A-B-2 その女、知的生命体に非ず
幾ら私がまだたかが一学徒であるとは言え、曲がりなりにも侯爵家の一員たる私、それも王太子の婚約者であるこの私が『目障り』と公の場で口にしたと言う事は、多大な影響力を持つ。
「ちょっと!」
思い返せば、最初の人生では私の取り巻きたちに命じて、よく嫌がらせをしたものだ。机や教科書類を汚損し、不潔な見た目に業を煮やして水を掛けたり、ある時は階段から突き落とさせようとしたり。
その後、私の教育的指導は感謝されるどころか、有ろうことかあの夜会で晒され、初めての毒杯を賜ったものだ。
「ちょっと、ねえ、聞いてる!?」
今にして思えば、私も何と愚かだったことか。馬鹿と接していると馬鹿が伝染するとはよく言った物だ。あの時の私は、大変恥ずべき事ながらもあの奇天烈女に惑わされ、愚策を次々と打って出ていた。
争いとは、同じレベルの者同士でしか起きない。あの時ばかりは、私はあの災害と同じレベルにまで堕ちていてそれはもう醜かった。
ええ、認めようではありませんか。あの時の私は、貴族としての品も無ければ、知性も失っていた、愚かな女だった。これは認めなければならないことだ。
私はバガリー侯爵家長女サマラ。ゆくゆくは王太子妃、いや王妃となる女。過去の過ちは反省しなければならないのは人としての常識と言う物。ましてやその過ちが無かったこととなっているのだ。王妃となるために反省も改善も毎回全て済ませ――
「ねえったら!」
目の前を桃色の閃光が走り抜け、私の道を蛍光色の魔物が塞ぐ。
なんと愚かな。そしてなんと不敬な。
私は将来の王妃であると言うのに、私の歩みを邪魔するとは何事か。王妃になった暁にはこの首を刎ねてやろう。いや、王太子妃となった暁にでも良い。何なら今刎ねてくれようか。
いや、しかし私の衣服をこの色違いガーゴイル女の血で汚すのも嫌。それこそ汚らわしいし、私に対してまた馬鹿病が飛沫感染でもしたら元も子もない。ただでさえ空気感染の疑いがあるのに。
ぐっと殺意を堪えて、貴族らしく、侯爵令嬢らしく穏やかな笑みを貼り付けて仕方なく、断腸の思いで会話を試みることにした。
「まあ、ごめんあそばせ。どちら様で――」
「アンタのせいでしょ」
口を開いて一秒足らずで理解に苦しむ金切声を浴びる。知ってはいたが、やはり人間またはそれに類ずる知的生命体に相当する知能は持ち合わせていないらしい。
「ええっと、一体何の――」
「とぼけないで。全部アンタの仕業だと言う事は分かってるんだから」
人の話している所に割り込んではいけないとは学ばなかったのだろうか。本当にどんな教育をしたらこうなるのか。親の顔が見てみたいわ。以前の周回で散々見たけれど。
「あの、言ってる意味が――」
「どうしてこんなことをするの」
言葉が通じない。まあ、通じさせようとするだけ時間の無駄なのは初めから分かっていた事ですが。
困った私は助けを求めるために後ろに振り向いた。
早く助けろ。
私が困っているのが見えないのか。愚図めが。
そう念じていると、私の念が届いたのか、一人の男が一歩前へと歩み出た。
「あー、失礼だが君は?」
「えっ!? あっ、クレイ様!」
今回、私が何もしていない事を証明する証人として行動を共にしていたのは、パリエ伯爵家令息のクレイ様。ヴィシャル様の側近でもある。父親はこの王国の宰相だったが事故で儚くなっており、今は奥様が当主代行をされている。
パリエ家は爵位こそ伯爵だし、領地もはっきり言って申し訳程度しかなく、下手な男爵領と比べてもとても小さい。
しかしこの家は代々宰相を輩出している特殊な家で、現王族を除いてある意味では最もこの国で権力を持つ家でもあると言える。無論、私たち侯爵家や、この国にただ一つだけある公爵家よりも上。
その職務は王侯貴族が暴走した時にこれを諫め、王家と貴族、そして平民間の権力の天秤を常に一定の傾きに定めるもの。もちろん平等にではないが、我々貴族や王族が暴走する事が有る場合はこれを諫め、時に断罪するのがこの家だ。
そんなクレイ相手に発情している雌が、私の目の前にいた。
「わたし、ベティ・トレイソンです。ベティって呼んで!」
「トレイソン嬢か。君は一体何なのだ?」
軟体動物の様にうねうねと動いているそれに困惑した様子で彼は問いかける。
「トレイソン嬢だなんて、そんな……ベティでいいって言ってるのにぃ」
いつだったか、このような生物を砂漠で見た事が有った。あの時は恐ろしかった。何だったかしら……
――ああ、そうだ。思い出した。あれはワームだわ。
まさにサンドワームのような動きをして捕食せんとパリエ伯爵令息にしなだれかかっているソレは、酷くサンドワームを連想する物だった。
その悍ましさに思わず一歩退く。
あの桃髪がもはや、蠢くサンドワームの口腔にしか見えなくなってきてしまった。ここだけの話。
「すまないが、私も婚約者がいる身。そう言う事をされるのは――」
振りほどかれた蟲女が唖然とした様子で彼を見ると、次に私に目線を向け、その口腔に涎を……じゃなかった、眼に涙を溜めた。
「そう。そうやってクレイ様を誑かして、私を裏で中傷しているのね。酷いわ」
えぇ……
いや中傷するのはやぶさかではないし当たらずとも遠からずだが、まだそんな事していませんわ。
大体今まさにパリエ殿にねっとりとした視線と言うか動きをして誑かそうとしているのは自分ではないのか。この生き物は鏡を見たことがないのか?
