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天穹の双月  作者: すだちなんてん
第一章
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旅立ち(2)

 サキが声のした方へ視線を移すと、首から白い布をかけて左腕を吊った壮年の男が部屋へ入って来た。村長のバドである。

「やあ、気が付いたようですな」

 バドは右手を上げてサキに話しかけながら近寄って来る。

「村長殿、世話になったようだね。礼を言うよ」

 そう応じてから、サキは顔を青くした。普段なら左腕で揺れている筈の銀の腕輪が、今は寝台の横の小さな机の上にぽつねんと置かれている事に気付いたからだ。

 出来るだけ表情を変えないように気をつけながら、サキは親指を唇に押し当てて男性の聖印で謝意を示した。

 サキ達は自分達の正体をバドに明かしてはいないが、彼はサキが高貴な家柄の出自であるという事には気づいていたのだろう。もしかすると、サキが公国軍の騎兵に対して名乗った時の言葉を、その時近くにいたヨナから伝え聞いていたのかもしれない。そのサキがバドに対して唇を抑える聖印を結んだことに驚き、「滅相も無い!」と慌てた様子で言うと彼も聖印を結んで返礼した。

「サキ様とリュードッグ様がこの村と娘の為にしてくださったことを考えれば、こちらこそいくら礼を言っても足りません」

 男性の聖印を結んだサキの仕草に不審を抱いた様子を見せないバドに、サキは内心胸をなでおろした。

「気にすることは無いよ。なにせ、この爺やは困っている人がいると放っておけない無類のお人よしだからね」

 サキはそう言うと悪戯っぽい笑みを浮かべてリュードッグに目配せをし、片目を閉じてみせた。

「サキ様……。左様、サキ様とそれがしの通った後には助けを請うて泣く者など一人も残りませぬぞ!」

 リュードッグはそう言うと鼻をすすってから普段のように哄笑した。

「ところで、村長殿は怪我の方は大丈夫なのかな?」

 サキが問いかけると、バドは「ええ」と頷く。

「肩の腱が切れてしまったらしくて左腕を動かすことは出来ませんが、マリーに治療してもらったので痛みはありません」

「私のした事なんて、大したことないよ。結局、ちゃんと治してあげられなかったし」

 マリーは表情を曇らせて、布で吊られたバドの左腕に視線を送った。

「治療の術を使っても完治しないことがあるんだね……」

 サキの呟きにマリーは頷く。

「負ってから時間がたった怪我はすぐには治せないって、呪い師のお婆さんが言っていたわ」

「怪我が何でも治せるってほど、都合が良い術じゃないって事か」

「うん。でも、繰り返し治療すれば良くなるって。だから、怪我が治るまでは私が治療してあげるの」

 そう言って小さく微笑むマリーを、バドは何か言いたげな様子で見ている。

「それで、何かそれがし達に用がおありかな?」

 そう尋ねるリュードッグに向かってバドは「いえ」と答えると、視線をマリーに戻した。

「実は娘と話したいことがありまして、呼びに来たのです」

「私と?」

 自分を指さして尋ねるマリーにバドは無言で頷く。その表情で、他の人には聞かれたくない話であることを察して、マリーは「分かった」と頷いて立ち上がった。

「ちょっと父さんと話をしてくるね。まだ無理をしちゃ駄目よ」

「分かってるよ」

 即答したサキに安心した様子でマリーが部屋を出ていく。バドもまたそれに続いて部屋の外に出ようとした。その後ろ姿を見て、何とか誤魔化し通せたとサキが安堵のため息を吐いたところで、バドは足を止めて振り向いた。

「ところで、私が若いころに旅をしたことは、お話ししましたかな?」

「左様。初めてこの村へ来た日に聞きましたな」

 リュードッグの答えを確認すると、バドは言葉をつづける。

「その旅の途中でクマシロから来たという男と道連れになりましてな。クマシロの男性というのは、無口で偏屈な者ばかりと聞きますが、その男は例外で口から生まれて来たような奴でした。まあ、喧しい男でしたが、道中は退屈だけはしなくて済みました」

「ほほう」

 バドが何故、突然そんな話を始めたのか分からないまま、リュードッグは相づちを打つ。

「その男の話を聞いて知ったのですが、クマシロ人の名前というのは男女でだいぶ差があるそうですな。男性の名前は厳めしい語感の物が多いが、女性の名前は美しい音の物が多いとか」

「う、うむ。左様でござるな……」

 そう応じたリュードッグと、無言のサキは同時に息を飲んでバドの言葉の続きを待った。

「私が思うに、サキ様は男性にしては美しすぎるかと。名前も、姿も」

 バドはそう告げてニヤリと笑うと、返事を待たずに部屋を出て行った。

 扉が閉まるのを待って、二人は同時に息を吐き出した。

「これは……どうやらばれてましたかな?」

「そうみたいだね。次からは何か偽名を考えた方が良いかも」

「左様でございますな……」

 リュードッグは口ひげを撫でまわして思案すると、妙案を思いついた様子でポンと手を打った。

「それでは、それがしがサキ様に良い名前を考えて進ぜましょう!」

 そう提案するリュードッグの会心の笑みを見て、サキは深くため息をついた。

「いや、悪いけどそれだけは遠慮しておくよ……」

次回は12/25(日)に更新します。

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