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天穹の双月  作者: すだちなんてん
第一章
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遺跡へ(12)

「え、えと……こんにちは。いや、こんばんはかな? 私はマリーです。その……勝手に建物に上がり込んじゃってごめんなさい」

 マリーは銀色の鎧にそう話しかけてみたが、その言葉が通じたのか通じないのか、その鎧は返事をしなかった。だが、返事の代わりのように暗闇に包まれていた都市に灯りがともった。煌めくような強い光ではない。星明りのようなほのかな光である。半球状の都市の天井に、星のように小さな灯りが無数に瞬いていた。

 マリーが無用になった光の球を弾けさせない様に慎重に解除している間に、銀の鎧はマリーへの興味を失った様子で、視線をマリーがやって来た通路の方へ向けた。鎧につられてマリーもそちらを向くと、物音が響いてくるのに気付いた。

 人が争うような声。怪物のような咆哮。金属音。何が起こっているかは分からないが、良くない事であることは間違いなさそうだ。

 銀の鎧は、無言のまま地面を滑るように通路の方へ向かって動き出した。

――なるほど、あれなら音がしないのも納得ね。

 何も言わずに去ったところを見ると、マリーの事は無害と判断したのだろうか。

――さあ、どうしたものかしら?

 鎧の去った方向を見て、マリーは思案する。物音の主は追っ手の兵たちだろう。どうやら、何者かと争っているようだ。マリーの脳裏に数日前に見た、あの黒い犬の姿が蘇る。

――また魔物が出たのかな?

 マリーはあの時の恐怖を思い出して、小さく身震いをした。

 銀の髪飾りをそっと撫でて心を落ち着ける。今のマリーはあの時ほど無力ではない。とはいえ、武器も持たず徒手空拳で魔物を倒せるほど強くなったわけでもない。

――とにかく、様子を見に行こう。

 このまま事態が分からないまま、家屋の隅に隠れているわけにはいかない。数日前のマリーならばきっとそうしていただろうが、今のマリーには明確な行動の指針がある。

――サキなら、きっとそうするはず。

 マリーは開いたままの窓からするりと身を乗り出すと、窓枠を蹴って向かいの家の屋上へ身を躍らせた。

 片手をついて平らな屋上へ着地する。住居の屋根はどれも平らで、切り妻になっているものは見当たらない。この地下都市では雨水の排水を気にする必要がない為なのだろう。

 その平らな屋根が、同じ高さで遠くまで並んでいるのが見えた。

 この街の設計者は、円形の街に碁盤の目のように道を敷くことに嫌悪感でも抱いたのかもしれない。街は中心をとおる太い六本の道で、ちょうど切り分けられたケーキのように六等分されている。さらに、街の中心に対して同心円状に幾つもの道が敷かれていて、切り分けられたケーキの中を通って太い道同士をつなげている。

 マリーは先ほど歩いて来た道を脇に見ながら、ほの暗い屋上を小走りに駆けて住居の屋根から屋根に飛び移った。先ほどの守衛の姿は見つからないまま街の縁にまでたどり着き、身を伏せて通路の中の様子を窺った。

 通路の奥の方で赤い光が左に右に揺れているのが見えた。追っ手の騎兵が掲げていたランタンの様だ。そこから、はっきりと争いの声が聞こえて来ていた。

 マリーは慎重に暗視の術を使った。少しずつ通路の奥が見えて来て、その奥で何が起こっているかが分かると、マリーは息をのんだ。

 そこでは、無数の怪物が蠢いていた。

 緑色で、ぬらぬらとした粘膜に包まれた人型の怪物である。

 その進路を阻むように、二体の装甲魔動機兵が手に血濡れた大剣を構えて立ちふさがっている。その背後には、三人の人間の姿がある。馬から降りた騎兵と思われる二人と、腰でも抜かして歩けないのか二人の騎兵に肩を支えられたゴルデの姿であった。

 その周囲には、首を跳ね飛ばされたものや胴を串刺しにされたもの、頭から両断されたものなど、死んだ怪物の遺骸がいくつも転がっている。

 その怪物の遺骸の間に、人間の物と思われる手足が混じっているのが遠目にも分かった。

――騎兵は四人いたはず。

 吐き気を抑えながら、マリーは目を細めた。

 とびかかって来た怪物を、装甲魔動機兵が大剣を縦横にふるい血風をまき散らして迎撃するのが見えた。通路の幅は十分に広いが、それでも大剣を構えた装甲魔動機兵が二人並ぶと間をすり抜けるのは難しいようだ。

――あの人たちを相手にしないで逃げてよかった。

 一領で魔物百体に対抗しうる、と言われるのはあながち誇張ではないらしい。

 だが、魔物の数は十や二十ではない。通路にいるものだけでも五十体を優に超えていて、更に続々と地上から降りて来ている様だ。その増加速度は、装甲魔動機兵が怪物を駆逐する速度を僅かに上回っている。

