第3話 ミストダンジョン①
まだ東の空が白む前。
夜の青さが残るアルテナでは、通りを照らす油灯が、淡い光を石畳に落としていた。
大通りを歩く者は少なく、遠くから聞こえる荷車の軋みと、朝の仕込みを始めたパン屋から漂う薪の匂いが、近づきつつある一日の始まりを告げている。
ギルドの広いホールには、暖炉で薪のはぜる音と、煮出した茶のほのかな香りだけが漂っている。
ガラムは受付脇の帳場でランプの芯を調整し、昨夜作成した通達の控えに目を通していた。
東門の詰所。北東街道の見回り。町にある各冒険者ギルド。
それぞれの確認印が押された紙が、机の上に順に並べられている。
昨夜のうちに琥珀の森へ続く街道は封鎖され、森周辺の採取依頼も停止されていた。
現在は街道警備兵が仮設の詰め所を設け、夜を通して周辺の警戒に当たっている。
その近くでは、フレアが緊急用の備品を確認していた。
「こっちは終わったよ。次は外の警戒札を見てくればいい?」
「頼む。夜の間に異常がなければ、日の出と同時に札を掛け替える」
「りょーかい」
フレアは最後の小箱を棚に収め、外の様子を確かめようと大扉に向かった。
その時だった。
ドン、と大きな音がホールに響いた。続けて扉が二度、激しく叩かれる。
フレアとガラムが同時に振り返った。
フレアが駆け寄って扉を開けると、冷たい朝の空気とともに、街道警備隊の伝令が転がり込むように入ってきた。
外套の裾には泥が跳ね、額には寒さとは異なる汗が浮かんでいる。
息は大きく乱れ、赤くなった指先が扉の縁を強く掴んでいた。
「ガラム殿! 北東街道の仮設詰め所より、至急の応援要請です!」
ガラムは椅子から立ち上がった。
「状況を聞かせてくれ」
「夜明け前から、現場周辺の霧濃度が急激に上昇しています。警戒に当たっていた者の間で、寒気や虚脱、平衡感覚の喪失が相次いでおります」
伝令は乱れた呼吸を整えながら、言葉を続けた。
「すでに立てなくなった者も出ています。また、警戒線を張り直している最中に、小型のヴェノムが三度出現しました」
「負傷者は」
「五名です。うち二名は冒険者ギルドから派遣された魔装術士ですが、霧の影響を強く受け、戦線を離脱しました」
ガラムの眉間に深い皺が刻まれた。
「出てきたか。思っていたより早いな」
「町の詰所にも増援を要請しております。しかし、霧の濃度が上がり続けており、現場では警戒線を維持するだけで精一杯です。暁の翼からも、至急人手を出していただきたいと」
「分かった。すぐに動ける者を集める」
話を聞いていたフレアが、一歩前に出た。
「アタシが行くよ!」
「待て」
ガラムは即座に手を上げた。
「昨日も言ったが、術士が足らん。今のまま行っても、ヴェノムが現れた場合の対処が厳しいだろう。負傷者を増やすだけだ」
ガラムは机上に並べられた冒険者の予定表に視線を落とした。
「魔装を扱える術士には、昨夜のうちに帰還要請を出している。だが、近隣の依頼に向かっている者でも、戻るのは早くて昼頃だ」
「それまで現場が保つの?」
「保たせるしかない。無理に討伐に出ず、まずは負傷者を下がらせる。動ける前衛と治療道具を先に送るぞ」
ガラムは新しい紙を引き寄せ、派遣可能な冒険者の名を書き出そうとした。
その時、開いたままの扉から、ほのかな薬草の香りが流れ込んできた。
フレアが顔を上げる。
扉の前には、両腕で木箱を抱えたキサラが立っていた。
箱に収められていたのは、自宅で一晩かけて調合したポーションだった。
いつもどおり、受付開始前に納品するため持ってきたのだ。
ホールの張り詰めた空気に、キサラは足を止める。
その姿を認めたフレアは、表情を輝かせた。
「キサラ! ナイスタイミングぅ!」
「……あ、帰ります」
「待って待って待って!」
何やら良からぬ空気を察して、急いで踵を返して扉の方へ戻るキサラを、フレアが慌てて捕まえた。
