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第4話

 そして翌日、いよいよ殿下とお出かけする日。差し込む朝日は眩しいのに、空にはところどころに雲が浮かんでいた。

「絶対にドレスは青がいいですよ! 王太子殿下の瞳の色です!」

「市井に行くとのことですから、黄色のワンピースでもいいのでは!?」

「髪飾りは瞳と同じ紫色でどうでしょう!」

 わたし以上に、メイドのみんなが張り切っていた。朝起きて湯浴みなどなどが終わってからずっと、鏡の前であれこれ服を当てられ続けている。

『流石に疲れましたわ……。これでは殿下が到着する前に疲れてしまいます』

『はは、ジュリがみんなに愛されてる証拠じゃん』

『笑いごとではありませんわ』

 ユズキが楽しそうだけれど、確実に揶揄っている声だ。流石にわかる。鏡越しにジトりと睨んでおいた。

『じゃあ、好きな色とかで決めれば? やっぱ。セイランの色とかが好き?』

『黒、ですわ』

『へ……? いやいや、だって黒はアイツらの!』

 確かに黒色はわたしを誘拐した奴らが着ていた色。でも同時に……。

『黒はユズキの色です! ユズキは、わたしの一番の理解者ですから、だから、好きです』

『あ、そう……』

『照れないでください! 黙らないでください!』

 想定外の反応をされると、わたしも照れてしまう。主導権があるわたしの照れは、ちゃんと身体にも変化を引き起こした。

「お嬢様? お顔が真っ赤ですよ?」

「だ、大丈夫……」

「そうですか?」

 流石に、自分の中のもう一人と話してて照れましたとか言えない。そもそも、ユズキを呼び出したこと自体が無自覚とはいえ禁術の行使だし。

「お嬢様、こちらの黒ベースのワンピースはいかがですか? お嬢様、舞踏会の時といい黒がお好きみたいですし!」

「馬鹿! お前、少しはお嬢様の事情というものをだね……」

「え? ……あ、申し訳ございません!」

 一番年若いメイドの提案を、熟年が咎める。確かに、本来ならば薦めるべきではないのかもしれない。今後のために、若いメイドに教育することは必要だろう。

「でも、わたしはいいのよ。黒が怖くなったり、嫌いになったわけではないから」

「そうですか? ……今回はお嬢様が寛大な心でお許しくださったけど、今後は主人の体調や状況も考えてご提案するのよ」

「はい……」

 すっかりと若いメイドさんは意気消沈してしまった。そして結局、服装は赤を基調とした町娘風のワンピースに。殿下の色はわたしには似合わない気がした。メイド達は残念がってたけど。

『似合ってるじゃん』

『あら、今日は綺麗と言ってはくれませんの?』

『うーん、今日は綺麗より可愛い系じゃないか?』

『そ、そう……』

 揶揄おうとしたら反撃された。この男は自分の発言に気付いていないのか。少なくともわたしへの褒め言葉については何も考えていない気がする。……鏡の中のわたしはお化粧以上に真っ赤なほっぺだというのに。

 ……準備を終えてすぐに、コンコンとドアを叩く音がして、執事の声が聞こえた。

「お嬢様、セイラン・ヴィルフォード王太子殿下がお見えになりました」

 その言葉を聞いて、わたしは応接室に向かう。辿り着くと、両親が殿下と言葉を交わしていた。

「殿下、何卒、我が娘をよろしくお願い致します」

「わたくし達の自慢の娘ですので……」

「もちろん、僕はネフェルティーナ嬢にも可能な限り幸福な未来を歩んで頂ければと思っています。彼女が僕との婚姻を望まなかったとしても、しっかりと今後の保証は行うつもりです」

 扉越しにそんな会話が聞こえる。殿下は、幸せになってほしいと言った。……わたしも、幸せになってほしいと。

 殿下がわたしを含む全ての民の幸福を願わなくてはいけない立場だとは理解している。それでも、ほんの少しだけでいいから、ユズキのようにわたしを特別扱いしてほしい。殿下への想いが、また一つ解けた気がして首を横に振った。そんなわけはない、殿下は正しい、わたしが強欲になってしまった。……だって、殿下はわたしが八年もお慕いしている方なのだから。

『ジュリ? 入らないのか?』

『は、入りますわ!』

 ユズキに声をかけられて、慌てて息を整える。そして、ようやっと応接室の扉を開いた。

「お待たせいたしました、殿下」

「気にしていないよ。むしろ、ご両親と有意義な話をさせていただいた」

「お気遣いありがとうございます」

「本心さ。ワンピースもお似合いだね」

 わたしが謝罪をすると、殿下が笑って許す。笑顔はいつも通り。服も褒めてくれる。多分、含みのない本心だと思う。……昨日、禁書を読んだばかりな上に先ほどの自分の強欲もあって少し目を合わせにくい。

