第15話 それぞれの祈り
周辺の霧は薄くなりつつあった。
しかし、残火の匂いはまだ空気に染みつき、風が吹くたびに、ところどころでパチパチと小さく爆ぜる音が聞こえ、灰が舞う。
夜の闇は澄んでいるはずなのに、どこかざらついて見えた。
フレアとキサラは、立っているルルナを見つめたまま動けずにいた。
口元と胸部に血の跡を残したまま、そこに立っている。
呼吸も鼓動も止まっていたはずだ。
なのに、目の光だけが残火を拾って揺れていた。
フレアが恐る恐る、もう一度ルルナの名を呼んだ。
「……ルルナ……?」
その名に反応したように、ルルナの顔がはっと上がった。
置き去りにしていた意識が戻ってきたみたいに、目が揺れて焦点が合う。
「……フレア……さん……?」
フレアは息を呑んだ。
思わず半歩近づきかけ、足を止める。
近づいていいのか分からない。
だが、声は確かにルルナだった。
「……ルルナ……私たちが……分かるの……?」
キサラも身をかがめるように、顔を覗き込んだ。
「……キサラさんも……ええっと……わたくし……」
ルルナはゆっくりと辺りを見回した。
記憶の糸を手繰るように、言葉が途切れる。
「この状況は……確かわたくし、村の警鐘を聞いて……それから……」
そして、崩壊した礼拝堂の姿が目に入った瞬間、息を吸い込んだ。
「あ……礼拝堂が……」
「ルルナ、アタシたちが分かるんだね……?」
「は、はい……」
フレアは胸の奥の張りが少しだけ解けた。
そしてルルナに駆け寄り、手を握る。
「……冷たい」
人の手とは思えないほど、体温がなかった。
フレアは確かめるように、ルルナの胸元へそっと手を当てた。
「はわ!……フ、フレアさん……!?」
ルルナが慌てふためき、頬が赤くなる。
だがフレアの指先は震えていた。
(――!!)
息を呑んだ。
鼓動が感じられない。
「心臓が……」
フレアの声は掠れた。
「……えっ?」
キサラとルルナが同時に反応した。
フレアは現実を飲み込めないように声を絞り出した。
「……動いてない」
「……どういう……ことなの……」
キサラは信じられないように呟いた。
ルルナも唇を震わせた。
「……わ、わたくし……思い出しました……確か、司祭様を止めようとして、それで……」
ルルナは自分の胸元へ手を当て、恐る恐る見下ろす。
「……わたくしの体……どうなってしまったのでしょうか……」
誰も答えを持っていなかった。
沈黙が、霧より重くその場に落ちる。
そのとき、遠くから複数の声が近づいてきた。
足音が土を踏み、叫びが闇を切る。
「向こうだ! 礼拝堂の方だ!」
「爆発音が聞こえてたぞ! 急げ!」
「全部片付いたんじゃなかったのか!?」
冒険者たちが駆けつけてくる。
フレアはとっさにルルナに外套をかけ直す。
ルルナをこのまま見せるわけにはいかない。
「キサラ、ルルナを連れて……いったん隠れて!」
キサラは即座に頷いた。
「ルルナ、動ける?」
「あ……は、はい……!」
キサラはルルナの手を引き、散乱した瓦礫の陰へ身を寄せる。
ルルナは覚束ない足取りで、それでも言われるまま動いた。
フレアは前庭へ向き直った。
駆けつけた冒険者たちが一様に目を見開き、建物の損壊と地面の抉れ方に困惑する。
「おい……なんだよこれ……」
「礼拝堂が、こんな……」
フレアは荒い呼吸を整えながら、必要なことだけを短く説明した。
司祭が禁じられた研究をしていたこと。地下に異常があり、戦って止めたこと。もう危険は収まったが、警戒は必要なこと。
ルルナのことは伏せた。
冒険者たちは信じられない面持ちで話を聞いた。
「アタシは村長に報告しに行こうと思う。誰か村長を見かけた人は……」
槍を持った長身の男――先ほど共闘した冒険者が、口を開いた。
「村長なら広場に避難済みだぜ」
「そっか。わかった。ありがとう」
フレアは肩で息をしながら笑った。
「じゃあアタシは少し休んで、すぐ向かうよ」
「あぁ、気を付けてな。俺たちは他に火の手が上がってないか見回ってくるぜ」
冒険者たちは散っていった。
フレアは彼らの背が闇に溶けたのを確認してから、瓦礫の陰へ戻った。
キサラとルルナはまだ警戒したように瓦礫に身を潜めている。
「村の裏門から出て、身を隠してて。霧は晴れたけど……注意してね」
「わかったわ」
キサラがルルナを見た。
「ルルナ、大丈夫?」
「はい、なんとか……」
ルルナが立ち上がり、一歩踏み出した瞬間、小石に躓いてズテッと転んだ。
「ふぇぇ……」
フレアとキサラの肩から、一瞬だけ力が抜ける。
「……き、気を付けてね……」
フレアの声が、わずかに柔らかくなった。
* * *
広場には人が集まり、ざわめきが渦になっていた。
泣き声、呼び声、肩を抱き合う気配。
