3話
戦争は長引いても実際の戦闘は長引かない。
川を挟んで両軍がにらみ合いとなり、状況が膠着。
そうしてるうちに、上層部が敵軍と和平を結ぶ。
にらみ合いを続ける必要も無くなり監視程度の人数で事足りるようになると、徴兵された急ごしらえの兵士から除隊を命じられていく。
最前線で敵と剣を交えていた兵士達が、それぞれの故郷へと復員していく。
一方で同じ最前線でも、敵と剣を交えることも少なく書記官のような事をしてきた俺には、その命令はなかなか下らなかった。
彼らを羨ましく思う反面、当然だとも思っていた。
状況が変わろうとも仕事内容が変わるだけで、量は減らなかった。
現場に近い書記として、各種の報告書を書き続けた。
忙殺されているうちに月日が流れ、村を離れてから十年ほどが流れていた。
報告書の数が減ってきたと感じてきた頃に、とうとう除隊が命じられた。
俺は最低限しか無い私物を持って、故郷への道を歩いた。
心の中は在りし日の故郷の思い出でいっぱいだった。
十年ぶりの故郷の村はどうなっているだろう。変わってしまっただろうか、それとも何も変わっていないのだろうか。
はるか遠くに村が見え始め、心は弾み足取りが軽くなる。
「ああ、懐かしい。そのままだ」
十年前と同じ風景。そこに一歩ずつ近づいていく。
村の入り口まで来て気が付く。
「どういう事だ、」
村の中央にある巨石は大きい上に巨石を囲むように村が作られている為、村の入り口まで来れば巨石が見えるはずだ。
だが、巨石があるべき場所には建物が建っていた。
他の家々は思い出のまま。ただその建物だけが記憶には無かった。
近づけばその建物が教会だと分かる。確かに、十年前は司祭の住居の一部屋でしかない礼拝室で礼拝をしていた。
だから新たに教会が建てられるのも理解できる。
だが、なぜ巨石があるべき場所に教会が建っているのか。
そんな事を考えながらも、まずは自宅への帰還を優先した。
自宅に入り家族に帰宅を告げた。
記憶の中の親より、十年分年老いた親は大いに喜んでくれた。
最後に無事である知らせをしたのが数年前だから、その間心配をさせてしまっていたようだ。
親の歓喜が収まってきた所で、何気なく聞いてみた。
「そういえば、帰ってくる最中に見かけたけど、教会が建ったんだ」
親のそれまでの嬉しさからの笑顔に影が差す。
「そうね。あなたが出て行った後だから知らないのは当然ね。
そう、教会が建ったのよ」
呟くように、何か自分を納得させるような、そんな答えだった。
「じゃあ、あそこに有ったソラン様はどうなったの」
親は驚きの表情と共に、俺を見てきた。
ため息を一つ付くと、ゆっくりと口を開いた。
「「ソラン様」はもう居ないの。
今の村では誰も「ソラン様」を崇めていないの。
そう決まったから」
親は寂しそうに言った。
その一言は俺にとって衝撃だった。
自分が生まれる前からずっと有った巨石への信仰が、たった十年離れている間に無くなってしまっていた。
「そんな、じゃあ、冬至の祭りは」
親は首を振った。
「もう何年も行ってないわ。今では冬至もただの冬の一日でしかないわ」
「ソラン様は、巨石は、」
親は一瞬言葉に詰まってから答えた。
「教会に行ってみなさい。そうすればわかるから。
ついでに司祭様に挨拶してきなさい。あなたが懐いていたあの司祭様の代わりに若い司祭様が居るから」
多分親の次に多くの時間を司祭と一緒に過ごし、俺は文字を教わった。
お礼も十分にしきれていないのに、もう居なくなってしまったとは。
「あの人が居ないのか。・・・もう、何もかも変わってしまった」
「そんな事は無いわ。少なくとも私はあなたの帰りをずっと変わらず待っていたわ」
「それはそうだね。ありがとう、待っててくれて」
「こちらこそ、帰ってきてくれてありがとう」
親の瞳に再度歓喜の涙が溢れた。
