A-B-3 枝打ち
さて、周りが私に忖度して家ごと締め上げれば後は勝手に貧すれば鈍すると思っていたのだけれど、あの貧乏人は思わぬ形でそれをすり抜けてきた。
「そんな、私、そんなつもりじゃ……」
「いいんだ、受け取ってほしい。これは私の誠意だ」
空き教室にて。
冤罪回避のために父上の派閥に所属する伯爵家の令嬢と、敢えてその敵対派閥に所属する男爵令嬢と三人で歩いていると、ふと私は自身よりも3オクターブほど高音である不快な音波兵器に晒されたため、慌てて私は自らの足を止めた。
男の声が続けざまに聞こえたので、敵対派閥の男爵令嬢がコッソリと教室をのぞき込むと、彼女は早々にその伸ばした首を引っ込め、眉間に皺を寄せながらため息を付いて見せた。
「あの女、まーた貢がれてますよ」
「デボラ、覗きなんてはしたないですよ」
ベッコウ男爵令嬢であるデボラを、伯爵令嬢であるナンシーがそれとなく窘める。しかしその顔は興味津々だ。
まあ、山猿が自らの困窮を物ともしないだけの額を貢がれているのかなあと予想はしていたが。
案の定あのゲボカスは淫らなバイブスを遺憾無く発揮させ、殿方を誘惑しているらしい。
「そんなこと言われても、ヨッター家やバガリー家の高位貴族令嬢にはしたない真似をさせるわけにはいかないからこそ、相対的に卑しい行いが許される私が敢えて自ら進んで覗いているのですわ」
「私たちは頼んでませんわ」
「そもそもそのご自身を下げ過ぎる癖を直しなさい」
「それに、卑しさに相対的なんて評価基準は御座いませんわ」
「ナンシーの言う通りよ」
デボラは少々卑屈すぎるきらいがある。それも変な方向に。
決して暗い訳では無いけれど、何かと自身を卑下する傾向にあり、今回の件もそうだ。
「ほんとあの女の何が良いのやら……」
見つかると面倒なことにしかならないので、三人で踵を返し迂回する形で歩みを再開する。そして私たちは先ほどの光景について回想した。
「まあ、見てくれは悪くないけど、そんな絶世の美女ってわけでもないし、勉強はできるけどその割には頭が悪いというかなんかおかしいし、正直理解できませんわ」
話の内容は当然、あの淫猥な存在についての話だ。
……丁度今のタイミングであれば都合がいい。あの話をするとしましょう。
「これは、あくまでも噂なのですが……」
ゆっくりと、前置きを置いて御ふた方の感心を誘う。
こう言う物は余韻が大事だ。言ってもよい事なのか、戸惑うような仕草を造り、二人の興味を掻き立てる演技を行う。
「噂、とは?」
「そんな、勿体ぶらないで下さいませ」
「その……皆さん、口外なさらないで下さいます?」
「もちろんですわ」
「吹けば消えるような家名ですが、それに誓って」
よく言うわ。と内心でほくそ笑む。
この二人はこの学校では噂好きなオウムとしても有名だ。
もちろんそれを知った上で、私はこのオウムに噂を吹き込む。
「魅了スキル」
「……えっ!?」
「うっそ!!?」
「しーっ!」
白々しい事は百も承知で、案の定大層驚き、過剰に反応する彼女たちの口に指を立てる。
スキル。
貴族の証左と言う異名もあり、基本的にスキルは貴族の血筋にしか発現しない事が分かっている。
優性遺伝であるので、貴族と平民の間の子でもスキル持ちは発現する。ただ、血筋に平民の血が混ざっていると稀に貴族であるにもかかわらずスキルの無い者が生まれ落ちる事も有り、そうした者は跡継ぎから外されることがしばしばある。また反対に、平民落ちした貴族が縁戚とかにいれば平民でもスキルを発現する人もいる。
そして、非常にまれながらスキルを二つ備えて生まれる者もいる。神童だ。
あの逆神は、その神童の一人である事は過去の周回で把握している。逆神でも神には違いないと言う事なのでしょうか。本当に忌々しい……
彼女の一つ目のスキルは『聖女』と言うスキル。生まれながらに高位光魔法を行使し、人々を癒す事が出来るとされているスキル。
