A-G-R はじまりの話
「実は、1番最初の周回では僕の父は生きていたんです」
彼の口から語られる1番最初の周回は、私の記憶とは全く違っていた。
「その時は、まさかここまで話が拗れるとは思ってもいませんでした。僕のスキルと殿下のスキルを組み合わせれば、記憶を保持したまま時間を戻ることができると気づいたのも初周が終わってからの話でしたし」
「……」
「僕が最初に貴方たちを見かけたのは、口論の場でした。廊下ですれ違った際にぶつかったとかそんな話をしていた──」
◇
『きゃっ!』
『きゃあっ!! ちょっと、何をなさるんですか!?』
当時聞いた話では、突然叫び声が聞こえて続け様に女性が口論する声がしたとの事だった。
口論をしていたのは桃髪の特待生と学年首席の女子生徒であった。
『ど、どうしてこんな事をするんですか!?』
『どうして? 貴方こそどうして私の通り道を塞ぐ様な真似をなさるのです? この私をなんと心得ていらっしゃる?』
学年首席の女子生徒は極めて冷酷である事で有名な女子であった。
名はサマラ・バガリー。バガリー侯爵家のご令嬢にしてヴィシャル王太子の婚約者でもある超人。
『貴方だって避ければいいじゃない!』
『何故? 未来の王妃が、何故貴方のような童を前に道を譲る必要が?』
もしそんな彼女と廊下でぶつかるなんてしたら、どんな制裁が下るか分かったものでは無い。目の前の女の人生もおしまいだな。
そう、誰しもが思っていた。
『未来の王妃だから何なの? 強ければ一方的に弱者を踏み躙っていいの? しょうもな。そんなしょうもない人が未来の王国担うとかこの国の先行きは暗いわね』
『……何ですって?』
しかし、目の前の女生徒は違っていた。
彼女は特待生として入学してきた女子で、父親はしがない男爵、そして母親はおてつき。即ち庶子。本来であれば吹けば飛ぶような軽い命だった。
だけれど、彼女は重大な肩書きを持つ女でもあった。
『アンタの歩みは覇道の歩みでしょ。踏み躙られた弱者の血を更に踏み締めて足跡にするようなバカの歩みの果てにあるのは滅びに決まってるじゃん』
『無礼者!!』
『無礼? 学園の規則では生徒は平民であろうと貴族だろうと、それこそ王太子様だろうと平等な事になっているんですけど?』
今までバガリー嬢に言い返すような気骨のあるような生徒なんて存在しなかった。
それが、良くも悪くも殿下の目に留まってしまったのだ。
『何をしている』
そこで殿下は初めて聖女と顔を合わせた。
そこが全ての始まりだったのだ。
◇
『いい気味ですわね』
陰湿な虐めが始まったのはそのあとすぐの事だった。
陰口から始まり、グループワークで村八分にされ、廊下を歩けば転ばそうと脚を伸ばす者が現れ。
時には直接聖女を恫喝する者まで現れた。
『生意気なのよ、アンタ!』
本来ありえない水の音がした事で異変に気付いた殿下が校舎裏に足を運んでみれば、そこには水を掛けられ全身ずぶ濡れの聖女が地面に座り込んでいた。
『幾ら殴っても勝手に癒えるのは好都合ですわね?』
『ええ、現場を見られなければ証拠が残りませんもの』
『──では見られた場合はどうなのだろうな?』
ハッとした様子で聖女を囲っていた女子生徒たちが振り向く。
『クレイ』
『ええ、顔は覚えました。ここにいる者たちの家はすべからく反教会勢力にして、王命でこの学園に通っている聖女を害する反国家勢力でもあるとこの後父上を介して陛下に報告致します』
『ち、違います!! 決してそんなことは──』
『では何故そこに聖女が横たわっている』
『くっ……!』
『消えろ。2度目はないと思え』
冷酷無比なヴィシャル殿下の言葉に、顔を青ざめさせた令嬢たちが散っていく。
『すみません……私が、平民であるばかりに……』
青い顔をしながらも立ち上がる彼女は、憐れに見えた。
