T-G-1 替えのきかないもの
「上手くいったようですわね」
突然時間が巻き戻り、自分が王宮の執務室にいると気がついた時は流石の私も冷や汗を流した。計画通りになったとはいえ、賭けの要素も、なくは無かったから。
「ヴィシャル様、気分はどう?」
「最高だ……君のような人間の傍に居て、最高でないなんてことあるか?」
「相当キマってますわね」
聖女の犬に成り果てた男を一瞥し、私は再度ベティに視線を向ける。
「それでは乾杯しましょうか?」
◇
作戦はこうだ。
まず、ベティの魅了しておいた手駒を使い、犬畜生にけがを負わせる。
そうして倒れたところにベティを駆け寄らせ、治療するように見せかけて魅了避けを剥がし、魅了を掛けるという内容だった。
魅了避けは歯に穴を開け、そこに小さく小さく折りたたんで丸め込んだ状態でしまい込み蓋をするという手法を使って身につけている。
これを知っているのは王族以外では王太子妃教育を済ませている私だけ。だからこそこの案を思いついたのだ。護符を仕込むために歯に穴を開けるなんて、まるで影たちが自害用の薬を仕込んでいるかのようだと最初は思ったものだ。
そして魅了をしてしまえば後はもう私たちの思うがまま、その予定でいたのだけど……
「失礼します」
「まあ、ベッコウ男爵」
「王太子殿下がお呼びだと聞きました」
「ああ、その事だが」
魅了されてしまった殿下がいつもと何ら変わらない様子でベッコウ男爵へと指示を出す。
「教皇猊下が今恐らく客間にいるだろう」
「ええ」
「殺れ」
「……ええ?」
既に聖女の傀儡と化した殿下のその指示を思わず彼は聞き返す。無理もない。聖女の目の前で教皇を殺れと言う指示をするなど正気ではない。まあ実際に正気ではないんだけど。
そこに聖女ベティが颯爽と躍り出た。
「実は……今正に殿下に報告をしていたのですが……」
そこでベティが口にしたのは、あの教皇のおぞましい性癖の話であった。
教皇が日がな一日処女を食い荒らしている事。
そして食い荒らすだけ食い荒らした後は、よりにも寄って同じ女であるベティに、その後始末をさせている事。
それを聞いた瞬間、ベッコウ男爵は思わず顔を顰めて見せた。それは狗も同様だった。
魅了されていて正気ではないとはいえ、ベティに対する思考補正を除けば基本的には元の腐った王族のままであるというのに、こいつこそとんでもないクソ野郎なのにそんな顔するんだ……と思ったのはここだけの話である。
「にわかには信じ難いな……」
「ええ。しかしその……だからといって、王宮のど真ん中で……その……行動に移してしまってもよいのですか?」
「いや、待って」
そこで私は待ったを掛ける。
「猊下には教会の寝室でそのまま眠って頂きましょう。ちなみに教皇が亡くなった場合、次の教皇が専任されるまでの代行権一位は?」
わざと確認するように尋ねると、ベティがおずおずと手を挙げた。
「アタシです……」
彼女はそう言いつつも、目の奥は獰猛に光る。なるほど通りで教皇猊下を葬ることを企てる訳だ。
つまり教皇さえどうにか出来れば王妃になりつつ、教会すらも掌握出来る、と。
「素晴らしい、君が教皇になれば正に万々歳じゃないか!」
「で、でも……アタシなんかに、教皇代理は務まらないです……」
「君ならできるに決まっているさ。何と言っても聖女なのだからな」
中身のない賛美をペット風情が贈るが、ベティは曖昧に笑うばかりだった。
「と、とりあえず今猊下は陛下にご挨拶中なので……終わりましたら連絡が入るので、私はもう教会に戻りますね」
そして更に彼女は場を離れるために下手くそな言い訳をする……ように見せかけて、目の前にいる王国の影のリーダー格であるベッコウ男爵に情報をそのまま垂れ流す。
いやはや、この女の本性を知らなければただのアホだと頭を抱えていたかもしれない。
「ではそういうことだから、よろしく頼むぞ」
「は、はあ……」
