エンドレス・バレット

episode53・異常と涙

　いや、考えてみれば別に『アウラが異形を見て驚愕の表情を表的に見せる』ことは不自然でも異常でもない。アレを見ればさすがに誰だって恐怖、嫌悪するだろう。現に傷裏だって、自分が周囲に適切な指示を行えていることが不思議なくらいだ。

　しかし、それでも恐怖というものは戦闘において徹底的に足を引っ張る代物だ。

　恐怖に呑まれては、遠くで鎮座していたはずの死という未来が目の前に現れる。

「アロラさん、大丈夫？」

　傷裏は問うが、アウラは答えない。いや、答えられないの間違いか。

　これはまずい。このままでは危険だ。

「アロラさんは後ろに下がって！」

　警告を発し、傷裏は前に出る。

　ナイフを何度も投げつけるが、それらは異形に跳ね返され、傷一つつけることも許されない。

　だが、距離は詰めた。

　既に傷裏は女の懐にいる。異形はその長さゆえある程度伸ばせば回収が困難。加え、側根は観察済み。数で補っているようだが、それぞれには可動範囲が制限されている。

　このタイミング、このポジションなら、主根も側根も当たらない。残すは無防備なその胴体のみ。

「もらった」

　身を屈めて足を払う。転倒した女の左腕にナイフを突き刺す。

　そこから腹に正拳突きを与えようとした。

　直前。

　傷裏の体は右に、平行に飛んだ。

　いや、飛ばされた。

　女の首筋から側根サイズの異形が出現、傷裏の横腹を叩いたのだ。

　間一髪体を逸らすことで直撃は回避したが、肋骨にヒビが入り、嫌な音がわずかに鳴る。なるほど、この強度、速度ならナイフや弾丸を弾いても不思議ではない。

「なら！」

　苦悶の表情を一瞬で拭い去り、さらに接近する。

　接近し、直後に身を引いた。

　異常を感知したのだ。先ほどから化け物的現象を見せられてばかりだが、それを見てしまえば退くことも致し方ないと言えよう。

　傷裏はダメージを負う直前、女の左腕にナイフを突き刺した。これは疑いようのない真実で結果だ。

　しかし。

　女に刺さったナイフが『自然と』落下した。

　ただでさえ短い文章だが、それをさらに要約しよう。

　超高速で、女の傷が塞がった。

「これは……」

　貫いたロングコートは切れたままだが、傷は塞がっていた。先ほどまでの流血は止まり、さながら映像を逆再生したかのように、復元された。

　この場合は外見的容姿にれっきとした変貌はなくとも、外見的変質は起きた。

　異形にはなっていない。ただ、異常ではあることには変わりなかった。

　だからなのだろう。即決できた。

「アロラさん！」

　ナイフを女に投げながら後退、アウラの手を掴んで街中に紛れる。

　これは避けなければならない相手だと確信した。右腕は異形な姿と異常な性能を、左腕は異常な再生能力を持つ。いや、再生能力が左腕のみと確定したわけではない。もしかしたら右腕……はたまた全身にも同等の能力が備わっているかもしれない。

　無知の恐怖とは恐ろしいもので、かつて黒崎も朝倉及びクローン軍団から同質の恐怖を植えつけられたことがあるが、傷裏はそんなことを知るはずもない。

　とにかく、傷裏は無知の恐怖に陥っていた。敵の素性がわからないゆえ、下手に手出しすれば最悪死に直結すると考えた。

　ゆえに、最も安全と思われる策は逃走である。ここまでくれば大体の検討はつくが、あの女は傷裏一行を狙っていた。その対象が一行全体か個人かはさておき、狙われている。そろもおそらく組織的犯行だ。

　なぜ組織的と思ったか。それは今現在傷裏たちがいるこの場所が鍵と鳴っている。

　ここはビル群の大通りだ。しかも昼。前にテレビでこの地域が報道された特番を見たことがあるが、その時は人々が無尽蔵に闊歩し、活気に溢れていた。

　それが今はどうか。人通りどころか車の1台も通りはしない。どこか、明確な境界線は判断できないがどこからか、人の気配がパッタリと消えた。だからあの異形を気に留める観衆もいなかったし、二次災害に巻き込まれた被害者も存在しない。

　女の属するチームやら組織はそれほどの、街の一帯から人間を退去させられる力を持つ者たちに違いない。軍に圧力をかけられる東郷と同様に、だ。

「とにかくどこか……どこかに隠れないと」

　細い路地裏を走り回り、安泰を得られる場所を探す。黒崎たちと合流することも考えたが、それでは彼女たちに被害が及ぶ。

　携帯を取り出して連絡も考えたが、その思考も破棄した。あの女の上にいるのは相当量の力を持つ存在と仮定すると、この程度の一般回線では盗聴、割り込みをされる可能性もある。

