A-G-R(EP) 癒しの力
『貴様は……何と言う事をしてくれた!!』
破裂音のような物が聴こえたかと思うと、次の瞬間には殿下が床に倒れ伏していた。
『で、殿下!?』
慌てて駆け寄ろうとすると、突然国王陛下が僕の前に出現し、低い声で僕を静止した。
『ち、父上……!』
『黙れ!』
鈍器で打ち据える様な鈍い音。
次の瞬間には殿下の四肢は有り得ない方向に曲がっていた。
文字通りの一瞬だった。
『ひっ……!』
『王族ともあろうものが何を無様に床に這い蹲っておるのだ。立て』
『ひ、ひうえ……』
『立てと言っているのが分からぬか!!』
怒号と共に殿下の身体がゆっくりと再生していく。
折れ曲がった四肢が、青紫色の光と共に不気味な音をゴキゴキと立てながら在るべき姿へと巻き戻って行く。
『貴様の沙汰は追って言い渡す。衛兵、即刻そこの平民の首を刎ねよ』
『えっ!?』
僕の傍に同じく控えていた聖女は突然の死の宣告に驚愕し、僕にしがみついてみせた。
『なっ……父上、お待ちください! 彼女は貴族です!』
『何を馬鹿な事を。奴は貴族籍離脱の申請をとうの昔に完了した紛うことなき平民だ。ああ、なんとバガリー侯爵に詫びたらよいものか……第二子がおれば喜んで貴様の首を差し出したものを!』
『そんな馬鹿な!?』
『まって! なんでアタシを殺すの!?』
『貴様がヴィシャルを誑かさなければこの様な事にはならなかったのだ、小娘! ええいもうよい、儂が直々に斬り捨ててくれる!!』
次の瞬間、自分の後方にいたはずの聖女が複数の血飛沫を撒きながら崩れ落ちる。
当然その前に立っていた僕の服に、夥しい量の血液が飛び散り汚していく。
『え……?』
瞬きの間に国王陛下は後方へと回り込んでおり、その手には近衛兵の持っていた剣が握られていた。
よく見れば最寄りの近衛兵の手元から剣が消えている。
一体何が起こっている。
『あぁぁ……ぁあぁああ……!』
何が起きているのか理解できていない所に、更に理解を超える出来事が起こり続ける。
ズタズタに切り裂かれていたはずの聖女が、ゆっくりと立ち上がったのだ。
『なっ!?』
『いだ……ぃ……痛、い……痛いじゃない! 何すんだよ、この変態!!』
国王陛下までもがギョッとした様子で彼女に目を向ける。
無数に刻み込まれた斬り傷が、蠢きながらも癒えていく。
『馬鹿な!? 貴様は儂が何度も斬りつけた筈!』
『馬鹿はどっちよ! アタシは聖女なのよ!? その程度の武器で死ぬと思ったら大間違いよ!!』
続け様に聖女が癒しの力の籠った光の玉を生成しそれを国王陛下目掛けて放つ。
それをノーモーションで瞬間移動し躱した陛下は、再び予備動作無しで突然聖女の前に現れその腹を串刺しにして見せた。
再び血飛沫が舞った事で、ようやく僕は我に返った。
『衛兵! 何をしているんです、国王陛下がご乱心されています!!』
剣で聖女を縫い付けている国王陛下に対して咄嗟にそう声を出せば、ハッとした様子で近衛たちが陛下へと飛びかかった。
回避しきれなかったとでも言うべきか、国王陛下がそのまま拘束されると、追って我に返った殿下もまた近衛に指示を出す。
『離宮へ幽閉しろ! 離宮の扉は閂で塞ぎ、警備係は必ず扉に自らの手を当てて警備しろ! これは命令だ!』
『はっ!!』
陛下が両脇を抱えられて引きずられて行く。
その隙に僕は聖女の元へと駆け寄り、彼女に声をかけた。
『申し訳ありません……今からこの剣を抜きます。痛みますが、ご容赦を』
ズルリと剣を引き抜くと、聖女が苦痛に顔を歪め声をあげる。
血がボタボタと抜かれた剣先から垂れていくが、その傍から聖女の腹の傷は塞がって行く。
正しく神の奇跡、そして寵愛の証だった。
『あぁッ……ぐうっ……!!』
『本当に、申し訳ありません』
『いい、の……でも──』
──おっさんは許さない。
『え?』
再度癒しの力の籠った魔力の塊が聖女の掌から撃ち出され、引き摺られていた国王陛下の背中を直撃する。
『ぐおっ!?』
その衝撃で吹き飛んだ陛下が憎悪に満ちた目を向けながら立ち上がり、聖女に一歩足を踏み出した瞬間、異変は起きた。
『……がはっ!』
突然、陛下が血を吐き片膝をつく。
『おいおっさん、アタシはやられたらやり返す主義なの。今どんな気持ちだ? うん?』
『ぐ……あっ……! 貴様、何をした……』
『何って、癒しただけだしぃ? アタシ、聖女ですから』
ニイッ、と、そこで聖女は不気味な笑顔を浮かべ口を三日月状にして見せた。