ああ待てよ、世の中の動物や魔物には鏡に投影された自らの姿の区別がつかない物があると聞く。要するにその程度の知能しか無い下等動物という事か。腑に落ちた。自己解決しましたわ。
「何の話をしている?」
「クレイ様、サマラは私に嫌がらせばかりしてくるのです。おまけに最近は家の力を利用して私の家に圧力をかけ始めていて……」
その言葉を聞いて、ほう、と非常に珍しいことに内心で少しだけ感心した。
てっきり、自分さえ良ければ自分のお家のことなど心の底からどうでもいいとか思っているのだろうと考えていたのだけれど。ましてやそれが私の圧であると気付くとは。
私は何も人に指示はしていないのだけれど、どこから足が付いたのやら?
――そう。私は今回、自らの手で教育的指導は一切しないと決めている。自らの手で、というのは勿論物理的な物だけでなく、口頭や書面その他による指示も含めた一切の干渉を行わない。
その代わり、今回は私の周りに動いてもらう。わざわざ私が動く必要などないからだ。ほんと、なんで今までの私は直接指導なんてしていたのかしら? くだらない事に拘りを見せてしまうなんて、本当に脳みそがショッキングピンクヘアー病かなにかにでも感染していたのかも知れない。
私は将来の王妃だ。いや、それ以前に貴族だ。
貴族とは、究極的には人の上に立ち、人を指揮する立場の者だ。ましてや私は、その中でも国全体をヴィシャル様と共にいずれ指揮する立場にいる。そして部下や民の意思を汲み取り、この国の利益を追求し、生涯に渡って――いや、理想としては死後ですらも――国民全体の幸福度を最大化する努力をし続けなければならない。これは上に立つ者の義務である。
「酷い言いがかりですわ」
そして、それは逆も同じ。
国益を最大化させることは民の努力義務だ。そして私の民や私の部下は、私の事を――第一にとは言わないけれど――それなりには尊重してもらわなければならない。
だから私の周りには私の意を汲めない者は居ない。直接言わずとも、私が憂慮すれば勝手に周りが動く。
今回私は大いに憂慮した。ただそれだけの事。
私は何もしていない。
「私はただ、みんなと仲良くしたいだけなのに……」
そう言って彼女は、パリエ様の制服に向けて自らの顔から気味の悪い分泌液を浴びせ、制服を湿らせていく。あのような気味の悪い分泌液を殿方に向けて撒き散らすとは、まさか本当に産卵期のサンドワームなのかしら……?
「ええと……」
「パリエ様、お召し物が汚れますわ。せめてこちらをお使い下さいまし」
グイっと引き剝がしたうえで、ハンカチを差し出す。
「私が平民出身だからいけないの……? この学校は身分関係なく、皆が分け隔てなく過ごせる場所じゃなかったの?」
有り得ないとでも言いたげな目がこちらに来るが、そんなものは無視だ。平民だからではない。お前がどうしようもなく愚かだからだ。とはいえ、答える義理も無いので無言でスルーし、私たちは足早にその場を去った。
「災難でしたわね」
「全く……噂には聞いていたが、実物を見るとなかなか凄まじい物ですね」
双方でため息をつく。
「ええ……どう言う訳か、あの方がご入学された初日から妙に付き纏われていて、私としても流石に……なんというか、疲れが……」
再度ため息をし、『嫌だ、私とした事がはしたない』等と小さく呟けば、強い同情の目がこちらへと向く。
「私で良ければ、何でも相談してください。微力ながらもお力添えしますよ」
「まあ、ありがとうございます。ですが私としてはご相談せずに済む事を祈るばかりです」
気丈そうな笑みを慌てて扇で隠し、さも取り繕っているかのように振る舞う。扇で疲れた顔を隠しているよう彼に見せながら、その更に裏ではこれでこの男は私の駒として動いてくれるだろうと打算を付ける。
『可愛げ』の重要性について気付かせてくれた点については、あのチョメチョメを褒めない事も無い。可愛げと隙を人に見せるようになってから、私はますます人心掌握術に磨きをかける事が出来た。
繰り返される時の牢獄の中で、皮肉にも私は敵の手によって成長している。敵は自ら私を育てる事によって、己の首を絞めている。ある意味可愛い所もあると言う物。
「それではパリエ様、私は次の授業がありますので」
「あ、もうそんな時間でしたか」
「ええ。何とも無駄な時間を過ごしてしまいましたわ……まあ、何はともあれ、御機嫌よう」
最もそれは、私が手を緩める理由にはならないのですけれども。