広場の周囲には数人の冒険者が警戒に当たっていた。
フレアは村長を見つけ、事の顛末を簡単に報告した。
カーゼルが行っていた研究。ラットが協力していたこと。アトラの兄の遺体のこと。
だが、ルルナのことだけは伏せた。
村長は顔色を失い、震える息で呟いた。
「まさか……この村でそんな恐ろしい研究が行われていたとは……」
フレアは矢継ぎ早に要点を話し終えた。
「詳しいことは……夜が明けてから改めて……それよりも……」
広場に集まった村人たちをざっと見回した。
ラットがいない。
あの男の顔が、どこにもない。
フレアは村長に家の場所を聞き、暗い道を足早に向かった。
だが家はもぬけの殻だった。
荷物や生活の痕跡だけがそのままに、肝心の人間だけがいない。
周囲は暗闇に包まれており、今から捜索などは行えない。
仕方なく捜索をあきらめたフレアは、キサラたちと合流するため、村の裏門へ向かった。
* * *
翌朝。
村にはまだ朝靄が立ち込める中、ところどころから煙の筋を上げながらも、日が差し始めていた。
村はずれの墓地では葬儀が行われていた。
礼拝堂地下からアトラの兄の遺体が収められた棺が運び出され、土に埋められようとしていた。
フレアはアトラの隣に立った。
アトラの母は膝をつき、静かに祈りを捧げる。
肩が小刻みに震えている。
アトラは俯き、拳を握ったまま動かない。
土が棺を覆っていく音が、胸の奥に重く落ちる。
立ち会っている数人の村人とともに、フレアは静かに祈りを捧げた。
葬儀が終わると、フレアはアトラに「また後で」と告げ、村長の家へ向かった。
* * *
村長宅の屋根は一部崩落し、大工が朝早くから修繕していた。
木槌の音が乾いた空気に響く。
村長は深く頭を下げた。
「では改めて……昨晩は本当にありがとうございました。……して、あのラットという男は」
「うん……昨日は教えてもらった家に行ったけど、姿はなかった。身を隠してるのかもしれない。だから村の人たちには――」
「わかりました。村の者たちには警戒をするよう伝えておきましょう」
フレアは頷き、続けた。
「あと礼拝堂の方は」
「えぇ、村の者が近づかないよう見張りを置いてあります。……その、例の古代遺物というもの、我々には得体の知れないものですからな」
「うん。それなんだけど、アタシの方で預からせてもらいたいんだ」
村長は眉を寄せた。
「はぁ……村としても、そんな危ないものを置いたままでは皆が不安がるでしょうからな。それは構いませんが……ですが、危険なのでは……」
「確かに今は沈黙してるけど。でも、ここに剥き出しで置いておけないし……アルテナの礼拝堂に持っていけば封印の護符がもらえると思う。人も多いから、何か分かる人がいるかもしれないし」
村長はしばらく考え、頷いた。
「……そうですか。では道中お気をつけて。しかし、司祭様はいつあんなものを運び込まれたのか……この村にいらした時には身一つで来られたはず……」
「えっと、確か、リンドブルム連邦から来たんだっけ」
「えぇ。私も詳しく知っているわけではないのですが、故郷では司祭を務めながら、古代言語の研究でも名を知られていたそうです」
村長は目を伏せて続けた。
「ですが……魔物による被害で家族や部下を多く失ったとか……それで故郷を離れ、この村に」
「そう……だったんだ……」
フレアの胸に、カーゼルの言葉が蘇る。
(祈りで人は救われない)
なるほど、という想いとともに、気持ちが重くなった。
「そうだ。アトラのことなんだけど」
「えぇ、あの少年と家族の事は私どもにお任せください。村の者たちで生活は支えていくつもりですので」
「そっか。それを聞いて安心した」
フレアはふっと笑った。
村長が姿勢を直す。
「そういえば……礼拝堂の方には司祭様と住んでいた女性の方がいたかと……」
フレアは一瞬沈黙し、重い口を開いた。
「……ルルナは……戦いに巻き込まれて……アタシの方で埋葬を……」
村長は悲痛な面持ちで俯いた。
「……そうでしたか……」
フレアは昨夜のことを思い出していた。
* * *
昨夜、ラットの捜索を切り上げたフレアは、村の裏門から出てしばらく進んだ森の入口で、キサラとルルナに合流した。
遠くに村を眺める三人。煙はまだ何本も上がっている。
ルルナが寂しそうに呟いた。
「わたくし……これからどうしていけば良いのでしょうか……この体では……このままこの村には……もう……」
俯いて座り込むルルナ。
ルルナは震える指で胸元のボタンを外し、刺された場所を確かめた。
血の跡は残っているが、刺し傷は塞がっていた。
「あれだけの傷が、もう塞がってる……!」
フレアとキサラにも理由が分からない。
ただ、フレアには見えていた。胸の奥で、かすかに赤い光が心臓のように脈打っている。
