さえておこう」
携帯を取り出し、レポートを写メに収める。さすがに持ち出してはバレる。
その時、ゆっくりと足音が近づいてくるのが聞こえた。弱々しく片足を若干引きずるようなこの音。間違いない、赤井だ。
ここで彼と遭遇するのは非常に危険だ。脱走したウサギを追いかけていた、と言って仮に信じてもらえたとしても、このレポートを見たと疑われるだろう。そうなれば傷裏だけではない、黒崎や皆が狙われる可能性もなきにしもあらずだ。
傷裏はウサギを抱いたまま、机の下に隠れることにした。ここは積み重なる書類などによって死角となっており、なんとかやり過ごすことが可能かもしれない。
隠れ、同時にある人物にメールを送る。これでうまくいくといいが……。
「どうすればいい……どうすればより性能が向上する……どうすれば反応速度が、認識齟齬が、安全性が向上する……」
ブツブツ呟きながら、赤井がやってきた。電気をつけ、卓上の書類を整理していく。
しかし、ここは隠れているように見えて実はかなり発見されやすい場所だ。つまり、かなり危ないのだ。長居は危険だ。
今が、頃合か。
傷裏は周囲の書類を移動させ、小さな道を作り、そこをウサギに走らせた。
「ん、ウサギ?」
唐突に現れたウサギに首を傾げながら、赤井はそれを抱き上げる。
「……どういうこと、でしょうか?」
ウサギを四方八方から眺めて訝しむ。自室の隅から突然ウサギが現れれば驚くのも当然か。
ちょうどその時、赤井の胸元のポケットから振動が鳴る。着信だ。
「はい、もしもし……あ、兵藤さん、どうしました? ……え、ウサギ?」
そこから彼は2、3の言葉を交わし、ウサギを抱えたまま部屋を去って行った。
足音が遠く、聞こえなくなるのを理解し、傷裏は狭い空間を出て、手早く部屋を出る。
「作戦は成功、かな」
傷裏が連絡した相手は兵藤だった。『即刻、赤井さんにウサギ脱走の件を伝えてください。もし見つければホールに持ってきて欲しいとも』という文面を送った。
赤井はその連絡を受け、目の前にいるウサギがそれだと理解、ホールに向かった。これによって、傷裏は安全に部屋を出られたのだ。
「さて、これで5羽目。残る1羽は……どうなるかねぇ」
「なかなか……やるね」
それは互いの意思を賭けた戦いだった。
片方は逃げるため。絶対に捕まりたくないという熱い根性があった。
片方は捕らえるため。それは大切な人に認めてもらうためであり、同時に弱い自分と決別するためである。
互いの願いは相反している。ゆえに、交渉や和平は意味をなさない。
意思と意思。
2つの思念がぶつかりあっているのだ!
「……何このモノローグ」
大々的に大仰な解説を入れたが、訂正しよう。というより、事実をのべよう。
これは、神野とウサギの対峙を誇大化して述べただけである。
とにかく、神野は今究極の不安に駆られていた。理由はもちろん目の前のウサギ。しかもこいつは黒く目の鋭いギャング風ウサギである。つまり、いつもの愛嬌あるウサギと比べてより一層怖いのだ。
「さて、どうやってつか、捕まえよう、か」
既に言葉が詰まっていた。やはり恐怖している。戸田の前では啖呵を切ったものの、怖いものは怖いのだ。
そんなこんなで互いに距離を取って1分。ついにウサギが動いた。踵を返して反転、逃げるつもりのようだ。
「さ、させりゅか!」
噛みながらだが、神野は追いかける。
だが。
反転はフェイントだった。反転からさらに反転し、神野に向かい大ジャンプをしてきた。
「うぉっ⁉︎」
思わぬ襲撃に反応してなんとか身を引くが遅かった。神野の顔面にへばりつくように突撃、その衝撃で神野は尻もちをついて倒れる。
「ギャー!」
思わず悲鳴を上げるが、なんとか立ち上がり、溢れ出る恐怖を抑えつけ、視界を覆う毛玉野郎を両手でしっかりと捕まえた。
「よし、獲った!」
だが、それもまた叶わぬ願い。
ウサギはその小さな後ろ足で神野の顔を蹴り上げ、そのまま跳躍、頭上を飛び越えて行く。
「くっ……そ……」
力の差を見せつけられた。
頑張ったが無意味だった。
