第2話
……それから長時間、荷馬車に転がされていた。独特の匂いと賑わう人々の声が、ここは港町だと教えてくれる。馬車はさらにもう少し動いて、最初と同じガタガタした揺れになってから止まった。すぐに馬車から出されて硬い……床? に叩きつけられる。木の葉が擦れる音と共に男声が降ってきた。
「明日、早朝には船で出る。それまではここに置いとくが、木の小屋だ。間違っても火の魔法で縄を燃やそうなんて思うなよ。まあ、その口じゃ無理だと思うがな」
誘拐犯はわたしの魔法を知っているらしい。冷たい忠告だけを残して、足音が遠ざかる。完全に音が消えて、わたしはようやっとユズキに呼びかけた。
『……ユズキ?』
『急に代わって悪かったな。震えて動けないままアイツをキレさせるよりいいと思ったんだが……』
『それを責める気はありませんわ。けど、どうやって脱出する気ですの?』
『ひとまず縄をどうにかしないとだな。足の方は風で切れるが……』
……自分だって怖いはずなのにユズキはわたしを助けてくれた。だったら、それに応えたい。せめて、自分にできることを。
『縄は魔法を使わなくても縄抜けで解けますわ。わたし、そういう技術も学んでますの』
『え、』
『ユズキが来る前のことですわ。ですから、縄はわたしに任せてください』
『なんか、貴族社会の闇を垣間見た気がする……』
ユズキが呆れた様子でボヤいた。わたしに伝わっていることにも気づいていないみたいだ。なんだか急に疲れているようだけれど、何故かはよくわからない。
『じゃあジュリ、縄の方は任せていいか?』
すぐに持ち直したらしいユズキが問いかけてくる。わたしが返事も惜しんですぐに入れ替わろうとしたら、慌てた様子でまた声をかけられた。
『待て待て、縄解いた後でここに連中が来たら誤魔化せないんだ。素早く動きたいから、先に作戦きめるぞ』
『……それもそうですわね。といっても、何か考えがありますの?』
『あー、それなんだけどさ。……森ごと燃やさないか? 相手を混乱させるには最適だと思うんだ。大火事ならきっと人も集まってくる』
『む、無理ですわよ!? そんな威力の魔法は使えません!!』
『わかってる。けど、ジュリが点けた火を俺の風が煽ったなら、どうだ?』
確かに、本当にここが木に覆われた森の中なら、風で煽られた炎は燃え広がるのかもしれない。でもそれは……。
『わたし達も火に囲まれてしまいますわ。それに、森がなくなってしまいますわよ?』
『……ジュリが嫌なら他の方法を考えるよ。元々、ジュリの力が前提の案だしな』
ユズキが何も言わずに提案を取り下げた。きっと合理的な提案だったのに。わたしが殿下の愛したこの国の一部を自分の手で燃やす決意ができないせいで。せっかくユズキが考えてくれたことを拒絶してしまった。
『ただ、どの道見つかったらジュリの筋力じゃアイツらには勝てない。だったら炎に巻かれる賭けに出る、ってのが俺の考えだったのだけは理解してくれ』
ユズキはわたしを責めないでいてくれる。だからこそ、考えなくてはいけない。ただ嫌がるのではなくて、代わりの案を。いつまでも困った時にユズキに頼るだけなんて駄目だ。
『……この小屋だけを燃やすことは、できませんか? 森の木々には燃え移らないように。小屋を燃やした煙だけで人を呼べれば……』
『風を渦巻状にして上方向にすればできないことはないが、犯人達にも脱走を知らせることになるな。周囲に燃え移らせないということは犯人達の視界を塞ぐこともできないし……』
やっぱりわたしが思いつく程度の案では駄目なのだろうか。それでも、わたしではこれしか思い付かない。
『隙だらけでも、これが一番多くを取れると思うんです。わたし達だけでは無理でも、火を見て人が駆けつけてくれるだけで選択肢は広がります。だから、やらせてください! わたしが自分で走ります、縄も抜けます。でも、ユズキの風がないと無理なんです』
『……危険だと判断したら自分の命を最優先すると約束してくれるなら』
『ありがとうございます! ユズキ!』
ユズキの協力を取り付けて、今度こそ身体の主導権をわたしに戻す。強い意志で身体を動かしたいと願うと、わたしの意識が前に押し出された。
最初は腕の縄抜け。それから手で目隠しを外して、口も自由にする。次に足の縄も解こう……としたのに、足の方が変な縛り方をされていて上手く外せない。
