第3話
ユズキが眠ってしばらくすると、両親が到着した。さらに少しすると殿下と、殿下が港町に来るまでの護衛を兼ねた調査を担当する王国兵達も。それから王家と公爵家の合同調査は驚くほど素早く進んで、犯人グループも確保。妃候補者の一人の実家に、妃候補筆頭であるわたしの排除を依頼されたのだとか。海外の娼館に売り飛ばして二重に金銭を受け取る算段だったらしい。
「……というわけで依頼した貴族一家は国外追放、実行犯は極刑に処されることが決まったよ」
そして今日、その後のわたしのことを気にした殿下が実家を訪ねてきてくれた。
「お気遣いをありがとうございます、殿下」
「いや。そもそもこのような事態を招いてしまったのは国の安全を守る義務を背負った王家の責任とも言えるからね。誰であっても被害者の元に来るのは当然さ」
……きっと、殿下はわたしでなくても駆けつけてくれたのだろう。この国の王太子であるセイラン・ヴィルフォード殿下としては正しい。すごく正しいのに、前みたいに尊敬するのとは違う、言いようのないモヤつきが胸に影を残した。
「それで、今日は君に聞きたいことがあって来たのだが……このような事件があって、王太子妃候補を続けてくれるかい? 怖いのであれば降りてもらっても構わない。その場合でも誘拐が君の今後には影響がないように手配させてもらうよ」
誘拐された、という事実はそれだけで令嬢の名前を傷付ける。わたしはもう王家の仲介がなければまともな縁談は望めない。選択肢は、殿下と結ばれるか王家の仲介で他の方と結ばれるかの二択に狭まってしまった。
「今回の件を理由に候補から辞退するつもりはありませんわ。殿下にはご迷惑をおかけしてしまいますが……」
「そんなことはないさ。優秀なネフェルティーナ嬢がこのような理由で降りないでくれるのは嬉しいよ。では、明日に改めて候補者としての判断を聞かせてくれ。僕はこれから孤児院の視察があるからこれで」
殿下が今日、候補者としての判断を聞かなかったのは他の候補者との公平性を保つためなのだろうか? きっと、公平なのだと思う。公平すぎて、ほんの少しだけ息が詰まった。……否、そんなわけはない。殿下は素晴らしい方なのだから。
『ジュリ、セイランとのデートが明日なら今日は俺が貰ってもいいか?』
『話したいこと、でしたっけ?』
『ああ』
どこに行くのだろう。カフェで優雅にお茶とか……。
『どこに、』
『普通にジュリの部屋のつもりだったけど? 一番静かだし』
……それはそう。わたし達は脳内で会話できるのだから別に人目を気にしなくても密談をできるし、カフェなんて行っても片方しか飲食できない。少し残念だけれど仕方がない。いつかはユズキと二人で並んで出かけられたらいいな。
『静かな場所なら書庫の方がいいですわよ。わたしも幼少期に授業から逃げる以外には入っていませんが、だからこそ誰もわたしがそこにいると思わないはずです』
『……俺がジュリに入ったのも書庫だったよな?』
『はい、そうです』
『じゃあ、一石二鳥だ。書庫の方にするか』
一部の言葉はよくわからないけれど、書庫の方に向かえばいいらしい。わたし達が出会った場所であることが関係するということは、ユズキの話ってそのこと?
そして書庫についたわたしは、窓際の一席にゆっくりと腰をかけた。雲がかかって日の光があまり伝わらない書庫はほんの少し薄暗い。
ユズキが、真剣な雰囲気で話し始めた。
『ジュリ、ジュリはあの誘拐の件で違和感を覚えたことはないか?』
違和感? なんだろう、犯人に何かおかしなところ……いや、犯人は主犯も含めて全てが捕まっている。ユズキがわざわざ時間を作ってまで違和感を問う理由がわからない。
それでは、他に何があっただろう? わたしがあの日にしたのはただがむしゃらに走っただけだ。奴らの仲間と運悪く遭遇した時だって……。
そういえばあの時、片手だけがわたしの意思を無視して動いていた気がする。
『街の近くでの暴漢、ですか?』
『それも、だな。もう一つある。……あの森、火事にならなかっただろ』
『えっと、それはユズキが風で制御してたからでは?』
ユズキが、苦しげに言葉を続けた。主導権がユズキにあったのなら手で顔を覆っていそうな、酷く沈んだ声だ。
『……できるわけないんだよ、本来なら。ジュリが表にいたら、俺は見聞きすることしかできないんだから。……なんでこんな初歩的なことを見落としてたんだろうな』
ユズキの言う通り、わたしはあの時、自分の意思でユズキの主導権を奪って走っていたはずだ。当然、身体の主導権が渡らなければユズキは動くことなんてできない。
『で、ジュリも気づいてるあの酔っ払いを吹っ飛ばした時な。アレ、俺が右手動かして、ジュリが目を瞑ってて前が見えないから最大の威力で魔法を使ったんだよ。おかげで地面まで抉れたみたいだけど……』
『ちょ、ちょっと待ってください! それって、ユズキが一部分ずつ別に主導権を取ったってことですか!?』
『さ、さあ……』
明らかにわたしより博識なユズキでもわからないことらしい。そんなに前代未聞の何かが、わたし一人の体内で起きて……?
