1話
自分が生まれ育った村では当然だったが、他の場所では全く見聞きしない事なんかは、大人になって村から出た後に気が付く。
俺の生まれた村の中心には巨石が据えられている。
板状の巨石の上はかつては尖っていたらしいが、今では丸みを帯びている。
巨石の北には半円形の石畳の広場が広がっている。
そして、そんな巨石と広場を囲むように各々の民家がある。
村人にとって巨石は神だった。
崇め敬う。誰もが巨石に敬意を払い、不用意に触る事すら許されない。
子供の頃はそんな事も知らずに巨石に触り、村の老人にひどく怒られたりもした。
人々は神である巨石の周りを行き交い生活をしていた。
年に一度、そんな巨石を祀る祭事が執り行われる。
冬の寒く暗い時期。夜の時間が昼の倍ほどを占める、冬至の日。
半円形の広場の中心で巨石の目の前に祭壇が組まれ、日が沈み始めると神官が巨石を崇める祝詞を歌い上げる。
村人全員が広場に集まり、それぞれに巨石に向かい掛け声をかける。
その掛け声もきっと巨石を崇める内容なのだろう。
だが、その掛け声のちゃんとした意味を知っている人は、村の老人の中にも居ない。ずっと昔から掛け声の音だけが残ってきた。
村人達が入れ替わりで休みを取りながらも、その掛け声は一晩中続き、翌日の日が昇るまで行われる。
子どもながらにその掛け声をかけ続ける事に参加した。
その日にしか作られない特別な夕食もまた記憶に残る。寒い夜に野外で立ち続けた冷え体に、温かい特別な夕食はとても美味しく感じた。
子どもの頃は朝まで起きていようと気を張ってみるも、深夜には睡魔に負ける。
母の背中で眠りに落ちる瞬間まで、耳には巨石への掛け声が届き続ける。
自分の村にしかない、自分にとっては当然の特別な祭り。
今の俺の心にも残っている、俺の村への原風景の一つ。
そしてもう一つ、俺にとっては人生を変えたきっかけとも言える事が有る。
それは唐突にやってきた事を覚えている。
ある日、司祭が教会の教えと権力を持って村に現れた。
司祭の要求はわかりやすく、村人に改宗を求めてきた。
司祭が国からの通達を持っている以上は、その要求を無視するわけにはいかなかった。
村長や村の長老達そして村の神官、彼らは司祭と数日に及ぶ議論を重ねた。
結果、村人全員が教会の教えに改宗する事と引き換えに、巨石への信仰も許された。
だが、巨石は神ではなくなり、巨石は精霊となった。
子どもの自分にはその差がいまいち分からなかったが、周りの大人たちの渋い表情を見る限り、あまり良い扱いではない事は察する事が出来た。
その後も巨石を今まで通り神と呼ぶ人、司祭に気を使って精霊と呼ぶ人、あるいは巨石の神の名前「ソラン様」と呼ぶ人と人によって呼び名が変わった。
その事を村長も司祭も指摘はしなかった。したところで更なる混雑に陥るのは目に見えていたからだろう。
そのような事もあり、一部の村人からはあまり良く見られていなかった司祭だが、俺は親しくしていた。
司祭は村から巨石の神を奪いはしたが、その分恩恵も与えた。
司祭は自らの知識を惜しげもなく、村人たちに伝えた。それにより農地や灌漑が改善し、農作物の収量が増えた。
そしてもう一つ。司祭は希望する村人に文字を教えた。
何気なくその講習に出席した俺は、文字に初めて触れた。
子どもの俺はそれを魔法に感じた。
口から発した言葉、一瞬の後には消えてなくなるそれを残す事が出来る。
頭の中を巡る思想、口にしない限り誰にも伝わらないはずのそれを人に伝える事が出来る。
その魅力に取りつかれた俺は、熱心に司祭の講習を受けた。
一緒に講習を受け始めた村人達は一人二人と来なくなった。
最後の一人となっても俺は講習を受け続け、読み書きを覚えた。
不自由なく読み書きが出来るようになった俺に、司祭は笑顔で紙をくれた。
「紙は大変貴重な物だ。この紙に何を書き込むか、よく考えて使いなさい」
俺は深く悩んだ。何を書き記そうか。
良い解決案が浮かばず、月日が過ぎた。
冬となり冬至が近づく。
村中が巨石を崇める祭事の準備に追われる。
俺はひらめいた。
冬至の日の入りから翌日の日の出まで続く祭り。
俺はそれを例年以上にじっくりと眺め、記憶に留めた。
後日、司祭からもらった紙に初めてペンを入れる。
子供の視点ではあるが、祭りの詳細を書き記した。
組まれた祭壇の様子や神官の祝詞。村人達の掛け声。その日だけの特別な夕食。
もらった紙の空白がなくなるほど全て使い切り、満足のいく手記が出来上がった。
