A-G-終 多くの学びに
「……」
重苦しい鉄格子が軋む音で、私はゆっくりと顔を上げた。
白い法衣を纏い、下品極まりないその胸元で揺れる聖なる印、そして、見慣れた笑顔。
「やっほ〜サマラ」
……その一言は、あらゆる責め苦よりも私に効果的である。
「……」
「最後だからぁ、顔くらい見に来ようかなって思ってきたんだけど、なぁんか思ってたのと違うくない?」
牢の外で私を見張っている衛兵たちは沈黙している。
こんな言葉遣い、明らかに場にも私に対しても、そして聖女としても不適切と言う他ないのに無反応であるということは……
「あっ! もしかしてアタシのこと心配してくれてる? やだ、ウケるんだけど」
「……」
「大丈夫、どうせコイツらもアタシがちゃんと魅了してるからぁ、今はアタシの支配下なんだよね〜」
聖女が罪人を見舞う。それだけなら美談になるのだろう。
だが、この尼がそんな殊勝な理由で来るはずがない。現に今も私の事をそっちのけでベラベラベラベラと聞かれてもいないことを永遠に喋っている。このまま舌をうっかり噛みちぎらないだろうか。
「……」
「っていうかさ、なんか調子狂うんだけど。なんか喋ったら?」
ようやく自分だけが一生話していることに気付いたのか、最初から狂い切った女がそう口にした。
「貴方に付き合っていられるほど私は暇では無いのです」
「はっ、よく言うわ。死ぬのを待つだけの身で暇しかないくせに」
狂人はそう言ってゲラゲラと笑った。なんと愚かな。生憎私は牢に押し込められているからと言って全くもって暇では無い。
次にどうするべきかを今脳内で仮想しているので、むしろとんでもなく忙しいまである。本当に狂ってるこの暇人には分からないだろうけど。
「その暇人にわざわざ会いに来るとは、聖女様ともあろうものが随分と暇そうにされてますのね」
「だって〜アタシ今暇だも〜ん。教会も概ね魅了で制圧してるからぁ、神事とかその辺は適当に教会の人達が回してくれるしぃ〜。諸々の式典も終わっちゃったし暇だからぁ、嗤いに来た、みたいな?」
──次の周回は最速で助祭の事を調べなければならない。貴族院に私が直接行って調べるのはもちろんだが、今回みたいに多少のリスクを買ってでも教会からも調べるべきか。
……教会の人事院を当たらせるか。
「知ってる? 今王都中、お祭り騒ぎなんだよ? 『悪役令嬢が裁かれた』って。マジでウケるよね」
そう言うと、目の前の胡散臭いシャーマンがくすくすと笑った。その笑い方だけで分かる。心の底から私を嗤う事を楽しんでいると。
スキルを使うまでもなく本当に暇で来ているだけなのだ。ますます悪質と言える。
ああ、そうだ。
「全く、教会の人事院も何をしているのやら……貴方みたいな淫売を監視するどころか野放しにするとは……」
「人事院? あー、あのハゲのところか。だいぶ前に魅了したから忘れてたかも」
「……ハゲ?」
「あ、そっか。サマラは教会の人じゃないから知らないか。チビデブハゲメガネだけどカネだけはあるから貢いでもらってるのよね〜」
「……とんでもない寄生虫ね」
私は睨みつける。
それと同時に脳内で再び今の情報を元にシミュレーションを修正する。
チビデブ……はともかく、コイツは人事院の者を魅了していると言っていた。それもだいぶ前に。
であるなら、次はその者を警戒するか、または魅了されないようにこちらに引き込むかするしかあるまい。
うまくこちら側に引き込めれば、そこから助祭の情報を引き出せる可能性がある。
過去の人事情報が眠っているのはまさに教会の人事院なのだから。
「別に寄生虫でも良くない? っていうか、そんな寄生虫様に彼氏取られて牢屋で臭い飯食わされてるってヤバくない? マジで面白いんだけど」
ゲラゲラと下品な笑い声が牢の壁に反響し、全方位から私に襲いかかる。
私の思考を妨害するな。なんと不敬な。
「害虫風情が、よくもこの私に向かってそんな口をきけるわね! 私を誰だと思っているの!?」
「誰って、そんなの……」
その減らず口が裂けんばかりに弧を描く。
「そこにいる、ま・け・い・ぬ?」
……は?
