episode64・好物と決意
「待てやオラァ!」
『タイガ』は長く続く廊下を疾駆していた。その前方数メートル先には黒い悪魔。
全身を黒い体毛で覆われ、ピンと伸びる耳は自己の存在感を強く主張しているようで腹立たしい。
ウサギという生物はすばしっこい。加えてあの小柄な体格ゆえ小回りもきく。
さらに。
「あ、チクショー! ダクトの中入りやがった!」
小さいということは、人では入れないわずかな空間にも侵入できるということだ。
「なんでダクトのフィルターがねぇんだよバカかここの用務員は!」
『まぁウサギが車内を駆け回るなんて想定してるわけないから仕方ないって』
「くそっ、おい、出てきやがれ!」
ダクトに手を伸ばすが、ウサギは一定の距離を保っていて身構えている。
『ちょっと「タイガ」、ウサギ怖がってるじゃん。ここは穏便に』
「黙ってろ。大体、追いかけっこなら『タイガ』の方が得意でしょ? とか言って無理やりこんな茶番に付き合わせたの誰だ!」
『ほらほら落ち着いて。こんなとこで大声出してたら独り言の変な人って思われるよ?』
「……チッ!」
わざとらしい舌打ちをつき、傷裏に主導権を交代する。
交代して、悩む。傷裏の腕ではどうやってもあのエネミーには届かない。つまり、向こうから来てもらう必要がある。怯えさせて逆に逃げられてはおしまいだ。
「おーい、こっちにおいでー」
そこで傷裏が考案した策は以下の通りだ。
常時携帯の猫じゃらし(なぜ持っているかはスルー)でおびき寄せる。
以上だ。
『いや、猫じゃねぇじゃん。ウサギだぞ』
(いやぁ、まぁなんとかなるでしょ)
「それじゃダメでしょ〜」
猫じゃらしをぶらぶらさせていると、不意に横から声をかけられた。
「あ、黒崎さん」
「や、苦労してるみたいね」
「その割りに、楽しそうだね」
「いや、別にー」
楽しそうだった。
さらによく見ると、その手には何か緑色の何かがあった。植物?
「干し草よ〜」
傷裏の猫じゃらし戦法と同様に、黒崎は干し草をちらつかせる。
するとどうだろうか。ウサギはゆっくりと近づいてくるではないか。
「やっぱ可愛い動物ちゃんには好物を見せるのが1番いいんですねぇ〜」
猫なで声でウサギをおびき寄せ、回収。優しく抱き寄せた。
それを見た傷裏はというと。
(ウサギを愛でる黒崎さん、グッジョブ)
『お前もう黙ってろ』
相棒からの今度のツッコミは抑揚感情が存在しない完全な機械的反射動作だった。
「じゃ、私はこの子をケージまで戻しに行くから引き続き頑張ってね」
そう言い、黒崎はウサギを抱いてホールへの道を戻っていった。
一方、戸田と神野は。
「いないわねぇ」
「……いないですね」
1羽たりとも出会えずにいた。
傷裏たちが何をしていたか知るよしもない2人だが、彼らは足元のダクトから逃げられることを想定していた。が、フィルターが備えられていないのは傷裏たちのいたあの1ヶ所だけであり、それは違うと判断した。
「ねぇ、課長?」
「……はい?」
「課長は何を怖がってるわけ?」
「えぇっ⁉︎ な、なんのことですかぁ⁉︎」
「いや、反応がわかりやすいわね。声裏返ってるし」
先ほどから、神野は何かに怯えたような、ビクついた表情で固定されていた。
「べっ、別にボクは何も怯えてない、ですよっ! 大丈、夫、なんですっ⁉︎ ウサギが怖いわけじゃ、な、いですっ⁉︎」
「ほらー、所々言葉詰まっちゃってるじゃん。どう見ても嘘ついてるわよ。ていうか今自分で答え言ったわよ?」
「うっ……」
そういえば、と戸田は思い出す。シミュレーション機からウサギ軍団が現れたあの時、神野は一言も発しなかったし、挙動することもなかった。あれはそういう意味なのだろう。
「わかったわ、課長、安心なさい。ここは私に任せて、ホールで騒動が終わるまで待ってなさいな」
「い、いやっ、大丈夫です! ウサギの1羽や2羽、なんとかしてみせます!」
「無理しなくていいのよ? ま、そうやって背伸びしてる子見てるのも楽しいけれど」
後半の言葉は神野には届かない。彼は自らを奮い立たせるように拳を握りしめ、戦闘切って前進する。
(ここでボクが十分役に立つことを、戸田さんに証明するんだ!)