 馬から降りた二人の騎兵と城主が下がるのに合わせて、じりじりと二人の装甲魔動機兵も後ろに下がる。

 だが、通路の端まで来てしまうと、それ以上は下がるわけにはいかない。広さに限りのある通路であれば二体の装甲魔動機兵で数十倍の数の怪物を相手にしても背後の三人を守ることが出来るが、広い場所に出てしまうとそれは難しい。

 通路と街の境界で踏みとどまった二体の装甲魔動機兵は、互いに連携して懸命に迫りくる怪物を倒す。すぐに、通路の出口には怪物の遺骸の山が築かれた。だが、倒しても倒しても、攻撃が止むことはなく、何度も波の様に打ち寄せてくる。

 次第に装甲魔動機兵の動きが鈍って来た。特に、マリーから見て左側の装甲魔動機兵は、杖のように床に着いた大剣に体を預け、肩で息をしている。体力も魔力も限界なのだろう。その僚友を庇うようにもう一人の装甲魔動機兵は大剣をふるい続けるが、彼もまた万全の状態には程遠く、その動きは緩慢だ。

 一体の怪物が大剣をかい潜り、立っているのもやっとの様子の装甲魔動機兵を押し倒すと、ほかの怪物たちもそれに群がって、その装甲を荒々しく叩いたり手足を引いたりした。魔動鎧の装甲は多少の怪物の攻撃は物ともしないが、袋叩きにあってしまうとなすすべもない。

 断末魔の声が長く響いた後、誰もが、怪物さえも声を発せず、奇妙なしじまが生まれた。

 そのしじまを破って、もう一人の装甲魔動機兵が雄たけびを上げて大剣をふるい、僚友に群がる怪物を一刀で薙ぎ払った。だが、怪物の躯をかき分けた後に出て来たのは、首が曲がり、腕が外れ無残な姿となった僚友の躯であった。

「退却だ! さっさと退却しろ‼」

 聞き覚えのある声が響いた。城主ゴルデの声である。

――それが出来れば皆とっくに逃げているのに。

 兵たちは逃げ出さずに命がけで、自分で歩けないゴルデを守っているのである。だが、それが彼には分からないらしい。人に尽くされる事が当たり前の事と思っていて、何も疑問に感じないのであろう。

 喚きたてるゴルデを守りながら、生き残った兵士たちは装甲魔動機兵をしんがりに残して街の小道に逃げ込むのが見えた。

――私も逃げないと。

 装甲魔動機兵の片方が倒れた以上、怒涛のように押し寄せる魔物の群れを押し返す手段は最早ない。現に目下では通路から無数の怪物が街の中へなだれ込んできている。幸い、建物の屋上にいるマリーにはまだ気づいていない様だが、気づかれるのも時間の問題だろう。

――この街のどこかに怪物たちから隠れるような場所がないものかしら?

 そう考えるマリーの視界の端に、あの銀色の鎧の姿が映った。

 鎧は音もなく近づいてくると、甲高い警告のような声を周囲に発したのちに、無造作に怪物の群れに飛び込んだ。

 一方的な戦闘だった。

 怪物たちは銀の鎧に近寄られると、なす術もなく引きちぎられて無残な姿となり躯をさらした。

 ゴルデが逃げる時間を稼いでいた装甲魔動機兵は、突然現れた銀の鎧に驚いた様子だったが、銀の鎧が戦っている隙に便乗して後ろに下がると味方の後を追い始めた。

 だが、一体の銀の鎧で完全に魔物を食い止めることが出来るわけではない。

 同胞が惨殺されるのをしり目に、無数の怪物が地下都市へ侵入し続けていた。

――逃げるなら今ね。

 マリーが腰を低くして逃げようとすると、ぷんと生臭い匂いが鼻をついた。匂いの主は屋上の縁を掴んで這い上がろうとする一体の怪物だった。

 怪物は早くもマリーの存在を察知したらしい。これ程暗い場所でそれが分かるという事は、視覚以外の感覚、おそらく嗅覚で彼女を察知したのだろう。それほど嗅覚が発達していながら、自分自身が発する耐えがたい匂いは気にしていない様であった。

 マリーは小さく悲鳴を上げた。

 遠目には分からなかったが、背中に蛭のような白い突起を無数に蠢かす怪物の姿はあまりにおぞましく、声を発せずにはいられなかった。そのマリーの声に反応して、怪物たちが続々と住居の壁を登り始めた。

 マリーは、完全に立ち上がると姿勢を低くして姿を隠す余裕もなく逃げ出した。

次回は7/23(土)に更新します。

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