episode43・信用と襲来
3日後。
傷裏、黒崎、戸田、アウラ、そして上司として引率役を務める神野の5名は旅客機の機内にいた。
現代の旅客機にCAなる職種は存在しない機内サービスに相応するものはあるが、座席に内蔵されたコンソールで注文すると通路に沿って配置されたレールを通って自動で流れるシステムとなっている。
また、コックなるポジションの職員がいないので食べ物は全て冷凍食品であるが、この時代では本物に限りなく近い冷凍食品を出すことが可能だったりする。
そんなザ・近未来的なシステムを採用している旅客機であるが、パイロットはさすがに人間を採用している。なんだかんだありながらも、機械の自動操縦より人間の熟練的な操縦の方が安心だったりするのだ。
とは言ったものの、人間だけでは不完全な面が多少なりとも生じるものであり、機械による操縦補助は採用されている。
それに使われている機器は、これまた演算ソフトなのだ。AIによる補助によって、ほぼ100%安全な空の旅を提供している。
余談であるが、旅客機に搭載されている演算ソフトの需要率はブレイン社の機器が100%を占めている。ブレイン社が国防軍との契約を切ったとしても、まだ生存ラインはいくらでも残っているということだ。
「大体1時間半の空の旅〜……暇ね」
現在空港を飛び立ってから約20分が経過、早くも戸田が退屈を宣言しだした。その手元には文庫本の小説があるのだが、どうやら20分で読み終えてしまったらしい。相変わらずのハイスペックぶりだ。
「ねぇ課長ぉ、何か面白い話してよ〜」
「無理言わないでください。あと他の乗客の迷惑になるのでお静かに」
「えぇ〜、いいじゃ〜ん」
「ちょっ、抱きつかないでください!いやホントにこれ……何か当たって……」
「ありゃぁ? ここまで純情に反応してくれるとなるとお姉さんの鼻が高いな。なんか私に慣れてない頃の傷裏見てるみたいで」
通路越しの椅子に座る傷裏に助けを求める神野だが、傷裏は小さく微笑むにとどめる。
傷裏としては何か同類的な意味で助けてあげたい気持ちがないわけではないが、同類ゆえに自分を見ているようで面白いと思うところもある。
「傷裏君って意外とゲスいよね」
呆れられながら黒崎に言われた。ついに言われたか、という感じではあるが。
「知らなかった? こう見えて僕って適当な人間だよ」
「それをなんの悪びれもなく言える傷裏君、素直に怖いわ」
「なんだろ……人に言われると落ち込むな」
どちらかと言えば黒崎に言われたことがショックなのであった。
「………」
「アロラさん、どうしたの?」
無言を貫いていたアウラが傷裏の肩を叩く。ちなみに、現在の席順は左から黒崎、傷裏、アウラである。
「………」
「バックから水をよこせ? それぐらい自分でやって」
「ちょっ、傷裏君、なんで解読できるのよ……」
もはやここまでくると突っ込まずにはいられなかった。アウラはずっと無表情にも関わらず、傷裏はまるで彼女が喋っているかのように対応する。黒崎はそれが理解できなかった。
対して、傷裏は頭を掻きながら小さく笑った。
「なんでって言われてもね……なんかこう、大体察せちゃうんだよ。もちろん心の中まではわからないけど、表情に出てる感情はわかるよ」
「表……情?」
黒崎は改めてアウラを見る。愛玩される人形のように無機質。例えるなら氷のよう、だろうか。仮面と称してもいいかもしれない。そして不思議と、無表情の内面にどこか愛嬌というか可愛らしさというか、そういった温かみを感じられた。
結果、である。
「わからないわ……」
「まぁ見透かそうとしても無駄だから。大事なのは心だから」
「適当を自称する割には、熱い台詞を言うのね」
「僕ってどっちつかずだからね。信用できそうでできないって、市原さんに言われたよ」
「信用……ねぇ」
黒崎は傷裏を見つめ、首をコトンと傾げる。思わずキュンときたのは内緒である。
「私としてはさ、傷裏君は十分信用に足る人物だと思うんだけどなぁ……」
「え?」
「いや、根拠はないよ? でもなんか……感覚的に。それこそ傷裏君の言う心の問題なんだと思うの」
「そんな……もんかな?」
「そうだよ。じゃないと青島さんと柳沢さんとか唐沢君とか……お父さんだって、傷裏君を信用してる。皆傷裏君を信用してるんだよ。もちろん私も」
「…………」
それ以降、傷裏は顔を両手で覆って動かなくなった。彼の身体に何か起きたのではないかと不安になった黒崎は心配になったが、小さな声で一言「大丈夫」と聞こえたので、彼女は追求しなかった。
そんな傷裏はというと……。
(なんだかよくわからないけど凄いハッピーだぜちくしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!)
