A-G-2 暗雲
イグアスたちに指示を出してから暫くが経過した。そろそろ我が侯爵家の手の者が教会にも浸透している頃であるはずなのだが、現状特段今までと比べて目新しい情報は得られていない。
闇ギルドを使っているからか、神官共の汚職の情報は多少上がってきているので、それを元に更に揺すりを掛けたりはしているのだが、肝心な時戻しの理由についてはサッパリだ。
時間を巻き戻すなんて神の御業としか思えない事を成し遂げる所が有るとすれば、それこそ神のお膝元たる教会かと思っていたのだが……
まさか思い違いだったのだろうか。
「あ……っ」
思案に耽っていると、鼻を摘んで喘いでいるようなふしだらかつ不快なTPOを微塵も弁えない音が耳に入り、私の意識が急速に現実世界に帰還する。
すると目の前に居たのはTPOの意味すら理解しているか怪しいあのあんぽんたんではないか。通りで私サマラのぼうぎょが がくっとさがった! わけだ。あんないやなおとを聴いたら誰でもそうなる。
ただでさえ現状が好ましくないせいで不快感が強かったのにますます不快な出来事が発生したせいで、ますます私のテンションは下がっていく。
それに反比例するかのように、私のこうげきはぐーんとあがっていく。これでも私はまけんきが強いのだ。
「あら、いつぞやの私を足蹴にした、足癖の大層宜しくない小娘ではありませんか。何用ですの?」
そう声掛けをすると、ビクリと肩を揺らして彼女は縮み上がった。やはり今までとは違う反応だ。本当に気持ち悪い。なんで突然こんな気色悪い行動をするようになったの? 正直時戻しと同じレベルの奇跡が起きているとしか思えないのだけれども。
「君はトレイソン嬢だったな」
「あっ……はい。とっ、トレイソン男爵家ベティが、バガリー様およびパリエ様に、ごっ、ご挨拶申し上げま、す……」
うわきっも。
何あれ。
ゴミみたいなカーテシーで震えながら挨拶するとか、頭でも打ったの? というか今のカーテシーは何? 3歳児? お子ちゃまだったの? ゴミはゴミなりに今までももう少しマシなカーテシー出来てなかった? やっぱり頭打った?
そんなことを内心考えていたら、パリエ様が思わぬ情報を口にした。
「確か、トレイソン家と言えば最近、ミノール家と事業提携した矢先に鉱山がミノール領に見つかって両家共ノリにノッていると聞いたな」
「……は?」
「あ、アレは、本当にたまたまなんです! なんか、この間ピエス様とお話をする機会があって、そこから両家で事業提携の話が本当に偶然出て……」
トレイソン家が、ミノール家と提携??
前回はトレイソン家を私の手で徹底的に絞り上げて干上がるようにしていたはず……
そこまで考えて、今回の失態にようやく私は気付いた。
──そうだ、今回はネールに急かされて直ぐにその場を後にしたせいで、その後のミノール伯爵令息のケアを出来ていなかった!
さらに今回は特段トレイソン家を締め付ける口実がなかったせいで、目立った経済制裁が出来ていない……!
