B-G-3 ロゼのワイン
「風の噂で聞いたのだが」
ヴィシャル様との親睦を深めるお茶会。
これももう過去に何度も何度もうんざりするほど繰り返してきた物なので通常であればもう心が動かなくなって久しいのだが、今回は通算で何年ぶりかに楽しみに感じれる物であった。
やはり、心の持ちようというか、普段の精神衛生はとても大事なものだと今になって思う。
手がかりが無くて鬱屈していたり追い詰められて焦っていたりしている時は、今はお茶なんてチビチビ飲んでる場合じゃないでしょ! と、どうしても内心チリチリしてしまう。
しかし今は新しい手がかりにじれじれなせいで、ちょっとこういう気分転換も欲しくなっていると言うところだろうか。
「最近何か悩んでいるようなことでもあるのか?」
敢えていえば今私たちが飲んでいるこのワイン、私が前の前の毒杯で飲んだ奴なのがちょっと心情的にマイナスか。そう、ネールの領で栽培されている品種だ。
まあこればかりはヴィシャル様には到底分かりえない情報なので仕方ないのだけれども。まあ美味しいからいいのだけれども。
ネールとヴィシャル様自体は遠い遠戚に当たるとかで、その縁があって卸しているみたいなことを以前ネールが言っていた。
「……私が?」
「ああ。その……言動がおかしくなっていると聞いたぞ」
多少言いづらそうに彼は言う。
私の言動がおかしいなんて一体誰が言っているのやら。
「至っていつも通りですわ」
「ならいいのだが。聖女とクレイから何をしても君が上の空だとクレイから聞いてな」
「ああ……」
なんのこっちゃと思っていたが、どうやら私の霊格が上がり神に至った時の話か。
全く人の子と来たら無知な癖に神たる私の事を気にするんだから……ほんとこの迷える子羊どもめ……
「回復魔法をかけられてもぼんやりしていたとか。お前ともあろうものが珍しいな」
「あの者たちには到底理解し得ぬ高次元な内容について思案していたもので。少なくとも今はもう至って正常であると自信を持って言えますわ」
人の上に立つ者は孤独なのだ。
なぜなら下々の者には人の上に立つ者の心情を理解することなぞ不可能であるからだ。こればかりは環境が違うから理解をするということは不可能である。
ただ反対に、人の上に立つ者が下々の考えることを理解することは──ヴィシャル様みたいな例外を除き──可能なのである。生まれた瞬間から人の上に立っていると言うことなどほぼほぼありえないからだ。
たとえ一年であろうとひと月であろうと、たった一日であろうと、最初のスタートラインは皆一緒。私だって今でこそこの実力でふんぞり返っているが、別に最初からこうだった訳ではない。
私も最初は無知な小娘だったがお父様やお母様の指導を受け、マナー講師の厳しい躾を受け、領の内政や王国政治について幾つもの教師に学び、そして王太子妃教育と言う名目で実地訓練の名のもとに下積みを経験している。だからこそ私は私の部下の気持ちを理解することができるのだ。
「ならいいが……何分俺もそんな状態のお前なんて見たことがないからな。少し心配になった」
「あら、わたくしの事を心配して下さるなんて嬉しいですわね」
機嫌が最悪だったら余計なお世話よ! と内心キレて居たかもしれないが、やはり今は精神状態がとても良いので、素直にそう言った言葉も受け取ることができる。
「何でも旧貴族について調べているとか?」
「ええ、そうですの。ちょっと気になることがありまして、数百年前に断絶したとされる古い家について調べておりますの」
「ほう」
「もしかしたら私がずっと悩んでいる事案について、その解決策を見いだせるかもしれなくて……」
通算で何十年とこの無間地獄から抜け出せないか悩んでいるのだから、嫌でも気になるというもの。
こちらとて死に物狂いなのだ。
「よければ俺もその悩みについて、聞かせて貰えるか?」
「……」
過去にも、何度かヴィシャル様に同じように持ちかけられたことがある。
しかし私は未だかつて一度もこの件について人様に相談したことはない。
どこにその『敵』が居るか分からないからだ。
誰が何の目的で時間を戻すなんて事をしているのかが分からない以上、迂闊には動けない。
今だってそうだ。
私たちは今王宮の中庭にあるガゼボでお茶を飲んでいるが、当然この場にいるのは私たちだけではない。
出入口には近衛兵が並んでいるし、十中八九、王の影もこの場に同席しているだろう。例えばこのガゼボの天井裏とかにも影のひとりやふたり、絶対にいるはず。
「せっかくですが、私が次なる高みに登るために私自身が解決しないといけない悩みですので、お気持ちだけ頂きますわ」
「そうか……だが、何かあったらいつでも相談してくれ」
私たちは真の意味で2人きりになることは無い。彼はもちろんのこと、私も人と会う時に2人きりになるなんて事はほぼほぼありえない。最低でも侍女か執事は必ず着いている。