ベティが足早に去ると、殿下は全てをベッコウ男爵にぶん投げていく。
「……こんな会話、聖女殿に聴かせても良かったのでしょうか……」
ごもっともである。王国の影も滅茶苦茶な指示に頭を抱えても仕方あるまい。
「それが殿下の狙いなのよ。ほら、あの子頭弱そうでしょ? それにそんな変質者が教皇だと万一外に知られたら大変なことになりますし……だから、ねえ?」
頭弱そう、であって、別に言うほど弱い訳でも無いから悪質ではあるのだが。あえてその先は口にせずに余韻を含ませると、向こうは勝手に私のその後の言葉を察したのか、眉を顰めて見せた。
「……仕方ありませんな」
「ご苦労様なことで」
そう言って、彼を下がらせる。
すると入れ替わりに部屋に入ってきたのは、もう1人の愚物であった。
「あら、奇遇ですわね」
「バガリー嬢……」
彼も同じく王宮にたまたまいたのか、それとも。
「ヴィシャル様でしたら先程部屋を飛び出していきましたわよ」
「先程廊下で会いました。妙な事を口走っていましたが……」
曰く、真実の愛を見つけた、とか。
それを聞いた時、私は思わず笑ってしまっていた。
「ふっ……ふふ、ふ……ご、ごめんなさい、私っふふ、こんな滑稽な真実の愛なんて聞いた事なくて……うふふははは!」
思わず反射的に扇で顔を隠すが、笑いは止まらない。
「バガリー嬢?」
「あははははっ、こんな愉快な事ないわ! し、真実の愛っ! あははははっ!」
面白すぎて、涙が零れる。
真実の愛! ただ魅了されているだけながら、それを真実の愛だなんて!
しかも本人は彼女が魅了持ちだと知っているのに、それでも真実の愛などと宣うとは!
「はー面白い。そうね、真実の愛なら仕方ないわね」
「何が起きているんですか」
「分からないの? 貴方も大概察しが悪いのね。あんなの魅了に決まってるじゃない」
サラリと言ってやると、彼はそのまま固まってしまった。
「み、りょう」
「ええそうです」
「でも……今まで殿下が魅了されたことなんて……」
「それは歯の中に護符を丁寧に折りたたんで押し込んで蓋をしていたからです。ですから歯を治療すればあんなの一瞬です」
王太子妃教育を完了させている私を敵に回すような愚策を打つような王族は、王族として不適格である。
だが、だからと言って切り捨てる訳にも行かない。次代を担う唯一の王族なのだから。そうなると取れる策も必然的に絞られてきてしまうのだ。例えば、傀儡政治とか。
「それが、貴女方の計画ですか」
「ええ」
そして、その暗愚王太子にへーコラと頭を下げることしか出来ない、言わば犬の犬みたいなわけの分からない状態になっているこの男。
こいつもはっきり言って王太子の側近としては不適格。だがこいつもまた残念ながら替えが効かない。なんせ宰相は変死してしまっているのだから。だから私は──
執務室の扉をノックする音が聞こえる。
「どうぞ」
短くそういうと、壮年の男が執務室へと入室する。
その表情は混乱一色に染まっていた。
「バガリー殿……どういうことか、ご説明頂けますかな」
「ええもちろんですわ。どうぞお掛けにな──」
「ま、まさか……そんな、はずは……」
替えがきかないのは変死しているから。だから私は、その更に前に時間を戻すことで、それを無かった事にした。
目の前に座って見せた宰相を前に、その愚息が信じられないように目を見開いて見せた。
「では単刀直入にお聞かせください、宰相殿。貴方を殺ったのは誰ですか」
これこそが、私の計画。そして目の前の鈍愚なる裏切り者への、せめてもの手向け。
私はこんな愚かな人間と仕事をするのは御免だ。だからこそ、私は殺人の可能性が極めて高いこの事件を無かったことにすることで、より有能な人間を傍に置くことに決めたのだ。
「私は……殿下の時間逆行魔法により、全身の血流を逆流させられ、それで死にました……」
ほぉら。
やっぱり犯人はあの男だった。