「離しなさいよ。私はポーションを納品しに来ただけだから」
「緊急事態なの! 大変なの〜!」
フレアは伝令から聞いた内容を、息継ぎも惜しんで説明した。
説明を聞くにつれ、キサラの表情から呆れが消えていった。
「それで、今すぐ動けて、魔装を扱える術士がいないのね」
「そうなの! それで、特別にキサラにお手伝いしてもらうっていうのは」
フレアは両手を胸の前で合わせ、上目遣いにキサラを見る。
「待て。それは、お前が決めることじゃない」
ガラムの低い声が飛んできた。
「でも、キサラなら魔装を使えるし、ポーションもあるよ!」
「だからといって、ギルドに登録していない人間を危険な現場に向かわせるわけにはいかん」
「もちろん、分かってるよ。後方支援と負傷者の救護だよ! そして万が一のための魔装だよ!」
フレアはそう言いながら、もう一度キサラに視線を向けた。
キサラは木箱を抱えたまま、深い息を吐いた。
ガラムは眉間を押さえ、短い沈黙のあとでキサラに向き直る。
「キサラ。まずは、こちらの都合で巻き込むことになってすまない」
「まだ引き受けるとは言ってないけど」
「分かっている」
ガラムは真剣な表情で続けた。
「ギルドから正式な緊急依頼として、協力を頼みたい。現地では負傷者の応急処置と、必要になった場合の魔装支援をお願いしたい。戦闘はフレアと現場の警備兵が担当する。君は後方から、魔装と救護に専念してくれ」
ガラムは机の上に、一枚の依頼書を置いた。
「当然、危険手当を含めた報酬を支払う。君は冒険者として登録していない。だからこそ、拒否しても何の問題もない。引き受けた場合の責任は、依頼を出す俺と暁の翼が負う」
キサラはガラムの言葉を聞き、しばらく黙っていた。
やがて深いため息をついて、抱えていた木箱を受付脇の机に置く。
「……分かったわ」
「キサラ!」
「仕方がないから手伝うだけよ。近くにヴェノムが出るなら、私の家だって危ないわけだし。ただし、本当に後方支援だけだからね」
「すまない」
ガラムが頭を下げる。
「よし! アタシとキサラなら問題ないね!」
その横で、フレアは気合を入れるように拳を掲げた。
「あまり調子に乗らないでよね」
「あまり調子に乗るなよ」
二人の声が、ほとんど同時に重なった。
「もぉー! 二人して〜! 同じこと言わなくてもいいじゃん!」
静かだった早朝のホールに、フレアの声が響き渡る。
その直後、大扉の向こうから重い足音が近づいてきた。
「おいおい、朝から何の騒ぎだ! フレア、お前の声が外まで聞こえてんぞ!」
アーダンが朝の冷気を背負い、大股でホールに入ってきた。
その後ろから、長衣のローブをまとったマーティンが、古びた杖を手に続く。
「この時間から随分と賑やかだな」
二人は伝令の姿と、机に置かれたポーションの木箱を見て、すぐに表情を引き締めた。
「事態が動いた。手短に説明する」
ガラムは、街道警備隊から届いた報告を簡潔に伝えた。
「——というわけだ。俺はこれから、町に残っている冒険者に緊急招集をかける」
ガラムは机上の予定表を二人に向けた。
「アーダンは前衛と搬送要員を集めてくれ。マーティンは術士の選定と、対霧装備の準備を頼む」
「おう、任せとけ!」
「承知した。人数が揃い次第、ワシらも現場に向かう」
マーティンは予定表を受け取り、現在アルテナに残っている術士の名に視線を走らせた。
「それまで、フレアとキサラには救護物資を先に届けてもらう」
ガラムは二人に向き直った。
「現地では負傷者の救護と、警戒線の維持を手伝え。勝手に森の奥へ入るな。ヴェノムと接触しても、深追いはするな」
「分かった」
「キサラには、負傷者の状態を確認して、ポーションの使用を指示してもらいたい」
「ええ。分かったわ」
「魔装は、警戒線を守るために必要な場合だけ頼む。正式な調査と討伐は、こちらで部隊を整えてから行う」