「っていうか〜、アタシのこと寄生虫って言うならさ〜、ぶっちゃけアンタもヴィシャル様とか実家の威を借りてるだけの寄生虫じゃ〜ん」
私が……寄生虫……?
「……」
「ってか、家からの助けもなければ、ヴィシャル様からも見捨てられたんだから寄生虫未満じゃん。害虫駆除されててウケる〜!」
ゲラゲラと、再度下品な笑い声が遠くから聴こえる気がするが、その言葉が耳に入って来ない。
視界が真っ赤に染まっていく。頭の中で、何かが千切れ飛ぶ音がする。
私が? 寄生虫……未満?
「黙りなさい……!」
その一言だけは我慢ならない。
「あっ、図星だから怒った?」
「黙りなさい!!」
思わずはしたなくもそう叫ぶと、ゴミ虫女はビクリと一歩下がって牢の鉄格子から離れて見せた。
「きゃっ、怖〜い! って、ヴィシャル様ここにいないんだわ。アタシ人いないのに律儀に芝居続けてるとかウケみヤバ」
わざわざ三文芝居を棒読みで口にして自ら笑っているウジ虫を見ていて、頭に登っていた血を無理やり下げる。
深呼吸だ。
今回は負けたが、私は重要な手掛かりを手に入れた。次は勝った上で、私はこの災厄の先へと進む。
「まあ、いいわ。どうせ預かってるんでしょ、毒杯を。さっさと出しなさい」
呼吸を整えることで冷静さを取り戻した私はもう今世への興味を完全に失っていた。
あっさり調子を取り戻した私の姿が意外だったのか、厄災が瞬きをした後、また無駄口を叩いた。
「あれ、もう死ぬの? ってか、なんで持ってるって分かってるの?」
「じゃなきゃ貴方がここに来る理由がないでしょ。どうせ私が死ぬところを見て高笑いしに来たって所でしょ? 貴方のような知能指数の者が考えることぐらい分かります」
今まで散々見てきたことだ。
どうせ深いことは考えていない。
「ふーん。つまんないの」
「今回は間違いなくよそ見をしていた私の負け。その事実は揺らがないでしょう?」
「そうそう。本当はさっきみたいな顔をもっとたっぷりと見たかったんだけど」
そう。この女は私が苦しむ姿を見たいだけだ。ただ私が転げ落ちる瞬間を眺めるのが好きなだけ。もうそこに何の感慨も湧かない。
いや、湧かないというより、湧いてた物が枯れるほど何度も繰り返してしまった。
「……下賎な者の娯楽というものはついぞ理解できないわ」
「アンタも逆の立場なら喜んで楽しむくせに」
ゲラゲラと品性の欠けらも無い笑い声が再度こだまする。私が無言で眉を顰めると、賎女は首を傾げてみせた。
「そんな顔するけどさぁ、嫌いな人が負けるところってきもちくない? アタシは今最高にきもちいしスカッとしてるよ?」
あまりにも軽い口調で言う。
悪意すら飾らろうとしない。本当にこんなので殿下の配偶者が務まると思っているのだろうか……
「なんとでも言いなさい。ほら、毒杯まだ? これ以上置いておいたらお酢になるわよ?」
「……ほ〜んと、つまんない女」
そういうと、本来なら牢に繋がれていなければならない罪人側であるはずの女が、私にようやく毒杯を渡した。
その後、彼女はゆっくりと後退し、鉄格子の反対側の壁まで下がった。
どうせならそのまま壁の中にめり込んで視界から消えてくれるとありがたいのだけれども。
まあいい。今生に救いの無い者と同じ空気を吸うのも嫌なので、離れてくれるのであれば離れてくれる程よい。
「いつか必ず……」
……そう言えば、どういう訳かこの毒杯、毎回飲む度に味が変わるのだ。
波及の末の結果なのかは分からないが、少なくとも私が飲む時は必ずその味が違う。前回は辛口のロゼだった。
今回は白い。
グラスのステムを手に取り、薄暗い牢を照らす蝋燭の火でその色を確認し、その香りを楽しむ。