俺はその手記を大切な宝物として、机の奥に閉まった。
村の中で司祭に次いで読み書きが出来るようになった俺は、村で色々と便利がられた。
自分では読めないが司祭に聞きに行く程の内容ではない文章を読むなど、需要はそこそこ有った。
そんな自分の長所を生かして、村で暮らしていた。
数年経った時、俺に大きな転機が訪れた。
国から村に対して徴兵の命令が下った。
徴兵で行けるのは俺ぐらいしか村には居なかった。
村中の人々が俺を送り出してくれた。家族は泣いていた。
俺も自分の人生に終わりが来たと感じていた。
街に赴き、村から徴兵で来た事を伝えると兵士の詰め所に連れていかれた。
軍服を着た軍人が面接をしてきた。
最初は事前に提出してあった調書に従って、基本的な事が聞かれた。
そして、最後に俺の調書に視線を落としながら軍人が聞いてきた。
「君は読み書きが出来るらしいが、どの程度出来るんだ」
「そう、ですね。村の司祭様が持っていた経典は全て読めます。日常的な単語であれば覚えているので、簡単な会話であれば聞いて書き記す事は出来ます」
自分の読み書きが他人と比べてどの程度なのかは全く知らなかったので、出来る事をそのまま伝えた。
軍人は驚きの表情を浮かべた。
「経典を全て読める上に会話を書き記す事が出来るだと」
「ええ、まあ。そこそこは」
軍人のあまりの驚きように、俺の方も戸惑った。
「君が本当の事を言っているかを確認する必要が有る。今この場で行っても」
「かまいません」
軍人は手元の紙の白紙部分に、何かを記した。
その紙を俺に見せ、読んでみろと視線で促してきた。
そのほとんどを読む事が出来たが、一単語だけ自分の知識には無い専門用語だった。内容としては軍の伝令に使われそうな文言だった。
解らない所は正直に解らないと伝え、それ以外の部分を読み上げた。
軍人は驚きとともに、頷いた。どうやらちゃんと読めると判断されたようだった。
次に、軍人は紙とペンを俺に渡してきた。
軍人は一つ咳ばらいをしてから、何やら標語のようなものを諳んじ始めた。
俺はそれを聞き取り、文字に起こしていった。
出来上がったのはどうやら軍隊内での標語のようだった。
俺が書き上げた紙を軍人が回収する。
書かれている文章を入念に読んでいる。
そして紙から視線を上げ、言った。
「日常会話程度というのは本当のようだな。いくつかの単語の綴りに間違いが有る。日常会話以外の軍内部で頻出の単語も完全に覚えるように。以上だ」
それで面接は終了した。
後日、俺の配属先が通達された。
戦場の最前線に送り込まれ、消耗品として使い潰される。
そんな当初思っていた暗たんたる予想は外れ、俺は伝令を始め最前線近くでの書記として運用された。
文字を読めて書ける。その能力はそれだけ高く評価された。
元が消耗品のような徴兵した村人だからその命は軽い。
本来読み書きが出来るのは高官であり貴重な為、危険な場所へは行かせない。
俺は彼らが行けないような最前線のすぐ近くまで伝令を伝える。
軍の中でも俺は便利に使われた。
同じ最前線付近でも、直接敵兵に剣を向けるかそこら中を奔走するかの差。
それが俺の命を長らえさせた。
俺と同期で軍に徴兵された他の村の人達は、次々に戦場に倒れていった。
軍は彼らを丁重に弔った。
当然だがその儀式は教会の教えに則って行われた。
村に居た時は目にする機会がほとんど無かった、教会による弔いの儀式。
戦争が激化し多い時は毎週のように行われ、多くの同僚を送った。
村では弔いの儀式も巨石に祈りを捧げる。
全てにおいて神である巨石への祈りが有った。
だが、今いる軍には巨石は無い。巨石への信仰も無い。
きっと弔われる彼らにも、それぞれが信仰する何かが有ったかもしれないが、ここでは教会の教えしかない。
俺は葬儀の度に教会の教えに触れた。
戦場で倒れた同僚の名簿を作成し、従軍司祭に届ける事も俺の仕事になった。
従軍司祭は俺が名簿を手に訪れるたびに、神妙な面持ちで胸元で小さく所作を行い短く神への祈りを呟いた。
いつしかその仕草を自分も真似するようになっていた。
巨石に対する信仰が無くなったわけでは無いが、だが、祈る先としては教会の神の方が多くなっていった。
それでも毎年冬至が近づくと、村の巨石を思い出す。
きっと村の人々は今年もあの祭りを執り行っているのだろう。
祭りに参加できない寂しさを感じつつ、その時ばかりははるか遠くの巨石に祈りを捧げた。
そうして十年ほどの年月が過ぎた。




