episode56・相談と群衆
傷裏が目を覚ましたのは、なんと1日跨いだ翌日の早朝だった。既に相部屋の神野は起床しており、身支度を着々と進めていた。
話によると、傷裏が気絶して欠員が出たためババ抜きは中断、皆でここに運ばれたとのことだ。なんと情けないことか。
だが、傷裏が1番心配したのは黒崎への対応だ。『あの』黒崎でも、傷裏の挙動不審さを見ればその言いづらい真意に気づくかもしれない。それは辛い。恥ずかしいったらありゃしない。
「安心して、傷裏君。黒崎さんには僕と戸田さんで適当に言いくるめておいたから。だから傷裏君が告白しない限り、彼女に真意は伝わらない」
ガッ。
傷裏は起こした体をそのまま前方に倒して床に頭を打ちつけた。長座体前屈のように。なんという体の軟体具合だろうか。
傷裏としては、穴があったら入りたいという感情を比喩抜きで体感していた。だってそうだろう。隠し通していたつもりでいた秘密がこんなにあっさりと見抜かれたとなれば、恥ずかしいと思わない方がどうかしている。
密かに募らせていた(脳内では非常にハイなモードだったが)恋慕の感情。それを他人に知られたくないのは普通だ。いや、最終的には本人にこの想いを伝えたいという感情は当然ながら存在するのだが、やはりそれには多大な勇気がいるわけで。
「あの……神野さん……1つ、よろしいでしょうか?」
「なんだい?」
顔を床(というより真下に敷いてあった布団)にうずめながら、傷裏は聞く。
「いつから気づいていたんですか? 僕が……そのぉ……黒崎さんのことを……」
「僕が初めて黒崎さんに会った時から。傷裏君、平静なふりしてるけど、いつも黒崎さんのことチラチラと見てるじゃ ないか」
「え?」
それは傷裏当人にとって初耳だ。傷裏は知らずのうちに黒崎を常に見ていると神野は言う。
「飛行機内で気づきは確信に変わったよ。相手が黒崎さんじゃなかったらあの態度で絶対バレれるよ」
神野は小さく笑う。心底おかしいと。
「あ、ちなみに戸田さんもとっくに気づいてるから。なんせ僕より2人を見ているんだから」
しかも同居。それは気づかれても当然だ。
「まっじ、かぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
頭を抱えた。打ちつけた状態のままだったため軽く土下座のようなポージングになっているが、とにかく悲しくなった。
「……僕、そんなわかりやすいですか?」
「そうだね、いつもなら言うほどじゃないんだけど、黒崎さんが相手だと一気に露見するって感じかな」
ここまでバレていては仕方ない。隠すことはやめ、力を借りることに専念しよう。
「神野さん」
「ん?」
「神野さんは戸田さんのことが好きなんですよね?」
「うぇ⁉︎」
ガツンッと。
唐突な形勢逆転に驚いた神野は前方不注意によって目の前の壁に思い切り顔面をぶつけた。
「っつぅ〜……」
痛そうに顔を押さえる神野。もう軽く涙目だ。少し弱すぎはしないだろうか。
そんな心配をよそに、神野は激しく狼狽しながら傷裏に近づく。が、あまりにテンパっているせいか座ることすらままならず、立っては転倒の繰り返しだ。
「え、えと……え? 僕が……戸田さんを⁉︎」
「はい、丸わかりだそうです。あ、僕は今日黒崎さんに言われて初めて知りました。まぁ、言われてみれば確かになーって感じです」
「あ、あの……えっと……違うんだよ? 別に僕はそういうのじゃなくてね? だからね、その……ね?」
妙に疑問形を多用しながら否定を続ける神野だが、この慌てようと赤面具合が全てを物語っていた。
さらに、自分が周囲から見るとこういうのだったと考えると凄く辛いものがある。
「いえ、まぁ別に否定しようがしまいが神野さんが戸田さんにそういう感情を持っていることは証明されたわけなんでいいんですけどね」
「傷裏君……自分のこと棚に上げてるよね……」
「いえ別に」
思い切り棚に上げていたが、そんな言葉はどこ吹く風、特にメンタルダメージを負わずに済む。
黒崎と対面した時と比べればこんなもの、である。
「とにかくですね、僕はそういった物事への耐性がほぼ0なわけですよ。だから同じような境遇であると同時に年配者である神野さんに1つ、その方面のご教授を願いたいと思った次第でございます」
「急に改まったね……。ていうか僕年配者って言われるような歳じゃないからね? まだ24だよ?」
「あくまで僕を基準にしたら、ですよ。別に皮肉もSっ気もないですよ」
「その台詞は真意の裏返しの常套句だって理解しよっか?」
