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episode104

 地上にて。


「市原さん、1つ聞いてもよろしいかね?」


 傷裏を見送った後、室井はふと問いかける。


『なんだ?』

「あなたは傷裏君に話したのか? 私と君が実は旧知の仲だった、ということを知っているのかね?」

『いや、話していない。そもそも俺としては君と龍が知り合うこと自体が想定外だったからな』

「ま、そうなるか」

『そういう伏線は1つも張ってこなかったからな』

「メタいな」


 室井は小さく笑いながら、自らの機体を状況をチェックしていく。

 彼女の機体、アモンはハルファスのプロトタイプである。プロトタイプと言っても、それはケルベロスシステムの試作型というわけではなく、脚部へのパワー一極集中化を目的としたという意味だ。

 脚部へのパワー一極集中化……つまりは脚部に近接武装を備えることを前提とした超近接特化機体の開発を目的していた。

 前述したが、開発当時はケルベロスシステムがなかったため、粒子は常時脚部へ重点的に流す構造になっていた。脚力による跳躍はできても高高度への飛行にまで回す粒子はなかった。プロトタイプとしてお蔵入りになった理由はつまりそういう汎用性の低さが原因ということだ。

 しかし、そんな欠陥機体であることを承知で室井がアモンを持ち出したことには理由がある。

 1つは、この機体は汎用性が低い代わり、単純な機動性、運動性能の面だけを見ればハルファスよりも性能が高いこと。

 2つは、ただの趣味だ。


「では市原さん、もう1つだけ問うても構わないか?」

『なんだ?』

「傷裏君はチューナーによる技術のトレースを行うことで足りない実戦経験を直接頭の中に叩き込んだ。しかし、その際にトレースしたものが実はが私の記憶だと、彼は知っているのか?」

『……いや、あいつは何も知らない。君の体をチューナーの毒素が着々と汚染していることを、あいつは知らない』

「そうか、それはよかった。それじゃあまぁ、行くとしますか」


 シュンと、アモンの右足から粒子ブレードが展開される。それはハルファスのそれと同質であり、同様に多量の熱を帯びていた。


「サァッ!」


 アモンが疾駆する。直進、メガネウラの群体に突っ込む。その群体の中で、鋭利で鮮やかな蹴りを放つ。

万物を斬り裂く蹴りを、ひたすらに。

 鋭利に、鮮やかに、確実に。

 (かい)

 本来は密接すべきメガネウラの胴と胸を、右足を振るうだけで乖離させる。

 背後からメガネウラが迫る。

 振り向くことなく、身を捻って回し蹴りを叩き込む。

 乖。

 踵からナイフの刃に似た粒子ブレードが展開、回し蹴りの威力に乗せてメガネウラを引き裂いた。


『なぁ室井、この際だから俺からも1つ質問させてくれ』

「なんだい?」

『君はなぜ、自分の身の危険を冒してまで傷裏に記憶を提供してくれたんだ?』

「なぜ、と聞かれると困るな。記憶を提供するよう頼んできたのはあなたじゃないか」

『いや、それはそうなんだがな、俺は強制はしなかったはずだ。君には断る権利があったはず……だ!』


 聞き返しながら、近寄ってきたメガネウラの大群をまとめて不可視レーザーで切り裂く。


「んぅ? まぁ確かに拒否権はあったが、断る理由もなかったから。それだけだ」

『それだけって……さすがに説得力がないぞ。もっとちゃんとした理由があるはずだろ』

「いやいや、本当に何もないんだ。逆に私はいつも思うんだよ。物事には理由は本当に必要なのか、とね」


 跳躍、メガネウラを踏みつけて足場とし、空中に逃れていた敵をなぎ払う。


「私は機体の設計、チューンに関しては常人のそれ以上と自負しているが、悪いことにそれ以外はからっきしだ。要は馬鹿ということだな」

『話を逸らすな』

「あぁ、悪かった。それでだがな、私は馬鹿だから物事を深く考えることが苦手なんだよ。大体がその場しのぎ、って感じだな。とにかくだ、私が彼に協力したのはそうしたいと思ったから。嘘偽りなく、本当にそれだけだ」

『しかし……』

「私の身を案じているのは嬉しい限りだが、その心配は必要ないと、私はつい先日、彼に知らされたのだよ」

『彼?』


 室井の視線の先では、ビートルが戦っていた。



 ビートルの粒子ブレードが振るわれる。本来なら……傷裏や室井の特例を除き、メガネウラの機動性をもってすれば回避できるはずの1撃だが、彼もまた特例であり、的確にメガネウラを両断していく。

