第14話 祈りの行方
夜気は冷たいのに、焦げた匂いがまだ消えない。
前庭の土は何度も抉られ、踏み固められ、湿った粉塵が靴裏にまとわりつく。霧の甘く腐った臭いが、喉の奥でざらついた。
フレアは双剣を構えたまま、すでに事切れたルルナを視界の端に置いた。
外套に包まれた小さな身体。血は黒ずみ、肌は冷えたまま動かない。
胸が締めつけられるのに、目は離せなかった。
その前に、異形がいた。
黒い霧に包まれ、悪魔のような姿へと変貌したカーゼル。赤く光る目だけが、闇の中で点り続けている。
その前には首無しの剣士が三体、影のように立っていた。
フレアの背後で、杖の柄が鳴った。
キサラが息を整えながら立ち位置を詰め、フレアの肩越しに敵全体を見据えている。頬に土がつき、前髪が乱れていた。
フレアは一瞬だけ首無し剣士の胴から伸びる赤い線へ意識を向けた。線はカーゼルへ繋がり、さらに教会の崩れた床の裂け目――地下へと延びている。
フレアは低く言った。
「キサラ、教会の地下に……敵の魔力の供給元があるの」
「地下?」
「そう、カーゼルは古代遺物だって言ってた」
「古代遺物……!? 本当にそんなものが……」
「恐らく、その魔力の供給を断たないと、アイツらは倒せない」
キサラの目が一瞬、教会の地下に続く、崩れた穴の方に向く。
「……問題はどうやって、そこまでたどり着くか……ね」
フレアは無言で頷いた。
キサラは息を吐き、杖を握り直した。
「分かったわ。魔装、合わせるわよ」
次の瞬間、首無し剣士が同時に動いた。足音は軽いのに、近づく圧が重い。正面で剣を構えるフレアに、左右から鋭い斬撃が迫る。
そしてその背後でカーゼルは禍々しく肥大化した腕に魔力を込め始める。
フレアは踏ん張り、まず右の剣を受けに出した。
刃ではなく腹を合わせ、削るように滑らせる。
力の線を横へ逃がし、首無し剣士の重心を崩す。
背後で魔力を込めていたカーゼルは、重心を崩された首無し剣士に視界を遮られ、キサラを狙い撃ちできずにいる。
フレアの背後で、別の魔力の線がピンと張る。
キサラの声が重なった。
「フレア! いくわよ、合わせて! 魔装・雷光!」
青白い光が双剣に絡みついた。刃の縁に細い雷が走る。
皮膚が粟立つ冷たさと、芯を刺す熱が同時に来た。
フレアは一気に踏み込んだ。
受け流しの勢いを残したまま、首無し剣士の胴を覆う霧の防御膜へ十字に斬撃を叩き込む。雷が弾け、膜が一瞬だけ薄く揺らいだ。
「はああっ!」
揺らいだ瞬間へ蹴りを入れた。
胴の重心がずれ、足がもつれる。そのまま二撃目の斬撃を胸へ――今度は膜の内側へ届いた。
魔力を受け取っていた“赤い線”の根元を断つ。
首無し剣士の身体が、崩れるように歪む。
霧が裂け、影がほどけ、形が戻らないまま黒い粒となって落ちた。
地面に触れた瞬間、しゅう、と音もなく霧散する。
フレアは目を見開いた。
(……やっぱり戻らない。魔力の供給さえ断てば……!)
もう一体が斜めに斬り込んでくる。フレアは受け流し、脇へ回して斬りつけた。
魔装の光は消えかけていたが、雷光の残りが膜を焼き、表面がざらつく。
完全には割れない。けれど、首無し剣士の動きが鈍り、足運びが一拍遅れた。
「……よし、効いてる!」
フレアは距離を取りながら叫ぶ。
「やっぱりヴェノムと同じように魔装で崩せる! でも……!」
言い切る前に、背後で空気が裂けた。
カーゼルが魔力弾を放ったのだ。
赤い光がいくつも連なって浮かび、弾丸のように飛ぶ。
フレアは反射で横に転がった。爆ぜる音とともに土が抉れ、砂礫が頬を打つ。
痛みが走る――だが、前に受けたものより、圧が弱い。焦げる匂いは同じなのに、爆風の重さが足りない。
フレアは起き上がり、カーゼルを見た。
赤い目は変わらない。けれど弾の軌道が甘い。
狙いが散り、空に抜けるものが混じる。
首無し剣士も、さっきより動きが粗い。剣筋がぶれている。
(もしかして魔力の供給が……追いついてない?)
