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第8話

 あの日から一週間が経った。外では大粒の雨が降っていた。今日は神官様が公爵家に直々に出向いてくれる日。結局、期間内にわたしとユズキでは自力で分離する方法を見つけられず、神官様が見つけたという方法が二人にとって安全であることに賭けるしかない。少しだけ、この大雨で道が塞がってしまうことを望んでいるわたしがいる。

 ……神官様は、予定通りにやってきた。両親は、神官様を歓待している。それがわたしを助けてくれる人への敬意だと言わんばかりに素晴らしいおもてなしだ。

「わざわざの出迎えをありがとうございます。しかしながら、このような歓迎は結構ですよ。お嬢様をお助けするのも神官としての職務の一環ですから。これらはお嬢様の快気祝いにでも使ってください」

 なんというか、殿下に似た方だと思う。容姿はもちろん似ていないのだけれど、心の持ち方に共通するものがある。そう考えると神官様に並び立つほどの殿下の博愛精神はすごい。

 わたしが見当違いなことを考えていると、両親がものすごい勢いで神官様に詰め寄った。母が神官様の片手を両手で握る。

「神官様! 快気祝いができるということは、ジュリの魂を救う方法はみつかったのでしょうか?」

「はい。まずはお嬢様の体に起きている異変の、過去の記録からお話しさせてください」

 過去の記録、といわれると禁書に書き込まれたあの日記を思い出す。しかし、神官様が見つけてきたのはまた別の歴史だった。

「ひとつの肉体に複数の魂が宿っている、という事象そのものは複数確認できました。その全てがはるか昔、戦時中の出来事です」

 わたしがユズキを呼んでしまった魔術書もタイトルに【戦術】という文字があった。言葉通りに考えるならばあの魔術書は戦術の一環だったということになる。神官様が調べ上げた前例も、この魔術に起因するのかもしれない。

「あの神官様? その前例の方々がなぜわたしと同じような二つの魂状態になったのかって、」

「すみません。そのあたりは調べられなかった、というより抹消されていました」

 ……そう来たか。まあ、あの魔術書が禁書に指定されている時点で公に記録を残されているわけがない。

「ただ、奇妙なことがありまして。二つの魂が一つの体に宿る事象は戦時中のうちで確認はできました。しかし数の偏りはありましたので、何か別のものによる副作用……偶発的な事故だったのではないかと。また、融合の事例はおおよそ中盤以降でした」

 魂の融合は、八年の歳月を経て本格化するというのがあの日記と経験から考察できることだ。で、神官様が言う戦時中の期間は二十年ほど。その中盤くらいなら大体計算が合う。

「このことから、魂が二つになってから融合が始まるまでには時間経過が必要だというのが見解です。……お嬢様、あなたはいつから二人なのですか?」

 ここまで特定されていては隠し通すことはできないだろう。というか、年数だけを誤魔化しても意味がないだろう。

「……八年、ですわ」

「八年!? なんでそんなに長く何も言ってくれなかったの!?」

 お母様が勢いよくこちらを振り向いた。心配されているのはわかるけど、何も言えない。きっと、ユズキは悪い人じゃないと伝えたところでさらに心配されるだけだ。

 わたしが黙り込んだまま口を開かないでいると、お母様は神官様に向き直った。

「それで、ジュリを治す方法というのはなんですか?」

「……【封印】の魔術です。ご存知でしょうか?」

 神官様の言葉を聞いた瞬間、息が詰まった。喉から空気を吐き出すことが出来なくて、胸の中でグルグルと回る。

「お嬢様の中の魂を封印し、仕切りを作ることで融合を止めます。また、もう一つの魂が表に出ることもできなくなります。……というのが、歴史書の記述から編み出すことのできた唯一の方策です」

 神官様が提示したのは、ユズキを見捨てる方法だ。殿下と似ていると思ったけれど、訂正しよう。ユズキも一人の人として扱ってくれただけ、殿下の方がよほど人格者だった!

「……わたし、そんなの嫌です! ユズキともう話せなくなるなんて、絶対に嫌!」

「ジュリ!? ユズキって……」

「失礼します! 撤回してくれるまで、自室から出てきませんから!」

 ソファから立ち上がって、廊下を全力疾走する。階段を登って自分の部屋の扉が見えてくると、勢いよく中へ飛び込んだ。部屋の扉がしっかりと閉じた瞬間、我慢できずに立ったままでユズキに向けて大声で話しかけた。

『ユズキ!!』

『叫ぶなよ、ジュリ』

 ユズキが、いつもの調子で呆れたように言う。いつもは軽口になるそれが、今日はわたしの神経を逆撫でした。

『惚けないでください! なんでさっき、何も言ってくれなかったんですか!?』

 あまりの怒りに、涙が溢れてきて視界がぼやける。意味がわからない。なぜ、自分が封印されるという話にここまで無関心でいられるのか。どうして、抵抗しようとしてくれないのか。