フレアはすでに、携帯用の包帯や塗り薬、ロープなどを自分の鞄に収め終えていた。
「なるべく早くね!」
「ああ」
フレアが装備を取りに向かおうとしたところで、マーティンが声を掛けた。
「フレア、少し待て」
マーティンは袖口から、小さな革の笛を取り出した。
それから窓を開け、笛に短く息を吹き込む。
人の耳には辛うじて聞こえるほどの、高く澄んだ音が、夜明け前の空気を震わせた。
しばらくして、灰色の小鳥が開いた窓から飛び込んでくる。
小鳥はホールを一度だけ旋回し、迷うことなくマーティンの肩に降り立った。
マーティンは、自然魔術を扱うドルイドだった。
草木や動物に魔力を通じて意思を伝え、その働きを借りる。
それは炎や雷を生み出す一般的な魔法とは異なる、自然の営みに寄り添う術だった。
「使い鳥?」
「ああ。こいつを連れていけ」
マーティンが指を差し出すと、小鳥はその上に移った。
「足に伝言を結びつけて飛ばせば、ワシのところに戻ってくる。現場の状況が変わった時や、追加の人手が必要になった時に使うといい」
「分かった。ありがとう、マーティンじいちゃん!」
フレアが両手を差し出すと、灰色の小鳥が軽く翼を広げ、その腕に飛び移った。
アーダンが大きな手で、フレアの肩を叩く。
「危なくなったら……いや、危なくなる前にいつでも応援要請しろよ!? その場合はすぐにでも駆けつけるからな! なぁにまだまだ若ぇもんには負けねぇからよ! なぁ? マーティンのジジイ!」
「お前も十分ジジイだろう」
マーティンは呆れたように言った。
「だが、その脳筋の言う通りだ。状況に変化があったら、すぐにでも知らせるんだぞ」
「分かったよ。任せて!」
フレアは腰の双剣を確かめた。
「行ってくるね」
「ああ。無茶はするな」
ガラムは短く、それでも強く言った。
* * *
暁の翼の前には、緊急依頼用の馬車が横付けされていた。
空はようやく薄い群青から灰色に変わり始めている。
屋根や車輪に付いた朝露が、通りの油灯を受けて細かく光った。
フレアとキサラは、納品されたばかりのポーションを木箱ごと荷台に積み込んだ。
他にも、包帯や消毒薬、十二星神教の護符や簡易担架が積まれている。
負傷者の搬送を想定し、毛布と水も多めに用意されていた。
キサラは木箱の蓋を開け、瓶の間に緩衝用の布が詰められていることを確かめた。
「こっちは積み込み終わったわ」
「行こっか、出して!」
フレアが荷台から合図を送ると、御者が手綱を鳴らした。
馬車は早朝の石畳を走り始め、まだ眠りの残るアルテナの通りを抜けていった。
* * *
北東街道沿いの仮設詰め所には、冷たい空気と張り詰めた緊張が満ちていた。
街道を遮るように標縄が張られ、通行制限を知らせる札が朝風に揺れている。
その奥では、槍を携えた兵士たちが霧の流れる森を睨みながら、交代で警戒に当たっていた。
馬車から降りた瞬間、フレアは鼻先を押さえた。
赤い瞳には、地面を這う霧の奥を流れる魔力が、細い線となって見えていた。
「昨日より、かなり濃くなってる」
「分かるの?」
「うん。あっちに向かって、霧の流れが集まってる」
フレアが標縄の向こうを指した。キサラも目を凝らしたが、薄暗い森と、その根元を漂う黒ずんだ霧しか見えない。
「まず負傷者を診るわ。フレアは状況を聞いて」
「了解!」
二人は役割を分け、仮設詰め所に駆け込んだ。
中では、複数の兵士が毛布に包まれていた。
腕や脇腹に包帯を巻かれた者。壁にもたれ、浅い呼吸を繰り返している者。
目を閉じたまま肩を震わせている者もいる。
床に置かれた火鉢では炭が赤く燃えていたが、それでも彼らの震えは止まっていなかった。
キサラは木箱を開き、近くにいた兵士に指示を出す。
「怪我をしている人と、霧の影響だけが出ている人を分けて。意識がはっきりしない人を優先するわ」
「分かった」
