オフィス・トライメライ 幕張研修所16
春日弥生の話
『あなたは特別な存在なの。だから胸を張りなさい』
叔母は項垂れる私に向かってそんな言葉を掛けてくれた。優しい声だ。両親からもこんな言葉が欲しかった。そう思ってしまうほどに――。
五歳になったばかりの私は自分の意思とは関係なく生まれ育った酒々井を離れて幕張の叔母の家に預けられた。理由は両親の離婚協議。まぁ……。これに関してはかなり後になってから知ったことなのだけれど。
私の母は大学時代はミスコンで優勝するくらいには綺麗な人だった。いや、綺麗という表現はあまり正しくない。どちらかと言えばそれは可愛いと言った方が正しいと思う。母にはそんな……。何というか可愛らしい容姿と雰囲気が備わっていたのだ。
そんな母は大学を卒業してすぐに成田空港の管制官になった。詳しくは知らないけれど管制官というのは難しい仕事らしい。たぶん母は何事においても器用なのだ。娘の私が気味悪く思うほどに。
そんな母だからだろう。彼女に言い寄る男はごまんといた。同僚の管制官からパイロット。果てには整備士に至るまで彼女に言いよっていたらしい。要はモテモテだったってことだ。
でも母は彼らの誘いには乗らず建築士をしていた春日太一という男と結婚した。理由は……。私にはよく分からない。特に金持ちってわけでも、イケメンでもない。これといって魅力的な部分があるとも思えない。春日太一はそういう男なのだ。……まぁ自分の父親のことを悪く言うのもどうかと思うけれど。
ともかくその結果として生まれたのが私だった。三月一日に生まれた女の子。だから名前は弥生にしよう。両親はそんな単純な理由で私にそんな単純な名前を付けた――。
「弥生ちゃん。この部屋好きに使っていいからね」
叔母はそう言うとベッドと机と空の本棚のある部屋を私にあてがってくれた。そして「困ったことあったら何でも言ってね」と言って私の頭を優しく撫でてくれた。その手の感触はとても優しくて、そしてとても力強く感じた。大好きな叔母さん。この人が本当のお母さんだったら良かったのに……。幼いながら私はそんなことを思った。