『……逃げましょう、ユズキ。どこか遠くに』

 わたしの提案に、ユズキは思案する時間もなく即答した。まるで、言うべき言葉をあらかじめ決めていたようだ。まるで、わたしを諦めさせる理由を予め用意していたようだ。

『それは無理だな。第一に軍資金がない。第二に世間知らずのお嬢様とこの世界の知識は同レベルしかない俺とじゃ外で生きられない。第三に上手く逃げられたとしても待っているのは融合による共倒れだ』

 ユズキの正論がわたしに突き刺さる。わたしだって分かっているのだ。この家から逃げ出せば融合の阻止について調べられる環境そのものを失う。でも、嫌なものは嫌だ。ユズキだけを犠牲になんてできない。したくない。

『逃げ出せば、ユズキは封印されません! そうしたら、その間に調べられるでしょう!?』

『あのなあ、公爵家の蔵書料を持ってすら何一つ掴めていないんだぞ? あの神官が見つけた方法以外には何もない可能性だってある。それを日暮らしするのだって大変な平民の立場で探せると思ってんのかよ?』

『それは! 一点狙いならば大丈夫なはずです! あの禁書の下巻にもしかしたら何か方法が、』

 苦しい言い訳だ。無茶なのは分かっている。それでも、それ以外の方法なんて思いつかない。ユズキを失うのが嫌だ。わたしは……。

『……はあ、諦めの悪いやつだな。じゃ、言うつもりもなかったけど教えてやる。俺は元の世界で死んでるはずなんだよ。トラック……馬車よりも速くて重い、鉄の塊に轢かれたのが最後の記憶だ。だから、仮に下巻が見つかっても魂を元の世界に戻すような魔法だったら意味がない。それなら、確実にこの世界で生きられるお前を残すべきだろ』

『屁理屈ですわ! ユズキが消えていい理由になってません!』

『なってんだろうが!? 全部説明したぞ、俺! 俺がこの世界に残れる道狭いの、わかる!? 元の世界に戻っても死んでるし、この世界で俺に身体なんてない。仮に融合だけを止められたとして、ジュリが結婚して子供を産んでって時に俺が居続けるわけにはいかないだろ!』

『居てほしいですわ! ユズキに、隣に、ずっと……!』

 そう叫んだら、ユズキが押し黙った。このまま押せば勝てるかもしれない。ユズキが味方になって、逃げる決意をしてくれたら、

『……もし、無理矢理に逃げるなら俺は絶対に協力しない。むしろ、主導権を強引に奪ってでもこの場に縫い留めてやる』

『どうして、そこまで嫌がるのですか? わたしの身体だと言うのなら、わたしの意思も尊重してください!』

『俺だってできる限り尊重してやりたいよ。でも、今回は違う。どうやったら助かるのかすらわからないような死人のためにジュリの人生を棒に振るなんて馬鹿げてる!』

 話は平行線のまま動かなかった。絶対わたしに逃亡生活をさせたくないユズキと、自分一人でぬくぬく生きるのならユズキと二人で大変な生活を送りたいわたし。

 お互いに折れたくない理由があって、それを両立することは絶対にできない。

『ユズキ、いつもの方法で決めましょう。敗者は勝者の意見に従い、協力します』

 ジャンケン。ユズキが教えてくれた、一番簡単な決着の付け方。一度も負けたことがないし、わたしに有利な提案だと思う。でも、たとえ卑怯でもなんでもここだけはわたしの意見を押し通したい。

『いいぞ』

 意外にも、ユズキはわたしの提案を快諾した。ユズキはこういう時におかしな真似なんてしない。受け入れたのなら、きっと正当な勝算があるはずだ。けれど、自分で選んで手を出すような運だけがものを言う勝負で、運が良い以外の勝利方法なんてあるのだろうか?

『いくぞ。最初はグー、ジャンケン……』

 ユズキがいつもの口上を始める。どんな勝算があるのかなんてわからない。ただ、わたしは自分の運勢を信じて左手を出した。

『『ポン』』

 わたしが出したのは二本の指。そしてユズキが動かした右手は……全ての指を握り込んでいた。

『な、何かの間違いですわ! 今回に限ってそんな!』

 勝敗の結果は、わたしの負け。違う、そんなはずはない。だってジャンケンはいつも私が勝っていた。それがこんな、大事な場面に限って負けることなんて、

『ジュリはさ、ジャンケンするときいつも最初にチョキを出すんだよ』

『え……?』

『ごめんな、ホントはジュリの癖にずっと気付いてた。だからこの勝負も、俺の勝ち以外あり得なかったんだ』

 いつも、ユズキがわざと負けてくれていたということだろうか? 本当はずっと勝てたのに、わたしに譲ってくれていた?