翌日、近所に挨拶をしながら教会を目指した。
この小さな村にはやや不釣り合いな立派な教会。
それが真新しいのが遠目にも判る。
側面の一部に違和感を覚える。最初はそれが何なのかわからなかったが、すぐに気が付く。
側面の一部に窓が無い。そこ以外は等間隔に窓が設けられているのに、一部だけ窓が無かった。
そのような設計なのだろうか。
更に数歩近づき、その理由が判る。
その部分は建材を積み重ねた壁ではなく、一枚の大きな岩を壁として使っていた。
そして、その場所は記憶の中の巨石の場所に一致した。
「そんな馬鹿な、」
この壁があの巨石である事は疑いようもない。
あれだけ自然のままに近い粗々しかった巨石は、すっかりきれいな壁になっていた。
上部の一部も切られているのだろう。記憶の中の圧迫感すら覚えるほどの高さは無くなっている。
教会を建てる為とは言え、ここまでの暴挙が許されるのだろうか。
村の人々はこれに反対をしなかったのだろうか。
怒りに近い感情に支配されながら、教会の扉を開ける。
そこには見慣れぬ司祭が居た。
そういえば親が司祭が変わったと言っていたのを思い出す。
「おや、村で見ない顔ですね。
初めまして。この村を任されている司祭です」
「・・・どうも」
警戒から素っ気ない返答しか出来ない。
司祭は何かに思い当たったらしく、一人納得し笑顔になる。
「もしかして、村で噂になっている復員された方ですか。
長きに渡るお勤めご苦労様でした」
司祭は俺の労を労ってくれた。
それに感謝を返しながら、言葉を続けた。
「ありがとうございます。十年ほど村を留守にしている間に色々な事が変化しており、未だ全てには納得しきれてないのです」
「十年も。それは本当に長い間ですね。この国の為に尽くしていただきありがとうございます。
十年ですと、やはり私がこの村に赴任してくる前ですね。道理で記憶に無いはずです」
にこやかな司祭の表情とは対照的に、俺の表情が強張っていくのが自分でもわかる。
「私の記憶の中では、この場所には「ソラン様」があったはずですが」
司祭は笑顔を壊さず、首を振って否定した。
「ソラン様などという名前の神や精霊は存在しません。
確かにこの場所には巨石がありました。今ではあちらの壁の一部となっています」
指し示された壁の一部。窓が無く、先ほど外から見たのと同じ場所だとわかる。
「あの巨石は村の人々から崇められていた信仰の対象だったはずですが」
「ええ、その通りです。かつての村の人々は教会の正しい教えを正確には理解していなかった。
だから、間違った信仰を捨てきれずにいました」
司祭の言葉に声を荒げてしまう。
「間違った信仰なんて言わないでほしい。この村でずっと続いてきた、村の一部でもある信仰だ」
「歴史があるから正しいとは言えません。
あなたも十年も軍に所属していたのであれば、折に触れて従軍司祭から教会の教えを聞いているでしょう。
この村の誰よりも教会の教えに触れてきたはずです。
そんなあなたなら、どちらが正しいかわかるでしょう」
「だが、だからと言って、こんな仕打ちが行われるなんて」
「ですが、教会の建設には村の方々も協力してくれました。
それは彼らも本心では救われる事を望んでいるからに違いありません。
私はその思いを汲んで、村の方々に協力を要請しました」
「それこそあなたの思い込みではないですか。
私の親は村の現状を私に語ってくれました。
その表情は決して明るいものではなかった」
「誰しも、今まで信じてきたものを否定されれば、それは心穏やかにはいられません。
しかし、その苦しみは正しい教会の教えを得るためには仕方がない事です。
私は、村の方々に巨石への信仰を止めさせました。
さらに、未練が残らないように祭りの道具を処分しました。
その時に私に向けられた村の方々の悲しみや恨みの念は今でもはっきりと覚えています。
