A-G-5 新たな終わり
「サマラ・バガリーよ。今日この時を以て、私ヴィシャル・ルトゥールは貴様との婚約を破棄する!!」
王立学園の卒業記念式典と言う記念すべき舞台で、私は例によってヴィシャル様より、婚約破棄の宣言を賜っていた。
その声は怒りと憎しみに満ちており、私に対する一切の情けを感じられない物であった。
もう何度も見慣れた光景に、毎度毎度聞き慣れた怒号。集まった貴族たちが息を呑み、次の瞬間には好奇の視線を私へと向ける、その一連の流れさえ既に見飽きている。
「……」
ああ、またか。
また私は敗北したというのか。前回は排除できたのに、何故こうなった。
言うまでもなく出鼻をくじかれて、ずっと向こうのペースでこの一年、動いていたからだ。
最初の一手を誤れば、その後は雪崩のように崩れていく。この一年でそれを何度思い知らされたことか。
分かっていた。嫌というほど分かっていたのに、それでも覆せなかった。
「何とか言ったらどうなんだ」
特にあのサンドバッグ女にうっかり公衆の面前で教育的指導をしてしまったのが痛かったか。
アレで一気に情勢が向こうに傾いてしまった。
たかが一度頬を叩いた程度で、まるで私が極悪人であるかのような空気が出来上がるのだから笑ってしまう。あの女は泣きさえすれば周囲が勝手に味方をしてくれる。本当に便利な体質だ。
念の為に闇ギルドに接触するついでに、以前の周回でも使った魅了効果のある魔導具を使って──今私の身につけているこのブラックオパールの指輪が正にそれなのだが──挽回できるかと思っていたが、まあ分かっていたけれども全く効かない。
誰にも効かないということは、皆が魅了避けを付けているか、あるいは既に魅了で傀儡化されたあとか。
判断材料となるネールは今回あちら側についている。ネールは魅了以外であちらに着くことは無いのは今までの周回で確認している。私にいちばん近いネールがあちらにいるということは、つまり魅了されていると判断しても差し支えない。
彼女は自分から魅了避けを外すことなどないので、恐らくは侍女辺りを取り込まれてそこからやられたか。そういう手だけは早いから困る。
恐らくもうここに私の味方になり得る者はいないだろう。万事休すと言ったところだ。こうなるともはやこの式典は裁判ですらない。ただ敗者へ判決を下すためだけの儀式でしかないのだ。
「お戯れを。このようなめでたい日にそのような冗談を──」
「──冗談だと? 貴様、自分が何をしたかわかっているのか?」
周囲の人間がクスクスと私をあざ笑う中で、殿下の影で人がモゾりと蠢いた。
その手は殿下の腕に絡みついている。まるで取り憑いているかのように。
いや、取り憑いているという表現は正しくない。
実際に、この女はヴィシャル様だけではなく、この学園そのものに巣食っている寄生虫なのだから。
「私が何をしたと言うのですか」
「何を、だと? サマラよ、貴様がベティに対して行ってきた数々の非道な行いを、私が知らないとでも思ったか。聖女でもあるこのベティに対するその行いが、王太子妃として相応しい物であったと本当に思っているのか?」
ベティと言う固有名詞に反応し、その背後霊に視線を寄せる。
目を潤ませて彼を見上げるいつもの座敷童子仕草をしている。
その角度といい、その涙といい、その震える唇といい、見たくも無いものを何周も散々見させられると思うのだが、このスキャンダル女優はあらゆる周回でも寸分違わぬ仕草を見せるのは、もはや芸術的ですらある。本物の芸は出来ないくせに。
「もちろんです。かの者は貴方様を籠絡しようと房中術で貴方様を惑わす逆臣ですわ。感謝こそされど、そのように叱られ、あまつさえ婚約破棄などと──」
「では闇ギルドに接触しているのは何故だ」
その言葉に、思わず固まった。
「そ、れは……」
何故知っている。
闇ギルドへの接触は細心の注意を払っていた。
過去の周回では露見しなかった経路を選び、人目も避けた。だからこそ、この情報が漏れていること自体が異常だった。
「教会を嗅ぎ回っていると聞いたが。もしや聖女の暗殺の算段でもしていたか」
どこから漏れたかと周囲を素早く確認すると、僅かに反応したのは性女のみだった。この間の妙な接触はそれか。どこから足が着いた。
しかし私の意図までは理解できていなかったのか、神聖性に疑義の残る彼女はその言葉に思わず動揺したようにビクリとその肩を震わせた。
「えっ、私の暗殺?」
「何を言い出すかと思えば……なぜ私が名前も知らない下民をわざわざ暗殺などせねばならないのです? 私は貴方様の婚約者……かのような羽虫を始末したければ、わざわざそのような迂遠な手を使わずとも、ただ憂うだけでそのようなこと、簡単に実現しますのに」
