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その十三

 あの日、颯斗からの突然の電話にぼくは逡巡した。しかし、どうしても来いという強い言葉に促された。ふと、藍と名乗る彼女の言葉を思い出した。あなた次第––––です。


 意を決したぼくは呼ばれた場所へ向かった。颯斗の所属するレコード会社の会議室。いつかの喫茶店と同じように忍も来ていた。顔を合わせるのも随分と久しい。


 ぼくは何が何だか分からないまま忍とともに颯斗の隣に列んで会議室の椅子に坐った。颯斗はぼくらに何も云わないままじっとどこか一点を見つめていた。


 やがて会議室の扉が開くと、レコード会社のスタッフや関係者らしき数人が入って来て、ぼくと忍を訝りながら向かい側に坐った。


「何だ、話って」


 関係者の一人が傲岸不遜に訊いた。その言葉を待っていたかのように、


「次のツアーはソロとしての分岐点にしたい。メンバーはこの三人で、曲の方向性も変える。そうだ、いずれバンドにするのもいい」


 颯斗は告げた。


 ぼくはその言葉の意味をすぐには理解出来なかった。


 颯斗がレコード会社を移籍するのではないか、表舞台から引退するのではないかという憶測はファンの間でも噂になっていた。それは当節颯斗が自らの言葉で発信しているブログにそういった内容を示唆する表現が度々あったからだ。だけど、当然憶測の範囲に過ぎず、ぼくも彼はこのままどこまでも突っ走って行くものだと思っていたし、そう願ってもいた。しかし颯斗がたった今発した言葉が本心ならば、ブログでの示唆を裏付けることになる。


 レコード会社の関係者たちはぽかんとしたまま冗談としか受け止めていない様子で、互いに顔を見合わせて笑っていた。


 ぼくは頭の中を整理する作業で精一杯だった。颯斗を問い詰めたいが、口を出せるような雰囲気ではない。何かテレビ局とグルになって、ドッキリでも仕掛けられているのかと疑いたくもなったが、何よりもロックを、ヘブモンを大事にしている颯斗がそんな安易なことをするはずがないこともよく分かっていた。だから尚更、判断に迷った。


 一度告げたきり、颯斗は口を開かない。その沈黙が本気だということを切々と訴えているようだった。


 業を煮やした関係者が、


「どういうことだ」


 問い質すと、


「そのままの意味です」 颯斗は狷介な態度を貫いた。


「馬鹿云うな! これまで通り、曲はプロデューサーと会社の意向を汲み取って作ってもらう。そして、一流の演奏家をバックに歌ってもらう」


「それならもう、ソロとしての活動は辞めます。表舞台からは引退します」


 颯斗は冷静に返した。ぼくも忍も戸惑うばかりだった。


「な、なんだと! お前のソロ活動でどれだけの人間が動いているのかわかっているのか! 何人もの生活だってかかってんだよ!」


「もう充分会社には貢献して来たはずだ。何人の生活がかかっていようと、俺は俺の人生を賭けてこの提案をしているんだ! 文句を云われるくらいなら、インディーズでもアマチュアでもいいから戻って本当にやりたい音楽をやりたいやつと一緒にやる! 例え、あんたたちが潰しにかかって来てもだ! これが俺の人生だ。もう充分闘って来たんだ」


 心の奥底から鬱憤を晴らすかのような直情の勢いに、相手方は顔を見合わせ、頭を抱えていた。静まり返った室内の空気は重く、刺々しい雰囲気が漂っていた。


「君らは知ってて来たのか」


 関係者の一人が訪ねてきた。


 ぼくも忍も勢いよく首を横に振った。


「そんなわがままが通用するわけないだろう。とにかく、もう一度考え直せ。こっちだって今すぐには対応できない。だいたい事務所は何て云っている? これじゃ契約違反にもなりかねない」


 眉をひそめながら、会社側の関係者たちは部屋を出て行こうと、ぞろぞろと立ち上がった。


 颯斗は追い討ちをかけるように、


「たったひとつのバンドのたったひとつの名曲が俺の人生を動かしたように、たった一枚の写真が誰かに何かを伝えるように、誰かの言葉が誰かの魂を救済するように、そんな一節をこれからも追いかけて行きます」


 決然たる口調で告げた。


 レコード会社に対する別れの言葉は、常に会社側と闘ってきた颯斗なりの最後の敬意にも感じられた。関係者たちは悲痛とも取れるような苦々しい表情でその姿を確認すると、扉を開けていなくなった。一緒に仕事をしてきた間柄だ。本来ならこんな別れ方などしなくないはずだ。


 部屋に残されたぼくらに再会を喜んでいる(いとま)はなかった。ぼくも忍も頭が混乱している。


「ギターの音以外にこんなに自分の気持ちを素直にぶつけなのは、本当に久しぶりだな」


 憑き物が取れたような清々しい顔で颯斗は微笑った。


「本当にスタッフたちの生活がかかっているなら、俺は辞めない。でも俺に付いてくれてたスタッフは優秀な人たちばかりだから、きっと大丈夫。それに会社員だから、俺一人引退したところで、首が切られるわけじゃない」


 心なしか颯斗が少しだけ涙を滲ませているようにも見えた。彼が泣いたところなんて、今まで見たことがない。瑠衣がいなくなった時でさえも。


「勿論、会社にもスタッフのみんなにも感謝してる。俺が自分で選んだ道だしな。でも、こうするしか別れ方が見付からなかった」


「いや、そうじゃなくて、さっきから、な、何云ってんのさ」


 ぼくはやっとの思いで言葉を振り絞った。たった今起きた喜悲劇を飲み込めず、颯斗にどこからどう突っ込み、問い詰めたらいいのかわからずにいた。


「実は事務所にも確認したんだ。このタイミングなら契約違反にはならないってことを。だから事務所にも迷惑はかからないし、俺がいなくなっても他に所属するアーティストがいるからなんとかなるだろう。俺も独立して個人事務所を立ち上げる話は相談していたし……」