『お願いしますユズキ! 考え直してください! 封印されるだなんて……』

『敗者は勝者の意見に従い、協力するんだよな? 俺の意見は【俺が封印されてジュリは何一つ不自由なく生きるべき】だ』

 ユズキの意思は硬かった。勝負に負けてしまったわたしは、懇願してユズキの情に訴えることしかできない。

 そして、その程度で変わるほど柔らかい意思なら、こんな大喧嘩になっていなかった。

『じゃあ、神官のところに行くぞ』

『ユズキ……』

 縋ってでもユズキのことを引き止めたいのに、同じ身体の中にいるからそれすらできない。もう、ユズキを見ていることしか……。

『あ、そうだ。もう教える機会がなさそうだし、見てくれるか?』

 これから封印されてしまうというのに、ユズキは穏やかに言った。身体の主導権をわたしから取ると、椅子に座って机から一枚の白い紙を取り出す。そこにペンで不思議な文様を描き始めた。

『柚希……俺の名前、こういう風に書くんだ』

 初めて知った、ユズキの国の文字。複雑に線が重なっていて、どうやったらかけるのかよく分からない。

『……なんで、わたしにそれを?』

『うん? 深い理由はないよ。ただ、知って欲しかっただけ』

 二つの紋様……文字が書かれた紙をそのままに、身体は立ち上がった。ユズキ……柚希が言葉を話す。その雰囲気は朧げで、この会話が最後になるのだと直感してしまう。

『ジュリ、あとは神官様のところに行ってくれ。俺が前に出てて変なことになったら困るし』

 柚希にそう言われて、わたしは大人しく主導権を後退した。自分で持ちかけた勝負を破棄するなんて無様なことはできない。そもそも、同じ身体にいるからこそ意見がすれ違った時に勝敗を決めて負けた方は妨害しないのがわたし達の決め事だ。身体を部分的に動かせるようになって、勝負方法がジャンケンに変わったってそこは同じ。わたしは、自分の意思で身体を動かして応接室にいる神官様の元へと向かった。

 廊下を歩いて応接室に近づくと、両親の話し声が漏れ聞こえる。お母様の声には涙が混ざっていた。

「神官様、本当にジュリが助かる方法は封印以外にないんですか?」

「わかりません。ただ、【教会が提示できる方法】としてはこれだけです」

「でも、ジュリが身体の中にいるユズキと呼んでいました。私、聞いたんです。ユズキはその名の人物の話をするとき、本当に幸せそうでした。あの子はきっと……」

 辿り着いてもなんとなく気まずくて、部屋に入ることができない。ドアの隙間から中を覗くと、泣き崩れるお母様をお父様が胸に抱き寄せていた。

「確かに、あの子には恨まれるかもしれない。しかし、生きてさえいてくれればいつかきっと幸せになれる」

 わたしのせいで、二人は泣いている。それがわかっているのに、わたしはやっぱり柚希がいなくなるなんて嫌だ。それでも、扉を開けて中に入った。

「お母様、お父様、神官様」

 わたしが三人に呼びかけると、神官様だけが穏やかな笑顔のままでわたしに声をかける。

「お嬢様。決心がお付きになったのですか?」

「わたしはまだですわ。ただ、柚希との勝負に負けただけです」

 わたしの言葉に、泣いていたお母様が入ってくる。わたしの言葉だけでは理解できなかったようで疑問を口にした。

「勝負?」

「柚希と話をしました。わたしはこの家からも逃げ出して柚希が助かる方法を探したかったです。柚希は自分が消えてでもわたしをこの環境に残したいと言いました。意見が違う時は、勝負で決めるんです。今までの勝負の中で初めて、今日は勝負に負けました」

 わたしの返答に、お母様は恐る恐るといった様子で質問を重ねる。

「……今も、そのユズキさんはいるの?」

「もちろんです。この会話も聞こえていますわ」

 言い切ると、両親が二人揃って立ち上がった。そしてわたしの目の前まで来て、深々と頭を下げる。お母様とお父様が、順に感謝を告げた。

「ユズキさん、ありがとうございます!」

「あなたのおかげで、ジュリを救うことができる」

 この言葉に、柚希は一言も返さなかった。本当にもう何も言わずにわたしの中から消えてしまうつもりなのだと実感する。

「そろそろ、よろしいでしょうか?」

 神官様の促しで我に返って、無理やり喉から声を絞り出した。

「……お願い、いたしますわ」

 その言葉を聞いた神官様が、静かに片手を突き出した。もう片手には一冊の本……魔術書が開かれている。その手元に魔法陣が咲き誇って、わたしの身体を光が包み込んだ。

 

 ……まだ、外の世界で生きてみたかったな。

 

 思考が、わたしの中に流れ込んだ。間違いなく柚希の言葉だった。その時、右手が一瞬だけ握り込まれたような気がする。

「柚希!」

 光が収まって呼びかけても、柚希は反応しなかった。わたしは、声が枯れるまでそこにうずくまって瞳から雫を溢し続けた。

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