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天穹の双月  作者: すだちなんてん
第一章
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遺跡へ(13)

 地下の街に密集して建てられた住居の、屋上から屋上へ飛び移りながら、マリーは街の中心へ向かって移動した。追いかけてくる魔物たちは俊敏さこそ高くはないが、粘膜に覆われた巨体を毬のように弾ませながらマリーを着実に追ってくる。引き離す余裕もなく、街の中心部の傍までたどり着いた。

 街の中心は円形の広場になっていて、その中心に地下都市の天井まで続く巨大な塔が建っていた。

――あの塔は頂上の中央の塔とつながってるんじゃないかしら?

 薄暗い中を走り回ったので距離感が麻痺しているが、マリーが記憶している地上の塔の位置と地下の塔の位置は一致しているように思えた。

 だが、ゆっくりと塔を見ている暇は無かった。背後にはマリーを追って来た怪物たちが押し寄せて来ている。足元を覗き込むと、そこでも建物の間で怪物たちが押し合いへし合いしながらマリーを追ってくるのが見えた。

――下には降りれないようね。

 広場の縁を反時計回りになぞる様に、建物の屋上をマリーは走り続ける。間断なく物音が聞こえてくるのは、あの銀の鎧がまだ戦い続けている事を示しているのだろう。マリーを追って来た兵たちもまだ生きていて、戦っているのかも知れなかった。

 そんなことを考えていて、ほんの瞬時だがマリーは建物同士の隙間に潜む怪物に気づくのが遅れた。怪物は住居の二階部分の壁にへばり付き、マリーが頭上を通るのを待ち構えていたようだ。

「あっ!」

 気づいた時にはすでに遅く、マリーは隣の住居の屋上へ向けて跳躍したところだった。その屋上を蹴った右足が、建物の隙間から伸びて来た滑《ぬめ》りとした太い腕に掴まれる。

 荒々しく地面に引きずり下ろされ、マリーの体は地面に強く打ち付けられた。手をついて頭を打つのは防いだものの、怪物に掴まれた足首はあらぬ方向へ曲がっていた。不思議と痛みはなく、曲がっているのが自分の足だという実感はまだ沸かない。

「離して!」

 マリーは自分の足を掴む太い緑色の腕を殴りつけたが、ぬめぬめした粘膜に包まれた筋肉質で弾力のある肌は、マリーの細い腕で殴りつけられたところで傷つくことは無い。ただ、マリーの拳に大地を殴ったような鈍い感触と、粘膜のぬめりを残しただけである。

 だが、そんな攻撃でもカエルのような顔をした怪物は気分を害したらしい。力任せに折れた足を引っ張ると、マリーを広場の中へ放り投げた。

 今度は手を突く暇もなく、マリーの体は背中から地面に叩きつけられた。マリーは肺の空気がすべて失われてしまったように喘いだ。その間にも、怪物たちは続々と集まり、呼吸が落ち着くころにはマリーは十重二重に取り囲まれてしまった。

 その怪物たちは、マリーを見下ろしてゲェゲェと声を立てた。声はカエルのようだが、空気をびりびりと震わせるほど低く野太かった。嗤《わら》っているらしい。魔物というのは、どうしてこうも人間を嗤うのを好むのか? マリーは朦朧とした頭の片隅でそんなことを考えた。まるで、人間を嘲笑い、その尊厳を踏みにじるために生み出されてきたかの様だ。

――失敗したな。

 マリーは自嘲気味に小さく笑った。ただ漠然と、自分の人生は何の変哲もない村の中で平穏で少しだけ退屈な日々を送るだけだと思っていたのに、死は何の前触れもなく彼女の眼前に姿を現したのだ。醜いぬらぬらとした怪物の姿で。

 マリーは口を手で押さえて咳こんだ。その口を押えた手が血で濡れた。口の中を切ったらしく、鉄の味が口内に広がっていた。

「こんなことになるなら、父さんにあの時の事を謝っておけば良かったわ……」

 口の端から血を流しながらマリーは茫然と呟く。霞んだ視界の向こうで、醜い怪物が太い腕を持ち上げるのが見えた。呼吸が乱れて身体強化の術を続けることもままならない。あの太い腕で殴りつけられたら、マリーの頭蓋は熟れたザクロのように割れてしまうのは間違いないだろう。

 マリーはそっと髪に手をやった。頭を守ろうとしたのではない。そこに、大事な母親の形見があることを最期に確認したかったのだ。

 怪物の拳が打ち下ろされて、マリーの頭蓋をたたき割ろうとした。

 その刹那、一陣の風が吹いた。

 その風を纏《まと》って、黒髪の少女がマリーと怪物の間を駆け抜ける。

 疾風のように駆け抜けた男装の少女の背後で、彼女の右手に握られた剣に切り飛ばされた怪物の腕が切り口から緑の血をまき散らしながら宙に舞った。

「今からだって遅くはないよ。生きてさえいればね」

「サキ!?」

 サキの黒髪からはまだ雫が滴っていて、彼女が雨の降り続ける地上からこの地下都市に侵入して間もないことが見て取れた。

 黒髪の少女は剣を肩に担いで杏色の髪の少女に近づくと、朗らかに言う。

「さて、お嬢さん。そんなところにへたり込んでるとお尻が風邪をひくよ」

 マリーへ差し伸べられた左手には銀の腕輪は無い。

 サキの手を取ってマリーが立ち上がると、周りを取り囲んでいた怪物たちがその包囲を狭めて来た。

「大丈夫だよ。そこで大人しくしていて」

 マリーにそう言うと、サキは矢のように飛び出し、腕を斬り落とされて騒ぎ立てる怪物の眉間に剣を突き立てる。

 崩れ落ちる怪物の遺骸から剣を引き抜くと、切っ先を翻して背後に回った別の怪物の胸を突く。

 マリーの左右から同時に二体の怪物が迫る。サキが跳躍してマリーの頭上を飛び越えるのと同時に、その右手の利刃は飛燕のように左右に弧を描いて二体の怪物の頭蓋を両断した。

 着地と同時に刃を白く閃かせながら走り、周囲の敵の胴を四、五体まとめて斬り裂く。

 どさり、どさりと音を立てて、こと切れた怪物たちが倒れる。だが、二人の少女を取り囲む怪異の群れが減った様子はない。

「切りが無さそうだね、これは」

 サキはやれやれと剣を振るって血を払う。

「マリー、逃げるよ」

 声をかけるサキに、片足で立つマリーは首を振って見せる。

「ごめんね、サキ。私、足が……」

 サキは左の掌でマリーの言葉を制した。

「大丈夫だよ。アタシにしっかり掴まって」

 彼女はそう言うと、右手で剣を握ったまま、左肩をマリーの右の脇の下に当てて、左手で少女の細い腰をしっかり抱き寄せた。

 マリーが両手でサキにしがみつくのと同時に、周囲の怪物が押し寄せてくる。

 怪物の腕が二人を捕まえるよりも一瞬早く、サキはマリーを抱き寄せたまま空中へ跳躍した。

次回は7/24(日)に更新します。

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