私はそれから逃げようとも思いません。
それを確かに受け取り、その上で村の方々が救われるように尽力する。
それが私の使命です」
「・・・」
司祭は頑なだった。自らの行動に責任を取りながら、それでも行うべきと思った行動をする。
反論も出てこない。
「あなたは十年もの歳月を軍で過ごした。そこで従軍司祭から教会の教えを十二分に聞いて、村の中で一番理解していると思います。
村の人々の事情も当然わかり、教会の教えも理解している。
あなたには私以上に、村の人々と教会の教えの橋渡し役が出来ると思っています。
どうか、村の人々を救う使命を手伝ってはいただけませんか」
「私は、」
司祭の言葉を否定したかったが、否定の言葉が出てこない。
「・・・考えてはおきます」
「ありがとうございます」
「では」
俺は司祭の前から立ち去りたかった。
言っている事は正論だし、その想いは善意そのもののはず。
だが、俺は司祭を好きになれなかった。
無意識のまま従軍司祭にしていたように、胸元で小さく所作を行い短く神への祈りを呟いた。
「神の御加護があらん事を」
口にしてから言ってしまった事に気が付く。
司祭は張り付けたような笑顔から本当の微笑になり、同じ所作を俺以上に丁寧に厳かに行った。
「神の御加護があらん事を」
きっと司祭は俺の事を味方だと勘違いしてしまっただろう。
今更否定するわけにもいかず、俺は苦々しい思いのまま教会を後にした。
教会から家に帰る最中に声を掛けられた。
「偉いな。村に戻ってすぐに教会で礼拝とは」
そこに居たのは村長だった。記憶の中の村長もすでに老人だったが、更に十年の年を重ねより一層老いていた。
「お久しぶりです。村長」
「よく無事で帰ってきた。お帰り」
再会できた喜びに抱擁を交わす。
「私の居ない間に、村の様子がすっかり変わってしまいました」
「そうだな。素晴らしい教会だろう。儂たち村の皆が手伝って完成させた教会だ。どこの村にも負けない世界で一番の教会だ」
言葉こそ自慢話のようだが、その表情には僅かな陰りが見えた。
きっと聞くべきではないのだろう。だが、俺は村長に聞いてしまった。
「教会は確かに素晴らしいです。ですが、ここには、この村にはソラン様が居たではありませんか。
なぜ、ソラン様を捨てて教会を作ったのですか」
村長は俯き小さくため息を付いた。
「ソラン様を守りたかった。だが、それ以上に村の皆を守らなければならなかった。
儂は村の皆を選んだ。ただ、それだけだ」
村長はぽつりぽつりと言葉を紡ぎ、村に変革が起きた一連の事件を話してくれた。
とある年の冬至の祭り。そこへの不審な客から始まり、村に居た司祭の更迭と代わりに訪れた強硬派の新司祭。
あまりの出来事の連続だが、それが短期間に矢継ぎ早に起こったらしい。
村人達がソラン様との別れを惜しむ間もなく、教会の建設が着工し、瞬く間に巨石は教会の壁へと変化した。
「お前さんが言う通り、この村にはソラン様がはるか昔からおられた。
それを儂が終わらせた。儂の責任をもって教会の建設に賛成した。
父や祖父など歴代の村長は、儂の事を良く思わないだろう。
・・・もっとも、儂は教会の神の御許に向かう事になるだろうから、ソラン様の御許に行った父達とは会う事は無いか」
村長の自虐的な乾いた笑いが印象的だった。
「・・・すみません。そんな事が有ったなんて」
ともすれば村長は教会に心を売ってしまったのかとも浅はかに考えてしまっていたが、そこにはそうせざるを得ない理由が有った。
「いや、責められるのは当然だ。その覚悟ももちろんある。
だが、一つだけ心残りがある。
老人である儂はもうすぐこの世から去る。そして次にお前さんの親世代、更にその後にはお前さん達もこの世を去る。
お前さんたちの世代は、この村でソラン様を崇めていた事を知る最後の世代だ。
お前さんたちの次の世代は冬至の祭りすら知らない。