黒崎に人格面をこの上なく褒められたゆえ、嬉しさのあまり赤面しながら絶賛キャラ崩壊中であった。
(なんだろこの感じ⁉︎ なんだろこの感じ⁉︎ 凄い嬉しさとそれと同等の恥ずかしさが重なり合い、なんとも言えない感情を形成しているんだけどこれは一体っ⁉︎)
『おい龍、うるさいから少し黙ってろ。いくらお前がその感情を声に出してないっつてもだな、同じ脳や同じ体を共同的に使っている俺には全部フィルタ抜きで伝わってくるんだよ』
(……だったら思考解析をロックすればいい話じゃないの?)
『お前の感情の興奮とかが過度に高くなると思考解析以前の問題として強制的に流れてくるんだ。要はご近所の騒音問題だ。わかったらその興奮静めろ。というか沈め』
(相棒、悪いけどその提案は受け入れられないよ。今の僕は軽く上記を逸したハイなモードだ。よって、今の僕を止めることは誰にもできない!)
『何カッコよく宣言してんだゴラァ!』
『タイガ』がキレていたが、そんなもの傷裏の耳に入ることはなく。
このハイな感情を維持することはきっと傷裏を長時間幸福にしてくれるだろう。しかし、そろそろそれを表に出さずにいることが限界に感じてきた。少しばかり発狂でもすればこの感情は収まるだろうが、そんなことをしてみろ、傷裏は変人のレッテルを貼られることになる。そして何より。
(黒崎さんに嫌われる……)
それはなんとしてでも回避するべき事態である。なんとかしなければ。
そして、1つのゴールに辿り着く。
(ぬぉぉぉぉぉぉぉぉ……っ!)
「ちょっ、傷裏君⁉︎」
傷裏が選んだ選択肢。それは、目の前にある椅子の背もたれに頭をぶつけて発散させることだった。これで少しは落ち着き、なおかつ幸福感の持続に成功した。
「だ……大丈夫?」
「うん……大丈夫、だから、今は放置しといてください」
「わ、わかった……」
実際は頭を打ちつけた部分にあった手すりや机が脳天に直撃して予想以上の痛みを伴ったが、何はともあれ結果オーライである。
ちなみに、傷裏のそんな感情など知る由もない黒崎が何を思ったのかというと……。
(傷裏君……大丈夫かな)
色んな意味で心配されていて、結果オーライではなかった傷裏なのであった。
そんなこんなで1時間半。福岡に到着した。
「うっぷ……」
旅客機を降りた傷裏の第一声は、嘔吐的なそれだった。
1時間半の旅の間、傷裏は感情を整理するために何度か前方ヘッドアタックを行った。その結果、傷裏の脳は想定以上にグラグラに揺らされたわけで、今に至る。
余談だが、ヘッドアタックの被害にあった座席には誰も座っていなかったゆえ、被害者は傷裏と『タイガ』の2名にとどまった。
「さて、今日の今後の予定はどうなってるんでしたっけ、大尉?」
「これからブレイン本社に向かう。歩いて5分の距離だからすぐだよ」
そういうことで、一行は神野のリードの元歩き出した。
ここでもう1つ余談を挟もう。今度はこの福岡についてだ。
現代、福岡……というより九州地方一帯はEUCからの貿易に際しての窓口を勤めている。江戸時代の出島的なそれだ。
それゆえ、九州にはヨーロッパ系の人種が多数流入しており、日本人とヨーロッパ系の割合は7対3といったレベルにまで達している。
加えて嫌なことに、国益的な問題があってか九州でのヨーロッパ系人種の出世率は妙に高い。これがEUCへの媚売り的措置だと、日本人もヨーロッパ系も理解していた。
それを理解した上で、日本人は現在の地位に甘んじ、ヨーロッパ系は現在の地位で横暴を繰り返す。江戸時代、強制的に開国させられ不当な条約を結ばされたのと同じように。
時代は、嫌な意味で繰り返すのだ。
歩きながら、傷裏は服の裾にナイフを入れていた。旅客機を使うと必然的に一旦預ける必要があったため、こうして再装填している。
ちなみに、同じく物騒品常備のアウラもまた預けていたアタッシュケース(中身は拳銃である)の中身を歩きながら点検していた。
「あんたら……」
さすがの戸田も、この異様な光景にはツッコミを入れずにはいられなかった。
現在、時間は午前10時。まだ明るい時刻だ。
だからなのだろう。すぐに反応できた。
細い路地裏から、全身黒スーツにサングラスをかけてコンバットナイフを握りしめた男がこちらに向かって走ってきたことに。
「下がって!」
傷裏は皆にそう告げると裾からナイフを展開、男に突っ込んで行く。
男はコンバットナイフによる鋭い突きの連撃で対象の肉を切り裂かんと狙うが、傷裏はそれら全てをナイフで受け流して相殺する。
このままでは不毛となると判断したか、男は即座に自らの足で地表を薙ぐ。不覚にも、傷裏はそれにまんまと掛かり転倒してしまった。
「チッ!」
慌てて起き上がり、コンバットナイフの追撃を回避。
(『タイガ』!)
