第79話 聖餐式で大切なことは、パンと葡萄酒と食事。そして自分で事前に自身を吟味することなのにな……。
「あさ、聖餐式、やることになったの?」
「やりたいって言われて、引き下がるわけに行く?……行かないわよね」
あさ軍曹は男の中の男だった!
「なんか、変なこと考えたでしょ!」(ギロっ)
「ジュリエットになんか魔法、教えてもらった?」
「そんなことより、オムレツ4つ焼いて。プレーン二つと、ハムとバジル入りでいいかな?」
「たまご多めに15個でいいかな?……卵液作ってる間にバジル摘んで来るね。春樹、ハム切っといて。細切りね。」
「うん。僕が作るんだよね?」
「そうだよね。」(笑)
「あさシェフだね」
「卵2パック使ってしまおう!どうせ売ってるんだし。」(笑)
「鉄のフライパンだと強火で調理できるから、ちょっと焦げてても、ふわとろのオムレツができる。」
「家ならそれでいいよね!」
「たっぷりの油で油鳴らしするでしょ。」
「一度油壺に戻して」
「適量の新しいオリーブオイルを広げて、多かったらまた油壺に。」
「お、春樹先生も覚えてますねぇ。」
「りおちゃんの動画、わかりやすいけど、撮影下手だね。」
「まだ、あれ撮ったのYou動画始めた頃だもん。」
「最初の方が見やすかったよ。」(汗)
「まず、プレーンだよね。」
「卵割るよ!」
「両手に持ってトントン。ひびが入ったら殻を割って、たまごを取り出す。」
「殻が落ちにくいんだよね。」
「春樹先生、バッチリです。」
「生クリームか牛乳。今日は生クリーム。卵液が緩くなりすぎないぐらいに。」
「塩胡椒は……こんな量だと、わからないね!」
「表面が美味しそうになるぐらいでいいか!な?」
「いいの?」(汗)
「強火のまま、一気に卵液入れて、くるくるかき回す。」
「ソフトクリームぐらいに固まったら、菜箸で向こうに寄せていく。」
「形にならなくても、気にせず、寄せる!」
「破れ目は作らないようにね。」
「ハム切っといてね」
「はーい。」
「バジル、洗っといたわよ。」
「あさ、ありがとう」
「鍋肌にくっ付いても、気にしない。こそげ落とせば、自然にオムレツにくっついてきれいになる。」
「卵、丸くなってきたら、ふわっとフライパンを振りあげて、ストンと卵を落としてひっくり返す。」
「ひっくり返してストンと落とすんじゃない?」
「そうとも言う。」
「りおちゃん、絶対、そうの方だよね。」(怒)
「もう一度ひっくり返して、つなぎめの方を上にして、お皿にひっくり返す。」
「「きれいなプレーンオムレツの出来上がり。」」
「「「おいしそ〜」」」
「自分で言ってるし。」(笑)
「次焼くよ。」
「切ってくれたから、具を入れるか。」
「プレーンオムレツとおんなじに焼いて……。」
「ソフトクリームぐらいになったら、弱火にして、横向きにハムとバジルを奥の方に並べるよね!」
「たまごを寄せて……トントントン」
「オムレツでハムとバジルを包みます。」
「少し蒸し焼き。火が通ったら、ひっくり返して、お皿に乗せる。」
「「ハムとバジルのオムレツ完成!」」
「「「おいしそぉ〜」」」
「春樹先生、ハムはベーコンやソーセージ、バジルは細い青菜なら、なんでもいいよね。」
「りおちゃん、動画回してた?」(笑)
時間と具があったので、3つずつ、6つのオムレツができました。
3人でやると、早いねぇ。2つは春樹が作ってくれた。上手に焼いたけど、レンジに二人は狭かった。
「オムレツ持って、イートインに行きますよぉ。」
「近くだから、お盆に二つずつ、ラップしてちょうど三人で運んだ。」
ノエルはおばあちゃんに寄り添って、歩いてくれた。
嬉しそうに飛びつくのは、おばあちゃんにもなんだなぁ。
ほかの道具はリュックに入れて、二人で運んだ。
結構重いんですけど。
赤い電子ピアノ、会議室に持ってきておいてよかった。
あさ、讃美歌、弾ける?