 この機体の基となった深雪は知っての通り、過度なまでの機動性をを求めた高機動機だ。そのため、放たれる1振り1振りは通常のバーバリアンより速く、鋭い。

 それに加え、これほどのオーバースペックの機体を操ることができるだけの操縦技術を基崎は有している。たかが速いだけが取り柄のトンボごとき、彼の敵ではない。しかし問題がないわけではなく……。


「……面倒だな、これは」


 彼を襲撃していたのは、3匹の……これまた巨大な狼だ。一目見るだけで凶暴というイメージが湧くほどの恐ろしき殺気を彼らは有している。おそらくその牙の餌食になってしまえばひとたまりもないだろう。

 牙もそうだが、何より厄介なのはメガネウラにも引けを取らない速度だ。単純なスピードだけを見ればメガネウラの方が上だが、狼の方は直感に優れている。

 野生の勘と言うべきか、彼らの動きには規則性がない。視覚や嗅覚、そして脳に頼らない機敏な動きを予測、捕捉することは不可能に近い。

 だが、できないわけではない。


「……ッ!」


 狼の進路上に足をかけて転倒を狙うと同時、左手に持ったライフルで狼の真上からビームを照射する。

 しかし、狼はそれを回避する。

 だが、見込みが甘い。

 基崎が、ではなく狼が。

 足元を狙われ、真上を襲われたとなれば、狼の逃げ道はもう前後左右の平行移動しかない。

 そうなると、基崎がブレードを水平に振り抜くだけで勝負は決する。


「まず1つ……」


 狼は確か3体いた。それがどこにいるのかはわからないが、とにかく今は数を減らすことを最優先とするべきだ。

 そう考え、思考を巡らせながら、基崎は室井に視線を向ける。

 室井静香。基崎の師匠とも呼べる人間。

 基崎がまだ黒崎グループにいた時、彼は彼女を尊敬していた。他とは一線を画す技術センスもさることながら、あまり知られていないが操縦スキルも一級品だった。

 退社した理由もまた、憧れが原因していた。

 彼女とは、仲間ではなく敵対者……ライバルでいたかった。

 吹雪シリーズを作ったのは基崎だと周囲では言われているが、それは正しくない。

 確かに基礎を作り上げたのは基崎だ。しかし、初期段階で機体構成の不安定要素を見つけ出し、それを即時修正、市販可能な状態にまで持っていったのは室井なのだ。

 彼だけの成果ではない。

 それゆえに、彼は室井を慕っていた。

 その感情が薄れていったのは、一体いつの日からだろうか。おそらくチューナーを使って感情を欠如させ始めた頃だ。正確に覚えてはいないが、初めの頃に憧れに関する感情を消したのだろう。

 追憶に耽っていた、その時。


『基崎!』


 自分に対する声が飛び、我に帰る。

 そこでようやく、2匹の狼が目の前まで迫っていることに気づいた。


「マズッ……!」


 この距離、タイミング、初期動作にかかるタイムラグを合わせると、回避は不可能……。


『バックステップして! 全力で!』


 再び発せられる警告に考える前に従い、無駄としか思えない延命処置を行使する。


『燃え尽きろ!』


 その声と共に飛んできたのは、大小様々なミサイルの群れだ。狼たちはそれらを大胆かつ的確に、接触ギリギリのところで回避、距離を取って遮蔽物に身を隠す。


『何やってんのあんたは! 戦場で、しかもこんな数負けしてる敵陣ど真ん中でボーッと突っ立ってるとか馬鹿なの⁉︎』

「……戸田か」


 クイーンビー・NEXTに背を任せ、基崎は前方に警戒を配る。遮蔽物と遮蔽物の間を2匹の狼が別々の方向で移動する。片方を注視すればもう片方がすぐさま襲ってくるだろうし、そもそもあの速度に攻撃を与えられることができるかという時点で問題だ。1匹は倒せたが、同じ手は2度も通じないだろう。