ああ、まさか蝶の羽ばたきが、既に嵐になりかけているだなんて。
今からトレイソン家を締め上げるにしても、既にミノール家と結びついてしまっているではないか。
やるならミノール家ごとやらなければあまり効果を見込むことが出来ない。しかしミノール家の鉱山はとても重要だ。いくらこちらの家格の方が上とはいえ、伯爵家ともなると上位貴族の部類に入る。我が家単体では経済封鎖を行うのは厳しい。
それに、私が家長ならともかく、私は王家に行く予定なので家の継承権は持っていないし父が当然我が家の当主である。我が父を今から説得して干上がらせるなど至難の業。
こうなってはトレイソン家を潰すのは諦めるしかあるまい。
「気に入らないわね」
本当に、本当に今回は色々と物事が上手くいかない。
何故だ。私は未来の王妃。ゆくゆくはここにいる全員が、私に頭を垂れ、私の国の反映のために働くことになると言うのに。
何故、私の思いどおりにならない。
「バガリー嬢?」
不愉快だ。何もかもが不快極まりない。
「飛ぶ鳥を落とす勢いのトレイソン家が、その左うちわで我が歩みを阻む、と?」
「ち、ちがっ……」
気が付けば、私は鼻につくその安物の香水の香りが分かる位置にまで安物女に近寄っていた。
手を伸ばせば届く位置だ。
「さぞや愉快なお気持ちなのでしょうね?」
臭くて敵わないのを無視して、更に顔を近付けて睨み付ける。
その表情は相変わらず怯えの感情しか見当たらない。本当に不思議だ。
「……」
……まあ、いい。
殊勝な心がけなら、それでも構わない。今までと違って私に用もなくダル絡みするという事が無いだけで非常に今までと比べたら良い。良いと言うか、今までが今まですぎて私がついていけてないだけなのかもしれない。
本来あるべき姿であるのにそれに対して『ついていけてない』というのも妙な話ではあるのだけれども……
あまりにもイレギュラー過ぎて、私は少々振り回されすぎていたのかもしれない。
この悪臭漂うラフレシアの所まで、堕ちる訳には行かないのだ。
「まあ、いいわ」
良くなっているのであれば、大いに結構。その調子で精進なさい。そう思い直して彼女に目を向けるのを辞め、彼女の横を通り過──
「──テメーの厚化粧歪ませてこの世の春よ、このままアンタの全てを奪ってやるわ」
……!!?
「は……?」
通り過ぎた所で耳を疑った。
今の囁きは、一体どこから。
思わずその場で振り返ると、ソレは相変わらず不安そうな様子でこちらを見ていた。
しかし、その口だけが、醜悪な弧を描いて私を嘲笑っていたのだ。
「ひっ……! こ、怖い……っ!」
嘘だ。
私の固有スキルの前に嘘は通用しない。
こいつは、私のことを1ミリたりとも恐れていない。それどころか、こいつは、今なんと言った?
それが、それが貴様の本心かベティ・トレイソン。
嘘偽りの無い、心からの言葉か。
──許さないぞベティ・トレイソン!!
「──ラ! 落ち着くんだ、サマラ君!」
真っ赤に染まっていた視界が、漸く色を取り戻し始め気付いたのは、誰かが私を取り抑えていたということだった。
その私を抑えている腕は、パリエ様の物。
「だ、大丈夫か!?」
気付けば目の前で鬼子は鼻から血を流していた。そして私の拳に握られていたのは、歪んで折れた扇だった。
いつの間にか、手が出ていた。
思いっきり扇で彼女の顔を叩いてやったので、そのまま彼女は床に倒れ、そして私の扇がダメになっていた。
いい気味だ。この国を蝕む白蟻め。蟻は蟻らしく床を這いずり回っていろ。
久方ぶりに胸がスッとすく思いをしていたら所に、思わぬ人がやってきたのはその時だった。
「なんの騒ぎだ」
ヴィシャル様。
彼の姿を確認し、直ちに私は壁際まで後退し臣下の礼を取った。
よもや、ヴィシャル様がここに現れるとは。
「我が国の至高なる玉にバガリー家サマラがご挨拶申し上げます」
「やめないか。ここは学園だぞ」
そうヴィシャル様は言うが、幾ら学園では平等という建前的な校則があるとは言え礼儀は礼儀だ。
親しき仲にも、王家とその忠臣にも礼儀は必要。
「クレイ、何があった」
「それは、その……」
パリエ様がなんと言えばいいかと言わんばかりに視線を逸らす。
仕方が無いので、私が一歩前に出て説明をする事とした。
「こちらの小娘が私を直接侮蔑してきたので、教育的指導をしておりました所ですの」
「教育的指導?」
