第1話
夕方、張り切ったメイドが部屋に入ってきた。
「さあ、お嬢様! 今日は張り切っておめかし致しますよ!」
今夜、王城では舞踏会が開かれる。一年に一度、その年の主役に選ばれた王族のために開かれる城下の祭り、そして王侯貴族だけの舞踏会。正式な妃も公表されるという噂があった。
わたしは、実家の後ろ盾とユズキの知識……周囲の力で筆頭候補になった。いまだユズキには知識で勝てない。それでも勉強もマナーも頑張った。……本当に頑張った人間はこんなこと言わないかもしれない。
そして、メイドの手が止まった。覗き込んだ鏡の中に、綺麗な黒いドレスを身に纏った淑女がいた。これが自分だとは信じられない。
『……凄く綺麗だ』
ユズキが感嘆の声を上げた。
『しかし、ホントに黒のドレスで行くのか? 王子の髪や瞳の色とか、ジュリの色の方がいいんじゃ?』
『ユズキが自分の色は黒だと言ったのですわ。それに、特注で作ったドレスを変更なんて不可能です』
ユズキの色は黒。昔、本人が教えてくれた。だから、晴れ舞台とも言うべき場にわたしの中のユズキも表現したかった。
『それに、黒というのも目立って良いでしょう?』
『絶対、他の候補者たちに嫌味言われるだろ。やれ王子の色を纏わないだのなんのって』
『あら、ユズキも淑女の社会がわかってきましたのね』
『いいや、未だに女子たちのそういうとこはわからないな』
ユズキは嫌々答える。お互いの表情なんてわからないのに、不思議と声だけで感情を分かり合える。わたしの一番の理解者はユズキだし、ユズキもわたしをそうだと思ってくれていたら嬉しい。考えていることまでは共有されないから真相はわからないけれど……。
「お嬢様、既に御者が待っているそうですから、馬車に行きましょう」
メイドにそう言われて、我に帰る。時計に視線をやると、もう夕暮れと言っても差し支えない時間帯だ。少々会話に夢中になりすぎてしまったようで、すぐに部屋を出て馬車へと向かった。
そして馬車のステップに足をかけた時、ふと出会った日のことを思い出してユズキに声をかける。
『覚悟してくださいね、ユズキ。馬車は揺れますわよ』
『急に走られたりしなければ酔わないから大丈夫だ』
からかい混じりのわたしの言葉に、ユズキは拗ねたような声で返した。ユズキと他愛もない会話をしているうちに窓の外は庭園、牧場、樹下街と流れて、城門の前で音もなく馬車が止まる。
「やあ、ネフェルティーナ嬢。流石、時間通りの到着だね」
馬車を降りようとすると、金色の髪が満月の光を得て美しく輝いていた。殿下が馬車から降りるわたしの手を取ってエスコートしてくれる。しっかりと地面に足をつけて、向き直ってお辞儀をした。
「お褒めに預かり光栄ですわ。ですが、わたしは時間通りに参上しただけですもの。殿下にお褒めいただけることなどございません」
「そんなことはないさ。舞踏会のために早く来てくれただけで、とても嬉しいよ」
殿下がそう言って微笑んだ。それからすぐ、真剣な表情になってわたしを見据えてくる。重々しく、口が開かれた。
「ネフェルティーナ嬢、君は僕の伴侶になる気はあるかい?」
声が耳に届いた瞬間、胸が高鳴った。澄み切った青がこちらを真っ直ぐ見据えて、顔に熱が集まる。
これは、わたしを殿下の伴侶として正式に考えてくれているという事だろうか。それならわたしは……。
『ジュリ!』
ユズキの声で、意識が戻った。顔に集まった血が引いていく感覚がする。早く殿下に肯定の意思を伝えないといけない。
「ネフェルティーナ嬢? 僕は何か失礼なことを聞いてしまったのかな」
「……いいえ、大丈夫ですわ。ただ、少し取り乱しただけです」
内心で息を整えながら殿下に返事をすると、不思議そうに首を傾げられた。伝えることはもう決まっているのに、緊張で喉から声を出すことができない。
『ジュリ、本当に大丈夫か?』
『……はい。急な事で少し驚いただけですわ』
『なら良いけど』
それを最後にユズキは静かになった。後はわたし次第。ずっと抱えてきた想いを、殿下に伝えたい。とても緊張するけど、でも、知ってほしい。
「……殿下、わたしは」
「セイラン殿下、エルフェリア伯爵令嬢が到着されるそうです」
自分の想いを告げようとしたとき、王室の侍女長が割って入った。
「すまない、ネフェルティーナ嬢! 今日は全ての候補者に挨拶をしたいんだ、返事は次の機会に頼むよ」
そう言い残して、殿下は走り去ってしまった。王室侍女長も舞踏会の会場に向かうよう、わたしに伝えて立ち去ってしまう。なんだか呆気にとられてしまって、すぐに動き出せなかった。
『あー、ジュリ? 大丈夫か?』
ユズキの声を聴いていたら目から何かが溢れそうで、メイドが整えてくれた顔を崩さないように上を向いた。近くに誰もいないと思ったら我慢できなくて、声に出してユズキに問う。
「ユズキ、殿下は何が聞きたかったのかしら? わたしの思いは、聞かずに走り去ってしまうほどどうでもいいものなのかしら?」
『……そんなことないだろ。きっと、今頃後悔してる』
「そうよね、そうに決まっていますわ!」
