B-G-5 急転直下
悩ましい。
イグアスからの定期報告を受けて件の助祭セレリタ・セカンダ助祭を起点とした家系図を脳内に展開し、再度思案しながら学園の廊下を歩いていた。
そしてメギッシュ・メカリフ子爵令嬢改め、メーガン・パルテ侯爵夫人以降の家系図からは、現存する貴族院の資料を私自身も直接閲覧する事ができるので、もうその家系図は全て頭に叩き込んである。
そうして思ったのだが、もしネールではない別のパルテ侯爵家の血縁者に犯人がいるとすると、私としても少々手を出しづらい。
家柄・家の格としては我らは概ね同格。だからこそ私はネールを唯一対等な女友達として扱うことができているのだ。
しかしパルテ家の者を洗うとなると友好関係が崩れる可能性がある。それは避けたい。
しかし現状この学園にネール以外のパルテ家の人間は通っていないので、そうなるとやはり調べてみる必要がある。
そうでなくとも、パルテ家の面々で私でもスキルが分かっている人はネール以外は皆、時とは関連の無さそうな人達ばかりだし……
「ん〜、それにしてもこんなに静かな学園なんていつ以来かしら……」
実は今、あの頭も股もゆるふわな女はこの学園にいない。
と言うのも、敢えて私からあのあとヴィシャル様に進言してみたのだ。
内容は『ミノール領の鉱山事故対応に聖女を派遣してみてはどうだろうか』と言うもの……
実は癒しのできるヴィシャル様が、もしかしたら慰問に向かうかも知れないと言う話が今回王宮会議で持ち上がっているとパリエ様より小耳に挟んだのだ。
だからそこで崩落を招いた張本人であるこの私は我ながらいけしゃあしゃあと白々しくもそれっぽい様子でヴィシャル様に提案し、ヴィシャル様がこれを王宮会議に提案。
それが王宮会議で承認された事で教会への申し入れが入り、ゴミをゴミ処理場に上手いこと輸出することができたというわけだ。
唯一残念だったのはヴィシャル様も帯同することになってしまった事だが……まあ、今回はそこまで彼女に傾倒していないし、お目付け役は必要であることには違いないのと、何よりまだ王宮入りしている訳では無い私がどうこう口出しする問題ではないので、こればかりは仕方ない。
次回があればその時はもう少し上手い方法を考える。
あ〜〜〜〜〜〜、空気がいい。
清涼感を心なしか感じる。
あの安っぽい猫の小便みたいな臭いの香水の匂いを嗅がなくて済むって、こんなにも素晴らしい事だったのかしら。
この手は使える。
ミノール家にはなんの恨みもないけど、今度からもしどうしてもドブのような香水の香りに耐えられなくなったらまた落盤事故起こしてやろう。
いや勿論もう過去には戻らないようにするのは先決だが。
でもあの腐臭が無いだけで本当に昔から私の愛していた学園が戻ってきたって気がするし、何より汚物に特攻仕掛けられることが無い。
例えばいつもならあの道化がなんかすっ転がって行くことが多いあの大階段とかがもう少し先に行くとあるが、そこに差し掛かっても私は辺りを警戒する必要が無いって素晴らしい。
当たり前のことを当たり前に享受出来ることの喜びに、気が付けば私は周囲に人がいないこともあり、無意識に鼻歌を歌っていた。
「『七つのヴェールの踊り』か?」
「まあ、パリエ様」
くるりと振り返ってみると、そこに居たのはパリエ様だった。
「今日は随分と機嫌がいいんですね」
「ええ。それはもうとても気分がいいですわ。思わずはしたなくも鼻歌を歌うほどには」
どれだけ気分がいいか、それはもう小一時間解説して差し上げても宜しい位には気分がいい。
私がオペラ歌手であったら目の前の大階段で盛大にクライマックスを歌っていたことだろう。
「個人的に、そう言った題材のものを好いているとは思ってもいませんでした」
「まあ。それはどうして?」
「それは……七つのヴェールの踊りと言えば、女性が身に纏ったヴェールを脱ぎ散らかして、そっ、その素肌を晒し……王を誘惑するために踊る、ち、直接的に性的な踊りですから……ふ、ふしだらで下品と評されるかと思い……」
「あらあら、パリエ様も可愛らしい表情をするものなのですね」