聖女とは、教会と言う巨大組織に所属する女共の頂点に君臨する女帝。
神に愛され、聖なる癒しの力を授かり世界の均衡を守るために存在している彼女は、しかし産まれが平民であると言うだけで虐げられているのだから。
……少なくとも、その時はそう思っていた。
『自らの出自を辱めるな。お前はトレイソン家の娘にして聖女だろう』
『……』
『尊い血の濃淡や出自など関係ない。少なくとも学園では校則で生徒は皆平等であると明記されている。この中では血の貴賤は無い』
『でも……それって中身のないルールなんじゃ……』
聖女の指摘は正しい。
あってないようなルールと化しているのは間違いない話であった。
『それに、お前は聖女だろう。世界で最も神に愛されし尊い存在だ。それこそ、我々のようなたかが王侯貴族如きとは比べるまでもなく尊い』
『そ、そんなこと、無いです……』
『いいやそんな事はある。聖女は世界で唯一人。我ら王族は各国に一人。君に跪くべき立場だ』
そう言うと、なんと殿下はあろうことか臣下の礼を、聖女に向かってして見せた。
『で、殿下!』
『お、おやめ下さい!!』
『あってないようなルールなら、目上の人間に礼を尽くすのは当然だろう?』
『あってなくはないです!!』
慌てて二人で止めにかかれば、殿下は笑って見せた。
『な?』
『ほんとやめてください! もしサマラ様とかに知られたら……』
『奴は権威側の人間だから怒り狂うだろうな』
『だったら本当にやめてください!』
『ははは』
恐らくこの辺りから、殿下は聖女に惹かれ始めていたのだと僕は思う。
そしてそれはその時の君も、薄々気付いていた。
だからだろう、彼女に対しての虐めは激化していく一方だった。
『──あらァ、ごめんあそばせ?』
『──やぁだわ、そんな目で見ないで頂戴。またただの事故を大袈裟に盛られて告げ口されちゃうわ』
『──痛くも無い腹を探られるのはいい気がしないのよねぇ』
『──で? 証拠は御座いますの? 貴方様のどこにそんな痣が残ってらっしゃるのかしら?』
『──なんて都合の良い身体なのでしょう。羨ましい限りですわね』
『──神のご寵愛を受けて、さぞ何も苦労せずに今まで生きて来たのでしょうね』
聞くに絶えない悪口ばかりだ。
そしてその裏にいたのがバガリー嬢であったと突き止めるのに、そう時間は掛からなかった。
『ヴィシャル様』
ある日のことだ。
学園の食堂で食事をしている所に聖女と談笑していたところで、バガリー嬢がふと現れた。
『なんだ、サマラ』
『何故婚約者でもない者と一緒に食事をされているのですか?』
『いけないかい?』
『王太子ともあろう御方が、一般的な道理を軽視されるのは驚きですわ』
その言葉に対して聖女が居心地悪そうに身を僅かに捩る。
『密室での密会ならまだしも、ここは衆人環視の食堂だぞ?』
『そういう問題では御座いません。単刀直入に不誠実だと申し上げております』
気が付けば食堂は静まり返っていた。
『不誠実、か。では聞くが、君こそ目上のものに対して相当不誠実な対応をしていないか?』
『まさか。この私がヴィシャル様に不誠実な事など何も──』
『そうではない。ここにいる聖女殿に対しての態度を言っているんだ』
そう言って彼はおもむろに立ち上がる。
怒り心頭のバガリー嬢とお互いに目で威嚇し合うその様に、食堂に居合わせてしまった人々が一様に、息をするのも恐ろしいと言った様子で生唾を呑む。
『聖女様に?』
『ああそうだ。私は所詮、未来の一国の主でしかないが、この聖女を君はなんと心得る』
『仰る意味が分かりませんわ』
『分からないか? 聖女とは世界で唯一人しか存在しない絶対的な存在。私と比べても尚遥か雲の上の存在とも取れる高貴な御方だ。それに対して君の態度はなんだ』
『は……!?』