『で、ジュリ。俺がこの世界に、ジュリの中に現れた日のことで覚えていることはないか?』
『え!? わたし、疑われてますの!? わたし、意図的にユズキを害そうと呼び出したんじゃありません! 本を読んでたらいきなり……』
『当時小学生くらいの女の子が見知らぬ男を攻撃目的で呼び出してたらサイコ過ぎるし、ハナから疑ってねえわ』
サイコ? わたしがユズキに害意を持っていたらなぜ最高なのだろう。そういう意図で呼び出されていたら嫌ではないのか。
『サイコは最高じゃなくてサイコパス。狂人ってこと!』
……今、わたしはユズキに伝えるつもりで意思をのせていたか? 考えるだけのつもりで、ユズキに聞こうとしていなかったのに、無意識に意思が乗るなんて、有り得るのだろうか。
『急に黙り込んでどうしたんだ?』
『わたし、【サイコの意味】を尋ねるつもりなんてありませんでしたわ。少し気になって、頭の隅で考えていただけなんです』
今まで、無意識に漏れる声と違って、頭だけで会話するのは相手に伝える意思が必要だった。それなのに、意図しない言葉が伝わるなんて。
『言われてみれば、まるで耳に水が詰まってるみたいなくぐもった声だったな。今みたいなはっきりした声じゃなかった』
主導権を握っていない状態でのユズキの魔法行使に、片手だけの主導権変更、今度は思考回路まで繋がってしまったというのか。しかし、それにしてはこの思考がユズキに漏れていないし、ユズキの考えもわからない。
『俺が来る前のことはジュリしか知らない、何か思い出せないか? あの日の付近で変なもの食べたとか、変な奴に会ったとか。もしかしたら、そこに手掛かりがあるのかもしれない』
そうは言われても、あの日のわたしは授業が嫌で逃げ出して書庫に居ただけだと思う。それで、なんだかとても綺麗な表紙の本があって、開いたら……。
『あ!! そうですわ、あの時、わたしが開いた本が真っ白に光ったんです! それから光が収まったらユズキがいたんです!』
『確実にそれが原因だろうな。となると、その本を探してもう一度開いてみるのが早いか。まだ書庫にあるだろうし、タイトルからジャンルに当たりをつければ……』
……それは無理だ。だってわたしは、
『……せん』
『どうした?』
『タイトルなんて覚えてません! 綺麗な表紙だから開いただけで、読む気なんてなかったんです!』
『は!?』
勉強が嫌で逃げてきたわたしは読書をするつもりなんてなかった。普通の本だったとしても小さな子供向けの絵柄が多い童話でもない限り読まなかったと思う。
『じゃあ、何か? 俺たちはこの膨大な蔵書の中から、表紙しかわからない本を探すのか?』
『そういうことになりますわね』
別に思考が漏れてきたわけではないけれど、今のユズキが絶望していることだけはわかる。
『とりあえず、俺が来た時にいた場所近くの棚から探すか』
『覚えてますの?』
『鏡と目が合うのはあそこからむこうまでだろ』
右手が、勝手に動いた。……気まずい沈黙が目の前で寝転がった。
『マジで、早く手掛かり探すぞ』
『はい』
とは言っても、二人がかりで探すことはできないし、わたしの頭の中に残ってる装丁を直接ユズキに共有することもできない。
結局はあの頃のわたしの記憶だけを頼りに、本棚を端から見ていくしかなかった。
「ありましたわ!」
夕日が書庫に差してきた頃、ようやっと幼い頃に見たあの本を見つけた。雲が晴れて、書庫が真っ赤に染まっている。
正直、わたしは今日一日で見つかると思ってもいなかったから、嬉しくて思わず声に出して喜ぶ。
『えっと……【戦術魔術書 上】?』
ユズキがタイトルを読み上げた。わたしがあの日、開いたのは魔術書だったらしい。
……魔術とは魔法と違ってそれが書き記された本に魔力を注ぐだけで誰でも扱うことができる技術だ。当時のわたしは魔力操作ができていなくて無意識にそれを行なってしまった。つまり、
身体が震える。わたしにはそんな資格がないのに涙が溢れてきた。わたしは自分の未熟ゆえにユズキに不便を強いて、その力を利用していたんだ。
『ごめんなさい! ユズキがここに来たのはわたしのせいです! 謝っても、取り返しなんて付かないですけど……』