『びょーげんたいって知ってる? デトルーロ王国の医療魔法士が出してる論文にあった概念なんだけどぉ、大抵の病気って実は目には見えない小さな生き物によって引き起こされてるんだってー』
それは初めて耳にする情報だった。
『だからアタシは、物は試しにおっさんではなくおっさんの身体の中にある病原体を癒してみたの。結果は見事成功だったみたいね?』
『ぐあっ……がぁっ!!』
瞬く間に国王陛下の全身に赤い発疹のようなものが現れ、皮膚が黒ずんでいく。
『でもやりすぎちゃったかな〜? てへ』
彼女がそう言い終わる頃には、国王陛下は床に倒れ伏しており、息をしていなかった。
『お……おい、嘘だろう……?』
『えへへ、これで邪魔なDVオヤジは居なくなりましたね? ヴィシャル様?』
聖女は天真爛漫な笑みを浮かべ、殿下に歩みを寄せる。
それを有り得ないものを見るような目つきで彼は一歩、後ろへと下がった。
『く、くるな……』
『ヴィシャル様?』
『来るな! うわあああああああっ!!』
次の瞬間、なんと殿下はそのまま逃げ出してしまった。
慌てて僕は近衛に現場を維持し何人たりとも出入りをさせないように厳命し、彼の後を追った。
『殿下!! お待ちください!!』
『はぁっ、はぁっ……こんな、はずでは……』
ようやく立ち止まった殿下を何とか捕まえると、ハッと思いついたかのように殿下は、縋り付くように僕の袖を掴んで見せた。
『……てくれ』
『え?』
『絶対記憶を、私に掛けてくれ。それから、自分自身にも』
『僕のスキルを、今?』
『いいから! 後で説明する!』
突然何を言い出すのかと思いながらも、渋々僕は自分のスキル──忘れることを許さない呪いを──殿下に掛けると、ようやく安堵した様子で殿下は息を整え始めた。
『私のスキルについては話したことがあったか?』
『え、ええ。癒しの力であると』
『私のスキルは癒しではない。特定の対象の時間を巻き戻すことができるものだ』
その言葉の意味を理解するのに、少し僕の頭は時間を要した。
『時間を?』
『私が普段癒しであるように振舞っているのは、実際には時間を戻して病に倒れる前の時間まで戻すということを隠しているからだ』
『……』
『そして私のスキルで指定する対象とは、体の部位だけでなく物や地形、そして世界そのものを対象とすることも可能だ』
『……えっ?』
『だから私は時間を巻き戻す──』
次の瞬間、僕の視界が紫一色に染まる。
何が起きているのか分からず、自分の身体すらも見えず辺りを見回していると突然視界が晴れる。
『なっ!?』
視界が晴れた瞬間、僕は王都の邸宅にある書斎で佇んでいた。
何が起きているのか理解できず、書斎を飛び出すとそこにいたのは母上だった。
『あらクレイ。そんな血相を変えてどうしたの?』
『は、母上……何がどうなっているのです? 僕はたった今まで王宮にいたはず……』
『王宮? 貴方が書斎に入ってまだ五分と経っていないわよ?』
『ご、えっ?』
突然の出来事に頭が追いつかない。
文字通り頭を抱えていたところで、自身の部屋から出てきたのは父上だった。
『アガサ。何が起こった』
『あなた?』
『今までバガリー侯爵家にいたはずなのだが、気がついたらここにいた』
『父上もですか?』
僕と父上は目を見合わせた。そこでようやく理解が追いつき、今の状態に気付く。
僕は時間が巻き戻っていることを覚えているのだ。
そしてそれは、同じスキルを持つ父上も同じこと。
『お前もか、クレイ』
『バガリー侯爵家へと向かっていたのは婚約破棄の件で、ですよね?』
『ああそうだ』
『婚約破棄? 何のことを話しているのです??』
『……父上、その件で話があります』
事情を全く理解できていないのは母上だけだ。彼女は無関係だったために絶対記憶の付与を受けていない。だから時間が巻き戻った事に気付いていないのだ。
その事を端的に伝えると、父上は何とも難しい表情を浮かべた。
『そういう事か……時間を巻き戻す能力……陛下に話は聞いていたが……』
『まさか、聖女があの様な凶行に及ぶとは、夢にも思わず……』
『しかし聖女様がお怒りになるのも無理はあるまい。それで、今の時間であれば殿下はどちらに?』
『分かりません。まずは今が何日なのか確認しなければ……』
そうして調べて見たところ、時間は学園の新年度が始まる2週間ほど前まで巻き戻ってしまっているということが分かったのだ。




