T-G-0 魅了
鼓動が早い。
まるで心臓が今にも肋骨を打ち破り、露出しそうなまでに。
「……」
頭の中の大切な何かが弾け飛び、それを誤魔化すかのように分泌された脳内麻薬。
それ自体は無かった事になったが、記憶の残滓が私の脳裏に焼き付き、忘却を許さない。
「殿下、お加減は如何ですか?」
どっと溢れ出た汗が、まるで檻のように私の身体にへばり付き、私の胸の隆起を防ぐ。
肺の膨張が許されず、私は浅い呼吸を繰り返す。
「医官を、お呼びしましょうか?」
ようやく見上げた先にいたのは王宮侍女。そこでようやく自分が今王宮にいると思い至る。
この王宮は何日前の王宮だ。
「殿下!」
するとそこに、駆け足で誰かがやってくる音がした。息を切らして、全力で走ってきたようだ。
「クレイ!」
「殿下、一体何があったんですか」
「わ、から、な……」
記憶が次々と蘇ってくる。
新たに脳裏に焼き付いた記憶の量は少ない。しかしその中にあったのは、我が婚約者であるサマラと会話した記憶、そして在校生代表の挨拶をした記憶、そして……──
「ベッコウ男爵……」
「はい?」
「ベッコウ男爵を呼べ。聖女を暗殺する」
「暗……っ!?」
「奴に知られた。何もかも。最早生かしては置けない」
どこでバレた。
何故私の魅了避けの在処を知っている。
どうして私に時を戻させた!!
「手配します。殿下は執務室でお待ちください」
「……ああ」
クレイも事態を察したのか、そう言って一目散に部屋を飛び出す。
一人自室に取り残され、ようやく私は頭を整理することにした。
聖女め。どこで私が時間を戻していることに気づいた。時間を戻しているのを知っているのはクレイとサマラのみ。しかしクレイは先程の様子を見るに何が起きているのか理解していなさげであった。となると、サマラか。
だがサマラとあの聖女は常に敵対している。サマラから聖女に情報が漏れたとは考えにくい。
それに、何故私はあの場で斬られた? 後ろから斬られたから去っていく生徒の顔は見れなかった。後ろ姿から言って騎士課の者だった。
あの時もし聖女がいなければ、私は死んでいたかもしれない。だがあの騎士課の者は聖女は素通りしていた。やはり聖女が犯人か?
それにしては、あの時の聖女の手は私を治療する時に震えていた……いや、それももしかしてわざとか? でなければ私が護符を体内に隠しているところを的確に吐き出させるなんて真似は……
グルグルと思考を巡らせつつも自室に帰ると、そこには思わぬ客が待ち構えていた。
「まあ、ヴィシャル様。ちょうどいいところに来てくださいましたわ」
「サマラ!」
サマラがなんと王宮にいた。
これはツイている。
「気が付いたらここにいて……ヴィシャル様、一体何があったのです?」
「聖女に何故か私のスキルが知られている。それに私の魅了避けの隠し場所についても」
「まあ」
「頼む、教えてくれ。今日は一体何日だ!?」
早急に対策を立てねばならない。
そこにたまたま私の婚約者がいたのは僥倖だった。彼女とであれば、聖女を抑え込むこともできるだろう。
「今日は……書類とかを確認している限りでは始業式の2週間ほど前ですが……」
「そうか」
2週間ほど前となれば、タイミング的にはまだ何とか、聖女を始末できなかったとしても学園入学は阻止出来るかもしれない。
最も最良なのは暗殺だが、上手くいかなかった時のプランBも同時に頭の中で組み立てていく。
「どうも奴に魅了され、時間を巻き戻してしまったようだ。今ベッコウ男爵を呼ばせているのだが、あわよくば聖女を暗殺してしまいたい。あのままでは危険だ」
「ああ、そんな事でしたか。それには及びませんわ」
「は? 一体何を──」