『あんた、本当に何考えてるわけ?』

「何と言われてもな……すまなかった、少し考え事をしていたんだ」

『いや、突っ立ってたのもそうだけど、そもそもあんたがこの戦線に参加したこと自体が、私にとっては不思議で仕方ないのよ』

「まぁ不安になるのも仕方ないな。俺は世界を相手にしたテロリストであるし、それ以前に、君の記憶を書き換えて騙し抜いた張本人だからな」

『えぇ、不安よ。私はね、あんたが傷裏を後ろから撃つんじゃないかって、それだけが心配で仕方ないのよ』

「俺が彼を? なぜそんなことをする必要がある?」

『そりゃあだって、傷裏はあんたの計画を壊した張本人だからでしょうが』

「……あぁ、そうなるか。確かにそうなるな。だが……ククッ」


 基崎はその推測を聞き、笑わずにはいられなかった。

 だってそうだろう。これほど的外れな推測を真顔で、真剣に述べられれば、少しぐらい笑っても問題はないはずだ。


「残念ながら、それはハズレだ。俺はそこまで過去に囚われる人間じゃない。信じてほしいとは言わんが、まぁ無駄に気張る必要はない」

『そう……今はとりあえず疑わないであげるわ。信じたわけじゃない、疑わないだけ』

「それはよかった」

『でも、1ついいかしら?』

「なんだ?」

『あんた、感情が消えてるはずなのに、なんで笑えるのよ』


 やはり気づくか。基崎は小さくため息をついた。

 そう、基崎は自身にチューナーをかけることで感情を消していった。その中には、笑うことに関する感情も当然あったはずだ。

 しかし基崎は今、なんの違和感もなく普通に小さく笑った。戸田はそれが不思議で仕方ないのだろう。


「あぁ……これか。実はな、俺が使ったチューナーは欠陥品だったらしいんだ。感情の消去は可能だが、それは時間が経つことで回復するようになっていたんだ。そのせいで、今は少しずつ感情が戻ってきている」

『……そうなの』

「ま、俺のチューナーの欠陥が発見されたおかげで研究は進み、チューナーの毒素を消滅させられる電気信号を見つけ出せたんだ。結果オーライということだ」


 そう、そうなのだ。

 基崎は収容中に協力していたチューナーの利用研究の際に、記憶をコピーされた人間に生じる毒素を中和、消滅させることに成功したのだ。

 それにより、戸田と室井の2名は、毒素の心配から解放させられたのだ。


『聞かされた時はさすがに驚いたわよ。毒素を消すことができるって聞かされた時からビビってたけど、よりにもよってあんたがそれを完成させるなんて、誰も思ってなかったでしょうね』

「だろうな。……とまぁ、そんなことをグダグダ話してる余裕はなさそうだ……くるぞ!」


 その言葉がゴングだった。

 基崎の斜め左右の2方向から狼が飛び出す。

 片方にレーザーを照射しつつ、ビートルはもう片方の狼に突撃する。

 ブレードを3回振り、それら全てがかわされる。

 足をひっかけようと策を講じるが、これもまた回避される。

 だが、それは想定内だ。

 余談だが、野生の勘というものは見方を変えれば殺気を察知する直感だという。交戦の意思を無意識に読み取り、それを避けるのだ。

 しかし裏を返せば、野生の勘は殺気がない相手には効果がないということになる。

 だとしたら、今でもわずかながら感情が欠落している基崎は有利だ。

 殺気を消す。

 それと同時、対象とは別方向……レーザーで狙っている方の狼に殺気を向けていれば、目の前にいる1匹には殺気は放たれない。

 野生の勘が働かなければ、回避にも限度が生じる。

 だから。


「フッ……」



 基崎は勝利の一歩を実感し、思わず笑みがこぼれる。

 最大限殺気を消し去ったまま、基崎は、ビートルは、狼の首を掴む。

 目の前の狼に全身全霊の殺気を込めながら、そのままマニピュレーターに力を加えていく。

 そして最後、狼の首をへし折った。

 それだけでは終わらせない。

 基崎今目の前の狼に殺気を向けているとするなら、今度はもう片方の狼の野生の勘が働かなくなる。

 つまり。


「フッ……!」


 呼吸を整え、横から迫ってくる狼にブレードを投擲した。

 間一髪、狼はそれを回避したが、さすがにそれが囮だとは気づかなかったらしい。

 既に狼の頭上には、数多のミサイルが降下していたのだ。

 激しい爆音と深紅の炎が舞い踊り、狼は宙に弾き飛ばされる。それでもダメージが少ないのは、野生の勘によるギリギリの回避に進化個体なる生命体を利用した頑丈なボディが原因だろう。

 だがしかし、やはり。

 それすらも囮だとは、誰も考えまい。

 この2人を除いて。


「この1発で決める!」

『わかってる!』


 ビートルとクイーンビー・NEXT。2機が背を合わせながら、片方はライフルを、片方は背に積んだレーザーキャノンを、空中で身動きの取れない対象に向ける。

 そして。


「終わりだ!」

『消えろぉ!』


 2本のビームが照射され、狼は跡形もなく消え去った。

 ひと段落ついたところで、戸田は基崎にあることを質問する。


『基崎、あんたってなんのために対毒素中和信号を作ったの?見知らぬ人間のためとか、それこそ私のため、ってわけじゃないんでしょ?』

「あぁ。これを言ってはかなり失礼だが、俺はお前に悪いと感じることはあってもそうまでして助けたいというわけでもないんだ」

『でしょうね。じゃあ一体なんのためよ?』

「フッ、そんなの決まっている」


 基崎はまた、小さく笑う。

 すぐそこで戦っている尊敬すべき人間に対して向かう外敵に照準を合わせながら、引き金に指をかけながら。


「師匠のためだ」

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