そんな愛らしいことを考えながら。
しかし幸か不幸か、そこから10分ほど散策しても、ウサギは見つからなかった。といってもこのフロアのみだが、6羽全てが階下階上に進んだとは考えにくい。
「いないわね」
「も、もう一度、最初の所に戻ってみましょう」
ということで、2人は再度ホール前に向かおうと踵を返す。
と、そこでだ。
「あ」
「あ」
同時に声をあげた。
発見。
標的。
ウサギには見えないがウサギ。
丸まったフォルムが特徴の白く耳のないウサギ。
分類、アンゴラウサギ。
それが2人の足元をのそのそと動いていた。
「見つけたぁ!」
「ギャー!」
戸田がアンゴラをすくい上げて確保すると同時、神野は絶叫しながら後退した。
「……課長、あんたって子はどうしてそう頼りないんだか……」
心底悲しそうに額を押さえる戸田、頭を抱えて蹲っている神野。この様子ではどちらが男でどちらが女かわからないものだ。
「え、えと……ごめんなさい」
「いや、まぁ謝れというわけじゃないけどさぁ……」
「4歳の頃……野良ウサギを抱っこしたら執拗に噛まれまして……それ以来」
「まぁまぁ。それはまぁ……」
もはや半泣きの神野。トラウマモードに突入していくその様子に戸田は逆に可哀想に思えてしまい、その頭を優しく撫でる。
なぜか無性に保護欲に駆られてしまう戸田であった。
「ま、いいや。とりあえずこの子をケージに戻しに行かないとね。大尉ちゃんはどうする? 一緒に来る?」
ここで神野の思案タイムだ。
正直な意見、神野はもう勘弁してほしかった。あの恐怖の権化はまだ何羽もこの一帯を徘徊していると考えると、そろそろ意識が辛くなってくる。
だが、それではダメだと思うのだ。いくらトラウマといえど、それは4歳の頃の話、20年前の話だ。それを今更どうこうぐちぐちと言うのは大人として、いや、男としてどうかというものだ。
「ボクは……」
このまま戸田に頼ってばかりでいいのか?
このままトラウマから目を背けていいのか?
このままあの悪魔を野放しにしていいのか?
このまま。
このまま。
このまま。
「ボクは……このまま捜索してみます」
「え……?」
「頑張ってみます。だから、戸田さんに任せっきりには致しません!」
ドンと胸を張り、戸田とは逆方向に駆け出して行く。
駆け出し、そのままコケた。
「まったく……可愛いのかカッコいいのか微妙ね、あの子は」
呆れながら、力を振り絞って走り出す神野を見る戸田は呟く。
その口元が、嬉しそうに緩んでいた。
神野が決意したその時、アウラはというと。
「…………」
ケージに入れた例の頭上の奴を再びケージから解放し、人の通りの少ない道で愛でていた。
「…………」
アウラは別に、人がいる時に無表情なわけではない。ベースがこれであって、誰がいなくても無表情である。
というわけで、無表情でウサギを愛でる様というものはなかなかシュールである。
いつもは、そうなのだが。
「…………フッ」
アウラは小さく笑った。嬉しそうに笑った。
のであるが、今回は無表情のまま口元だけが動いたような感じであり、これはこれでシュールである。というか、小馬鹿にしたかにような笑い方だった。
そんな様子を見ていた者がいた。
「……アウラちゃん?」
ビクッとアウラの肩が動く。ゆっくりと振り返る。
「あの、大丈夫?」
それは黒崎だった。彼女は一回ホールに戻って1羽を捕獲し、また捜索をしに廊下を巡回している最中だった。
「ていうかアウラちゃん、そのウサギまた出しちゃったの? はい、戻してきなさーい」
子供を優しく叱る親のように、黒崎は前か屈みの姿勢で促す。まるで母親だ。
母親のようであり、謎の包容力があった。母性スキルが異様に高いのだ。こうやって戦場うんぬんを関係なしで見ると、黒崎は信用してもいいかもしれないと思えてしまう。
「ところでアウラちゃん。さっき笑ってたよね? ね、お願い、もう1度見せて?」
「…………」
「お願いだよ〜」
「…………」
「お〜ね〜が〜い〜」
訂正、母性スキルかと思いきやまさかの保護欲生成スキルだった。妙に甘えてくるこのあざとく見えそうな仕草は構ってあげたいというか何かしてあげたいというような情が湧いてくるのだ。
完全に戸田と同じようなデジャヴ感情を抱いていることを、2人が知ることはない。
「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」
傷裏もこんな風に甘えられているのだろうかと考えると、少しおかしくなった。
だから。
自然と笑みが出た。
「お、笑ったー!」
不思議に思った。いつもは表情など出るはずもないのに、今、アウラは自然に笑みが出たのだ。これが兵藤言う『人が人に与える影響』だろうか。
アウラが、傷裏や黒崎から受けた影響なのだろうか。
「笑えるじゃーん!」
アウラの手を握って上下にスイング。
そんな黒崎の笑顔が、どこか羨ましく思えたアウラなのであった。