お前さんたちがこの世を去った後には、もうソラン様を知る人は誰も居なくなる。
祭りは行えず、ソラン様自体も教会の壁にされてしまっている。
ソラン様の痕跡を探すことすら困難だろう。
はるか昔からこの村の中心におり、人々が崇め続けてきたソラン様が消えてしまう。
その事が残念で仕方ない」
村長は項垂れ呟いた。
確かにその通りだ。俺の世代まで老いてこの世を去れば、ソラン様を知っている人は居なくなる。
残るのは教会の一枚の大きな岩で作られた壁だけだ。
だが、俺は一つだけ解決方法を見出した。
「村長、今度暇な時にソラン様の事や冬至の祭りの事を詳しく聞かせてください」
「そりゃあ構わんが、聞いてどうする。次の世代に語り継いでくれるのか」
村長の目に僅かに光が差した。
「語り継ぎもします。ですが、記憶だけでは心もとない。記憶違いをしてしまったら、間違いを直せません。
そこで、」
そう言って俺は懐から備忘録を取り出した。
軍で書記をしていた時の癖で、常に懐には備忘録が入っていた。
「村長の話をこの手記に纏めましょう。
そうすれば、記憶違いをする事も無くなり、誰でもいつでも村長の話の内容を知る事が出来るようになります。
今までは口伝や自分の五感で記憶していたものを、文字にすれば未来永劫残す事が出来ます」
「未来永劫、か」
村長があまりの提案にオウム返ししてきた。
「まあ、そんな先の事は保証しかねますが、少なくとも数百年は保存が出来ます。
そうする事で教会も今まで教えを伝えてこれたわけですから」
自分の提案を大変素晴らしいものだと思うあまり、勢いで失言をしてしまったが、村長は責める事もせずに笑ってくれた。
「そうだな。では、お前さんに纏めるのを頼む事にしよう。
教会がやって上手くいった方法だ。我々のソラン様でも上手くいくだろう。
負けた以上は勝った者のやり方を真似するのも一つの手だ」
皮肉を言わせてしまったが、それでも村長は快諾してくれた。
後日、村長の家を訪ねた。
そこには村長の他にも村長と仲の良い数名の老人が集まっていた。
「どうせ話を聞くなら多い方が良いだろう」
そう言って村長達は昔話を始めた。
俺は時に傾聴し、時に詳しく説明を求め、そして聞いたことを書き留めていった。
村長達は昔を懐かしみ、途切れる事無く話続けた。
俺にとっておぼろげながら知っている話も有ったが、新しく知った話が多かった。
子供目線の何となく見ていた祭りの情景と、実際に執り行っていた大人達が見ていた風景ではその理解度が全く違った。
そんな村長達でも、祭りの意義や祭りの細部の意味を正しくは理解していなかった。
「神官が居ればな、そこら辺の事を聞けたんだがな」
誰もが口を閉じる。
俺が村長に提案した時にも思ったが、口伝の悪い点が既に出ている。
例え聞く人が居ても覚えている人が居なくなれば、伝える事は出来ない。
口伝は途絶えやすい。なおさらこの書き残す事に意義を感じる。
気が付けば既に外は暗くなっていた。
「ああ、もうこんな時間か。気が付かぬ間にあっという間だな」
「色々と話が聞けて良かったです。
後でこれを纏め直します」
村長の友人の一人が提案してきた。
「まだ話足らんな。どうだ今度は俺の家で続きを」
村長を含め皆が賛成した。
「わかりました。また予定を決めてお話をうかがいに行きます」
俺自身楽しかった。自分の村の知らなかった昔話。更に聞きたいと本心から思った。
家に帰り、聞いた話を纏め直す。
書き留めた内容を読み返しながら、村長達の話を思い出す。
それらを客観的に分かりやすく纏める。
筆を進めながら、改めて自分にしか出来ない事だと思い至る。
村の巨石の神「ソラン様」を知り、教会がもたらした文字を扱える自分にしかこれを纏め上げる事は出来ない。
纏め上げれば例え村でソラン様の信仰が途絶えたとしても、誰もが知ることが出来る。
