第7話
チョコレートの方を食べたいのはユズキのはずなのだけど。目の主導権だけを握られたのだろうか? 四肢と違って目は意識しないと気付けないようだ。
『ユズキ、急に主導権を握るのはやめてください!』
『ごめん……。取ったつもりはなかったんだけど、ケーキが美味しそうでもっとみていたいと思ったのかもしれん』
『全く……。それで、お母様がケーキを一口くれるそうですけど。代わりますか?』
まあ、拒否されるだろうとは思っている。殿下との食事の時しかり、ユズキは人とたべているときは代わらな、
『良いのか!?』
『……予想外の反応ですわ』
『ダメか?』
『いえ、良いのですけども』
『やった! じゃあ代わるぞ』
ユズキが速攻で入れ替わってきた。お母様が差し出してくれるフォークにかぶりついて、頬に手を当てて口を動かす。顔は見えないけれど、今のわたしの表情筋はとても幸せそうな形だろう。……お母様のフォークから食べることに抵抗はないのだろうか? 普通、女性から食べさせてもらったら気にすると思うのだけど。
『このチョコレートケーキ美味しいな! 濃厚だし……』
『味はわたしもわかっています。早く代わってください、わたしもショートケーキが食べたいですわ』
『なんか、機嫌悪いか?』
『いいえ!』
……お母様がお友達に聞いた通り、この店のケーキは本当に美味しかった。共有された味覚で感じたチョコレートケーキも、自分で食べたショートケーキもどちらも最高。お母様もわたしも味わって食べていたものだから、すっかり長居してしまって、気付けば窓の外が茜色に染まっている。
「そろそろ帰りましょうか」
「はい、お母様」
店の外に出ると、馬車がまだ到着していなかった。時間が時間だけに家に帰る人々で道が混雑しているのかもしれない。
そして、一台の馬車が目の前を横切った。その前には、何やらしゃがんでいる幼い男の子がいる。
「危ない!」
『ジュリ!?』
咄嗟に、街道に飛び出した。男の子を抱え上げることはできたけれど、もう馬車は目の前に迫っていて、とても避けることはできそうにない。覚悟を決めて、目を閉じようと……。
『目ぇ閉じんな!』
ユズキに言われて、すぐに両目を開く。次の瞬間、男の子を抱え上げていた手の内、右手だけが離れた。左手だけでは男の子を抱えられなくてしゃがみ込む。同時に、右手から放たれた風が、馬車の進路をずらした。立ち並ぶ店には突き刺さらない程度に、わたし達にぶつからない角度。
……周囲が騒然としている。こんな事故が起こって、その中心にはドレスを着た人間がいるのだから当然だろう。何が起きたのかと集まってくる人々を割って、お母様が来てくれた。
「ジュリ! 大丈夫!? 怪我はない!?」
「は、はい。大丈夫ですわ」
「良かったわ。それで、何があったの? 誰かが風の魔法で貴女を助けてくれたのよね? お礼をしないと……」
幸いにもお母様からはユズキが魔法を使った決定的な瞬間は見えていなかったようで、どうにか誤魔化せるかもしれない。とはいえ、わたしを助けてくれた恩人なんていないのだけれど。
「違うよ! お姉ちゃんが手からビュンって出して助けてくれたんだ!」
男の子が、大きな声でお母様に言った。本当のことなのだけど、今それを言われると……。お母様の顔から、血の気が引いていくのがわかる。
「ジュリ! 貴女が風の魔法を使ったって、どういうこと!? な、何かの病気か呪い? す、すぐに神官様に見せましょう! ほら、神殿に行くわよ! 急いで!」
強引に腕を引かれて、到着した我が家の馬車に押し込まれる。抵抗しようにも、なぜかお母様の力が強い。
「あの、お母様!」
「大丈夫よ! 何があっても、私はジュリの味方だから!」
ならまずはわたしの言い分を聞いてください、お母様。聞いてもらえたところで禁書を使ったなどという真実は言えないし、良い言い訳も思いつかないけれど。
結局、お母様の指示で馬車は教会に向かう。……事故にならないギリギリの速度で。うちの馬と御者はとても優秀なのですぐに教会に到着してしまった。
「すぐに神官様に娘を見ていただきたいのですが!」
お母様が礼拝堂にいたシスターに向かって大声で叫んだ。シスターはお母様の鬼気迫る様子に驚いて近づいてくる。
「はい!? 失礼ですが、神官様を先約がない方と会わせるのは……」
「私はネフェルティーナ公爵家の夫人です! この家紋が証明です。娘が……」
「ネフェルティーナ……王太子殿下の婚約者候補の! 国家の重要人物とあらば、特例を認めますのでどうぞ」
わたしは殿下の妃候補を辞退しているのだけど、情報がまだ回ってきていないのかもしれない。否定する前にさっさと中に行ってしまった。騙し討ちのようで申し訳ないが、こちらが嘘をついたわけではないから良い……のか?
