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episode23・邂逅

 冷蔵庫の食料が尽きた。

 傷裏がその事実に気づいたのは、夜の散歩から帰って来た時だった。


「……これはどういうことかな、2人共?」

「あ、えっと……ねぇ…………ね?」

「わ、私に振らないでください……。これはだね……うん……ね?」


 居候女子2人(1名は『子』かは謎だが)は互いに責任をなすりつけあった末、全力で土下座。


「ごめんなさい!」


 同時だった。シンクロナイズドスイミングとかできそうだ、と傷裏は無関係なことを思った。

 さて、なぜこういうことになったか。

 その日、傷裏は2人に散歩に行くよう言われたのだ。

 2人の狙いは、傷裏が家を空けている間に家事を完璧にこなして『私たちは家事もこなせる万能な居候なのだー』と自慢したかったらしいのだが、残念なことに、彼女らは異常に、果てしなく異常に、家事スキルを有していなかったのだった。

 既に畳み終えてあとはタンスに収納するだけだった衣服は家中の床に無造作に散らばり、洗濯機は黒煙を吹きながら明らかに想定を超えたレベルで微震動状態をキープし、シンクには本来食器棚に綺麗に整頓されていた皿含む大量の食器がエッフェル塔(倒れそう的な意味で)が建築されていた。


「だって軍宿舎にいた時もヤマタにいた時も適当にカップ麺とかで済ませてたし……ごめんなさいそんな怖い目で見ないで」

「家事は基本的にメイドさんや執事さんがやってくれてたからやる機会なくて……」


 これが2人の言い分だった。なんというかもう、憤怒より呆れの感情の方が強かった。

 小さくため息をつき、卓上に置かれた『料理』を見る。

 黒い。何から何まで。

 シルエットから察するとご飯に味噌汁にシャケの塩焼きという和風料理なのだが、黒い。シャケは黒焦げ、味噌汁はなぜか『具材を炒めた』せいで黒焦げ、ご飯は以下同文である。