……琥珀色のワインと言うことは、それなりに熟したものであることが分かる。前のロゼは若々しすぎて私は正直好かない味だった。ネールの実家のパナ・ヴァレーだったか。
今回はトパーズの様な色合いから言ってそこそこの年季だろう。リンゴと蜜蝋の様な重たい香りもまた、それを裏付けている。
白でここまで重たい物を作るとなると、必然的に産地が絞られてくる。
「これはヨッター領のヨンセミかしら」
いよいよ口にしてみれば、その強い酸味が正解であると私に教えてくれた。
ナンシーの実家の領で造られる美しい白ワインの一つだ。悪くない。幸い毒杯の本体とも言うべき毒は無味無臭かつ数滴垂らすだけのものなので、味への影響は皆無。
最期にいいものを愉しめただけでも良しとするか。
「きっしょ。さっさと飲めばいいのに」
ここに熟成したチーズとロブスターなどがあれば最後の晩餐としては完璧だっただろう。
教養の無い者は相手をする価値がないので無視である。
ゆっくりと右手で反時計回りにステアし、残りを呷る。
本当はもう少し楽しみたいところだけれども、この毒は胃の粘膜から吸収されるので、まあまあ即効性がある。
モタモタしていると毒が効いてきてグラスを落として割ってしまう。侯爵家の者として、そしてヴィシャル様の配偶者として、そんなはしたない真似は出来ない。
素早くグラスを置いて、牢の奥にさっさと身を引く。それと同時にじんわりと指先が冷えていく。
この毒は口から血反吐を撒き散らしながら死んでいくような品のない毒ではない。緩やかに身体が冷えて行き眠るように死ぬ毒だ。
何故か? それは毒杯というものは貴族が賜るものだからだ。平民であれば縛り首で十分である。
ああ、でも、重罪人なら首を刎ねる……事もある……
次は……お前の……首、を……、…………
◇
「お嬢様、いかがなさいましたか?」
さて、どうしていつもターナに声をかけられる所で巻き戻った事に気付くのだろうか。
今まであまり気にしたこともなかったが、そう言えば考えたことが無いことかもしれない。
「何でもないわ、ターナ。さ、行きましょう。今周は忙しくなるわよ。イグアス!」
何年も待っていてようやく掴んだ、念願の情報。冗談抜きにモタモタしている暇は無い。
私かあの女、そのいずれかが死ぬと、必ず時間が巻き戻る。この不可解な現象を解き明かす可能性を秘めた情報を、絶対に掴んでみせる。
「呼びましたか」
「至急我が家の手のものを貴族院と教会の人事院に潜らせて頂戴」
「貴族院と……教会ですか?」
ターナが呼びに行ってすぐに現れたイグアスに指示を飛ばす。
今は時間が1分でも惜しい。
もうこの無意味な周回の連鎖にうんざりだ。
だからこそこの新しい情報を掘れると言う喜びに、はっきり言って私は興奮している。
「そうよ。調べて欲しい助祭がいるの。何がなんでも1年以内にこの助祭の情報を突き止めて頂戴。万障繰り合わせて何がなんでも突き止めるのよ」
「は、はあ」
「名前は『セレリタ・セカンダ』助祭よ。今からおよそ400年ほど前にいた助祭よ。この者の血筋を徹底的に洗って、その血脈を辿ってちょうだい」
「し、承知しました……」
イグアスが深くお辞儀をしたまま、柱の影へと消えていく。
それと同時に戻ってきたターナが馬車の到来を私に知らせてくれた。
「今年も多くの学びに恵まれると良いですね、サマラ様」
さあ、今回こそは首根っこを掴んでやる。
この意味の無い闘争を終わらせる切り札を私は手に入れてみせる。
「ええ。楽しみだわ」
この学びが。
ようやく終わるかもしれないのだ。