そう、魔術でユズキを呼び出したのは……わたしだ。内容を確認しないと詳細はわからないけど、ユズキがわたしと身体を共有しているのだけは間違いなくわたしの責任だ。
『あの、なんでもします! ユズキが望むならなんだって、』
『いや、それは別に怒ってない。そもそも俺は呼ばれた時点で……。まあとにかく、俺はここに来れたことに感謝してるんだ。お礼こそ言えど、償いなんていらない』
『もう、なんですの? ここに来る前のユズキは何を、』
『それより今はこの本を調べよう。俺らの境界が曖昧になっている理由がわかるかもしれない』
『は、はい』
魔術書の中身の前半は、魔術を発動させるための呪文が刻まれている。そして後半は白紙。詳しくは知らないが、制作過程で希少なものが必要らしくて魔術書は高価なものになる。そんなものを多少の修正で作り直しなんてできないから、後半は加筆修正や改良のための白紙。それが普通。
なのに、この魔術書の後半は、誰かの日記だった。手書きで書かれている。タイトルもない、日付とその日の出来事だけが書かれている。本来なら他人の日記なんて読まないけれど、日記をつけ始めた初日に凄いことが書かれていた。
『これは、読み進めるしかありませんわね』
『俺らが探してる情報、全部が詰まってそうだからな』
初日、日記の主はある実験を始めた。……主は、異世界の魂を死体に宿らせるための魔術で、生体に異世界の魂を宿らせる実験を自分の身体に施したようだ。
最初の方の記録は魔術でやってきた異世界の魂との共生だった。わたしとユズキの関係と同じく主導権を自由に入れ替えられたらしい。日記の中にはもう一人の魂が書いたらしい文字も並んでいる。
日記の雰囲気が変わったのは、八年目に入ってすぐだった。徐々に筆跡が崩れていって、二人の文字の特徴が混ざっていく。内容を見ると、二人は二人の境界線が曖昧になっていっているらしい。最終日の日記には、一言。【私は誰?】と書かれていた。
『これは……』
『俺がジュリの中に入って八年ちょい。で、この日記の人物たちもおおよそ八年で異変が起きて、完全に一つになった』
じゃあ、わたしとユズキも後少しで……?
『ど、どうしたら』
『……わからない。俺らの手元にあるのは、どうにかしないとこうあるって記録だけだしな』
『この本、上巻ということは下巻も書庫にあるのでしょうか!? もしかしたら、そこにヒントがあるかもしれません!』
『流石に上下巻揃ってたらセットで置いとくだろうからむしろ書庫には無い気もするが……まあ、下巻を手に入れれば好転はするかもな』
つまり、わたし達が完全に一つになってしまう前に下巻を手に入れないといけない。しかも、それだって本当に下巻がこの事態を動かせるかもわからないけれど。
『というか、この本はどういう代物なんだろうな? 別の人間の身体に魂を宿らせるとか……』
『どこかに何かの印はありませんの? ……これ!』
本の後ろには、とっても大変な印があった。王家が定める、禁書の印。これがついてる本は王家が許可した人間以外の閲覧を認められない。そしてわたしは先程、日記を熟読してしまった。
『……見なかったことにしましょう』
『賛成だ』
ユズキが来て以降に学んだことは、当然ユズキも知っている。印を見てユズキも察してくれて、本をそっと棚の目立たない場所に入れて書庫を後にした。
これでわたし達に起きている事象は解明された。解決はまだだけど、先に清算しなくてはいけない。自室のドアを閉めてすぐ、わたしはユズキに切り出した。
『あの、有耶無耶になってしまいましたけど、やっぱりユズキには償いをしないといけないと思うんです! なんでも言ってください、できる限り……』
『だからいらない……じゃ、納得しないか? それなら償いはもう気にしないってことで。良い加減落ち着け〜』
『ふふ、ユズキったら、順応が早すぎますわ』
『やっと笑ったな。ジュリは笑顔の方が良い』
右手がわたしの主導権を離れて頭を撫でた。ユズキはすっかり部分主導に慣れたらしい。あまりにも早すぎて、なんだかおかしくなってきてしまう。わたしが笑うとユズキは安心したように笑顔を褒める言葉をくれた。