フレアは赤い線を見た。脈動が一瞬乱れ、細くなる。
カーゼルが腕を振り上げ、地面に渦を描こうとする。
だが、渦はすぐに膨らまない。霧が集まるのに一拍の間があった。
「……そうか。魔力が供給されていても、制御が追いついていないんだ」
フレアは小さく言った。
キサラが眉を寄せた。
「なるほど……連続では召喚できないってことね」
「たぶん。続けて生み出せるわけじゃない。次の召喚まで、少し時間がかかってる……!」
カーゼルの背後で、赤い脈動が強くなった。
二体へ減った首無し剣士を補うように、新たな影が地面から立ち上がり始める。
だがその瞬間、カーゼルの身体がわずかによろめいた。
翼の角度が乱れ、首無し剣士二体の動きが同時に鈍る。
フレアは確信した。
(三体でも制御しきれてない。数を増やすほど、カーゼル自身の動きまで鈍ってる……!)
敵は無尽蔵ではない。
しかし、こちらも魔装は乱発できない。
無駄撃ちはできない。
残る力を注ぎ込む瞬間を、見誤るわけにはいかなかった。
フレアは崩れた床の裂け目へ視線を走らせた。
地下へ落ちたあの入口。そこへ辿り着かなければ、供給は断てない。
「キサラ、入口まで寄せる! 援護をお願い!」
「えぇ、わかったわ……!」
キサラの声に疲労が混じっている。杖を握る指が白い。
首無し剣士が三方向から迫る。
フレアは軸断ちの感覚で、剣の腹を合わせて流した。
相手の力を横へ逃がし、重心をずらす。
倒すのではなく、押し返す。
押し返すたびに、自分の足を半歩、裂け目の方へ寄せる。
カーゼルの魔力弾が再び飛ぶ。
さっきほどの圧はない。狙いも甘い。
だが当たれば終わる熱はある。
フレアは砂礫を蹴り、身体を捻り、刃で弾を逸らした。
指先が痺れる。右肩の傷が疼く。
(あと一手……入口前で、道を開く)
首無し剣士が同時に踏み込んだ。
フレアの左右へ刃が走る。
ここで受けると位置が戻る。戻れば地下へ行けない。
フレアは叫んだ。
「キサラ、もう一回! 短くでいい!」
キサラの顔が歪んだ。ためらいの一瞬が、目に見えた。
だが次の瞬間、杖が上がる。
「……分かったわ! 合わせて!」
二回目の魔装の光が走った。
前より薄い。だが十分だ。
フレアは雷光の乗った斬撃で首無し剣士の霧の防御膜を割り、胴を深く裂いた。黒い霧が噴き、影が崩れる。
裂けた胴は元へ戻らなかった。
首無し剣士は輪郭を失い、黒い霧となってほどけていった。
同時に、フレアはカーゼルへ踏み込んだ。
裂け目の縁を越えるには、カーゼルの射線を一瞬でも外す必要がある。
カーゼルはとっさに指先から魔力弾を発射する。
だが一拍遅れる。
フレアは体を斜めにそらしつつ、体に回転を加えて飛び込む。
魔力弾が頬をかすめ、鋭い痛みが走る。
飛び込んだ態勢のまま、双剣を交差させ、雷光の残りを刃先に集めるようにして振り抜いた。
剣先がカーゼルの肩口から翼の縁をかすめ、赤い脈動が乱れた。
