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episode41・思惑と慣れ

 演算ソフト。

 今更ながら、これの解説に至ろう。

 バーバリアンのヘッドユニットに搭載されている部品であり、別名は操縦補助AIシステム。

 無数の精密機器で稼動するバーバリアン……というより人型兵器を人間1人の手で操作するというのは、どうやっても限界がある。

 そのための演算ソフトだ。以前、黒崎獅童が名目として作ろうとしていた戦闘AIと違い、これはあくまで補助。主な役割は火器管制、駆動系及びエネルギー管理などである。

 これの性能差によって勝負が決まることは珍しいことではない。

 演算ソフトは言わば中枢、脳なのだ。

 脳の質の優劣で上下関係が構築されるのは、何も人間だけではないのだ。


「で、最終調整は順調なのか?」

「はい、全て問題なく進んでます」


 そこは周囲に無数のホログラムモニターが折り重なるように展開されているドーム状の空間。どこにも電球などはなく、ホログラムモニターが生む淡い水色の光が幻想的な雰囲気を醸し出す。

 その空間の中央に2人の男。片方は痩せた体に黒縁メガネに白衣の30代の男。もう片方はスーツをピシッと着こなした筋肉質で40代の男。

 ここまで聞けば、身体的に優れているのは筋肉質の方と誰もが思う。

 だが違う。

 筋肉質の方は椅子に座っていた。ただの椅子ではない。1人用ソファを縮小化したような椅子で、左右には大型の車輪があった。

 要はこの男、車椅子を使用しているのだ。


「これが完成すれば、あなたの悲願は達成されることでしょう」

「あぁ、感謝する。お前がこの案を上に提示してくれなければ、俺は一生絶望の海に沈んでいた」

「その面倒な言い回し、もはや愛嬌を感じてきましたよ」

「長い付き合いだからな」


 2人は互いをよく知っていた。言うなれば相棒というものだろう。


「さて、そろそろ行こうか」

「はい」


 筋肉質の方は手元のレバーを操作し、車輪を自動で回転させて部屋を出、白衣の方はその後ろで付き従うように、共に部屋を去った。




「ねぇねぇねぇねぇ」

「…………」


 場所は変わって傷裏宅。

 家主である傷裏龍は自室でパソコンのキーボードをカタカタと無言で打っていた。


「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」

「…………」


 『ねぇ』の数が増殖。声の主である黒崎梨々香は傷裏の肩をガクガクと揺らす。


「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」

「…………」


 そんな邪魔極まりない彼女を無視して作業に集中しようとしていたが、そろそろ面倒に感じてきた。


「黒崎さん……何?」

「だから言ってるじゃん。私にもお手伝いをさせてって言ってるの。奉仕にパシリに情報収集になんでもござれだよ」


 お手伝い。

 彼女が何を指しているのかは瞭然だった。

 黒崎の入院時に、黒崎から嫌煙されるために告白した事実。

 傷裏の最大の目的である、復讐。

 しかし、嫌煙されるどころか逆に急接近され、手伝うと言われる始末。とんだ墓穴を掘ってしまったものだ。

 問題はそれだけではない。


「ねぇお願いだって。私になんでも言って。私にできることならするよ? 傷裏君が一言『手伝って』と言ってくれれば、私はあなたの奴隷になるよ?」


 彼女、自覚があるかないかは不明だが、どうにも台詞が健全な男子の精神を不安定にさせる類のものになっている。

 ちなみにだが、彼女の現在の服装は水玉模様の緩々パジャマ。これまた自覚の有無は不明だが、何かこう……ギリギリ見えるか見えないかの境界線を行ったり来たりしている。肌の露出を恥ずかしがっていたあのキャラはどこへやら。

 ここは1つ、理解ある者が理解なき者に教えなければいけないようだ。


「……黒崎さん、少しは言葉遣いと服装に羞恥心を持った方がいいよ?」

「ん? 羞恥心? なにゆえ?」


 本気でキョトンとされてしまった。これは一体なんだというのか?