これだけでもとんでもない逸物として教会に保護されるものだが、彼女にはもう一つ秘密のスキルが存在する。
「あれ、でもトレイソン嬢って確か『聖女』として鳴り物入りで編入したはずじゃ……」
それが『魅了』だ。
「彼女が神に愛されし御子であるのは紛れもない事実ですわ。――故に、そうした神のご寵愛が有っても不思議ではないし、実際に過去『魅了』と『聖女』のスキルを持つ者が世に現れた事も有るのを考えると何ら不思議ではない――と言う話を伺っています。真偽は不明ですが……」
魅了。
所謂アクティブスキルに相当するもので、使用すると相対している対象者の自分に対する好感度を無条件に跳ね上げる事が出来るとされる精神攻撃系のスキル。その有用性、そして危険性から、この国では魅了スキル持ちは国によって厳重に管理されている。
どれだけ危険かと言うと、以前とある近隣の国で、あの忌々しいサンドワーム女と全く同じスキルを持ち、同じぐらい内面の醜い女が、全く同じ様に王太子に取り入った末に寝取ると言うとんでもない醜聞が発生したことがある。
その結果、寝取られた側の侯爵令嬢は投獄され、魅了された兵士により国王が暗殺され、魅了された王太子とその聖女がクーデターに成功してしまうという歴史的な大事件に発展した。最終的に寝取られた方の侯爵令嬢が更に革命を起こして二人を打倒したのだけれども、当然その国は二度の革命で国土が全面的に焦土になったと聞くし、話の顛末としては結果的にその国はその魅了持ちが滅ぼしたのだと言えなくもない。『傀儡王と毒蜘蛛聖女』として今や知らない者など居ない話だ。
そして我が国を含めた近隣諸国は、それ以降厳格に魅了スキル持ちについては管理をしてきた。傀儡王の二の舞にならぬように。
ちなみにその時に寝盗られた侯爵令嬢は史実では傀儡王と毒蜘蛛聖女を廃しその国を再度革命によってひっくり返し直した後、いまや技術大国と化したその新生王国の国家元首として辣腕を振るっていたとか。銃火器の発明をしたのもその新生王国の初代女王として君臨した彼女だったと聞く。
「でもまあ……魅了ということならばあの妙な派閥形成能力は腑に落ちますわね……」
「あの方確か元は平民でしたわよね? 市井に埋もれていて今まで誰にも、下手したらある程度の年齢になるまでは本人すら気づかなかったレベルの魅了持ちと言う事であれば納得がいきますわね……」
オウムではあるが、この二人はオウムよりもはるかに賢い。
私がただ一言『魅了スキル』と言っただけでそこまで辿り着くのだから、中々侮れない物である。
「あくまでも噂なので、御内密にお願いします」
「ええ」
「勿論」
うそうそ、どんどん広めて欲しい。
噂でしかないとは言ったが、これらは全て事実なのだから。
「魅了除けのお守りなんてばかみたいとか思っていたけれど、案外馬鹿にならない物なのね……」
「全くですわね。あ、いっそ私が確認しましょうか? 私が最も木っ端ですし、わざとお守り無しで突撃して、それで私が魅了されたら噂が真実だって分か――」
「そんな事して本当に魅了されたら大変なことになります。間違ってもその様な事はしないで下さい」
私があの魍魎が魅了持ちだと知ったのは、何度目かの敗北のタイミングだった。
その時の私は、酷く孤立していた周回の中で、唯一親しかったネールですらもある日を境に、急に掌を返したかのように私に対して冷たくなっていた。私はネールが、あの魑魅を妄信する狂信者と化した事に大きなショックを受け、その現実を受け入れる事が出来ずにいた。
そして私はあの下劣聖女に負ける事を半ば確信していた状況で、起死回生の一手として魅了の効果を持つ魔道具を闇ルートで手に入れ、それをあの断罪劇の場で使って見せたのだ。
そしてそれが、魅了除けのおまもりを身に着けていない人間に何の効果も発揮しなかったことに絶望し、そのまま衛兵に叩き斬られることでその人生を終えた。
魅了除けのお守りは、貴族であれば誰もが文字通り肌身離さず持っている。