日を改めて、村長の友人宅を訪ね話を聞いた。
その話は村の人々に伝わり、数名から同様に話を聞いてほしいと頼まれた。
村の誰もが昔話をしたがっていた。
それがそのまま信仰を否定された寂しさの裏返しなのだろう。
多くの人から聞けばそれだけ多くの話を書き留める事になる。
ものによっては話す人ごとに詳細が変化している話も有った。
他にも書き留めるほどでも無いような話も多く聞けた。
祭りの詳細を聞いていると、その人はふと思い出したらしく語りだした。
「ああ、そう言えば。私が小さい頃に私のおばあさんから聞いた話だけど。
おばあさんが小さい頃には、まだ昔の名残で祭りの間に広場のどの場所に立つかが家ごとに決まっていたらしいわ。
ただおばあさんの小さい頃でも既に、家が多くなって立つ場所が定まっていない家も多かったみたい」
「へえ、でもどうやって場所を見極めていたんですか」
「あの広場の石畳に、今ではずいぶんかすれて見づらいけど目印が付いているの。小さな目印。
その目印通りに並ぶと、あの半円形の広場の形に合わせて何重もの半円の列が出来るらしいわ。
「ソラン様」を囲むように並ぶ人の列。私自身は当然見た事は無いけど、ちょっと見てみたかったわね」
「なんでそれが無くなってしまったのでしょうか」
「さあ、多分さっき言ったように場所が決まっていない家が増えてきたからじゃない。
皆好き勝手な所に立つようになって、自然とその列も無くなったと思うわ。
少なくとも何かが有ったから変わったというより、自然と変わったって感じかしら」
何か劇的な事が起こらなくても時が経てば変化は起こる。
自分が纏めている祭りの詳細も変化した後の形なのだろう。
だが、もう元の形を知る事は出来ない。
俺はその話を書き留めはしたが、纏める時には注釈にでも入れようかと考えた。
また、ある老人の話を聞いている時。
話を聞き終えた頃には正午になっていた。
「そろそろお昼ですね」
老人は俺の声を聞いて太陽を見上げるでも無く、村の中央の広場の方に目をやった。
それから一つため息をした。
「まったく。長年染み付いた習慣は抜けないもんだな」
老人の言葉の意味がわからず、呆けていると説明してくれた。
「ああそうか。お前さんはちっこい頃は司祭の所ばかりで、ちょっと大きくなったと思ったらすぐに村を出ていたから知らないのも無理はないか。
なに、ちょっとした老人の知恵みたいなものだ。
お前さんも「ソラン様」の姿ぐらいは覚えているだろう。あの尖った先端の影は、一年を通して日中はほぼずっとあの広場に落ちていた。
影が短くなる冬から、長くなる夏までずっとだ。
だから、場所を覚えていればその影の位置で大体の時間が解るんだ。
いや、解っただな。
今の教会の落とす影じゃあ時間を読むのは出来ないな。」
「そんな事が出来たのですか」
「ああ。あの石畳の広場をそれに合わせて作ったとは思えんから、ただの偶然だとは思うがな」
老人の話に頷きながらこの話を書き留めるかどうか考える。
この程度の話は膨大に聞いた。全てを書き残そうとしたら紙が何枚有っても足らなくなるだろう。
ある日は話を聞いて家に帰ると親に話しかけられた。
「ずいぶん色んな人に話を聞いているみたいね」
「まあね。皆昔話がしたいんだろう。俺も聞きたいし」
「じゃあ私も協力しようかしら」
「何かあるの」
「そうね。私なりの話をさせてもらえるなら、あなたはあの祭りの日の料理を覚えているかしら」
「ああ、何となく」
俺が幼い頃には母が祭りの日に作ってくれた。
俺はその特別な料理が好きだった。毎年父親の為に作られるその料理をお裾分けしてもらい、父親と一緒に舌鼓を打った。
だが、父親が亡くなってからは母親は作らなくなった。
だからその幼い時の記憶から、記憶は更新されること無くそのまま残っていた。
