↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/15

第11話 カーゼル司祭

翌朝。


礼拝堂の離れに差し込む明かり取りの光は、まだ白く薄かった。

フレアとキサラはルルナの部屋で荷物をまとめ、床に広げた敷物の端を避けるようにして、忘れ物がないか互いの持ち物を指差しで確認していく。


「忘れ物、ない?」


「応急用の薬包と……あとは大丈夫ね。フレアは?」


「問題なし!」


敷物の端でルルナが控えめに見守りながら、二人の支度を眺めている。

フレアは最後に一度だけ部屋を見回し、ふと思い立ったように扉へ向かった。


「カーゼル司祭にも挨拶しておこうかな。お世話になったしさ」


キサラは軽く頷き、ルルナは心配そうに見送る。

フレアは奥の私室の前まで行き、扉の前で一度だけ間を置いてから声を掛けた。


「あの~。……出発前に挨拶だけ——」


返事はない。足音もない。

耳を澄ませても、聞こえるのは建物の古い木がきしむ小さな音だけだった。

扉に手をかけるのをやめ、フレアは軽く眉をひそめた。


(不在、か……朝早いし、仕方ないか)


引き返し、三人で外へ出る。

空にはうっすら雲がかかり、風はどこか湿り気を含んでいた。草と土の匂いがふわりと重い。


「いろいろとありがとう、ルルナ」


「おかげで助かったわ」


「いえいえ~。わたくしの方も、お二人とたくさんお話ができて楽しかったです~。せっかくなので、宿までお見送りさせていただきますね」


三人は連れ立って村の中心へ向かった。

朝の村は、すでに活気に満ちていた。

刈り取られた麦束を積んだ荷車が、きしむ車輪の音を立てて行き交い、牛を引く男たちが声を掛け合う。

鍬や鎌の音、湿った土の匂いが、収穫期の朝を告げていた。


他愛もない会話を交わしながら宿へ向かう途中。

フレアはふと、忙しなく動く人波の中に浮いている影を見つけた。


背を丸め、周囲をきょろきょろと窺いながら、村の外れへ向かって歩く男。

草陰に吸い込まれるように身を小さくし、荷車の陰へ隠れる癖のある歩き方。


フレアの口から、思わず声が漏れた。


「あ……あの男……」


同時に、隣から小さな声が重なる。


「あら……あの方は……」


「え? ルルナ、知ってるの?」


ルルナは少しばかり困ったように首を傾げた。


「ええと……詳しくは。ですが最近……一週間ほど前でしょうか。夜遅くに礼拝堂を訪ねてきたことがありまして……」


フレアは歩幅を少しだけ落とした。


「夜に? 礼拝堂へ?」


「はい。刈り入れが遅くなってしまった荷物を、礼拝堂で預かってほしいから、司祭様を呼んでほしいと……。わたくしはそのまま司祭様へお通ししただけですので、知り合いというほどでは……」


フレアの胸の奥で、違和感がきゅっとよぎる。


(——みんなが刈り入れで忙しいのに、碌に働かずウロウロしてる——)


村に来たばかりの時に聞いた、アトラの言葉が蘇った。


(そんな男が、夜遅くまで刈り入れを……?)


考えはすぐに嫌な方向へ向かいかけるが、根拠がない。

それでも、胸の奥の違和感だけは消えなかった。


フレアは唇の裏で言葉を噛み、歩きながら視線だけをラットの背へ送った。男は草むらの向こうへ消え、追うには距離がある。


やがて三人は宿の前へ着いた。

ルルナはそこで立ち止まり、軽く会釈する。


「アトラさんのお兄様、早く見つかりますよう祈ってますね」


「うん、ありがとう、ルルナ」


「お世話になったわね」


「いえいえ~。また何かありましたら、いつでも」


そう言って振り返り、歩き出した瞬間、ルルナの足がもつれた。


「ふぇぇ……」


(また何もないところで転んだ……)


(また何もないところで転んだわね……)