『これは最後の警告だ。直ちに聖女への下らない嫌がらせを辞めろ。さもなくば痛い目を見るぞ』
『……っ!!』
顔を真っ赤にして猛然と早歩きで食堂を立ち去るバガリー嬢を見て、その時の僕は安堵の息をついたものだ。
これで収まってくれると。その時はそう信じていた。
『サマラ・バガリーよ。今日この時を以て、私ヴィシャル・ルトゥールは貴様との婚約を破棄する!!』
王立学園の卒業記念式典と言う記念すべき舞台で、殿下が声高にそう宣言したのは僕から見ても青天の霹靂だった。
殿下の声は怒りと憎しみに満ちており、集まった貴族たちが思わず息を呑んだ事は今でも鮮明に思い出せる。
『ちょっ、ヴィシャル様もお戯れを。このようなめでたい日にそのような冗談を──』
『──冗談だと? この様な場で、この様な宣言を、まさか冗談ですると思っているのか?』
周囲の人間がざわざわと無遠慮な好奇の視線を浴びせる中で、殿下の影でやはり居心地悪そうに聖女がたじろぐ。
『一体何を……』
『何を、だと? サマラよ、貴様がベティに対して行ってきた数々の非道な行いを、私が知らないとでも思ったか。聖女でもあるこのベティに対するその行いが、王太子妃として相応しい物であったと本当に思っているのか?』
ベティと言う固有名詞に反応し、バガリー嬢はようやく気づいたと言った様子で聖女に目をやった。
『ああ、その薄汚い淫婦の事でしたか。教育的指導をしていたまでのことです』
『教育的指導だと?』
『ええ』
『貴様に逆らえない手先共に命じて花器を降らせたり、集団リンチをしたり、階段から突き落とすことが教育的指導だと?』
『はて何の事でしょう。事実無根ですわね。第一そのような恐ろしい事をしていて、聖女の身体に痣ひとつ無いのもおかしな話ですわ』
『わ……わたし、見ました』
そんな時に第三者の声がし、誰もがその方向に首を向けた。
『バガリー様が指示している所を……』
『なっ……!?』
『私も見ました』
『私も』
『僕も見た!』
『俺も見たな』
驚愕の面持ちでバガリー嬢は証言をした者たちを見ていた。
『そ、そんなはずは……』
『これだけの人間が証言しているが?』
『事実無根です! 大体、口で言っても分からないのなら、身体で分からせるしかないではありませんか。何処の馬の骨とも分からぬ者を傍に置かれるほど殿下は耄碌されたのですか』
『貴様……言わせておけば……!』
2人のボルテージが益々上がっていくところに、意を決したように聖女が口を開く。
『待って! サマラ、どうか罪を認めて謝罪してください! 私は貴方からの謝罪さえ有ればそれで良いのです!』
『私に気安く喋りかけるな、奸婦。私を誰と心得る!』
その言葉を最後に、殿下は堪忍袋の緒が切れた様子だった。
『聞くに絶えぬおぞましき罵り言葉だ。衛兵、この女を捕らえよ。殺人教唆、暴行傷害罪、爵位の乱用の容疑だ。言い逃れは出来まい、早く連れて行け!』
衛兵がバガリー嬢の腕を強引に掴み、引き擦っていく中で、殿下は更に観衆に向かってもう1つ宣言をした。
『私ヴィシャル・ルトゥールは新たにこの聖女ベティを、生涯の伴侶して迎える事をここに宣言する!!』
『ちょっ、離しなさい! 無礼も──え、はあっ!!?』
『ヴィシャル様……私……』
『気にする事はない。君のその優しさこそが、この国を導いていくには必要だ。私は……俺は、ベティと生涯を共にしたいと、心から願っている。どうか、応えてくれないだろうか』
『……はいっ!!』
感極まった様子で聖女の眼から涙が一粒流れ落ちる。その瞬間、殿下は勢いよく聖女の腕を引き、その場で口付けを交わした。
あの様な大歓声、後にも先にもあれきりだろうと僕は今でも思っている。
そしてこの二人の眩い笑顔が、その後脆くも崩れ去る事など、この時は誰も夢にも思っていなかっただろう。