カチャリと、扉が開く。
そうして私の執務室に現れたのは。
「来ちゃった!」
聖女ベティ・トレイソンその人。
「なっ……!?」
「お待ちしておりましたわ、聖女様」
即座に私に向けられて、癒しの力が放たれる。
迷いなく私の顔面に向けて放たれたそれが直撃した瞬間、魅了避けの護符が隠されている場所──私の奥歯の中に小さく丸めて埋め込まれていたそれが、癒しの力によって再生し私の口腔内に飛び出した。
そして──
「おら吐けやゴミ!」
腹部への激しい痛み。
呼吸が止まり、胃液が迫り上がる。
咄嗟に口を抑え、吐き出すまいとしていた所に、今度は聖女が右手を握り込み、鋭く私の頬を殴り付けた。
「ぶぼぉっ!?」
その凄まじい力で気がつけば、私は宙を舞っていた。
全てが減速しゆっくりと舞う中で、殴られたことで護符が口から吐き出されてしまった事に気付く。
床に叩きつけられ、視界が一瞬白黒に変化した中でも私は思考を加速させる。
──どうすれば、この現状を打破できる!? 聖女にまた魅了されたら私は終わりだ。しかし時を戻すにしても、更に今から時間を戻したところで聖女は記憶を保持しているからまた私を狙ってくる! つまりこれ以上世界の時間を戻しても無意味。
それにサマラが呼んだということは、やはり奴らは繋がっていたのか!?
つまりここから私が出来ることは……
「よそ見してんじゃねーぞカス!」
「がはぁっ!?」
叩きつけられて横たわったままでいた自分の腹部に、更に鋭い蹴りがねじ込まれる。
胃からせり上がってきた胃液に加え、凄まじい馬力で蹴られたことで血まで上がり、口から赤茶色の液体がこぼれる。
「楽にして貰えると思ったら大間違いだぞボケ!」
「まあまあベティ。あまりおいたをしては行けませんわ」
「死なせないから大丈夫だし」
「そうではありませんわ。貴方様は未来の王妃。今のうちから言動は直していかないと」
「は〜? 超ダルいんですけど〜」
何を言っているのか理解ができないでいた所に、唐突に癒しの力が注がれ、内出血が塞がり青痣が癒えていく。
そうして次に髪の毛を鷲掴みにされ、無理やり顔だけ起こされたところで、私は聖女と目が合った。
目が合ったのだ。
「お前みたいなカスはマジで救いがないので自由意志奪いま〜す!」
「はっ、なっ、ちょっ──」
彼女の目の奥が、ピンクゴールドに輝く。
その瞬間、彼女の眼に吸い込まれそうな錯覚と共に目の奥が焼けるような感触が私を襲った。
その火花が目の奥から私の脳に向かって跳ね、電気刺激が私の脳を包み込むように襲いかかり、それと同時に私の後頭部に永遠に消えない痕跡を刻んでいく。
ああ、私はこの感触を知っている。
以前聖女と目が合った時にも感じた感触だ。
雷に撃たれたかのような衝撃とともに、かつて経験した出来事を追体験するかのように私の身体が奥底から燃え上がっている。
なんと美しいのだろう。
これほどまでに私の心を昂らせるような存在は初めてだった。
その完成された造形美に、思わず私は歓喜に震えた。
完璧な存在が今、私の目の前で私に微笑みかけている。それどころか私の頭を優しく包み込むようにして持ち上げているではないか。
目が合っているという事実だけで息をするのも忘れ、私の心臓が警笛を鳴らすかのように激しくのたうち回る。
自分の顔面が赤くなるのを自ら感じるほどに血液が急速に頭に集まっていき、しかし脳にはその血流が回っていないのか、正常に思考をすることが出来ない。血液を頭に吸われている勢いで、手足が急速に冷えていき汗ばんでいくのに、下半身にも血流が集まっていくのを感じる。ああ、なんと恥ずかしいのだろう。
──この瞬間、私は再び聖女に恋をした。