フレアとキサラの視線が交差する。

ルルナは恥ずかしそうに頬を赤くして立ち上がり、ぱたぱたと埃を払う。

そして、改めて会釈して小走りに去っていった。


* * *


宿の中は朝の湿気と木の匂いが混ざっていた。

ちょうど、空いたばかりの部屋を職員が掃除しているところで、布を絞る音と床板を拭く音が廊に響く。

手続きを済ませる頃には掃除も終わり、三階の部屋へ通された。


部屋の窓からは村の大通りが一望できる。

荷車や牛車がせわしなく行き交い、朝の声が上へ上へと流れていく。


フレアは荷から道具を出し、ベルトの留め具を確かめる。


「よし! 今日こそ……!」


二人は宿を出て、村の裏手へ回る。

一旦先入観を捨て、昨日辿った村の裏手の門から森へ続く導線をもう一度洗い直す。


森へ続く“線”は、畑の縁と岩の間を縫うように伸びていた。

昨日ほどの収穫騒ぎはないが、村人たちは相変わらず忙しく動いている

。荷車の轍が増え、地面は踏み固められていた。


だが、程なくして空模様が変わった。

頬に冷たいものが当たる。


「あちゃ~……雨かぁ」


キサラも空を見上げる。

薄い雲が重なり、灰色が濃くなっていく。


「タイミングが悪いわね」


二人は鞄から外套を引っ張り出し、フードを被った。


捜索を続けるが、雨は次第に強くなる。

草の葉先から滴が落ち、土はみるみる泥濘み、踏み跡も轍も輪郭を失っていった。


「こりゃダメだね。一旦戻ろう」


「えぇ。この状況じゃ、手掛かりどころじゃないわ」


村へ引き返すと、刈り入れ中だった村人たちも作業を切り上げ、慌ただしく作物へ覆いをかけていた。

宿の前には冒険者が数人、軒下で雨宿りしている。護衛の仕事もこの雨では動きようがないのだろう。


部屋へ戻り、濡れた外套を干す。

フレアは気持ちばかり焦るのを押さえ、外の雨を眺めた。


キサラはこれまで集めた薬草や茸を机に並べ、単眼のルーペで確認しながら紙に書き付けている。

筆先が迷いなく走る。


フレアも気を紛らわせるように近くの村人や冒険者へ聞き込みに出た。

だが、どれも昨日と同じ、曖昧な噂の域を出なかった。


雨が上がったのは、夕方を過ぎ、空が薄暗くなり始めたころだった。


* * *


宿の一階の食堂兼酒場で簡単な食事を済ませ、二人は部屋へ戻る。

フレアはベッドに腰を掛けて、小さな窓に肘を乗せ、暗くなった外をぼんやりと眺めていた。


大通りは昼間と違い、ほとんど人通りがない。

ところどころに置かれた松明が、局所的に道を照らすだけ。濡れた石畳が灯をおぼろげに映し、湿った夜気が低く漂っている。


(今日はほとんど収穫は無し……か)


フレアはふと、道の端を歩く影を見つけた。

周囲を気にしながら、松明の光の届かない側を選ぶように歩いている。


(……ラット)


フレアは振り返り、キサラを見る。


「キサラ、アタシちょっと出てくる」


キサラは机から一瞬顔を上げ、何も問わず頷いた。


「……わかったわ。気を付けてね」


フレアは宿を出て、足音を立てないように距離を取り、物陰を使って尾行した。


ラットは大通りから逸れ、草が膝上まで伸びた細い道へ入る。

昼間の雨の水が葉に残り、月明かりを反射して銀色にきらつく。

息をするたび、湿った草の匂いが鼻に入った。


やがて、ぽつんと建つ古い小さな納屋が見えてくる。農具を入れているのだろう。

ラットは周りをきょろきょろ見回し、納屋の裏へ回り込んでいった。


フレアは納屋から少し離れた場所に、乱雑に積み上げられた木箱の陰へ身を潜めた。


やがて、二人の男の声がした。片方の声に聞き覚えがある。低く落ち着いているが、言葉の節に冷たさが混じる。


(……カーゼル司祭……)


「必要な時以外は顔を見せるなと言ったはずだが?」


「そんなこと言ってられる状況じゃねぇだろ!? まさかあのガキが自分から冒険者を連れてくるなんて……」


(……ガキ……アトラ……? そしてアタシたちのことを話している……?)