イートインに着いたら、準備して、聖餐式。ミサを執り行わねば。
家族以外と聖なる書の通りにやるのは、初めてだから、緊張するね。
……
「おはよう!早くからお疲れさま。」
「「「「「おはようございます。」」」」
「聖餐式、やるの?」
「はい。あささん、天童くんだけずるいでしょ。私たちもやってみたいです。」
「りおちゃんとは、きちんと準備して、プログラムをちゃんと組み立ててから、やろうねって言ってたけど、みんなの希望なら、無視できないから。……わかってる範囲でいい?」
「足立区では、信仰告白の後洗礼を受けてからじゃないと聖餐式には参加できないんだけど……。」
「「「「「えぇぇ〜そうなの?」」」」」
「そうだよ。洗礼を受けた後じゃないと、聖餐式には参加できないよ。」
「そっちじゃなくて、足立区限定なの?……北区だったら、大丈夫なの?」
「あ、バレた?」
「世界的に、ほとんどの教会でそうだよ。」
「じゃ、僕たち聖餐式参加できないの?」
「あ、大丈夫じゃね?」
「軽ぅっ!」
「ドボルジンク様やジュリエット様たちの姿勢を見て、その信仰を知りたいという思ったんだよね。」
「それは、創造主を信じてるドボルジンクさんを信頼したってことだよね。?」
「はい。私はりおんさんとドボルジンク様、ジュリエット様の問答を聞いて、本物って、こういうのかな?って思ったんです。」
「僕もそう思いました。」
「私はまだ、ことりや実ほどじゃないかもだけど、そんなでもないけど、あさとりおんのことずっと見てきたから、この世界に連れてきてくれた二人の信仰は、本物かな?って思ったの。」
「こんな体験したら、神様いるかもって、思うじゃない!」
「シナモンは他にも色々、私に聞かされてるしね!」(笑)
その後、そこにいた甥っ子たちを含む全員が口々に、想いを語った。
「聖なる書にこうあるの……
あなた方を受け入れる者は、私を受け入れ、
私を受け入れる者は、私を遣わされた方を受け入れる。」
「ジュリエット様たちの信仰を受け入れる者は、彼らが信じる私たちの罪のために死なれた御子を受け入れる。御子を信じる者は、御子を遣わされた創造神を受け入れるって、考えていいと思うの。」
「そう考えると、聖餐を受けるかどうかは、それぞれの信仰で吟味すればいいんだよ。」
「洗礼は受けた方がいいけど、聖餐式に出る基準にそのことは書かれてないの。」
「洗礼絶対って言うとこが多いけどね。」
「食事については書かれてるのに、それは消えて、絶対じゃなくなってるのも、不思議よね。」
「「「そうなの?」」」 ×全員
「聖餐式についての決まりが書かれてるところにも、
『一人ひとり自分がふさわしい者であることを確かめてから、
パンを食べ、杯から飲みなさい。』
と書かれてあるわ。」
「その後、厳しいことが書かれて、最後に「私たちは、自分がふさわしいかどうか調べるなら、裁かれることはありません。」って優しく語られてるよ。」
「つまり、自分の信仰は自分で確認しなさいってこと?」
「カエデ、そうよ。それで合ってるわよ。逆に吟味しない人の信仰は、だんだん自己中心な選民的な思想になっていく気がする。」
「ドボルジンクさまも、信仰は強制するようなものじゃないって言われてただろ。」
「そうそう、創世神国は、「集うことを強制しておるのぉ。強制などせずとも、各々良い判断をするものだといことを、知らぬのじゃろうのぉ。」って、仰ってたわね。」
「多分、この聖句を念頭に入れてたんだと思うよ。」