キサラは最初の負傷者の前に膝をつき、瞼を持ち上げて瞳孔を確認した。
「私の指が何本に見える?」
「……二本」
「吐き気は?」
「少し……それと、地面が揺れてるような……」
「寒気と平衡感覚の乱れ。霧の呪いに当てられた時の初期症状ね」
キサラは別の兵士に顔を向けた。
「この人を、霧の薄い場所に移して。身体を冷やさないようにして、少しずつ水を飲ませて」
「ポーションは使わないのか?」
「ポーションで治療できるのは、傷や肉体の消耗よ。霧の呪いによる影響を完全に取り除くことはできないわ」
キサラは負傷者の肩口に視線を落とした。
「先に傷を処置する。霧の影響については、町の礼拝堂に運んで、祈念士に診せて」
フレアも別の負傷者の横に膝をついた。
肩から腕にかけて、鋭い爪で裂かれた傷が走っている。
「少し染みるよ」
傷口の汚れを洗い、清潔な布を当てる。
兵士が歯を食いしばる中、フレアは手早く包帯を巻きつけた。
「はい、深呼吸。ゆっくり——そうそう。……よし」
包帯を固定し、腕に余計な力が掛からない位置に整える。
「これで大丈夫。ただ、町に戻ったら治療院でもう一度診てもらってね」
負傷者の応急処置が一段落したところで、街道警備隊の小隊長がフレアたちを呼んだ。
詰め所の机には、琥珀の森と周辺の街道を描いた地図が広げられている。
小隊長は赤い線で引かれた警戒区域の奥を指した。
「現在の警戒線はここだ。夜明け前、さらに奥で霧が急激に集まり始めた」
「霧の流れも、そこに集中してる」
フレアが地図から顔を上げ、標縄の向こうを見た。
「ミストダンジョンができた?」
小隊長は重く頷いた。
「つい先ほど、縦長の楕円をした霧の入口が形成された。間違いない」
フレアの表情が引き締まった。
ミストダンジョン。
各地に突如として出現する、霧の魔力が生み出す異常な迷宮領域。
その内部には、現実とは異なる地形が、その都度不規則に広がっている。
フレア自身も、これまでに何度かミストダンジョンを攻略していた。
深い森を抜けた先に、土地も時代も異なる遺跡が現れたこともある。
雪原の次に灼けた荒野が広がり、すでに滅びた町が、かつての姿のまま霧の中に浮かんでいたこともあった。
同じ景色、同じ構造の場所に入ったことは一度もない。
霧が記憶した土地や時代の風景を、脈絡なく縫い合わせている。
そう考える研究者もいる。
ただし、たとえ幻のような景色であっても、そこに現れる魔物も、床に転がる宝箱も、手触りは紛れもなく本物だった。
中には貴重な素材や、現在では作ることのできない品が眠っていることもある。
一方で、ヴェノムは生者を疎み、命を喰らう。
ならばその報酬は、人を誘い込むための甘い罠であり、ミストダンジョンとは、命を喰らうために霧が仕掛けた餌場なのではないか。
そう分析する者もいた。
それでも、報酬を求めて攻略に挑む冒険者は少なくない。
冒険者の多いグランベルク王国では、それで生計を立てる者もいる。
「周辺でヴェノムが確認されたって」
「ああ。確認できただけで三度だ。すべて小型だったが、こちらは霧の影響で満足に動けない」
小隊長は詰め所の中に視線を向けた。
「魔装を扱える二人も離脱した。今は警戒線を保ち、出てきた個体を押し返すだけで精一杯だ」
兵士たちの首元には、教会から配布された霧除けの護符が下げられていた。
本来は淡い青色の刻印が、今では黒ずんでいる。想定を超える濃度の霧に長時間晒され、護符の力が急速に失われているのだ。
キサラが一つを手に取り、刻印の表面を確かめた。
「もうほとんど効果が残ってないわね。予備と交換した方がいい」
持参した木箱から新しい護符を取り出し、小隊長に渡す。
「ただし、これも長くは持たない。ヴェノムとの接触を避けて、霧の濃い場所には近づかないで」
「分かった。助かる」
その時だった。標縄の向こうから、慌ただしい足音が近づいてくる。