落ち着いた声だがわずかな呆れを含んだ言葉を淡々と受け流す。神野に言われたように、上記の言葉にはSっ気があったのは事実なので否定はしないが謝罪はしない。
とにかくだ。
神野は戸田からの押しに弱いが、それ以前に頼られることを嫌とは思えないタチだ。これは相手が誰でも適用する。詐欺に引っかかりそうで不安だと思わなくはないが、そういう面には適切な対応がとれる人物だと傷裏は認識していた。
「うぅ〜ん……とはいってもなぁ」
神野は正座をあぐらに崩して髪をくしゃくしゃと掻き乱す。真剣に悩んでくれているようだ。
「僕だってそんな恋愛経験が豊富ってわけじゃないよ? 付き合ったことのある女性だっていないし、初恋は……あ」
話の途中で唐突に、神野の頭がオーバーヒートして顔を紅潮させる。この変化から、初恋が戸田だと推測できた。
「24歳にして初めての恋ですか。初々しいですね」
「いや、だからそれは違くて……まぁ、いいや」
神野は隠すことを諦め、再び思案する。
「ご教授って言われても、僕は具体的に何をすればいいのかな?」
「まぁ、なんていうんでしょうね……どうすれば心を射止めることができるか、ってとこでしょうかね」
「だったら告白すればいいじゃないかな。傷裏君が相手なら黒崎さんは拒まないと思うんだけど」
「えぇ。でもその場合の拒まないっていうのは……『恩人の頼みだから断らない』っていう考え方をさせてしまいそうで怖いんですよ」
確かに傷裏は黒崎を何度か助けた。その内1回は命の恩人となる行為だったこともまた事実だ。
が、この借りは早いうちに清算しておくべきと傷裏は考えている。それは黒崎を危険な領域に踏み込ませないためであり、余計な神格化的感情を放棄させるためである。
別に傷裏は、黒崎に慕われることを嫌と思っているわけではない。好意を持つ相手からそういった感情を持たれることは好ましいことだ。
しかし、黒崎の場合はそれが過度に進んでしまっている。
このままでは、傷裏のやることなすこと全てが神格化されてしまう。
絶対的な存在と認識されかねない。
これは自意識過剰でも誇張でもない。そうなってしまうと断言できる。
だから、この借りは清算しておくべきなのだ。
黒崎に、無駄な罪を重ねさせるわけにはいかない。
「今の状況で想いを伝えるのは何か、引け目みたいなものを感じずにはいられないんですよ。それに……」
「それに?」
そこで恥ずかしそうに、傷裏は自身の鼻をかく。
「単純に……恥ずかしいんですよ」
「うん、なんか安心したよ」
2人は小さく笑った。
そんな会話があった上で、一同は徒歩でブレイン社を目指していた。今日もまた一段と暑さが苦痛を与えてくる。
そこで気になった点は1つ。
「人……いるわね」
戸田が周囲を見渡しながら呟く。
先日、人が誰もいなかった大通りは群衆でごった返していた。
「昨日のアレって……やっぱアイツが関連しているって考えていいのよね?」
「……断言はできませんが、おおむね正解だと思います」
続けて発せられたそんな言葉に、傷裏は神妙に答える。
アレとは件の人が消えた一件、アイツとは異形の女のことと誰もが理解した。
理解はしたが、それ以上の情報は何もない。無知なのだ。
ということで、傷裏は大通りの一角に小さく地味に構える小料理屋に入る。
「ごめんくださーい」
「あ、はーい」
店内に客は1人もいなかった。その代わり、小気味のいい返事が返ってきて、厨房の奥から割烹着を着た男性店員が姿を見せる。
金色の髪と碧い目が日本人ではないことを示していた。金髪に割烹着とはこれまた似合いそうで似合わない20代頃の青年はなんとも独特の雰囲気を放っていた。
それは今まで仲介人や異形の女に対して抱いていたような嫌悪の感情ではない。むしろ逆であり、好意的な印象を持てた。
異様なものだ。まだ姿を見ただけで、言葉の1つも交わしていないというのに、なぜか信頼してもいい人間、という印象を受けたのだ。
仲介人や異形の女とはまた違う意味で、彼も異様なのだ。
「いらっしゃいませ、1名様ですか?」
「あ、すいません。実は僕、客として来たわけじゃなくてですね……実は聞きたいことがあって来ました」
「聞きたいことですか? あ、立ち話もなんなんでそこの席に座ってください。どうせこの時間はしばらくお客様は来ないので」
随分とぶっちゃけたことを半笑いで愚痴りながら、男は傷裏を席に誘導する。
傷裏が席に着くと、男はペコリと、豪邸に仕える執事のように腰を折る。
「ではまず自己紹介を。私はクーシといいます。以後よろしくお願いします」