首無し剣士の動きが鈍り、カーゼルがよろめきながら、わずかに身を引いた。
「グッ……!」
「今だ!」
フレアが向かう方向を変え、裂け目の縁へ飛び込む。
キサラもすぐ後ろに続く。足元が崩れ、冷たい空気が喉へ落ちた。
落下の瞬間、土と瓦礫が肩に当たり、息が詰まる。
暗い通路。湿った石の匂い。古代遺物の安置された小部屋へ伸びる細い道。
この奥に、すべての魔力を止める鍵がある。
それと同時に、この先の小部屋は行き止まりになっている。
しくじれば後が無い。
背後から、金属が石を擦るような音が響く。
首無し剣士が追って降りてきた。
「この奥に……!」
フレアとキサラは身を低くして通路を走った。
足元の石が欠け、瓦礫が散乱している。
キサラの呼吸が後ろで乱れる。短い息が石壁に反響する。
小部屋の入口が見えた。あの甘く腐った臭いが強くなる。フレアは歯を食いしばり、室内へ飛び込んだ。
キサラが壁に手をつき、肩を上下させた。
額に汗が浮いている。杖を握る指が震えている。
その視線が、小部屋に並べられた動物の死骸と、棺の中に横たわる男の遺体へ吸い寄せられ、言葉を失った。
「……なんなの……ここ……そして、この人……」
「……アトラの、お兄さんだよ……」
フレアは短く答える。キサラは目を見開いた。
部屋の中央、黒い金属の塊――古代遺物を指さす。
「これが、魔力を……!」
表面の記号が暗く光り、赤い宝石がまだ脈を打っている。
「これが……古代遺物……?」
キサラの目が、黒い金属の上を走る文字へ吸い寄せられた。
これまで本の挿絵や記述でしか知らなかったものが、目の前で脈を打っている。
だが、見入っている時間はない。
キサラはすぐに首を振り、杖を握り直した。
フレアは背後に迫る首無し剣士が追いつくまでの時間を稼ぐため、床の瓦礫を蹴り、壁際の崩れかけをあえて押した。
石が落ち、埃が舞い、通路の入口を塞ぐように崩れる。
「今のうちに古代遺物を……!」
古代遺物から流れている魔力を注意深く追う。
側面に、赤い宝石が埋め込まれていた。
そこから赤い線が伸び、上へ、そして背後へ。
「……これだ。この赤い宝石を……!」
フレアは視線だけで狙いを定める。
「キサラ、いける?」
「……いける。いけるけど、次が……最後よ……」
言い切る声は強がりだった。
目だけが鋭い。フレアは頷いた。
次の瞬間、瓦礫が吹き飛んだ。
石が砕け、粉塵が飛ぶ。空気が裂け、熱が走る。
首無し剣士が二体、埃の中から滑り込むように現れた。
そしてその背後に、カーゼルがいた。
「逃ゲ場、ハ……ナイ……!」
翼を畳んだまま、狭い通路を押し潰すように降りてきている。
赤い目が部屋を満たす。
霧が床を這い、嫌な冷たさが足首に絡む。
首無し剣士がジリジリと距離を詰めてくる背後で、カーゼルの両腕が持ち上がる。
赤い脈動する魔力が集まり、槍の輪郭が生まれる。
空気を裂く音が狭い通路に反響し、肌を焼くような熱が伝わってくる。
(こちらを消し飛ばす気だ……!)