「僕たちも強制はしないよ。強制されると御子さまとちゃんと出会えないから。それはとっても悲しいことだから。悲しい状況になった人、知ってるから……。」
「洗礼っていう通過点があるんだけど、そのうちプレオの群れの洗礼式とか見る機会があると思うから、それから考えてくれれば、いいと思うわよ。」
「あ、富士山の本栖湖でリオちゃんの教会の人が洗礼受けたよね。」
「僕たちも、お祝いさせてもらった。」
「あれは、素敵な時間だったわ。絵に描いたもの。」
「光希お姉ちゃんだっけ?きれいな人だったわね。」
「光希ちゃん、結婚して赤ちゃん出来たわよ。その絵、見たがるだろうね。」
「それにしても、あんたたちもいろいろ経験してるわね。」(笑)
「あと、説明しとかなきゃいけないのは……。」
「教会のミサとか聖餐式に出たことある人いる?」
「わたし、ミッション系だったから、日曜日に礼拝に出なさいって言われて、何回か行きました。」
「お嬢さんぽいね。緑山さん。」
「え?そんなふうに見えます?」
「見え……ないわね。」(汗)
「見えなくもないよ。背筋しゃんとしてるし。」
「で、讃美歌歌って、切った食パンと小さなワインを口にしてたでしょ。」
「その後長いメッセージ。疲れなかった?」
「疲れて、ノルマ5回のところを、3回行って、残り2回は無理って、叫んだら、父が証明書に牧師名前で勝手にサインしてくれました。」
「えっ、お父さんすごい」
「牧師がイギリス人だったから、サインだけだたたんです。」
「りおちゃんでもやらなさそう。」
「え、僕なら、サインはおろか、ハンコも偽造するよ。」
「「「えぇぇ〜」」」
「実際、長年請求書、自分のハンコをイラレで描いてフォトショで加工して、エクセルに貼り付けて、お客にプリントしてもらってた。経理にはバレなかった。掠れまで再現したからね。」(笑)
「これ、電子請求書とかになる前の話よ。いい加減な人たちでしょ。」
「もう時効だね。今は同じデータで電子請求書として正式に受け付けてもらえてるしね。」
「じゃ、そろそろ始めないと、開店に間に合わないね。」
「広場に誰もいないから、大丈夫じゃない?」
「昨日、片づけちゃんとしてるから、いきなり開けられます。」
「レジの準備はしときました。」
「シナモンと、ことりちゃんと実くん。さすがです。」
「準備万端ね。」
実際、現実の教会でもさまざまな群れがあり、聖職者と呼ばれる人を立てない群れもあります。聖書の時代は、教会に牧師や神父はいなくて、長老と呼ばれるリーダーがいて、使徒たちが、各教会を巡回したり、書簡を出したりしてたんだって聖書を読むとわかります。
ここでは聖書『コリント人への手紙一 11章23〜34節』と『マタイによる福音書10章41節』を引用しました。その時気がついたんですけどね。コリント書、パウロが書いたっていう話なのに、こう書かれてるんです。「あなた方に伝えるのは、実に、わたしが主から受けたことなのです。」
ここ読む度に、パウロさん、最後の晩餐当時、弟子たちを迫害する側だったよね。聖餐のことは直接聞いてないよね。って突っ込みたくなるんです。
よくある説教は使徒に忖度して解釈してるの多いけど、そこも自由に妄想した方が、楽しいのにって思います。
ま、ついつい筆が滑ったとか、ペテロから聞いたんだよ。と書きたくなかったということで、理解してます。深刻な問題じゃないですしね……。
この物語はフィクションです。現実の宗教を元に描いてますので、似たような出来事あるかもしれませんが、小説なのを理解してお読みくださいね。




