第6話
後日、妃候補を自ら辞退したのはわたしだけだったと聞かされた。辞退したわたしと、例の誘拐事件で国外追放になった候補者を除いた面々の中で最終決定をするそうだ。
あの日、帰ってくるなり部屋に閉じこもってしまったわたしに両親は何も聞かなかった。ただ連日どこかに誘われて、気を遣われているのがわかった。
今日もまた、部屋のドアを叩く音がする。
「どうぞ」
わたしが返事をすると、お母様が笑顔で入ってくる。楽しげに両手を組んで断られるとは思っていない表情だ。
「ジュリ、良かったらケーキを食べに行かない? 美味しいお店ができたとお友達が教えてくれたのよ」
「……ええ、とても美味しそうですわね。お供させてくださいませ」
本当は、そんなことをしている場合ではないとわかっている。一刻も早くユズキとのことを考えなければ。こうしている間にも、わたし達は一つになってしまうかもしれない。でも、お母様がわたしのことを考えて誘ってくれたのに無碍にはできない。
「さあ、行きましょう。ジュリは一番のお気に入りを着てきなさい。好きな服を着ると少し気分も上がるわよ」
それだけ言うとお母様はいそいそと退出した。わたしはユズキに今日の服装を聞いてみる。深い意味はないけれど、ユズキの意見が聞きたいだけだ。
『ユズキはどのドレスが良いと思いますか?』
『ジュリの服の好みとか、ジュリしかわからないんだけど。まあ、母親とジュリの共通点である赤がベースでどうだ?』
『いいですわね。では、髪飾りは黒にしましょう』
やはりわたしの気分が一番上がるのは黒色を身につけた時だし、赤と黒ならそこまで相性も悪くない。
『ホント好きだな、黒』
『ユズキの色ですから!』
わたしの言葉に、ユズキが完全沈黙した。本気で照れている。こういうことを言うとユズキは簡単に照れるとわかったからもう釣られない。
『わかってて人を揶揄うなよ、悪質だな』
『わたしは本心を言ってるだけですわ』
『じゃあ普通に恥ずかしいんだけど……』
相変わらず、わたしとユズキは思考が共有されることがある。頻度はそこまで高くなっていないけれど、伝えていないことに回答されるのはその証拠だ。
……服と髪飾りを決めて、部屋に備え付けのベルを鳴らす。すぐにメイド達が入ってきて、手早く準備を始めた。
『おいジュリ、目を閉じてくれ』
ユズキは、わたしの着替えシーンを見るのを嫌う。別にわたしの中にいるのだからそこまで神経質になる必要はないと思う。それを進言したら男は狼だと返されたけれど。
「お嬢様は支度の時は必ず目を閉じますね、何か理由がおありなのですか?」
年若いメイドが不思議そうに問いかけてくる。小さい頃からそうしているから熟年者は疑問を持たないけれど、やはり慣れていないとおかしく見えるらしくわたしの着替えを初めて手伝うメイドは聞いてくることが多い。だからこそ、この一件の定型文は作ってある。
「経過を見ずに、綺麗になった自分と初対面したいの。貴方達の腕は信頼しているから口出しなんて必要ないもの」
「へえ! お嬢様は先輩方をとても信頼しているのですね」
……そこまで尊敬の眼差しで見られると居た堪れない。もちろん、メイド達を信頼していないわけではない。けれど、一番の理由はユズキの望みだからだ。
「さあ、お嬢様。できましたよ」
声をかけられて、目を開く。別にわたしの言い訳は嘘ではなくて、うちのメイドの腕は本当に素晴らしい。相変わらず文句なしの仕上がりだ。
『ジュリは本当になんでも似合うな』
『ありがとうございます』
ユズキは基本的に褒めてくれるから、実はあまり参考にならないのだけど。……いつの日か、ユズキと二人で並んでお互いの色を交換した服とか着たら楽しいかもしれない。
「奥様を呼んで参りますね」
「あ、ええ。お願いするわ」
メイドが一礼して退室していく。お母様の支度がどれほど終わっているのかはわからないけれど、移動時間も考えればこの部屋に戻ってくるのはもう少しかかるだろう。ならば、今のうちに決めておきたいことがある。
『ユズキ、今日はなんのケーキが食べたいですか?』
『俺はチョコ』
『わたしはショートケーキですわ』
意見が割れた。こういう時、最近のわたし達はユズキが教えてくれた簡単な勝負でどちらを採用するのかを決める。その名も……【ジャンケン】。いつもユズキが右手、わたしが左手で、作った手の形で勝敗をつける。ユズキの音頭で同時に手を出した。
『最初はグー。ジャンケン、ポン』
右手は指を全て開いていて、左手は二本の指を立てている。
『やった! 今日もわたしの勝ちですわ! 連勝です!』
『ジュリは本当にジャンケン強いなぁ』
『ユズキが弱いのですわ』
任意で一部ずつ操作できるようになってから、このジャンケンというものを教わったけど、今のところわたしは負けたことがない。
『では、今日はショートケーキを食べますわ!』
『あんま食べすぎると太るぞ〜』
『負け惜しみはやめてくださいまし。というか、ユズキが勝ったとてチョコレートケーキはわたしが食べるのですから変わりません!』