フレアは息を吸った。
「キサラ……お願い。最後!」
キサラは一瞬だけ目を閉じた。
次に開いた目は、覚悟の色だった。
「……ありったけを……! 魔装・天雷!!」
三度目にして、最後の魔装。
これまでの青白い雷とは違う、眩い金色の光が双剣へ絡みついた。
刃の縁で雷が鳴った。
フレアは前へ出た。
首無し剣士が飛び掛かってくる。
霧の防御膜が硬い。だが雷光が膜を裂く。
フレアは一体を切り伏せ、霧を散らし影をほどかせた。
同時に、背後のカーゼルが魔力で形作られた極大の槍を片手に持ち、投擲の腕が引かれる。
槍先が赤く燃え、空間が歪む。
「――届けぇーーッ!!」
手元の双剣の片方を、躊躇なく投げた。
カーゼルよりも一歩早く投擲された金色の光を纏った剣は回転しながらカーゼルの脛に命中した。
切り裂かれた脛の一部が霧となって吹き飛び、カーゼルの身体が一瞬だけ崩れる。
投げた剣は壁に突き刺さり、雷が散った。
「グッ……!?」
カーゼルはバランスを崩しながらも槍を投擲する。
だが軌道が甘い。
槍はフレアの横を掠め、壁を抉って爆ぜる。
衝撃波が二人を襲う。
キサラは体を壁に打ち付け、倒れ込む。
フレアは咳き込みながらも、まだ魔装の力が残ったもう一振りを握り直し、古代遺物に向かって剣を振り上げた。
「間に合えッ!!」
フレアは踏み込んだ。
金色の魔装を纏った刃先を赤い宝石へ――まっすぐ突き立てた。
硬い感触。
次の瞬間、剣に宿った雷光が赤い宝石の中へ流れ込む。
金色の閃光が赤い光を裂いて爆ぜた。
赤い脈動が乱れた。
ひびが走り、宝石が砕ける音が響いた。
赤い線が、ぷつりと消えた。
空気が一瞬、軽くなる。
小部屋の隅で態勢を立て直そうとしていた首無し剣士が、糸が切れたようにその場で崩れ、霧となって溶けていった。
影が形を保てず、床に染み、風のない地下でさえ散った。
「グ……オオォォォ……」
カーゼルが呻いた。
槍を作ろうと腕を掲げるも、魔力が集まらない。
集めた先から、霧散していく。
赤い目が揺らぎ、指の間から力が砂のように零れ落ちた。
身体の脈動が乱れ、翼の輪郭が崩れ始める。
黒い霧が剥がれ、溶けて床へ落ちた。
「ワタシ、ハ……スクワネ……バ……ナラヌ……ノ……ダ……」
声は途切れ途切れで、徐々に掠れていく。
カーゼルは一歩、二歩とよろめいた。
出口――地上へ向かおうとするように、通路の方へ後退する。
膝が折れ、石床に触れた瞬間、身体はさらに形を失った。
霧となって溶け、薄い流れになって床を這う。
そして、上から落ちてくる冷気――地上へ抜ける風に引かれるように、霧は細く伸び、ほどけた。
最後に赤い目の光が揺れ、消える。
あとには何も残らなかった。
血も、司祭服の裂け端すら、風に攫われたように消えていた。
霧が散って、ただ冷たい空気だけが残った。
フレアは剣を支えに膝をついた。
喉が焼けるほど乾き、胸の奥が空っぽだった。
「……うっ……か、はぁ……っ……」
キサラが震える手で体を起こし、ゆっくりと息を吐いた。
体に降り積もった砂塵がパラパラと床に落ちる。
「はぁ……はぁ……キサラ、大丈夫……?」
「……はぁ……大丈夫に、見える……?」
お互いに体を支え合い、なんとか立ち上がる。
通路を戻り、崩れた入口をよじ登る。
冷たい夜気が肺に流れ込み、咳が出る。
地上の空気はまだ焦げていて、遠くで木の燃える音がした。
残火がちらつき、霧が薄く流れる。
フレアは思い出したように顔を上げる。
(ルルナ……)
寝かせていたはずの場所へ視線を走らせた。
(――!?)
目を疑った。
ルルナが立っていた。
外套は肩からずれ、口元と胸部に血が残ったままだった。
その顔に表情はなく、瞳だけが残火の赤に照らされて光って見える。
焦点が合っているのか分からないのに、こちらを見ているように感じた。
フレアの背筋を、冷たいものが走った。
キサラも見た。息を呑む音が、夜に小さく落ちた。
「……ルルナ……?」
フレアの声が震えた。
ルルナは返事をしない。瞬きもしない。
ただその場に立っている。血の痕だけを残したまま。
フレアは一歩踏み出しかけて、足を止めた。
霧の嫌な冷たさが、再び喉の奥に蘇る。
(……呼吸も……鼓動も止まっていたはず……)
静けさがひどく重い。
残火のぱちぱちという音だけが、時間を刻む。
フレアは無意識に身構えていた。
その瞬間、ルルナの目の光が、わずかに揺れた。




