A-B-5. 猿真似
――きゃああああああっ!
鼓膜に針を差し込まれたかのような、不愉快な音。言うまでも無く音を発したのはあのサルだ。鼓膜破壊罪で誰かこいつを捕らえてよ。
……どうでもいいことだけれど、私はサルが嫌いだ。たかが獣に過ぎないと言うのに、人によく似た見た目と他の獣に比べたら相対的に人に近い知能指数。仕草も声も見た目も全体的に人間に寄せていて、何もかもが実に不愉快だ。人ならざる者であるのに人に近づこうとしているその根性が何よりも気に食わない。故に私はサルがもう反吐が出るほど嫌いだ。
それでも、アレとサルであれば私は躊躇なくおサル様を選ぶだろう。だから先ほどの形容詞に関してはおサル様に対して不敬に当たるため、私は侯爵家の名のもとにおサル様に最大限の表現を以て謝罪し、先ほどの差別的で悪意に満ちた形容詞を撤回致しましょう。
さて、何故こんな現実逃避をしているかと言うと、先ほどのサ……謎の哺乳類が階段をダイナミックに転げ落ち、その際にウッキィィヤァァアァアア!!(※そう私には聞こえたのよ!)などとおサル様のような鳴き声を上げたためだ。
おサル様にも満たない知能指数のくせに、人になろうとしているおサル様に近づかんと一丁前におサル様の猿真似をしようとはなんと不敬であるか。人類に対して不敬であるしおサル様にも不敬である。あーもうほんっとに不敬だわ、あんなの不敬罪よ不敬罪。不敬罪すぎて国外追放不可避。流刑よ流刑。
それはさておき、階段の上を見上げると、私の派閥に所属しているコノーエ伯爵令嬢が気味の良い笑顔で去っていくのが見えた。
なるほどこの周回では彼女が階段から突き落としたのね。今までにないパターンだ。
いつもはこの日に私がやるか、または彼女自身が狂言誘拐ならぬ狂言ダイブをキメやがり遊ばすのだけれど……
「ちょっ、貴方大丈――きゃあっ!」
で……階段を見上げる、などと私が言ったと言う事は、私の位置関係は当然階段の下である。しっかりと転がり落ちている彼女の射線上には私がおり、私は大変遺憾ながらも、しかしこれは有効に使えると判断し、後悔しかけるような計算を天秤にかけたうえで、それはもうまさに読んで字の如く断腸の思いで、筆舌に尽くし難い苦痛と共に彼女を階段のふもとで受け止め……ようとして半分巻き込まれる形で尻餅をつく事にした。はい未来の王妃に対する暴行、いや殺人未遂罪。毒杯毒杯。
「君たち、大丈夫か!?」
たまたま彼女が転がり落ちてくるところに居合わせたパリエ伯爵令息が私たちの下へと駆け寄る。
「クレイ様! い、いたたた……ちょっと、足をくじいちゃったみたいでぇ……」
「何が有った!?」
足はくじくのに心がくじけないのは流石だ。どうせ足は演技だろうけど。
がっつり受け身取りまくってるの私見てるし。
「それが、その……ううん、わざとじゃないと思うんですけど、今サマラが私を階段の上から突き落として――」
「――わ、私に何か御用ですか? いたた」
馬鹿が。流石にそれは無いでしょう。
今回はむしろ貴方を受け止めた側なんですけどね。偽証罪で絞首刑だわこのタコが。笑いそうだ。
内心を隠し、あたかも流石に怒りを隠せずにいるように振る舞いながら起き上がると、ギョッとした顔を非ホモサピ女が浮かべた。
「さ、サマラ!?」
「ちょっと、重いのでどいていただけません?」
「お、重いだなんて、酷い! どうしてそんな事を言うの!?」
「ぐえっ! ちょっ、いいから降りなさい! 人を文字通り足蹴にするとは何様のつもりなの!」
飛び上がろうとして私の鳩尾をさりげなくその豚足で踏まれ、淑女らしからぬ声が私の喉を震わせた。
私を足蹴にするばかりか辱めるとは。許せん。
絶対に今世では私がこの水虫女を万障お繰り合わせの上で直接叩き斬ってくれる。
「私を突き落とそうとしていっしょに落ちた癖に!」
馬鹿め。
これだからこの女は愚かなのよ。愚とは罪だ。
「はあ? 私は今、パリエ様の見ていた通り、上から突然貴方が貴方しかいない場所から転げ落ちてきたところを受け止めたのですけれども、それに対する感謝の言葉も無いばかりか、私が突き落としたと、申されるのですか?」
「えっ、あっ、いやっ、それは……」
「バガリー嬢なら先ほどまで私と同じ授業を受けていた。彼女がそんな事をするなど物理的に不可能だ」
「で、でもっ、誰かが突き落としたのは本当で――」
愚かな雌豚。
その安易な考えが身を滅ぼすと言うのに。
笑いが止まらない。
「ですがパリエ様、今あそこにどなたかいましたでしょうか?」
「いや、いなかったな」
いやまあ本当は普通にいたけどね。
そこは私が今回の顛末がどうなるかを見届ける意味合いも兼ねて先頭を歩いていたので、パリエ様の視界に死角を作る事が出来たのだ。コノーエ嬢が走り去る場面を、少なくとも彼は見ていない。
私が偽証? 私は質問しただけなので偽証はしていない。パリエ様も見ていないのだから嘘はついていない。嘘つきは目の前の詐欺師だけ。はー嘘つきって泥棒の始まりですわぁ。ま、読んで字の如く泥棒猫なのだから始まるどころか既に完成された泥棒なわけなのだけれど。
「そ、そんな……どうしてそうやって私をいじめるんですか……」
まーた始まったわ。
もうそう言うのいいから。