「では、今日は一日よろしく。お手をどうぞ、ネフェルティーナ嬢」

 殿下がお辞儀をして恭しく片手を差し出す。その上にわたしの手を重ねると、自然なエスコートで馬車に辿り着いた。

「足元にお気を付けて」

 ステップを昇る時のエスコートまで完璧。きっとユズキならこうはいかない。貴族の作法には慣れていないと言っていたから、わたしの授業では習わない男性特有の作法に狼狽そうだ。

『ジュリ、馬車とか大丈夫か?』

『えっと、今のところは馬車に恐怖は覚えていませんわ』

『ならいいんだ。ヤバかったら言えよ』

『はい!』

 ユズキの気遣いに、心が温かくなった。何気ない会話が楽しくて、口角が上に上がっていくのが自分でもわかった。

「ネフェルティーナ嬢? そんなに笑顔でどうしたんだい?」

「な、なんでもありませんわ」

「そうかい? では、出発するよ」

 殿下が、馬車の扉を閉める。完全な密室。上がっていたはずの気分が、一気に悪くなって、あの日のことが思い起こされた。うまく呼吸ができない。

「ネフェルティーナ嬢!? 急に顔色が、」

 殿下が心配している。答えられない。怖い。もし、また扉が開いたら……。

『ジュリ! 落ち着け。少し目を塞ぐぞ?』

 パニックになったわたしの目を、また自由に動かせなくなった右手が覆う。ユズキがいると思ったら、少し落ち着いた。

『……もう落ち着いたか?』

『多分、大丈夫です』

『じゃあ俺はまた黙るから』

 殿下といる時、ユズキには最低限しか声をかけられない。殿下とは自分の言葉で話したいというわたしの意思を尊重してくれる。

 それなのに今は、ユズキが感じにくくなってしまって少しだけ不安がぶり返した。けれど、ユズキに正直に言えない。結局、ユズキが先程まで動かしていた右手を左手で握った。

 ……わたしの様子を見ていた殿下が、大慌てでわたしに謝罪を始めた。別に殿下は何も悪くないのだけど。

「すまない、ネフェルティーナ嬢! 僕の浅慮だった、あの事件の直後で馬車移動なんて……。今からでも徒歩に変えようか? それとも、乗馬ができるなら馬の手配をしたほうが良いかい?」

「ご心配は不要ですわ。これから馬を用意しては大幅に遅れてしまいますし、わたしは乗馬服ではなくワンピースを着ています。それに、徒歩で辿り着く距離ではないから馬車を利用しているのでしょう?」

 わたしの都合で殿下の予定を遅れさせてしまうわけにはいかない。今日のこのお出かけだって、殿下の公務と並行して行われると聞いた。それを変更すれば多方面の迷惑になってしまう。

 そう思って丁重に殿下のご提案をお断りしても、殿下は心配そうにわたしを見た。

「しかしだな、」

「わたしは本当に大丈夫ですから。それより、今はどこに向かっていますの?」

「……向かっているのは郊外の農園。どうしても視察は近場が多くなってしまうから、この機会に地方も確認したいんだ。ちょうど各地で雨季による収穫不良も報告されていることだしね」