「……なぜ焼きやがった」


 あまりの異常事態に脳が追いつかず、口調が『タイガ』っぽくなっている傷裏であった。

 さらにだが、この『料理』に辿り着くまでに数多の試行錯誤を繰り返したようで、冷蔵庫のほとんどの食材が生ゴミ箱に投下されていた。

 よって、食材がない。

 もう1度、深くため息。


「仕方ない。今から食材買ってきますから、何もせずにそこに正座していてください」

「だ、大丈夫! すぐに片付けるから!」

「そ、そうよ傷裏君!私たちまだ挽回……」

「何もせず」


 ほんの一瞬だけ『タイガ』を表に出すことで、本来できないような凄まじい眼力を示すことで2人を黙らせた。


「では、行ってきます」


 恐怖の笑顔を固めたまま、傷裏は家を出た。




「なんであぁなっちゃうんだろ……。ていうかどういう思考で味噌汁の具材を炒めたなんてとこに迷走するんだろ」

『……もうあいつら見捨てていいか? そろそろ俺としても限界だ』

「ぶっちゃけ同意だけど、我慢だよ」


 相棒から愚痴られ、それを否定できずに苦笑いに留める。否定は……できない。

 ちなみに、この状況をはたから見たら独り言をブツブツ呟く変人に見えてしまうため、携帯を耳に当てて電話をしている雰囲気を作っている。


『だって今までのあいつらの愚行を思い出せよ。俺10代でストレス老化したくねぇよ』


 恐ろしいことに、『タイガ』が泣き言を吐いていた。前例のない事態だ。

 回想。

 戸田を招いた初日、ヤケ酒。翌日の早朝まで暴走。

 黒崎を招いた当日、戸田が再度酒(なんとかヤケ酒は回避)。

 その翌日、黒崎の壊滅的な調理スキルが判明、戸田が奮闘するが同様の症状が発生。

 本日、略。


「……うん。半分以上が戸田さんな気がしてきた」

『戸田のやつ、軍での事務仕事は完璧なのにな……』

「働くスーパーウーマンは家ではズボラってドラマで見たことあるけど……本当にいるんだね」


 はぁ、と2人は本日何度目かとなるため息をつく。

 その時、傷裏は肩を叩かれた。

 フードを目深に被った男。顔を確認することはできない。


「すまない。ちょっと聞きたいことがあるんだが」

「なんでしょうか?」


 フードの男は懐から女性が写った写真を取り出した。人探しのようだ。


「こんな女を探しているんだが……知らないか?」


 思考が止まった。

 傷裏龍も、『タイガ』も。

 写真の女性は、戸田恵実。


「戸田っていうんだが……少し前から行方不明なんだ」

「…………さぁ、知らない、です」


 止まった分の思考をフル回転させる。今現在、戸田を探す必要のある人物は……。


「そうか、すまんな」


 フードの男は一礼して駆けていき、傷裏はそれをジッと見つめた。


『……どうする?』

「こんなの犯罪者っぽいからしたくないんだけど……尾行するよ」


 最悪現行犯逮捕されても、大佐や獅童になんとかしてもらえばいい。




 フードの男は街中をフラフラと、落ち着きなく歩いていた。道行く人に声をかけては礼の写真を見せて何か聞いている。


『おい龍、あいつまさか……』

「可能性は大だと思うよ。多分あの兄弟は、他のメンバーにあのことを伝えれていなかったと思うし」


 フードの男はビルとビルの間の路地へ入って行き、傷裏も一定の距離を保ちながらそれに続く。

 路地に入り、しまったと思った。


「いない⁉︎」


 フードの男がいない。路地はもう少し先に続く1本道。この短時間で走り抜けられる距離ではない。


「っ⁉︎」


 唐突なる敵意。

 真上。

 片方のビルの排気用ダクトに、フードの男が片腕で掴まって待ち構えていた。

 ダクトから手を離し、壁を蹴る反動で急速接近。

 空中で放たれる踵落としをギリギリのところで回避し、こちらも拳打で応戦。

 攻撃と回避の応酬。

 一見その力は拮抗しているように見えるが、わずかながら傷裏が押されている。

 この狭い空間での肉弾戦では傷裏、ひいては『タイガ』が得意とする足技をうまいこと活用できない。


「くっ……ならばナイフ!」


 裾から数本のナイフを展開、投擲。

 かわされた。が、その手法が常軌を逸していた。

 フードの男は左右の壁と壁を蹴り、上空へ逃れたのだ。ゲームで見るような壁ジャンプの要領だ。

 そのまま真上から落下、身を鋭く回転させながらの連続蹴りが傷裏の全身を叩き潰す。

 バキィィ、グシャ、ドグァ、と人体からなってはいけない音を複数回聞いた。

 痛みは後からやってくる。


「……ぐ、ぐぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉︎」


 肉は抉れ、鮮血が舞い踊り、骨は原型を忘れ、痛みは全身を凄まじい速度で駆け抜けた。

 意識が朦朧とする中、なんとか足に力を込めて立つ。

 そんな脆弱な体を、容赦なくフードの男の蹴りが襲う。


「……ぅがぁ⁉︎」


 肋骨が数本、機能を失った。

 フードの男は傷裏の頭を掴み、手近な壁に叩きつけた。


「なぁ、お前さ」


 口が開かれた。倦怠感を具現化したような、ゆっくりと伸びのある声だ。


「俺のこと尾行して、一体なんのつもりだ?」


 再度壁に叩きつけられる。頭蓋にヒビが入っているかもしれない。

 そんな死亡寸前の状態で、傷裏は掠れた声を絞り出す。


「あなたは……『ヤマタの集い』のメンバー……ですよね……」

「……国防の人間か。面倒なやつに出くわしてしまったな」


 フードの男が傷裏をジッと見つめる。それは真偽を測るように、品定めをするように。


「……お前は戸田を知っているのか? 知っているなら居場所を吐け」

「……残念ながら、あなたの願いを果たす手段を、僕は持ちあわせていません」


 死への恐怖を押し殺す。

 この男には勝てない。どうあがいても、人間の範疇を超えた動きをする相手に勝つことは不可能だ。そんな浅はかな期待を抱くほど、傷裏は愚かではない。

 勝てなくても、光を見ることができなくても、相手を負かすことが、光を別の誰かに委ねることはできる。

 騙し、化かし、謀り、偽り、惑わし、欺き、誤認させ、誤解させ。

 仕掛ける。


「おい、今の言葉は一体どういうことだ?」

「言葉通り、ですよ。まさか人語を理解できないとは……思いませんでしたよ」

「……」


 精神を逆なでし、正常な思考を奪う。


「あなたは……こう思っているはずだ。戸田恵実は国防に捕まった後、ヤマタを裏切り、現在はどこかで生活している、と。……だから情報が漏れ、駐在基地が次々と潰されていると」


 確信を突き、さらなる動揺を誘う。これも正常な思考を奪うためであり、傷裏の言葉への懐疑心を減らすためである。

 ここで切り札の投入。


「……戸田恵実は拷問の末に『ヤマタの集い』の全情報を提供し、その後極刑に処されました」


 決定的なチェック。傷裏が死亡するのは決まっている。でもこれなら、最低でも戸田の命を守ることはできる。


「そうか……戸田は死んだのか。しかも、情報を吐いた上で、殺されたか」


 過去を振り返るように、フードの男は呟く。未だに顔をはっきりと見ることはできないが、顎ぐらいは視界に映り、色白というぐらいしかわからない。


「そうか……そうなのか……」


 パシュッ。

 乾いた音が鳴った。

 何が起きたのだろう? サイレンサーつきの銃声に似ていたが……銃声?


「…………ぇ?」


 その時、傷裏はなぜ血を吐いたのか、なぜ腹部に鋭い痛みが追加されたのか、なぜ全身の血が急速に体 外へ流れ出たのか、なぜ極度の寒気に襲われたか、わからなかった。

 最後に見たのは、傷裏に侮蔑の眼差しを送るフードの男がその場を悠然と立ち去る姿だった。

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