『あぁ!』
意識の表を相棒にチェンジ、眼が戦士のそれに変わる。
男の振るうコンバットナイフの1撃を回避、その腹に蹴りを叩き込む。
加えてその身を翻し、もう片方の足で顔面を潰す。
鼻の骨を折る程度の力。これで無力化する。
「おいおいマジか⁉︎」
否だった。
男は一瞬も怯む様子もなく、再び攻勢に転じた。
男の鼻は確実に粉砕していた。流血していた。それでもなお、男の表情に変化はない。
まるで、凍っているかのように。
「化け物かよ!」
男の身体能力は高い。現在の『タイガ』がなんとか優勢を保つことが精一杯なほど。
ギリギリだが、それでも優勢だ。
優勢なら、勝機はある。
男の攻撃を回避、ガラ空きになった顔を殴りつけ、コンバットナイフを握る右腕……その肩に踵落としを食らわせる。
バーバリアンが片腕をなくすとバランサーを再調整する必要があるように、人間の片腕が不調になれば当然バランスが崩れる。
(殺しはしねぇ。あとで警察にでも突き出す)
さらに否。
シュッ。
何か物体が、風を薙ぐ音。
それが聞こえた時には、傷裏の体は宙を舞っていた。
(……あ?)
理解に時間を要した。どうやら蹴られたようだ。
あの宙に浮いていた時間はわずかだったが、『タイガ』はそれを何倍も遅く、時間が停滞しているように感じた。
地表に叩きつけられた痛みで、『タイガ』の体感時間は平常に戻される。
「ぐっ……やばっ⁉︎」
目の前には男がマウントポジションを取っており、コンバットナイフを振り上げる。対応する時間はない。
「傷裏君、頭下げて!」
突如黒崎が言葉を投げかけられてきた。指示に従いながら声のした方へ目を向けると。
頭上を弾丸が駆け抜け、男の腹部へ吸い込まれた。
視線の先には、冷徹な眼差しで拳銃を構えるアウラがいた。
「アロラさん……」
思わず『タイガ』を押しのけて傷裏が表に出た。
傷裏は彼女の表情の微少な変化から表に出ている感情を読み取った。
それは恐怖だった。何に対する恐怖なのかはわからなかったが、とにかく恐怖だ。
アウラは無表情ゆえに無感情に見られやすいが、実際は感情豊かな普通の少女なのだ。
だがしかし男は生きていた。というより、無傷だった。防弾ジャケットを着ていたのだ。
男は傷裏から距離を取り、背後にいる4人を見渡す。
男は去った。追撃しようとしたが、蹴られた際の痛みが残っていたせいでうまく動けない。まともに動けるようになった時には、既に男は探せる所にはいなかった。
そしてもう1つ、不可解に思ったことがあった。
(『タイガ』、あの動き……)
『あぁ……不自然だ』
おそらくだが、蹴られる前と後では、男の身体能力は明らかに変容していた。
与えられたダメージをそのまま力に変換したかのように。
経験を力に変換したかのように。
例えると、そう。
(進化したみたいだ……)