「足の縄だけ燃やしてしまおうかしら」
『やめとけ。周り見て見ろよ、巻きついてる縄が導火線として小屋の壁中に張り巡らされてる。足の縄だけどころか小屋ごと燃える。もちろん、森も』
『……犯人達はわたしを生かすことにこだわっていない、ということでしょうか?』
『ああ。できれば生かしたいけど絶対じゃない、という雰囲気は感じるな。生かしたいならこんな強引に逃げようとしたら死ぬような罠は仕掛けないだろ』
つまり、逃げ出したわたしを生かして捕える理由がないということ。もし、抵抗したら命だって落とすかもしれない。振り絞ったはずの勇気が、恐怖に変わって身体を震わせる。
『ジュリ、やっぱり俺が、』
『いいえ。わたしが無理を言って危険な作戦に変えました。だから、わたしが動きます』
『……縄は俺が風で切ってやるから代わってくれ。代替じゃなくて協力ならアリだろ?』
確かに、わたしでは縄を力任せに解くことも千切ることもできない。ここはユズキにお願いするしかない場面だ。
『お願いいたしますわ』
『わかった。じゃあ、最後に作戦の確認だ。これから、俺が足の縄を切ったら小屋と繋がってる方の縄を持って小屋の外へ。で、縄につけた火が小屋に着火したら俺の魔法で制御。そこからジュリが逃走でどうだ?』
『異論ありません』
『よし、じゃあ行くぞ』
その言葉を合図に、わたしの意識が一瞬だけ後ろに下げられた。ユズキが手早く縄を切ったのを確認して、再びわたしの主導権に戻す。そして自由になった足で、窓越しにドアの外を覗いてみると、酒瓶を抱えて眠っている黒装束が一人いるだけだった。
ひとまず、眠っている見張りの男を起こさないように窓の方から外に出る。足が地面を踏み締める感覚に、少しだけ感動した。
しかし外は予想した通り木々が生い茂る森で、制御もなしにわたしの魔法を使えばあっという間に火事になってしまうだろう。でも、ユズキの協力があれば……。
『行きますわ。……【フレア】』
右手に意識を集中させると赤い魔法陣が浮かび上がって、片手に火の玉が浮かび上がった。火は縄を辿って小屋に近付いて行く。もう後戻りはできない、嫌な汗が背筋を流れた。
『そろそろ代わるぞ』
入れ替わって、今度はユズキが魔法を行使する。緑色の魔法陣が浮かび上がって、土埃を巻き上げながら風が上方向に吹く。扉の前で見張りをしていた男が、風に弾かれて木に激突したのが見えた。
心臓がバクバクと鳴り響いた。まるで二人分の緊張を乗せているようだ。早くこの場から走り去りたくて、声もかけずにユズキから主導権を取り上げた。
地面を蹴ろうと片足に力を込めたところで、ユズキに静止される。
『待て! できるだけ接敵したくないって言ってるだろ! 無駄に走るんじゃなくて、冷静に動け!』
ユズキの声はスッと頭に入り込んで、思考がほんの少しだけクリアになった。がむしゃらに逃げちゃダメなんだ。生き残る最善の道を選ばないと。
『……落ち着きましたわ』
『よし、じゃあ行くぞ』
今度こそ冷静になって、森を見据えた。耳を澄ますと、少し離れたところから人が草木をかき分ける音がする。つい喉から悲鳴が漏れそうになって、ギリギリで飲み込んだ。思わず握り込んだ手のひらに、爪が突き刺さる。それでも留まる訳にはいかなくて、音とは別方向の茂みに飛び込んだ。
『街はどちらでしょうか?』
『……多分、北。消されかけた馬車の車輪跡が残ってた。奴らの方向に背を向けることになるが……』
『逃げるならば背を向ける必要はありますわ。罠の可能性もありますが、他に手掛かりはありませんもの。最悪、犯人とは関係ない人に会えさえすればわたし達の勝ちです』
少しでも勝算のある方へ走り出す。黒いドレスが枝に引っかかって嫌な音を立てた。わたしの大切なものが、引き裂かれていく。なぜこんな目に遭わなくてはいけないのか。視界がぼやけそうになって、何度も目元を拭いながら前に進んだ。
……ドレスの裾がギザギザになって、レースは破けた。首元のリボンも解けて、露出していた腕に赤が滲む。それでも街の明かりを求めて足を前に、
「あ? お前、さっきのお嬢様じゃねえか。なんでこんなとこにいるんだ?」
目の前に、お酒の匂いを纏った巨漢が立ち塞がった。街から戻ってきた、奴らの仲間だろうか……?