「い、いや、そういうことじゃなくて……」


「俺さ、やっぱ駄目だったんだよ。売れてファンがたくさん付いて、それでもずっと拭い切れなかったもんがある」


「拭い切れなかったもの?」


「孤独、だよ。ステージの上も、音の中でさえも、いつも独りだったよ。横にいたお前らがいねぇんだもん」


 哀愁を帯びた颯斗の表情は、それでもどこかさっぱりしていた。


「レコーディングしてる時、ギターだけが自分の音だった。自分の歌声は脳内で再生される瑠衣の声なんだ。スタジオミュージシャンの高等技術と癖のない安定した演奏は、頭の中で精一杯お前らの音に置き換えて考えてた。だって作る曲はいつもヘブモンを想定してしまうからな。どうしても––––。そんで、アレンジされた曲を聴いて、これはヘブモンの曲じゃないっていつも落胆してたよ。それでもここまで結果を残せたんだから、すべての環境に感謝してるし、ファンにも申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいだよ」


 自分が何者かわからなくなっていたぼくと同様に、颯斗も颯斗で自身のギターの音だけを頼りに必死で失ったものを手繰り寄せていたのだった。


「実はさ、インディーズから一人でデビューすることになった時、お前らも連れて行けたらと思って先方にお願いしたんだ。レコード会社にバンドじゃ駄目か、自分がやって来たメンバーじゃ駄目かって。叶うなら、もう一度みんなであいつの分まで走って行きたいと思ってさ。そしたら友情ごっこじゃねぇんだよって一蹴されてよ。まぁ当たり前の話か。それに当時はヴィジュアル系のソロアーティストってのも珍しかったから、そういう売り出し方をしたいって云われてさ。でもバンドこそ、自分の生きる場所だから自問自答したよ。そこで思ったんだ。有無を言わせないほど売れたら、何もかもぶっ壊そうってな。そしたらもう一度、お前らと一緒にやりたかった」


 颯斗は矢継ぎ早に言葉を列べた。彼は策動し、計算高くやって来たわけではない。それで結果を残せるような甘い世界ではない。ただ遮二無二突っ走って来たのだ。


「でも、もう颯斗は走り出してる! 世界デビューだってもう手が届きそうじゃないか! わざわざぼくたちと組んで転けたりしたら、せっかく積み上げたものが台無しじゃないか!」


 颯斗に対してこんなに声を荒らげたのは初めてかもしれない。ぼくはそれほど必死だった。颯斗の言葉にどこまでも続いていた絆を感じながら、だからこそ引き止めなければならなかった。颯斗は明らかに間違った方向に進もうとしている。それを止めるのが仲間としてのぼくの役割に他ならない。


 もし世界をひとつに出来るものがあるとしたら、それはいい音楽だろう。時として家庭すらひとつに出来ず対立する狂信的な信仰よりも、現実として遠く海を超え、時空すら超越して届くのは熱狂的な音楽という文化だ。国境も人種も、信仰の違いも超えて行く。


 颯斗の音楽にもそうした役割があるに違いなかった。日本のロックスターである颯斗の音楽を待っている人たちが大勢いる。作者の魂を乗せた曲は誰かの人生すら救済することだろう。人生で何回、天才と云われることがあるだろうか。颯斗にはそう思わせるのに十分な才能とカリスマ性があった。だからぼくらを選んで更なる高みを捨てようとしている彼を何としても止めなければならない。


「日和の言う通りだよ、颯斗! せっかくここまで来たんじゃないか! 今更ぼくらに気を遣う必要ないよ!」


 切々とした眼差しで、珍しく忍も声を張り上げた。


「違う! ここまで来られたのはお前らがいたからだ。いつもどっかで俺の音を聴いてくれているはずだって、そう思えたことがどんなに心強かったか。俺は瑠衣を守れなかった。守り切れなかったものほど、あとから自分を締め付けるものはない。でも、お前らはいる。瑠衣との日々を共有出来るのはお前らだけじゃねぇか。だからお前らと音出せなきゃ意味ねぇんだよ! お前らがずっと俺の精神的支柱だったんだよ」


 精神的支柱––––ずっとそう思って頼ってきたのはぼくの方だったはずだ。当人がそう思っているとか、いないとか、考えたことがなかった。おそらく颯斗の中でも、重ねた年月の分、その思いが深まる一方だったのだろう。


「昔の自分に胸を張るとまでは言えないかもしれねぇけど、少なくとも恥じないようにして来れたのはそれがあったからだ。それに、転けたっていい。売れなくなって、表舞台から去って、世間から落ちぶれたと言われてもいい。お前らとならそれもまたロックだろ。そん時はアマチュアでもインディーズでもコピバンでも、また一緒にやろうぜ」


 颯斗は笑った。その破顔はテレビで観ていたものとは違い、ヘブモンをやっていた時の表情そのままだった。


 ロックに正解、不正解はない。それが颯斗のロックだと言うのなら、それが正解だ。もうぼくらに止める権利はない。


 ふと壁にかかっている丸時計を見上げた。時計の針はちょうど六時一分を指している。どうしてかぼくはそこに釘付けになった。六と一。る、い。るい。まるで瑠衣がそうしろと云っているかのように思えた。

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