「だって相手は傷裏君だよ? 別に裸を見られたわけではあるまいし、パジャマ姿程度じゃ私はもう平気だよ?」

「……言っとくけど、今現在の黒崎さんの状態はある意味裸よりも色気を生んでるからね? そこ理解してる?」


 まぁ、平坦であるが。

 何がとは言わない。ただ、平坦だ。というより平地だ。


「黒崎さん、あなたはもう少し異性に対して警戒心というものを持った方がいいよ?」

「警戒心? はははは、何言ってるのさ傷裏君。君を警戒してなんになるっていうのさ?」


 予想以上の信頼レベルである。いや、嬉しいことには嬉しいのだが。

 そんな時、部屋のノックが鳴ったと同時にドアが開かれた。


「傷裏、入るよ?」

「その言葉、ノックとドアを開けるのプロセスの間に仕込んでほしいんですがね……」


 侵入……もとい登場したのは、黒崎同様に緩々のシャツというこれまたアウトな格好の常時官能性放出系の戸田恵実だ。

 だがまぁしかし、彼女でこのレベルの着衣ならまだ優しい方であるのであった。


「なんかガヤガヤしてたから来たけどさ、私抜きでなんの話してるの?」

「それはですね、傷裏君の復んぐぉっ⁉︎」


 戸田の問いにさも当然の如く重大機密を公開しようとしていた黒崎の口を、慌てて手で押さえる傷裏。

 さすがにこれ以上外部に情報を晒すわけにはいかない。彼女の暴挙は止めねばならない。


「どうした?」

「どうもしてませんどうもはい!本当に何もないから大丈夫ですからはい!」


 傷裏の様子は明らかに挙動不審であり、何もないはずがない感じであった。

 戸田は数秒傷裏を見つめる。舐め回すようにじっくりと、つま先から頭頂部までしっかりと見つめる。


「そ、ならいいの。邪魔したわー」


 見つめた後、戸田は何事もなかったかのように部屋を出た。

 それを確認し、傷裏は黒崎の拘束を解く。


「ん、んんんんんんっはぁっ! やっと解放されたよ……」

「それ、僕の台詞」


 異常な緊張感から解放された傷裏だった。

 さすがにある程度察した黒崎は、耳元で小さく語りかける。


「……戸田さんはNG?」

「……うん。このことは誰にも言っちゃダメだ。正直、黒崎さんの記憶から復讐トークの記憶を消したいものだけど……」


 チューナーがあればそれも可能だろうが、あいにく手持ちしているはずがない。

 話が逸れるが、先日の『ヤマタの集い』の一件で基崎が所持していたとされるチューナーは、ビートルのコックピットから回収された。現在は基崎との協力の元、アレの正しい使用法を研究しているとのことだ。


「だから、私も手伝うって言ってるじゃん」

「だからダメだって。黒崎さんを危険な目に合わせるわけにはいかないよ」

「私から見たら、傷裏君が危険な目に合うのは避けたいの。だから協力するの」

「……驚いたよ」


 傷裏は、今まで気になっていたことを聞く。


「黒崎さんの性格なら、僕を止めるとか言い出しそうだと少し思ってたけど」

「まぁ、そう思わないこともなかったけど、傷裏君って絶対何言っても聞きそうに無いしさぁ……なら傷裏君が傷つかないことを最優先にする」


 理解されていた。傷裏の大体の性格を。

 だからといって、認める理由にはならないが。

 しつこく頼んでくる黒崎を相手に困っていた時、1本の電話が鳴る。

 半ば抱きついてくるような状態の黒崎を引き剥がし(もうちょっと触れていたかったという気持ちがなくはない)、電話に出る。


「もしもし」

『おぉ、龍。今は家か?』

「えぇ、市原さん。今日から夏休みなので」

『だから電話したんだが、今暇か?』

「忙しくはないですよ。というより用事を作りたかったところです」

『ん?』


 そろそろ傷裏の理性にも崩壊の兆しが見え隠れしてきたため、これは僥倖だった。


「それで、今回はどんな仕事ですか?」

『今回は機関としてではなく軍としての仕事だ』

「軍ですか?」


 直属の上司である東郷が逮捕された今、傷裏を軍に引き入れておきたい人間はいなくなり、経費削減のために解雇されると思っていた。当の傷裏としては、『知るべき情報』は全て手に入れた。それほど軍に拘る理由もまた存在しなかった。

 だが、話は予想外の方向へ流れた。国防軍のとある人物の計らいによって、国防特務課は存続したのであった。


『いや……訂正だ。軍から機関に依頼された仕事……だな。今、課長君が機関で君たちを待っている。どうやらかなり内密な話らしい』

「内密……ですか。面倒な予感がします」

『残念ながら、正解だ。あ、一応梨々香ちゃんと戸田大尉を連れてこい』

「了解です」


 携帯を切り、傷裏は急いでタンスを開ける。


「黒崎さん、仕事だ。戸田さんと身支度を済ませて」

「うん、わかった。戸田さーん」


 状況を理解していない黒崎だが、疑問の1つも言わずに戸田に伝達しに行った。


(まぁ、僕も知らないからいいんだけど)

『ダルい……』

(そう言わないでよ『タイガ』。今度パフェ買ってあげるから)

『マジで⁉︎ よし、なら行こうすぐ行こう!』


 相棒の餌づけを手早く済ませ、傷裏は着替え始める。

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