「あの料理、実はお酒を使って作っていたの。祭りがある冬至の寒い夜でも一晩中凍えずにすむように。
そんな料理をあなたは美味しそうに食べるものだから、心配したわ。
結局は毎年すぐに酔いが回ってしまったのかすぐに寝てしまっていたけど」
親は笑いながら言った。
「俺の話はいいよ。書き留める必要も無い」
「あらそうなの。
せっかくだから今度久しぶりに作ってみようかしら」
「今度の冬至の日にでも」
親は首を降った。
「もう特別な料理では無いのだから、その日に限定する必要は無いわ。
冬至はただの冬至よ」
言葉に僅かな寂しさを込めて、親はそう言い切った。
それ以上の言及も出来ず、お願いするだけでその話は終わった。
親にまで知られていた、ソラン様の信仰やその祭りの様子を聞いて回る活動。
それが同じ村に住む司祭の耳に届かないわけがなかった。
家で纏め直していると来客が有った。
出てみるとそこに司祭がいた。
「こんにちは。今日は一つお願いがあって来ました」
司祭はいつものように張り付いた笑顔で言った。
断る理由も思い付かず、司祭を家の中へ入れた。
「どういった内容でしょうか」
司祭は俺の机に視線を向けながら、冷たい声で告げた。
「あなたの手記。見せていただいても良いですか」
そう言われてやっと司祭が来た理由が解った。
心臓が高鳴る。
村のソラン様に対する信仰を、司祭が良く思っていないのは知っていたのに。
その事に思い至った時には逃げ場がなかった。
机の上に置いてある書きかけの記録を手に取る。
「こんな物をどうして司祭様が」
「村のためです」
司祭は仕草で渡すように再度求めてくる。
断ろうかとも思ったが、司祭の鋭い視線がそれを許さなかった。
俺は紙束を司祭に渡した。
「ありがとうございます」
司祭は感謝を述べて、受け取った紙束を丁寧に扱い、その内容を読んでいく。
あらかた読み終わると視線を上げた。
「大変素晴らしい。この村で過去に有った巨石への信仰が丁寧に纏められており、読者に巨石への信仰の内容を十二分に伝えられます」
誉められた事で表情が和らいでしまう。
「ありがとうございます」
「ですから、この手記を処分してください」
そう言って司祭は紙束を返してきた。
その仕草も丁寧だったが、視線の鋭さだけは変わらなかった。
「なぜですか。俺はただ聞いた話を纏めただけです」
「だからこそです」
「司祭様が知っているように、私は教会の信徒でもあります。
ですが、この村で育った私にとってはソラン様の信仰が無くなってしまったのは悲しい事です。
それを文字として残こそうとしただけです」
司祭は笑顔のままに反論してきた。
「先程見せていただいたあなたの手記。
丁寧に纏められ素晴らしいものです。
あなたの言う通り、巨石への信仰を他者に伝える為には最適なものです。
それだけに危険なのです」
「私は聞いた話を纏めただけです。言葉だけではすぐに失われる。それを残す事の何がいけないのでしょうか」
「それがそのまま危険である理由です。
村の人々同士の昔話であれば、それほど問題はありません。話が広がる事もあまり無いでしょうし、私のような外部者が近づいても口を閉じれば話は伝わりません。
ですが、紙に書かれた文字は全く違います。文字であれば読み書きが出来れば誰でも書き写す事が出来ます。
あなたの意図しない所にあなたの手記が届いてしまう可能性が存在する。
その相手がこの村に興味がなければ問題がありませんが、もしこの村に未だに関心を持っている異端審問官の手に渡ったらどうなります」
「・・・」
「あなたの行っている事はそういう事です。
私はこの村とこの村の人々を救う為に、この村に来ました。
この村に害をなす可能性が有る物を私は無視できません」
「それではまるで俺が、」
最後まで言葉にならない。
俺は村のためにと、村の皆の話を纏めていたのに。
司祭は村の味方として俺をとがめてきた。