「パッと見ではまるで完全に受け身が取れているかのように無傷なのは幸いですが……内臓や骨とかに何かあるといけませんし、申し訳ありませんがパリエ様、念のため彼女を医務室へエスコートしていただけます?」
「えっ、ほんとですかぁ!?」
「ええっ、僕が!!?」
面白いくらいに対照的な反応をふたりが見せる。
今私がさりげなく混ぜた皮肉にまるで気付いていないのはまあいいとして、まるで救世主でも見るような顔つきには苦笑いせざるを得ない。
一方でパリエ様は唖然とした様子でこちらを見ている。なんてことをしてくれた、と言わんばかりの表情だ。そんなにお守りが嫌か。まあ私は嫌だから押し付けたのだけれど。
「殿方であった方が何かと安全かと思いますし……そもそも彼女はなにやら私に誤解があるみたいなので……」
「私も、クレイ様がいいですぅ、ちょっと歩けるか不安でぇ……」
よく言う。スッと何事も無く立ち上がったくせにどの口がそんな寝言を言っているのやら。
パリエ様にしなだれかかり胸部を押し付ける彼女に、いよいよパリエ様の顔が愉快なものになってきているのをしり目に、私はサッサと踵を返し、その場を立ち去る。
全く。むしろ私が医務室に行きたいくらいだ。
あの豚足と言うか重量トン足に踏まれた私の方が何万倍も歩くのが不安だっつーの。
ほんと上履きで助かったわ。あれがヒールだったらと思うと……私が勝利した暁にはヒールで同じことをお返しして差し上げないと……
と言うか鳩尾がまだ物理的に痛いのだけれども、私本当に大丈夫かしら……?
おもわず立ち止まって近くの壁に手をかけ旨の痛む箇所を抑えていると、ふと私に声をかける殿方が現れた。
「……サマラ?」
ヴィシャル様だ。
慌てて淑女の礼をすると彼は笑って見せた。
「ヴィシャル様、気付くのが遅れました。申し訳ありません」
「構わないよ。僕たちの仲じゃないか。それよりもこんな所で、どうしたんだ?」
気さくな声掛けではあるが、その眼は私を心配している。
それにしても、ヴィシャル様がこんな所をうろついているとは思わなかった。今までにない展開だ。
蝶の羽ばたきが巡り巡って嵐を巻き起こす事が有るのと同じように、時として私の行動は思わぬところに影響を与える事が有る。全く、これだから自室の外ではおちおち気を抜けない。
「いえ、少し……何というか、胸を打たれるような出来事が有って……」
「胸を打たれる? それにしてはまるで心臓発作でも起こしたかのような仕草だが」
「ああいや、心情的にではなく、その、物理的にです」
「ぶつり、てき?」
「先ほどなにやら階段で奇怪な行動を見せていたあの転校生がどうも何かミスをしたらしく階段を転げ落ち始めて……それを咄嗟に受け止めようとして、鳩尾に脚がクリーンヒットしまして……」
嘘は言ってない。
アレは存在自体が奇怪なのだから行動も全て奇怪だし、私が突き落としたと言う勘違いは致命的なミス。嘘はよくない。嘘は発情泥棒猫サンドワームの始まりよ。
私はアレと同じレベルには決して落ちない。だから嘘はつかない。
「いったいどんな状況なんだ……」
「さあ……私にも正直分かりかね――うぐっ」
呆れたような顔をする彼に併せて苦笑いをしようとした所で、ズキリと鳩尾が痛む。
本当にあの女は……これで痣になったらどのように責任を取るつもりなのかしら……一族郎党晒し首で勘弁してやるべきか……
「全く。そこを動くなよ」
わざとらしくため息を付くと、彼は右腕を私に向けて翳した。
すると、青白い光が溢れ、私の痛みが引いていく。
「で、殿下……これは――」
「とりあえず元の状態に戻して置いたから、これで問題ないだろう。あまり無茶をするな」
「あ、ありがとうございます! 最大限の感謝を」
殿下に治療されてしまった。
慌てて私はその場で深く礼をする。
「知っての通り、私はスキルで人を癒すことが出来る。とはいえ、本職の聖女のような効果ではないのだから、念のため今日はあまり無理をするな」
「そのように致します。お気遣いに感謝いたします」
殿下の持つスキルは『回復』だ。
もちろん聖女ほどでは無いが、殿下も回復魔法の使い手であり、有事の際は後方支援要員として裏方で負傷者の手当等で奔走することがある。
おそらく今、殿下は私の鳩尾を対象に踏まれる前の状態までわざわざ回復してくださったのだ。
私のためにそこまでして下さるなんて、どうも今のところは私の方が優勢らしい。
こちらが劣勢であったり、殿下が魅了されていたりしている場合、こうはいかないだろう。
彼が立ち去る姿を、礼をして見送り、私は再び歩き出す。
あの女め。
魅惑隠蔽の罪で断罪の暁には、直接私があの豚の胸をヒールで猛烈にストンピングし、立場と言う物を分からせてやる。
どんどん私の復讐リストにやりたいことが積もっていく。ああ楽しみだ。
あの女の顔が歪む姿を思うと足は軽やかになる。
問題は、その後だ。
断罪したその事実、あの歩く18禁が重ねた罪の数々、それがまとめて無かったことになってしまうこと。
軽やかな足に反比例するかのように、焦燥感だけが胸の中で募っていく。
もう時間はあまり残されていない。私に出来ることも限られている。
どうにかして、この現状を打破しなくては……