捲し立てるように話す、ラットの声は明らかに焦っている。

喉が乾いたような荒さがあった。

対して受け答えするカーゼルの声は冷たいままだ。


「それもこれもお前の不手際が招いたことだ。……だが焦ることはない。例の物の解析は進んでいる。正しく起動できれば、まだ間に合うかもしれん」


「……くそっ! こんなことになるなんて……俺はただ……」


沈黙が落ちた。虫の声がやけに大きく聞こえる。


「……だいたいなんなんだよアレは。あのよく分からない連中から、アンタに渡すように言われた……アレで何とかなるってことなのか!? ていうか、アレがこの村に来てからだぜ!? 魔物騒ぎだって……」


「お前には関係ない。魔物も偶然に過ぎん。お前はこれからも私の指示したものを調達するだけでいい。だが、お前はそれすら満足にこなせず、とんでもないことをしてくれた。そのミスの尻拭いのために、これだけ私は急いでいるのだ。言葉には気を付けろ」


「そ、それは……わかったよ……。けどな、ここに冒険者がいる間は、俺は身を隠れさせてもらうぜ……」


足音が遠ざかる。草を踏む音が速い。逃げるようだ。


「……フン、所詮はあの程度の男か……だが、どちらにせよ、急いだほうが良さそうだな」


カーゼルの声は独り言のように低く落ち、やがて納屋の裏手から礼拝堂の方へ歩いていく足音に変わっていった。


フレアは、すぐには動けなかった。

心臓の鼓動が耳の奥で鳴っている。


(二人はアトラのことを話してた。ということは、オーリンさんに繋がる何かを持っている……? でも、どうやって引き出すか……)


どこまでが推測で、どこまでが事実なのか。

フレアの中で、線が絡み合い、ほどけない。


しばらくしてから木箱の陰を出て、周囲に気を配りつつ宿へ戻った。


* * *


部屋へ戻ると、キサラはベッドに座って本を開いていた。

フレアを見るなり、短く言う。


「おかえり」


そして、続けて。


「……何か見つけたみたいね」


フレアは頷き、今見たもの、聞いた言葉を順に話した。

キサラは途中で一度も遮らず、最後まで聞いてから、ゆっくり息を吐いた。


「……カーゼル司祭。少なくとも、関係はしていそうね」


フレアはルルナの言葉を思い出す。

夜遅く、ラットが“刈り入れが遅れた荷物”を礼拝堂に持ち込んだ。


(どんな荷だったのか、もう少し詳しく聞いておけば……)


フレアは布団の端を握り、考える。嫌な考えが確信に変わりつつある。

礼拝堂に忍び込むか。問いただすか。

だが、もし勘違いだったら——ルルナにも迷惑をかけることになってしまう。


「カーゼル司祭がどこか出かけたタイミングで、礼拝堂を訪ねて調べさせてもらうのも……う~ん……」


「あら? アンタだったら今から忍び込むって言いそうだけど」


「いやぁ、それも考えたんだけどさぁ」


「……考えたんだ……」


「ルルナのこと考えるとね」


「……まぁね」


言葉が尽きて、二人は黙る。

雨の匂いがまだ部屋に残っている。夜は深い。

思考がぐるぐる回り、やがて眠気がじわじわと背中へ乗ってくる。


* * *


ふと、フレアは肌にへばりつくような嫌な気配で飛び起きた。


(……この感じ……霧の……!)


フレアは慌てて窓の外を見る。


下に、うっすらと紫色の霧が立ち込めている。

遠くから徐々に濃くなってきているのが分かった。

湿った夜気の中で、霧だけが別の生き物みたいに動いている。


「キサラ! 起きて!」


キサラもすぐに目を開けた。

寝ぼけた気配はなく、ただならぬ空気を一瞬で理解したように杖を掴む。


その瞬間、村の警鐘がけたたましく鳴り響いた。


「敵襲! 魔物だー!」


フレアは急いで剣を携え宿を飛び出す。

キサラもそれに続いた。


立ち込めた紫色の霧が、目の前で少しずつ形を変えていく。

人型。獣型。鳥型。

顔に当たる場所へ赤く光る“目”がひとつ灯り、そこから全身へ赤い線が走った。


「ヴェノム! キサラ、魔装の準備を!」


それを合図に、目の前の霧が次々と形を得ていく。


宿からも他の冒険者が飛び出し、剣や槍を構える。

一番先頭のヴェノムが悍ましい咆哮をあげた、その瞬間——夜が割れて、戦いが始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。