踏み出そうとしていた足が、反対に下がる。身体が震え出して、手を胸元に引き寄せた。
「答えろよ! お前が! いないと! 分け前が減るんだよ! なのに、なんで逃げ出してるんだ!?」
酔った勢いなのか、巨漢が大声で威圧してくる。声が静かな森に響いて他の仲間も集まってくるかもしれない。
そう思っているのに、身体は心に従う。恐怖に竦んだ体は動かせなくて、巨漢の腕が眼前に迫って、目をギュッと瞑った。
「うぐ!?」
……片手だけが、縮こまるのとは反対に動いた気がする。それから一瞬の呻き声と、静寂。
いつまでも腕がわたしに触れることはなくて、恐る恐る目を開けると、何かに吹き飛ばされたように気を失っている巨漢がいた。地面が、何かに抉られたように半月状に凹んでいる。
『今……いや、ひとまず逃げるぞ。騒ぎを聞きつけて仲間が集まってきたら詰みだ』
ユズキに促されて、疑問をひとまず飲み込んだ。今は問い詰めるよりも助かることだ。酒くさいということは、きっと街で飲んでいた。巨漢が来た方向が街に違いない。僅かな希望が見えてきて、走る速度を上げる。似たような風景が流れて、木の隙間に自然のものではない光が混ざり始めた。必死に光に向かって足を動かす。
森を抜けた先には、道中で聞こえた通りの賑やかな港町が広がっていた。ボロボロになったドレスを着ているわたしを、周囲の人々が奇異の目で見つめている。その中を、駐在しているであろう兵士を探して彷徨い歩く。やがて道の段差に躓いて転んでしまって、もう立ち上がる気力もなくなった。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」
漁師風の男がしゃがみこんで声をかけてきた。こんな見るからに訳ありの女に。もし男が奴らの仲間だったら。恐怖は、人を疑い深くして、人の親切を信じられない。
「なんか困ってることがあるならちゃんと言いなさいよ。おじちゃん、これでも地元の漁師どものまとめ役なんだから」
そう笑う姿に悪意を見ることができない。もう足も限界で、目の前の男に助けを求めた。
「……を、」
「嬢ちゃん?」
「兵士を呼んでください!」
大声で叫んだら、また涙が溢れてきた。漁師のおじさんはパッと立ち上がって周囲の人に声をかける。遠巻きに見ていた人が近づいてきて、毛布を掛けてくれる。遠くからは甲冑同士がぶつかる音が聞こえてきて、ようやく助かったのだと思った。
「何事ですか!?」
「助けてください! わたし、黒装束の暴漢に誘拐されました!」
「貴女は……公爵令嬢の! すぐに駐在所へ。応援を要請します!」
そして、意識が遠のいた。音が徐々に遠のいて、兵士の声を拾うことができない。でも、とても疲れてしまった。少し、眠ろう。
……ふと、意識が戻ると目の前には兵士が座っていた。寝ぼけた目をこすろうとしたが、身体を動かせない。今はユズキに主導権があるらしい。
「聞き取りは以上です。ご協力ありがとうございました」
「いいえ。絶対に主犯を見つけてください」
なるほど、わたしが眠っている間にユズキが事情聴取を受けてくれたのか。ユズキだって疲れているだろうに、悪いことをしてしまった。
『起きたか? 寝る前に一言言ってくれよ。ぶっ倒れるところだったぞ』
『ごめんなさい、なんか急に眠くて……』
『精神的なものもあるかもな。ひとまず森での怪我は女性兵士が手当てしてくれて、今は王都から大規模な捜索隊と公爵家の両親、それからセイランの奴も向かってるらしい』
『わかりましたわ。では、ユズキも休んでください。本当は貴方も怖かったこと、気付いているんですから』
『……じゃあ、お言葉に甘えて休むわ。話したいことがあるから、落ち着いたら時間作ってくれ』
『はい。では、おやすみなさい。ユズキ』
『おやすみ、ジュリ』