「負傷者だ! 道を空けろ!」
詰め所の入口から、二人の兵士が駆け込んできた。
そのうち一人は、肩口から血を流した仲間を支えている。
担ぎ込まれた兵士の足は力なく地面を引きずり、顔からは血の気が失われていた。
キサラがすぐさま駆け寄る。
「ここに寝かせて!」
兵士たちは空いていた毛布の上に負傷者を横たえた。
キサラが傷を確認する横で、仲間を運んできた兵士が息を切らしながら声を上げる。
「ヴェノムが、警戒線の外側に突然現れて……!」
「ほかに負傷者は?」
フレアが問いかける。
「一人、動けない者が残っている」
詰め所の空気が凍りついた。
「救助に戻ろうとしたんだ。だが、突然あの霧の入口が大きく広がって……その中へ、ヴェノムごと引きずり込まれた」
「ミストダンジョンの中に?」
「ああ……!」
フレアは地図に視線を落とした。
入口が形成された地点までは、仮設詰め所から十五分ほど。
取り込まれた兵士が負傷しているなら、残された時間は長くない。
「その兵士が取り込まれてから、どれくらい?」
「まだ五分も経っていない」
「入口は残ってる?」
「残っている。だが、近づくほど霧が濃い。護符もすぐ黒ずみ始める」
フレアは腕に灰色の小鳥を乗せた。小さな紙に素早く伝言を書きつける。
緊急。ミストダンジョンに引きずり込まれた者の救出に向かう。
入口付近の霧の様子と、救護に必要な補充品をギルドへ。
紙を小鳥の足に結びつけ、指先で羽を軽く撫でる。
「お願い。マーティンじいちゃんに届けて」
フレアが腕を持ち上げると、灰色の小鳥は短く鳴き、翼を広げて夜明けの空へ飛び立った。
「救助に向かう」
フレアは腰の双剣に手をかけた。
「待て。君たちが受けた依頼は、救護物資の輸送と警戒線の支援だったはずだ。内部の救助まで任せるわけにはいかん」
「分かってる。でも、増援を待ってたら、あの人は助からないかもしれない」
「だからといって、二人だけで入らせるわけには——」
「今この場で魔装を扱えて、救出に向かえるのは私たちだけ」
キサラが静かに口を挟んだ。
「早くしないと間に合わなくなるかもしれない。そう言いたいんでしょ?」
キサラは新しい霧除けの護符を二つ取り出し、その一つをフレアに差し出した。
「さっすが相棒! 分かってるぅ!」
「誰が相棒よ」
キサラは呆れたように息を吐いた。
「でも、このまま見捨てるのも目覚めが悪いわ」
フレアは改めて、ギルドプレートを小隊長の前に出した。
ブロンズで一人前と言われる冒険者の世界で、その一つ上にあたる銀の色は、簡単に手に入るものではない。
「アタシのランクはシルバー。ミストダンジョンの攻略経験もある。ただ、今回は救助して即撤退する」
「しかし……」
小隊長が難色を示す横で、キサラは杖を携えた。
「どうせ言ったって聞かないわよ、そいつ」
そして改めて、フレアに向き直る。
「でも制限時間は十分間。それ以上は私たちの護符も持たない。いいわね?」
「おっけー、無理はしないよ」
「既にしてるのよ」
フレアは受け取った護符を首に掛けた。
淡い青色の刻印が、一度だけ明るく光る。
小隊長はなおも迷っていたが、やがて奥歯を噛み締めるようにして頷いた。
「……すまないが、頼む。増援が到着次第、向かわせる」
フレアは小さく笑った。
「分かった。負傷者をお願いね」
二人は装備を整え、仮設詰め所の外に出た。
夜明けを迎えたばかりの街道には、まだ薄い霧が残っている。
標縄のこちらで、兵たちが通り道を開ける。
霧は、夜明けの光の中でゆっくりと呼吸しているようだった。
「フレア、無茶はするなよ」
父の声が、背中から聞こえた気がした。
「任せて。——必ず助けて帰るから」
フレアとキサラは並んで歩き出す。
やがて見えてきた楕円の門は、薄い鼓動のように収縮を繰り返し、その向こうに別の色の朝を湛えていた。