件の『傀儡王と毒蜘蛛聖女』の事件では、毒蜘蛛聖女はまず王宮の下級侍女を魅了する事から始め、魅了した下級侍女の手引きで上級侍女、下級貴族……と順に魅了していった。最終的に王太子付の執事・侍女までもを魅了し、その手引きで王太子が唯一魅了除けを外す入浴中に突撃し洗脳したと聞く。
近隣諸国の全王侯貴族を震え上がらせたこの事件以降、ほぼ全ての貴族やその配下は徹底してこのお守りを外さなくなった。
……はずだ。少なくともまともな貴族ならそうしている。
それを、その場にいた者は誰も着けていなかった。
魅了が掛からない条件は3つ。
1つは魅了を無効化する魅了除けを着けている事。
1つは本人が魅了持ちであると言う事。
「先ほどの殿方はそうすると、魅了除けを着けていなかったのかしら」
「ですわねえ」
もう一つの条件は『既に魅了されていること』だ。
つまり、あの場のほぼ全員が、魅了されていた。
そして魅了持ちであるあの吐き気を催す邪悪は、私に向かってこう言ったのだ。
『――ざぁんねぇん。極悪令嬢様はとっととこの世からご退場くださぁい』
……と。
ああ、不愉快な記憶を思い出したらイライラしてきた。
……と、とりあえず、今日中にあの殿方の家名を調べて、もし当家と関係があるような家ならば関係切るようにしないと。それこそ毒蜘蛛聖女よろしく我が一族に魅了の魔の手が伸びかねない。
反社会的勢力とは関わってはならないのだ。あの女は反社。反社会的と言うか反国家的と言うか。だって将来の王妃たる私から王太子を簒奪する事を企てるなど反国家的に決まっている。国家反逆罪よ。打ち首打ち首。
「でもあの女の領って今かなり困窮してるわよね? なんであんなに着飾れるのかしら」
「そりゃあアレですよ。魅了した男に貢がせてるんですよ」
「でも頭空っぽなわりには流行とかそれなりに取り入れているような……」
「自分で選んでいないからこそセンスがそこそこである可能性もありましてよ」
ナンシーのふとした疑問に、デボラが的確に答えを切り返す。
デボラの言う通り、トレイソン男爵家の家計は正に火の車となっている。それは私が色々と確認しているので間違いない。
それなのにあんなに着飾ったりできるのは魅了した者にどんどん貢がせているからに他ならない。
服装は恐らく、自分で選んでいない。と言うか選べるほどのセンスがあるとも思えない。
まあ、言ってみれば所詮は擬人化したサンドワームでしかないのだから、本人に美的センスが無いのはある種当然と言うか、あったら逆に驚くのだけれど。今日のファッションは『凡』だ。
それよりも問題なのはあの鼻が曲がる量の香水だ。アレを全身くまなく振りまいているのは頂けない。香水には適量があると言うのに、貢がれているからって使い過ぎだ。あれは『下の下』よ。フェロモンのつもりなのかしら。まさか蟲だから産卵期……?
ああ、あの匂いを思い出すだけで身体中に憎悪と殺意がほとばしる。
なんとしてもこの国の敵たるトレイソン男爵令嬢を滅ぼさなくては。そのためには魅了されてしまったご子息も家ごと取り潰しておかないと。魅了避けを着けないでのこのこ洗脳される子息がいるような、一般常識範囲の教育を怠るような貴族の家などこの国には必要ない。芽は早く摘むに限る。
たしか極東の国には極小サイズの樹木を芸術として生ける文化があったはずだ。何だったかしらあれ。あ、思い出した。ボンサイとか言う名前だったはず。
ボンサイは必要な枝の成長を促し、より美しく見せるために、弱っていたりする不要な枝葉をわざと切り落として、栄養素を必要な枝にだけ集中させる『枝打ち』というテクニックが有ったはず。あれと全く同じよ。
国の成長のためにはああいう癌は早めに切除しておかないと、癌が国家と言う全身に転移して死んでしまう。だから摘むのよ。そうときまれば早く手を回さなくては。
私の手は汚さず、指示も出さず。
皆様の善意を以て、悪を叩き潰さなくては。