そして私の侍女執事がついて来れない環境は基本的にこのお茶会などを初めとした王宮でのイベントぐらいだ。
例外があるとすれば、私と『別の敵』が卒業してどちらかが牢にぶち込まれて処刑を待つ時ぐらいか。
「ええ、もちろん。頼りにしていますわ」
「……君がそうやって素直なのも珍しいな」
「あら」
そして侍女執事も単身ってことは無い。私ぐらいの家格になると複数人が必ず帯同するので、やはり2人きりということはない。だからこれは人様に相談できることではないのだ。なんせ間者が居ないとも限らないので。
もちろん、私は人の嘘を看破できるけれども、曖昧な言葉遊びをして嘘をつかないまま真実を隠すことなど、貴族およびそれ連なるものであれば必須のスキルだ。そんなことはあのふしだらなボンクラ女ですら出来る。
「私、今まで端から見たら可愛げが余りにも無かったのではと反省する機会がありまして」
「ほう?」
だから私は自分のスキルを信用こそすれど、過信しない。
「多少であれば敢えて隙を見せ、油断を誘うのも必要と学びました」
「……本当に反省したのか?」
もちろんヴィシャル様やターナ、イグアスたちは信頼している。
……信頼しているが、それでも万が一を考えなくてはならない。
「うふふ、今のは『可愛げのない』発言と承知の上で申し上げています」
常に最悪を想定し、最悪を防ぐ事に最善を尽くすのは人の上に立つ者の義務。
だからこれは、私が解決しなければならないこと。むしろ私以外の何者であってもならない。
「何だか今日の君は調子が狂うな」
「あら、調子の優れない殿下も可愛らしいですよ?」
「本当にどうしたんだ君は……」
こうしてお茶を久方ぶりに心から楽しめていると、本当に思う。
この男の隣に立つのは私以外有り得ない。この国の舵取りが出来る女など、王妃殿下を除いたらこの私しか居ない。
「さ、ヴィシャル様はこの後年末の挨拶でしょう? 残念ですがそろそろお開きとしましょうか」
「あ、ああ。また会おう」
だからこそ私は必ずこの無間地獄に終止符を打つ。
「殿下」
「ああ、クレイ。待たせたな」
ガゼボから二人で並んで出たところで、中庭の出入口に立つ人の存在に気付く。
パリエ伯爵家令息のクレイ様だ。
「こちらが宴のシナリオとなります」
「いつも世話を掛ける」
「とんでもございません」
チラリと此方を見る目は、以前と同じ。
此方を案じる目線だ。今回は正気だと言うのに。
──いや、何か違う感情が混ざっている。これはなんだろうか?
まるで何らかの引け目を感じているような。
まあいい。
私も帰ったらイグアスからの定期報告を聞かねばならない。
今回は何か進展があればいいのだけれども。
「では皆様、ごきげんよう」
短くカーテシーをし、帰路に着く。
馬車の中で待ち構えていたのはイグアスだった。ちょうどいい。
「お嬢様」
「定期報告を」
余計な会話は必要ない。
今この馬車にいるのは私を含めて4人。御者を除く。
「詳細な家系図はお屋敷に戻られてから改めてお見せしますが、現在150年前までの追跡が完了しています」
「そう……」
想定している速度よりは遅かったが、それでも進展はあった。
「現在辿れている最新の末裔はメギッシュ・メカリフ子爵令嬢という者です。おおよそ180年ほど前に生を受けた御方で、『メグ』という愛称で慕われていたとか……」
「メカリフ家……これも断絶したお家? 聞いたことないわね」
「左様です」
「ただ……このメギッシュと言う特徴的な名前、なんか引っかかるわね……」
どこかで聞いた事があるような。メギッシュ……
メギッシュなんて名前、普通の話し言葉で言うには少々言いづらい。だからこそ愛称がメグなのだろう。メグ。どこかで見聞きした愛称だ。メグの愛称が付く御方と言えば……
……あ。
「メグ……いや『メーガン』……」
貴族の世界では姓名共に、名前が変わることは特段珍しいことでは無い。いちばん多いのは嫁ぐにあたり姓が変わることだが、それ以外にも名前を変える事は幾らでもある。
地位や官位の上昇した時や成人した時に、新しい名前や称号が与えられることもあれば、自ら改名をする場合もあったりする。子供と大人、低職と高職で責任が変わるように、そう言った節目に名前が変わることによって責任のある大人にふさわしい物であろうとする覚悟と自覚がその者に付くと言うのはよくあること。
そもそも同じ言語を話しているとはいえ領が変わればいわゆる訛りで言語自体が揺らぐことも珍しくない。同じ人物の名前が少しずつ違う形に変化して記録されることなどよくある話だ。
例えばこのメギッシュ。愛称が『メグ』であるのなら、同じような愛称が付きそうな名前に変わることは全然有り得る。例えば、『メーガン』とか。
「まさか……」
メーガン。
この名前は知っている。