『あ、バレた?』
『当然ですわ!』
ユズキが本気で悔しがっているわけではないこともわかっている。そもそも、ジャンケンをするのは割とどちらでもいいと思えるような内容ばかりだ。
ケーキが決まったところで、ちょうどお母様が部屋にやってきた。先ほどとは打って変わって、真っ赤なドレスを身に纏っている。
「ジュリ、お待たせ。もう馬車を手配したから下に降りましょう?」
そう促されて外に出る。馬車を目の前にするとほんの少し身が竦んで、思わず右手を掴んだ。すると右手が自由に動かせなくなって、左手を握ってくれる。それだけで安心して、何事もないようにお母様の正面に座った。太陽が既に頂点を通り過ぎた、おやつには絶好の時間帯だ。
馬車が動き出すと、お母様はわたしに話しかけてくる。殿下と話すよりも私的な会話で、ユズキと話すよりも女同士の会話だ。
「ジュリも赤いドレスなのね。親子でお揃いみたい、嬉しい!」
「お母様も、よくお似合いですわ」
「この前も、」
お母様が何かを言いかけて口を噤んだ。言いにくそうにもごもごさせて、言葉を選ぶようにゆっくりと話を続ける。
「その、ジュリは赤が好きなの? この前……の時も赤いワンピースだったから」
……お母様が言うこの前というのは、殿下とお出かけした日のことか。別にあの時着ていた服の話だけで傷つくほどわたしは繊細ではないのだけど。
「嫌いではないですが、一番好きなのは黒ですわ」
「あら、意外ね。黒なんて身近にないじゃない。ああ、でも舞踏会の日は黒いドレスを着て……ごめんなさい」
むしろ直近で何かあるたびに話題に出しにくいことを起こしていてごめんなさい。色に関してはその出来事に結び付けられて思い出されるとかないので気にしないでください。……なんて、余計に気を遣われそうだから言えないけど。
「黒は、大切な人の色ですの。だから好きですわ」
わたしは真剣にそう返したのに、お母様はニンマリと笑ってわたしをつついた。何やら重大な誤解をされているような気がして、悪寒が走る。
「ジュリ、好きな人がいたのね! 教えてくれたらいいのに! なるほど、妃候補を辞退したのもそれで……。その人の色ということは、髪か目が黒よね? うちに出入りする人間かしら?」
「ち、違いますわ! ユズキはそのような関係では……」
「へえ、ユズキっていうのね。……聞き覚えないわね。うちの中で出会った方ではないの?」
「聞いてください!」
結局、お母様は聞く耳を持たなかった。それどころか根掘り葉掘り尋ねられて、ユズキのことがバレないように神経がすり減ったような気がする。なんとか個人を特定されるような情報は死守したけれど。
「さあ、着いたわ。ジュリは何を食べる?」
「ショートケーキ、ですわ!」
ユズキとの勝負に勝った権利なのだ。存分に食べさせてもらう。お母様はチョコレートケーキを注文して、二人で案内された席に座る。
「ここの紅茶、自分で淹れるんですって。いつもはメイドにやってもらうから新鮮だわ」
お母様がティーポットを揺らしながら言った。中で紅茶が波打つ音が聞こえる。
……わたしも自分で紅茶を淹れるような経験はない。ユズキは雰囲気的に元々貴族という感じがしないし、あるのだろうか?
『ユズキは経験ありますの?』
『そりゃ、ティーポットから注ぐくらいはできる。というか、それすら使用人にやってもらう貴族にはいつまで経っても驚かされるよ』
ユズキは経験があるのか。……わたしもできるようになりたいかもしれない。美味しく淹れられて、ユズキが飲んでくれたら嬉しい。
「お店の方にお願いしようかしら」
「わ、わたしが淹れてみてもよろしいでしょうか?」
「あら、良いわよ。何事も経験だものね」
お母様からティーポットを受け取って、とりあえずカップに注いでみる。思ったより一気に出て、溢れそうになった。
「で、できました、わ?」
……メイドの淹れる紅茶を知っていると、とても美味しいとは言えない微妙な出来になった。カップに注ぐ方法一つでこんなに変わるんだなと、尊敬を禁じ得ない。
「とても美味しいわ。ジュリは紅茶を淹れるのも上手ね」
「いえ、この紅茶……」
「もちろん、味はメイドに淹れさせた方が美味しいわよ?でもね、ジュリの紅茶には真心が籠ってる。ユズキとやらを意識して淹れたのかしら?」
「お母様!」
忘れていなかったらしい。またあれこれ言われるのかと辟易していると、従業員がケーキを持ってきた。わたしのショートケーキの苺は瑞々しい赤、母が頼んだチョコレートケーキはこちらまで香りが漂ってくる仕上がりだ。
「とても美味しそうね! ジュリ、こちらも一口食べる?」
「……ええ、いただきますわ」
いつもならば自分の分だけで良いと断るのだけれど、チョコレートケーキはユズキが食べたいと言っていた味だ。せめて一口くらい……。
「やっぱり! もしかして、本当は交換したい? 目が物欲しそうな眼差しをしているわよ」
「い、いえ! わたしはショートケーキの方が食べたいですわ!」