しどろもどろに慰めてくれるユズキが優しくて、今だけはそれに縋りたかった。しゃがみこんでドレスを汚すことはできないし、目を拭うこともできない。ただ、目から何も零れ落ちないように、夜空を見上げながらユズキと会話をして、少し落ち着いてから会場に向かった。
「ジュリエッタ・ネフェルティーナ公爵令嬢の入場です!」
大広間と廊下を隔てる扉の前で、声高らかに名前を呼ばれる。それから兵士たちが扉を開いて、シャンデリアの煌びやかな光が目を焼いた。
王弟殿下の推薦で候補に挙がった伯爵令嬢が、扇子で口元を隠しながら近づいてくる。その口から紡がれるのは誉め言葉なのに、瞳は明確な嘲笑を隠しきれていない。
「あら、ジュリエッタ様は黒いお召し物なのですね。金よりも青よりも、黒色がお似合いですわ」
殿下の色よりも関係ない色のほうが似合っている、と彼女は言いたいのだろう。ユズキが心配した通り、殿下のものでも自分のものでもない色を纏ったわたしは格好の的になっている。けれど、わたしだって泣き寝入りはしない。
「あなた様も、お顔と同じように布のしっかりしたドレスがとてもお似合いですわ」
要約するとドレスの布に負けないほど面の皮が分厚い、ということになる。意味は正しく伝わったようで、目の前の彼女は、こめかみに青筋を浮かべてほほ笑みながら扇子を握りしめている。
『やっぱり絡まれてるじゃないか。だから黒なんかにしなきゃよかったのに』
『そう簡単に口では負けませんわ。それに、悪いことはしていませんから堂々と背筋を伸ばしていれば良いのです』
『……そういうとこはすごいと思うよ、ホント』
本気で尊敬された。いつも凄いユズキにこう言われると、わたしも少しだけ成長したような気分になる。
結局令嬢は立ち去ってしまって、冷たい飲み物をいただいて落ち着いていると、王族の皆様が入場した。その中には当然殿下もいて、ほんの少しだけ目を逸らしたくなった。そんなわたしの心情を知らない殿下は、堂々と貴族たちの注目を集めて話し始める。
「みんな、僕の誕生祭に集まってくれてありがとう。僕、セイラン・ヴィルフォードは十八になった。正式な王太子妃を今日発表すると聞いている者も多いだろう。しかし、僕は伴侶となるレディたちと話し合って最後の決定をしたい。そのため、明日から順に全ての候補者と一日ずつの時間を取り意思を確認した上で最終決定とする。以上だ」
殿下が礼をすると、周囲の人が歓声を上げた。人格者な殿下らしい、素晴らしい提案だと思う。候補者全員との時間を作ってくれるという事はわたしとも一日過ごしてくれるのだからとても嬉しい。嬉しいはずなのに、純粋に喜べなかった。
舞踏会を楽しむという気分にもなれなくて、実家と関係の深い貴族の皆様にだけご挨拶をして、一足先にお暇することにした。当然、他の候補者に陰口を言われる行為なのだけど、不思議と怖くない。けれど、わたしの中の一人はわたし以上の心配性だ。
『ジュリ、本当に大丈夫か? お前がセイランのいる舞踏会を途中退席なんて相当だぞ? 王宮の護衛を追加で借りた方が良かったんじゃ……』
『身勝手な退席で王宮の騎士様を振り回すわけには行きませんわ。それに、護身術は学んでいます』
『そういう実践を伴わない技術は緊急時に役立たないと相場が決まってるんだけどな……』
ユズキは、心からわたしだけを心配してくれているのが伝わる。わたしが舞踏会を早めにお暇させていただいた理由も見当がついているのだろう、特に深掘りされなかった。
……突然、馬車が止まった。目的地に着いたのかと顔を上げると、御者や公爵家の兵たちの声が短く聞こえて、無遠慮に扉を開けられた。
「我々と来ていただきますよ、お嬢様」
黒装束に身を包んだ男。口元まで完璧に布で覆われていて、唯一露出している目が鋭くこちらを睨んでいる。少しでも離れたいのに狭い馬車の中ではすぐ壁にぶつかってしまう。
『落ち着け、ひとまず男の言う通りに。どこかに連れて行くってことなら、今すぐ危害を加えられるわけじゃない、逃げ出す機会を伺うんだ』
こんな状況でも冷静なユズキの声が聞こえる。でも、怖くて身体を動かせない。
『……代わるぞ』
直後、身体がわたしの主導権を離れた。今、ユズキがわたしの代わりに動いてくれている。わたしでは震えさせることしかできなかった身体は、すんなりと立ち上がった。
「身体には触れないでくれ」
その言葉はいつも通りの響きなのに、手は確かに震えている。……当たり前だった。ユズキだって、怖いんだ。
男が、何も言わずにわたしの腕を引いた。半分引きずられるようにユズキが足を動かす。
森の真ん中に辿り着くと、荷馬車に放り込まれて視界を塞がれた。口にも布のようなものを含まされて、吐き出せないように上から縛られる。手首と足も縛られて完全に動けなくなると、荷馬車がガタガタと揺れ始めた。周囲を男と仲間たちに囲まれているのか、たくさんの気配がある。しばらくすると、森を抜けたようで揺れがマシになった。馬車が通れる大きな道を使うほど遠くに運ばれるのだろうか。