正しさはきっと、司祭にあるのだろう。
「ぜひ、その手記をあなたの手で処分してください」
司祭は火のついた燭台を俺の近くに寄せた。
俺は司祭から返され、未だに手の中に握られている紙束に意識を向ける。
俺がこれに火を点けなければならないのか。
頭の中が真っ白になり、体を硬直させていると声がかかる。
「辛いのであれば、あなたさえ良ければ私がやりましょう」
司祭は俺の手の中の紙束に、手を伸ばした。
手に力を入れて拒否した。
いや、しようとしたが力は入らず、司祭は俺の手の中からは紙束を抜き取った。
「これを手放す事が出来たあなたは、必ずや神がお救いくださるでしょう。
あなたに神の慈悲があらん事を」
司祭は紙束に火を点けた。
火は広がって紙全体をおおい尽くした。
白かった紙は黒くなり、先端を丸めさせた。
火が落ち着いた時、そこにはただ灰が重なっていた。
司祭が帰った後、俺は自室で一人頭を抱えていた。
司祭の言っていた事はきっと正しい。あの纏め上げていた紙束を燃やしたのもきっと正しい。
それでも俺はすっきりしないまま落ち込んでいた。
ふと思い出し、机の引き出しを漁る。
引き出しの奥、年季の入った紙が見つかる。
あの時はもっと大きな紙に思えたが、改めて見るとそこまで大きいわけではなかった。
子どもの時の自分が、見て聞いたままの祭りの様子を書き留めた手記。
覚えたての拙い文字が紙一面に書かれている。
書いた事はもちろん覚えていたし内容もある程度覚えていたつもりだったが、思っていた以上に詳細な祭りの様子がそこには記されていた。
一番の衝撃は「ソラン様」と祭りの掛け声についてだった。
今まで村には文字がなかった為、当然「ソラン様」と祭りの掛け声の正しい綴りは存在しない。
今の俺がそれぞれに当てた綴りより、子音が二個ほど多い。
見た目は野暮ったく長い綴りだが、それだけ発音を丁寧に書き記そうとした跡なのだろう。
この手記も司祭に見つかれば焼かれてしまうだろう。
例え見つからなかったとしても、家ごと火事に巻き込まれたり紛失したりする可能性がないわけではない。
俺は今まで文字は未来永劫残るものだと信じ切っていた。
だが、現実はそう優しくなかった。
紙に書かれた文字は簡単に無くなる。紙ごと火にくべられれば跡形もなく消え去る。
文字は思っていたほどには堅牢ではなかった。
俺は一つ、いたずらじみた事を思い付いた。
「ああ、これなら、」
一人ほくそ笑む。
その姿は完全に悪ガキそのものだった。
ある日、司祭が中央の教会に出向く用事が起こり、しばらくの間司祭は村を離れる事になった。
俺は平然と司祭を見送った。
そしてその夜に教会に忍び込んだ。
教会の中は月明りで幽かに見えた。
俺は事前に下調べしていた場所に向かう。
あの巨石を壁の一部として使っている場所、その内側。
普段から壁際に置かれている大きな台を動かす。
あらわになった巨石の壁の一部。
持ってきたナイフで月明りを頼りに文字を彫っていく。
一段目にソラン様。
二段目に祭りの掛け声。
過去の自分に倣って、その綴りは子音を多くした。
彫り終えたそれは、この村の神の名前と崇める言葉を、この教会が建っている限り残してくれるだろう。
大きな台を元の位置に戻せば、それは見つからない。
司祭が気付くのはせいぜい、この大きな台を新調する時ぐらいだろうか。
もしかしたらその時には、俺や司祭を含め、村のソラン様の信仰や祭りを知っている者は誰も居ないかもしれない。
だが、教会のもたらした文字はその読みだけを後世に伝える。
意味が分からないながら、後世の人はこの巨石に触れ、神の名前と崇める言葉を口にする。
それが村の過去を残すという本来の目的は果たせないのは理解している。
だが、俺の気持ちは晴れやかだった。
彫り終えた文字を一なでして、台を元の位置に戻した。