そういう彼の顔は真っ赤だ。
まあ確かに、ふしだらで品がないストリッパーの腹踊りと言ってしまえば、そういう見方もあるだろう。
「もちろん、色んなプロダクションではハレンチなものとして描かれてはいますが……そもそもこの曲は、王の御前でする神聖な、王のために捧げる舞。本来であれば教会総本山の神前礼拝で聖女が使用する様な、上品かつ華美ではない敷物の上で行う、祈りのように穢れのない、徹底して上品な踊りを想定している曲なのですよ」
……その聖女がまさにそのふしだらで品のないストリッパーみたいな物なのだから世の中業が深い物なのだが……まあそれはさておき。
「そ、そうなのですか……」
「ええ。そもそもこれは、玉座を簒奪したヘロド・アンティパが先王の妻を奪い、その娘サロメに恋し、踊りをしつこくせがんだ末に、褒美を取らせると約束した事で、サロメがそういうことなら行った踊り。しかし彼女もまたジャン・ル・バプティストに叶わぬ恋をしてしまっており、その感情が拗れた彼女がこの後求めるのがジャンの首で、なんとその首に口付けをしてしまう所をその後王が目撃してしまうという、なんとも業の深い戯曲ですし……」
「まあ、それはそうなんですが……」
私の解釈はこうだ。
「私はこれを、どちらかと言うと聖典に記された十戒の『姦淫してはならない』を破った者の末路であると解釈しておりますの」
「禁を破った者の末路……?」
「末路と言うか、報いと言うか。ヘロドは強欲の限りで先王を滅ぼし、妻を奪い犯したために、その娘サロメを愛しても、その愛を返して貰うことは叶いません。同様にサロメも、ジャンに恋してフラれたからって強引に首を奪って死姦するから王に殺される……どちらも因果応報ではありませんか」
「……そう言う視点で考えたことはありませんでした」
「だからあの曲自体は別に性的でもなんでもなくて、踊ってくれたら何かあげるって言われたから踊ったっていう、ただそれだけなのですよ」
「な、なるほど」
最も、被害者のジャンの方も、開口一番に正面から王妃の娘相手にそんなボロクソ言う? そんな事すりゃそりゃ死にますわと思わないこともないが……
つくづく教会の連中は何を考えているか分からないわね……
「やはり、貴方と居ると色々と学ぶものが多いですね」
「あら、天下のKDB様が今更学ぶなんてあるんですの?」
「……KDBはやめてください」
ふふ、と小さく笑う。
「思えば、こう言った打算も何も無い、ただの雑談をどなたかとするのも、とても久しぶりに思えますわ」
「……」
今まではずっとこの時間逆行に抗っていて、雑談などしている余裕なんてなかった。
何年ぶりに人とこうして笑っただろう。
そんな事をして気が抜けてしまっていたのが、私の致命的なミスだった。
「──あっ?」
気が付けば私は、宙を舞っていた。
そういえば私たちは今階段の前に居たんだっけ。
毎度飽きもせずにどんぐりコロコロどんぐりこする当人がいなければ問題ないと思っていたら、まさかこの私がこうして誰かに押されて転げ落ちることになるとは。
これでは私がどんぐりどころか鈍愚ではないか。
「バガリー嬢!?」
そういえば、毎周この階段とキスしてるあの異常性癖が無限接吻してた時も、こんな風に現実逃避していたっけ。
私が下手くそな口笛吹いて目を逸らしていた時に毎度こんな痛みを経験していたのだろうか。
……いやそんなはずはないか。毎度毎度受身の取り方完璧だったし。じゃあ、やっぱり理不尽だわ。
「バガリー嬢! バガリー嬢!!」
「……パ……リエ、様……」
「しっか──るんだ!! 誰──医官──べ──」
声がどんどん遠くなっていく。
「く──!──で──いう──限って、殿──聖女──ないんだ──」
気が付けば痛みがどんどん分からなくなっていき、視界も色褪せていく。
でも、元々私の見ていた世界なんてこんな色だったのかもしれない。
色褪せた日記帳を、何度も振り返るような毎日だ。
どうせここで私が死んでも、また時間は巻き戻る……
私の人生どころか私の死にすら、最早意味なんて無いのだから……