「では、神官様をお呼びしますので、こちらのお部屋で少々お待ちください」
シスターが慌てて頭を下げて立ち去った。とりあえず案内された部屋のソファに腰を落ち着けると、ユズキが申し訳なさそうに謝ってくる。
『ごめんな、ジュリ。咄嗟に魔法を使った』
『いえ、ユズキがいなければ大怪我では済まなかったかもしれませんわ。むしろ、ありがとうございます』
わたしはユズキを責める意図なんて最初からない。当然の言葉を返すと、ユズキは言うことがなくなったのか黙ってしまった。なんだか気まずくてわたしからも話しかけられないでいると、神官様が到着した。
「お待たせいたしました、ネフェルティーナ公爵夫人に公爵令嬢。本日はどのようなご用件で?」
「娘が風の魔法を使ったんです!」
「えっと……?」
神官様は、わけがわからないと言わんばかりに首を傾げた。それはそうだろう。その魔法を使うこと自体になんら不思議はない。ただ……。
「娘の適性は炎なんです!」
「なんと! 教会側の誤診ということでしょうか?」
「娘が炎の魔法を使っているのは、私が幼少期から目にしております! そんなことはあり得ません!」
「なるほど。では、再検査をしてみましょう。君、鑑定水晶を持ってきてくれ」
神官様は、そばに控えたシスターに冷静な様子で指示をした。まあ、普通はこんな荒唐無稽な話を信じないだろう。わたしに至っては事実なのだけども。そして言い訳が思いつかなくて先ほどから口を挟めていないのだけども。
……逃げ出すという選択肢もなくソファの上に座っていると、シスターが戻ってきて水晶をわたしの前に置いた。
「こちらが件の水晶になります。公爵令嬢もお使いになったことがありますよね?」
当然、知っている。ユズキを召喚してしまう前に一度だけ使ったことがある道具だ。つまり逆に言うと、ユズキは使ったこともないし、知らない。
『なんだ、これ?』
『手をかざすことで色が浮かび上がって、自分が使える魔法の属性がわかる道具ですわ。特に、色が濃いほど強い魔法を使えます』
『へー』
わたしがユズキに水晶の説明をしていると、神官様がそっとわたしの片手をとって、水晶の上に運んだ。
「お手を失礼致します」
そうして神官様が祝詞を唱えると、水晶が白く濁り始める。それが晴れると手を置いた人物の適性、わたしなら赤が現れて……。
「これは! なんということでしょう、水晶に赤と緑の二色が写っています! こんなに色濃い緑であれば、一度目の検査で見逃したとも思えません!」
通常ではあり得ない二属性持ちに、確実に生まれつきで見逃されたのではないとわかる緑色。おまけに、水晶の中の二色の内で隣り合っている部分は重なって別の色になってしまっている。
お母様が、神官様に詰め寄った。何かの不具合だとか、問題はないとか、安心を求めているのだと思う。
「神官様! ジュリには、一体何が起こったというのですか!?」
「わたしもこんな水晶は初めて見ます。写り込んだ通りに受け取るのならば公爵令嬢の身体の中には二つの属性……つまり魂があり、しかも一部が混ざり合っています」
「そんな! それでは、魂が完全に混じり合えばジュリは……」
「ですから、詳しいことは調べてみないとわかりません」
神官様の言葉を聞いて、お母様がわたしに抱きついた。肩が濡れていって、涙を流していることがわかる。確かに、わたしとユズキは融合しかけている。でもそんな悪いものなんかでは断じてない。
「あの、神官様、」
「ご安心ください、公爵令嬢。一週間後までに必ず治療方法を見つけますので」
そう宣言する神官の顔には害意なんて見えない。本当にわたしを心配して話してくれている。そんな彼に怒ることもできなくて、わたしはただ母の背中を撫で続けた。
……それから家に帰ると、お母様がすぐにお父様に抱きついた。胸に泣き縋るお母様を慰めていたお父様は、事情を聞いて呆然とした顔でわたしを見る。
「教えておくれ、ジュリ。なぜそんなことになってしまったんだい?」
「……聞いてください、お父様! わたしの中の魂は悪ではないんです。ただ、わたしが……」
わたしが、自分の失態で強制的に呼び出してしまっただけなんです。そう言いたかったのに、苦しげに顔を歪めるお父様を見ているとそれ以上の言葉を紡ぐことが出来なくなってしまった。
「ジュリエッタ、もし本当にもう一つの魂が悪いものではなかったとしても、それが君の中にいればどうなるんだい? 一部しか混ざり合っていなかったものが、全て混ざって君ではなくなってしまった? 親にとっては我が子が何よりも大切なんだ」
愛称ではなく本名で呼ばれて諭される。確かに、このままではわたし達はどちらでもない別の存在になってしまう。それが嫌なのだと言われてしまえば反論することはできない。ただ神官様が見つけてくれる解決方法がわたしもユズキも幸せになれる方法であることを信じて祈るだけだ。
『ユズキ、ユズキは消えませんよね?』
『さあ? 原因が魔術だと分かった以上、自然に消えることはないがそれだけだ。神官が持ってくる方法によっちゃあ消えるかもな』
ユズキは自分が消える可能性を否定しなかった。消えたくないという意思もなかった。むしろ、必要なら簡単にわたしに譲ってしまいそうだ。ただ、今この瞬間のユズキの内心がいつも以上に読めない気がした。
「ジュリ、今日はもう寝なさい。何が起こっているのかわからないのだから少しでも安静にしましょう?」
「ああ。殿下の妃候補も辞退しているのだし、神官様が何か見つけてくれるまでは安静にしていなさい」
両親がわたしを心配してくれている。嬉しいことのはずなのに、ユズキがわたしの中にいるのはよくないことだと言われているようで、ほんの少しだけ痛かった。