「ほう」
「直接的な言葉すら不要ですのに、わざわざそのような事を私が直接するなど、有り得ませんわ」
暗殺も、頭をよぎったことがない訳では無い。
しかし、今までの経験から言って、もしあのショウジョウバエを舞台からはたき落としたらその時点で時間が巻き戻ることは明白。だからやりたくてもそんなことは出来ない。
出来ないというか、無意味というか。あまりにもナンセンス。
まあそのせいで存在がナンセンスなこの女とずっと関わっていないといけないのは苦痛なのだが。
何度殺しても意味がない。何度追放しても意味がない。私が死んでも時間が巻き戻るという条件がなければきっとこの世界そのものが彼女を守ろうとしているのかと全てを投げ出していただろう。
「ヴィシャル様……怖いです……」
「ふん。だが貴様が闇ギルドに何らかの依頼をしていたのは先日捕らえたギルド員から聞いて分かっている。侯爵家のものともあろう女が、闇ギルドは関わるだけで違法だと言うことを知らないはずがあるまい」
「……そのギルド員がどのような方かは存じませんが、口から出まかせを吐いているだけでは? 身に覚えがございませんわ」
「ギルド員からは貴様の執事の名が出ているが?」
……イグアスの事か。あの馬鹿め。
なぜ偽名を使わず自分の名を使った。愚か者が。
忠誠心だけは疑っていないが、だからこそその愚直さが命取りになると散々言ってきたのに。
「私が常に連れ歩いている執事ですもの、名ぐらい知られていても驚きませんわ」
もっともらしい事を言って、私は扇を開き口元を隠した。
さてここからどう切り抜けたものか。
「それを差し引いたとしても貴様は聖女たるベティに数々の嫌がらせをした! 暴行の現場などはこちらが直接仲裁したほどだぞ」
「口で言っても分からないのなら、身体で分からせるしかないではありませんか。大体、この者は未だに己の名すら私に言わない。はじめましてのご挨拶も、人からの紹介も無いと言うのに何処の馬の骨とも分からぬものを傍に置かれるほど殿下は耄碌されたのですか」
「貴様……言わせておけば……!」
勘違いしてはいけないが、この周回ではまだ私はこの女から自己紹介すら受けていない。
だから公的には私はまだこの女の名前すら知らないのだ。
それなのに、周囲は当然のように私が彼女を知っている前提で話を進めていく。この世界は、いつも都合よく私だけを悪役に仕立て上げる。この逆ご都合主義め。
「待って! サマラ、どうか罪を認めて謝罪してください! 私は貴方からの謝罪さえ有ればそれで良いのです!」
「私に気安く喋るな、下郎。私を誰と心得る!」
罪を認めて謝罪しろと。前にも聞いた台詞だ。それしか言えないのか?
何度聴いても不快極まりない言葉だ。未認可の魅了使いと言う大犯罪者の分際で、この私に謝罪をしろとは……謝罪以前にお前は私に贖罪をすべきだ。反吐が出る。
「聞くに絶えないおぞましい罵り言葉だな……もうよい。衛兵、この女を捕らえよ。容疑は殺人教唆、反社会的勢力と結託した殺人未遂、暴行傷害罪、および爵位の乱用だ。証拠は揃っている、言い逃れは出来まい」
衛兵が私の腕を強引に掴み、私を引きずろうとする。
「ちょっ、離しなさい! その様に鷲掴みにしなくともどこにでも行きますわ! 無礼者!」
振り払おうとしても、衛兵たちの手は容赦なく食い込む。
「私……サマラが心配です……」
「気にする事はない。ベティは優しいな……だが君のその優しさこそが、この国を導いていくには必要なんだ。このまま彼女をのさばらせておいたら、確実に君は殺されてしまう。俺はベティが、何よりも大切なんだ……」
「ヴィシャル様……」
衛兵に腕を掴まれ、引きずられていく私は何度目かのヴィシャル様があの下民と口づけを交わす瞬間を目撃してしまった。
歓声が上がり、誰もが彼らを祝福していた。
この光景だけは、何度繰り返しても胸の奥に棘が刺さるような痛みを残す。
今の私の心に宿るこの燻る炎は嫉妬心なのだろうか。それとも敗北感からくる屈辱なのだろうか。それとも、なんでもいいから解放されたいと願う、疲労感なのだろうか。
あるいは、その全てなのかもしれない。
何十回、何百回と同じ終わりを迎え続ければ、人は怒りすら摩耗していく。それは私とて同じだ。
それは例え私の勝利であっても、敗北であっても変わらない。
しかし、それでもなお、私は諦めきれない。
この世界のどこかに、まだ私の知らない突破口があると信じているからだ。そして今回は、それに繋がりえる物が目の前にある。
だと言うのに諦めるなんて選択肢は、私には無い。