 とても穏やかな声で殿下は言った。本当にこの国の民が好きなのだとわかる、優しい声。わたしに向けられるのと、全く同じ声。

「その後は王都に戻ってきて昼食を共にしてから解散するつもりだけれど、ネフェルティーナ嬢は何か希望があるかい? 昼食後なら時間を取れるから伝えて欲しい」

「いえ、特にありませんわ」

 お忙しい殿下を自己都合で振り回すわけにはいかない。こうして出かけるため場所も公務に組み込まなくてはいけない方なのだから。

「さあ、見えてきたよ」

 殿下の言葉で窓の外を見ると、そこには小さめの町があった。郊外というだけあって雰囲気も穏やかで、平和を絵に描いたようだ。

「……! 止めてくれ!」

 殿下が、突然鋭く声を上げた。すぐに馬車を飛び出して、地面にしゃがみ込んで何かを拾うと小さな女の子に声をかけた。

「落としたよ、レディ?」

 そう差し出したのは、可愛らしいリボン。わたしの思い出に、小さなヒビが入った気がする。……否、殿下は善意で落とし物を少女に渡しただけだ。

「ありがとう! ママが作ってくれた大事なものなの!」

「どういたしまして。もう落とさないように気を付けてね」

「うん!」

 その光景が、あのパレードに重なった。そして少女が満足そうに駆け出していくのを見送って、殿下が馬車に戻ってくる。申し訳なさそうだ。

「すまない、急に馬車を止めてしまって怪我はなかったかい?」

「はい、大丈夫ですわ。……殿下は、本当にお優しいですわね」

「放って置けないだけだよ。ただ、僕は伴侶も国民を誰よりも思ってくれる女性がいいとは思っているけどね」

 そう告げる殿下は、とても遠くにいるように見えた。わたしがどんなに手を伸ばしても届かないほど、遠くに。

 ……ぼんやりとしているうちに、馬車は目的地に辿り着いて止まった。殿下のエスコートで馬車を降りると、そこには瑞々しい果物や野菜の畑が並んでいる。

「王太子殿下、公爵令嬢様、本日は遠路はるばる自慢の農園の視察に来ていただきありがとうございます」

「雨季の影響を受けているところも多いようだが、君のところは何か問題は起きているかい?」

「いえ、当農園は水に強い種類を栽培しておりまして、ちょうど収穫時期でございます。よろしければ、見て行かれますか?」

「僕達が入っても良いなら是非。農園の者にとって作物は我が子でしょう、見せて頂けるとは光栄だ」

 殿下と農園主の間であっという間に話が纏まっていく。もちろん、視察である以上は内部を見られるならその方が良い。けれど、これでは視察が主目的で、わたしと来ているのはついでのようだ。

 しかし、農家の方を恨むことはできない。だってあの人はちゃんとわたしを見て気遣ってくれている。

「殿下、公爵令嬢様のお召し物が汚れてしまうかもしれません。こちらでお待ちいただくか、妻のものでよろしければツナギをお貸ししますが……」

「それもそうだね。ネフェルティーナ嬢はどうしたい? 視察は僕の公務だから、待っていても構わないよ」

 殿下がわたしに気遣いをくれる。でも、わたしはそれじゃ嫌だ。どんな事情であれ、殿下がわたしのことを知るための時間。そして、わたしが本当の殿下を見るための時間。せめて、一緒にいるべきだ。

「わたしにも見学させていただければと思います。申し訳ありませんが、奥様の服をお貸しいただいても?」

「もちろんです! 畑に入ることを厭わないご令嬢は初めてお会いしました! 貴女のような方に国母となっていただければ安心なんですがな〜」

 農園主はそう言いながら指示をして、夫人がわたしとメイドを近くの納屋へ案内した。

「お嬢様、こちらがわたしの着ているツナギでございます。着古しですが……」

「ありがとうございます、破損などしないよう注意を払いますね」

「いえいえ! そんなお気遣いいただくとも良いのですよ。私はただ、お上の方に農業の大変さを知っていただければそれで」

 そう笑う彼女は、とても楽しそう。きっと殿下が守りたいのはこういう笑顔なんだろうなとなんとなくわかったかもしれない。

 メイドの手助けもあって手早く着替えて戻ると、殿下も農園主の物らしいツナギ姿になっていた。わたしを見つけて、殿下が微笑む。

「やあ、ネフェルティーナ嬢。足元が不安定だから気を付けてね」

 当たり前のように殿下が手を差し出してくれた。まるで絵本に出てくる白馬の王子様が現実で形を持ったかのような完璧な仕草だと思う。

「では、参りましょうか」

 農園主の先導で、わたし達は歩き出した。一つの区画ごとにどんな作物を育てているとか、どんな工夫をしているとか、色々なことを説明してくれる。それはどんな教本よりも有意義な内容で、殿下もこちらに視線も送らずに聞き入っていた。

「……ここは果物畑か? 既に多く実っているようだが……」

「はい、今日明日で収穫になります」

「なるほど。これだけ多くては収穫も大変そうだ」

 殿下が感心すると、農園主は考え込むように顎に手を当てた。少しの間、無言の時間が続いて、やがて決心したように顔を上げる。

「私の仕事を手伝って欲しいという意図ではございませんが、よろしければお二方も収穫なさいませんか? 幸いこの畑は比較的に収穫が簡単でございまして、農業を知りたいという殿下のご希望にも沿えると思った次第です」

「それは素晴らしい! どうだろう、ネフェルティーナ嬢。僕は是非とも経験したいと思うが……」

 そう話す殿下はひどく楽しそうだ。本当に、国民と触れ合うことが好きな方なのだと思う。この場でわたしが断れる道理などない。

「とても素晴らしい提案だと思いますわ。わたしも体験させていただければと思います」

「おお! お二方とも前向きなお返事をいただけるとは! すぐに人数分の道具をご用意いたします!」

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