勝てるはずがなかった。
「ボクは……何も、できないのか……」
傷裏や戸田のようにバーバリアンの操縦技術が群を抜いて高いわけではない。もちろん、肉体面でも常人以下程度の力しかない。ウサギ1羽を捕まえることもできない。
たまに、自分の存在意義がわからなくなる時がある。
自分はなぜここにいるのか。
強いとは言えない自分が、なぜ軍にいらるのか。
回想
元々、神野は軍属ではなかった。ただの中小企業のしがないサラリーマンだった。しかし防衛大臣の父が、何を思ってかこちらに転属させた。1年前のことだ。
国防に関しては知識どころか興味すらなかった神野に、できることなど何もなかった。せいぜい軽い事務仕事が限界であり、周囲からは七光りと呼ばれ蔑まれた。
ある日のことだ。職場内にある食堂で1人昼食を取っていると、横に彼女が座ってきた。
戸田恵実だった。
彼女のこと……というより彼女の属する国防特務課のことは知っていた。周囲から腫れ物扱いされ、存在自体が嫌われていた部署だ。
『ねぇ、あんたいつも1人よね。なんで?』
戸田は神野に、なんの脈絡もなく聞いてきた。
『……ボクと一緒にいると、あなたも嫌な目で見られますよ?』
『あんたが七光りとか呼ばれてるから? そんなこと気にしないわよ。心配だから仕方ないじゃない。それに、私だって似たようなもんだし』
戸田は知っていた。神野が周囲からどう見られていたかを。
神野は答えた。
『ボクは嫌われているから。誰もボクを求めていないから。ボク自身、国防になんて興味がないから』
ここは自分のいるべき場所ではない。それは神野が1番わかっていた。
父が何を思って神野を軍に所属させたのかはわからないが、それは失敗であったと神野は十分に理解していた。
神野は天才ではない。秀才でもないし非凡でもない。軍にいてこそ真価を発揮する、などといった特殊なご都合主義を、神野は有していない。
そんなことを告げると、戸田は小さく笑った。
『それ、質問の答えになってないから』
それは1人でいるということの理由にはなっていない。
『要は君、人と接するのが苦手なだけでしょ? それを別のとこから強引に理由を引っ張ってきてるだけでしょ?』
皆は自分を嫌っているし、自分は自分を嫌っている。
だからなんだ。
『だったら自分のいいとこを見せていけばいいだけじゃない。人間、誰にだっていいとこはあるのよ』
『じゃあ……教えてくださいよ。ボクのいいとこってなんですか……?』
バカなことを聞いたと思った。今日初めて会話した相手に何を聞いているのだと。
だが、戸田は嫌な顔1つせず言った。
『嫌われるから人と接さないってさ、相手に不快な思いをさせたくないから、って考えられない?』
『それは……さすがに極論過ぎるかと。単にこれ以上嫌われたくないから、っていうのが妥当でしょ』
『そうかもね。ただ、私はあなたがいい人だと思う理由があるのよ?』
『……なんです?』
聞かれ、戸田は楽しそうに言った。
『勘よ』
あまり物事を深く考えない人だと思った。能天気というか気楽というか。
そんな戸田が。
嫌な顔1つせずに話を聞いてくれた戸田が。
説得力がないはずなのに不思議と自信を与えてくれる戸田が。
自分に声をかけてくれた戸田が。
好きだと思えた。
だから、特務課が潰れると聞いた時はすぐに動けた。いつもは嫌で嫌で仕方なかった国防大臣の息子という立場を使い、神野を責任者に置くことで存続させたのだ。
回想終了。
「……だったら!」
神野はまだ、やられてはいない。
負けてはいない。
そうだ、諦めていけない。
戸田に認めてもらうため。
存在意義を見いだすため。
「勝つ!」
神野は動く。
背後に回って逃走を開始しようとするウサギに対し。
膝を深く曲げ。
ジャンプ。
跳び出るウサギをキャッチ。
からの。
ジャーマンスープレックス。
ウサギを気絶させることに成功した。
「やった……のか?」
通常であればこのセリフはフラグに該当するのだが、今回はそうではないようだ。
神野はようやく、ウサギの捕獲に成功したのであった。