「ええ。筆舌に尽くし難い罵詈雑言があったので」
私は将来の王妃であると言うのに、私を侮辱するとは何事か。
まさか改心したかと思った私が愚かだったと言わざるを得ない。
この悍ましいコメツキバッタの殊勝な様子が、まさか全て演技だったとは。
三文役者の分際で生意気な。
「そ、そんな事、私は……っ!」
確かに、私のスキルには欠点がある。
嘘など付こうものなら私は直ちにその真偽は分かるのだが、その嘘は口頭もしくは文章でなくては判別がつかない。
例えば今。この大根役者は誰が見ても嘘をついているのでスキルを使うまでもないが、言葉で嘘をついているので私は即座に見抜くことができる。
しかし、今同時にしている殊勝な素振りなどといった身体言語だけでは見抜けないのだ。
なるほど考えたものだなこの河原乞食め。思い返すだけでまた視界が赤く染まりそうだ。
侮辱罪は絞首刑とすべきだ。直ちに。今すぐに。
「クレイ、君はその時現場にいたのか」
「バガリー嬢とは授業が同じでしたので、ずっと」
「では聞くが、そのような事実はあったか」
「……私の見ている限りでは、そのような事はありませんでした」
「はっ? そんな訳──」
パリエ様は嘘をついていなかった。
そこで気付く。
あの桃豚は、私に囁いていたのだ。
私にしか聞こえないように。パリエ様には聞こえないように。こうして私が殴ったという既成事実を作るために。
「だ、そうだが?」
「私に向けて、私にしか聞こえないように囁いていたものですから」
「それを証明することは?」
「……出来かねます。ですが、だからと言って謝罪することは致しませんわ。このことは正式にバガリー家より抗議させて頂きます」
ヴィシャル様は呆れたようにため息をつかれた。
そしてこの後、更に驚きの行動を取って見せた。
「……全く、お前と言うやつは。トレイソン嬢、この度は我が婚約者がすまなかった」
「なっ……ヴィシャル様!?」
ヴィシャル様が、あのクソッタレによりにもよって頭を下げた。
「ヴィシャ……ルトゥール様、そんな、私は、ただ……」
「傷はあるか? 鼻か。少しじっとしていろ」
未だ夏場の干上がったミミズの様に床に這いつくばったままの干物女に対してヴィシャル様が片膝をつき、片手を伸ばす。
光が砂場のミミズ女の鼻を包み、その光が止むと本来であればミミズなので存在し得ないはずの手で、彼女は自らの鼻に触れて見せた。
「い、今のは……」
「知っての通り、私も君ほどでは無いがスキルを応用し人を癒すことが出来る。君の鼻が傷付く前の状態に戻しただけだ」
「ちょっ……殿下! なぜそのような事までされるのです!」
思わず私が非難した所で、殿下は立ち上がり、あろうことかあのゴキブリに手を伸ばし、立ち上がるエスコートまでされた。
コイツは腐っても聖女なんだからその気になれば自分自身を癒すことなど造作もない。わざわざヴィシャル様が手を出す必要など皆無。それなのに、何故。
「お前が謝罪しないのなら、私がするしかあるまい」
「何故ですか!? 私の言葉は信ずるに値しないと!?」
「いいや。ただ、お前の言葉の真偽だけは我々も分からないのでな。クレイのように、他者にもそのスキルを付与できれば良かったのだがな」
抗議のために口を開こうとして、そのまま私は口を閉じた。
「……パリエ様、そのような事が出来たんですか」
パリエ様のスキルは、絶対記憶。
一度見聞きしたことは絶対に忘れない。常時発動型のパッシブスキルに相当する。
「あ、しまった。すまない、クレイ。うっかりしていた」
「殿下……個人情報ですよ」
予想外だった。
パリエ様のスキル、人にも掛けることが出来たのか。そこはパッシブではなく、スキルのアクティブ部分ということか。
殿下もパリエ様も特に嘘をついている様子は無かったので、そこは間違いのない情報なのだろう。何十回と時戻しの憂き目に遭っていたが、これは初めて知ることだった。
そんな思わぬ収穫を得ていたところで、ゴーン! と学園の鐘が鳴った。次の授業が始まる合図だ。
「っ、と……大変恐縮ですが、次の授業が有りますので私はこれにて御前を失礼します」
「あ、ああ……皆、解散せよ。授業に向かえ」
気付けばまた周囲には人だかりが出来ていた。
殿下の鶴の一声で、私も、あの昆虫も、パリエ様も、全員がその場を去った。
まだ鳩尾の辺りがムカムカする。ああ、忌々しい。