赤い線はない。けれど、何かがそこにある。
古代遺物の魔力が何らかの形でルルナの命に影響を及ぼしているのかもしれない。
ルルナにも、同じような変化が起きないとは言い切れなかった。
重い空気が森に沈む。
フレアは意を決して言った。
「アタシと……一緒にアルテナに行こう! ルルナ!」
ルルナが驚いたように顔を上げる。
「ルルナの体がどうなったのかは……今は何とも言えない。でも、うちのギルドには、その……いろんな人がいるしさ! 冒険者の中には人間も獣人も、なんならギルド酒場の料理長なんてリザードマンだし! ……えっと、だから、まぁ心臓が止まってることぐらい、どうってことないって言うか……」
次第にしどろもどろになっていくフレアに、キサラがため息をついた。
「フォロー下手くそすぎない?」
そしてキサラは、少しだけ声を柔らかくする。
「でも私も大丈夫だと思うわ。何かあった時に、誰かが近くにいるって大事な事よ。私もできる限り協力する」
ルルナは唇を噛み、目を揺らした。
「フレアさん……キサラさん……でも、わたくし……自分でも自分がどうなったのか……」
「大丈夫、大丈夫! 何かあってもアタシに任せて!」
フレアは自信満々に胸を叩いた。
「それに、ギルドマスターってアタシのお父さんなんだけど……そんなことを気にして、ルルナを追い出すような人じゃないから!」
ルルナは涙をため、深く頭を下げる。
「ありがとうございます……!」
フレアはそっとルルナに外套をかけ直す。
「村の人たちには……ルルナのことは黙っておくから……ね?」
三人はその場で夜明けを静かに待った。
* * *
そう、村の者たちには、ルルナは亡くなった、と伝えることにしていた。
諸々の報告を終え、村長宅を出たフレアは、アトラの家へ向かう。
アトラは家の近くで村人たちに交じり、瓦礫の撤去や道の整備をしていた。
フレアを見つけると、アトラが駆けてくる。
「もう、動いてるんだね」
「……あぁ。いつまでもくよくよしてられないしな……兄貴の分まで俺が頑張らないと……」
「そっか。アトラは強いね」
フレアが頭を撫でようとすると、アトラは静かに手を振り払った。
「あ、頭、撫でんなよ……」
そして一呼吸置いて、アトラはフレアに向き合う。
「その、今回は、ありがとな……」
「うん」
アトラは言いづらそうに続ける。
「正直……あの鳥のバケモノと戦ってるお前を見て、すごいと思ったよ」
「ふふ〜ん、そうだろう?」
「……まぁ、少しだけな」
アトラは拳を握った。
「俺も……強くなって……母さんを……村のみんなを守れるぐらい、強く……」
「アトラならできるよ」
「……あのさ、依頼料だけど」
「あ、大丈夫! ちゃんと村長さんからもらったよ!」
フレアは指で丸を作り、ひひっとわざとらしく笑った。
そして腰のポーチから小瓶を取り出す。
「そうだ、これ、キサラから預かってきたんだ。お母さんにね」
アトラはフレアを連れて家へ向かった。
アトラの母が家の前に出てくる。
やつれて見えるが、目はしっかりしている。
「冒険者様……今回はありがとうございました。オーリンの事も……」
「つらいと思うけど……体に気を付けてね。これ、キサラから預かってきたから」
小瓶を渡すと、母は何度も頭を下げた。
「本当に何から何まで……」
道の向こうで村人に交じり、道の整備を行っているアトラを見る。
「アトラは、強い子だね」
「えぇ、とっても。いつも、あの子の強さに救われています」
(――救い、か)
胸の奥がちくりと痛んだ。
フレアはアトラとアトラの母に別れを告げ、村の外に停まっている乗合馬車へ急いだ。
* * *
馬車の近くでキサラが待っていた。遠くにフレアを見つけると声を上げる。
「あ、もう、やっと来た! 急いで! もうすぐ馬車が出るわよ!」
「待って~! これ重いんだよー!」
フレアは布でぐるぐる巻きにした、古代遺物を抱えて走ってきた。
布の上には効果があるかは定かではないが、念のためにと手持ちの護符を貼り付けてあった。
合流した二人は馬車に乗り込んだ。
馬車の中には外套に身を包み、フードを目深にかぶった者――ルルナがすでに座っていた。
「お待たせ!」
フレアがルルナの隣に腰を下ろす。
キサラも反対側に座った。
ルルナが小声で尋ねる。
「アトラさん、大丈夫でしたか?」
「うん。アトラなら大丈夫。きっと」
御者の短い掛け声とともに、馬車が揺れた。
車輪が街道の砂利を噛み、村が少しずつ遠ざかる。
柔らかい風が馬車の中を通り抜け、外套の裾を揺らした。
空はよく晴れていた。
昨夜のことが嘘みたいに、世界は何事もなかったように朝を迎えている。
フレアは視線を前へ戻した。
馬車は穏やかな朝の街道を、アルテナへ向かって進んでいった。