「もう……殺さない余裕はないか……」

　いや、そもそも殺せるかどうかもアレ相手では不透明だが、殺さずに戦うのと比べれば殺す方が断然楽に決まっている。何せ、手を抜く必要がないのだから。

「アロラさん、ここで隠れてジッとしてて」

　細い路地(おそらくどこか飲食店の裏)で傷裏はそう言う。ここなら異形という邪魔な物を持つ女は追ってくることはできない。

　傷裏は軽く頭を叩き、路地から姿を現す。

「見つけたぜ」

　『タイガ』は女を遠くに視認する。女もまた『タイガ』を視認した。

　疾駆。

　女は異形を振るって『タイガ』を抉らんと走るが、『タイガ』はそれらを全てかわす。

「おせぇよ」

　顔の数センチ横を通り過ぎる異形にナイフを掴んだまま突き刺す。しかし、異形はあまりに硬いため刃が通らない。直刺しでもダメなようだ。

　だが。

　異形をある程度硬いとは思っていたが、高速で動く物体にナイフを突き立てたのだ。その反動は通常より上乗せされて生じる。

　体勢が崩れ、そこを狙うように異形が1度収束、そして伸び走る。

「……なんてな」

　それは『タイガ』の想定していた事態だった。

　『タイガ』はあえて体勢を崩したそぶりを見せ、異形による攻撃を誘った。

　確実に敵を倒せる状態が生じると、心の余裕が生じる。そこには『戦いという極限の緊張』から逃げ出したいという欲求からくるものと『タイガ』は考える。

　ゆえに、攻撃は単調になる。

　そして、その予想は大正解だった。異形は側根を主根に巻きつかせ、直線的な攻撃を行ってきた。

　だから、対処は簡単だった。

「よっと！」

　掛け声を発しながら跳躍、傷裏はなんと異形に飛び乗った。

「サァ！」

　そしてナイフを扇のように展開、それらを側根に投擲する。ナイフは強固な異形に弾かれることなく、側根……それらが生えているつけ根の隙間に突き刺さる。

　それにより、女はようやく感情を見せた。顔を歪ませ、絶叫したのだ。

「やっぱりだ！　てめぇの右腕は最強の武器であると同時に弱点でもあった！」

　あの側根は主根の表面から出現しているのではない。主根に穴が生まれ、その中から生えている。となると、当然主根の内側が露出する。

「いくら外側からのダメージに強くても、内側からのダメージなんて想定してねぇだろ！」

　異形の上を駆ける。女は痛みで全身をバタつかせていたが、それでもは支障はなかった。逆にその反動を利用して跳躍、距離をグッと縮め、一瞬にして女の目の前に立つ。

　その眉間にナイフを突き刺そうと試みる。

　成功はした。確かに刺さった。しかし、その傷は瞬く間に塞がり、ナイフが排出される。

　だが。

　まだだ。

「どうあがいても強化できないとこってのはあるだろ！」

　ナイフを振り上げる。

　女の右目に勢いよく。

　突き刺す。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ！」

　またもや絶叫が響き渡る。

　眼球は人間の器官の中でも特に重要でデリケートで安静を要する部位だ。角膜と呼ばれる眼球の表面部分には神経が密集しているという。

　そのため、皮膚とは違い眼球は硬化など行えるはずもない。そう簡単に手を加えていい部位ではない。

　真っ赤な鮮血が迸る。断末魔が耳を刺す。痛みのあまり目を押さえた女の手もまた真紅に塗り上げられる。

「これでトドメだ」

　眼球を潰して動きと判断力を鈍らせ喉にナイフを突き立てて殺す。

　傷裏と違い、『タイガ』には人を殺すことへの抵抗はない。そうしないと自分が死ぬのだ。なら、やるしかないだろう。

　念のため首筋の異形の入り口にナイフを差し込む。これで攻撃の手段は失った。

「死にやがれ」

　振り下ろす。

　寸前だ。

　『タイガ』の右腕が突如、ガクンと落ちた。

　落ちたというよりは、動かなくなり、力を失った。

　なぜか？　簡単だ。

　『タイガ』の右肩が撃ち抜かれたのだ。

「……………………あ？」

　何が起きた？　いや、生じた結果は認識している。ただ、理解ができていない。

　その正体を掴むことができぬ間に、痛みはゆっくりと、かつ確実に訪れた。

「んぐっ……あぁぁぁあぁっ……！」

　痛みを認識し、苦悶の表情を見せた時には、目の前に側根があった。

「ごぁぁぁっっっ⁉︎」

　腹を正面から強く叩かれ、傷裏は吹き飛ばされ、直後には地に叩きつけられた。

　地を転げ回り、発狂することでなんとか意識を保つ。

　その間に、女は異形に突き刺さっていたナイフを振り払っていた。目に突き立てたナイフも抜き、その直後には目の傷は修復された。

「あ……が、ぁっ」

　もうダメだ。こればかりは絶望するしかない。傷裏も、そして『タイガ』もそう思った。

　女はゆっくりと近づく。これは死刑宣告までの執行猶予なのだと思えた。

　異形が垂直に、真上から振り上げられる。まるで傷裏がナイフを振り上げたのをマネたように。

が。

　パンッ。

　異形が振り下ろされることはなかった。

　その代わり、異形と同色の多量の液体が降り注いだ。

　次いで、またもや同色の柔らかく丸まった破片がいくつも落下してきたのを見た。

　それは異形の血液であり、異形そのものの肉片であると理解するのに多少の時間を要した。

　その前に銃声を聞いたことを思い出し、音源である後方に視線を移した。

　アウラ・アロラ。

　最初と同じような構図で、アウラが拳銃を構えていた。

　今得た情報を統合して考えると、アウラが拳銃を発砲し、異形を破壊したと考えるが妥当だろう。

　だが、そんなこと可能だろうか。拳銃が異形に効果がないことは既に実証済みではないか。

　その答えもまた教えられることはなく、アウラはもう1発、発砲した。

　それにより、女は眉間を撃ち抜かれ、倒れる。

　それ以降、起き上がることはなかった。

「…………」

　襲撃者を殺したアウラ。その表情はいつも通りの無表情。

　しかし裏側でその表情を見た傷裏は違った感想を抱いた。

　いつもの微細な表情の変化から感情を読み取るのとは別個で、アウラの表情にはどこか、泣いているように見えたのだった。