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天穹の双月  作者: すだちなんてん
第一章
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遺跡へ(8)

「糸は誰か目の見える人に取ってもらいな。あんたも、盲人の鋏で抜糸されるのは気が気じゃないだろうからね。ヒ、ヒ」

 そう言って老婆は治療が終わったサキの左手から手を離した。

「ああ、ありがとう。……お婆さん」

 礼を言って腰を浮かしかけたサキの袖を、老婆の手が引く。

「せっかちだねぇ。あんたの傷を治したのは物のついで、大事な話はこれからさ。さ、椅子にかけな」

 サキは言われたとおりに椅子に座りなおすと、再び老婆がサキに顔を寄せた。

 魔女の瞳に、サキの澄んだ瞳が映りこんだ。

 その更に奥の奥で、何かが動いた気がした。

――今の見えたのは一体……? 彼女には何が見えているのだろうか?

 サキの疑問に答えるように、老婆は口を開く。

「ふむ……なるほどねぇ。儂はね、お嬢ちゃんの未来を見ることが出来るのさ。ぼんやりとだけどねぇ」

「アタシの未来……?」

「そうさ。でも、こんな相を見るのは初めてだねぇ。あんたは大変なことを成すけど、あんたの未来には想像を絶するような苦難が待っているよ」

 老婆はサキの瞳の奥を覗き込むようにしてそう言う。白濁していたはずの魔女の眼が欄々と輝いて、今だけは彼女の瞳は光を取り戻しているかのようだ。

「アタシは別に大それたことなんてするつもりは無いよ」

――アタシはただ、あの頃に戻りたいだけなんだから。

「今その気があるかどうかなんて関係ないよ。人の心は移ろいやすい物だからねぇ」

 サキの理性は老婆の言葉を信じることを拒絶していた。未来の事なんて分かるはずがないと考えていたからだ。だが、一方で直感は老婆の言葉を受け入れつつあった。

「アタシは……どうすればいいの?」

「事細かく助言してあげることは出来ないよ。儂は未来の一時の断片を見ることが出来るだけで、そこに至る経緯まで見れる訳では無いからねぇ。でも、難しいこと考える必要はないのさ。その時々で、あんたの心が言う事に耳を傾けてごらん」

「アタシの心が?」

「そうさ。誰の言葉でもない、あんたの心が言う事が一番大事なのさ。道に迷った時こそね。あんたが今一番したいことは何だい?」

――今、一番したいこと……村がこんな状態じゃ、アタシはここの人たちを助けるべきなのかもしれない。でも……。

「アタシは、マリーを助けに行きたい。きっと、助けを待ってるから。でも、マリーの居場所がハッキリとは分からなくて……無事でいてくれればいいけど」

 そうかね、と老婆は呟く。そのまま暫く黙っていたが、おもむろに口を開いた。

「『双月、天穹に満つる時、古の扉開かれん』」

「……? それは何?」

「我が一族に伝わる古い言い伝えさ。あんたの役に立つんじゃないかい?」

――古の扉っていうのは、遺跡の入り口の事だろうか? 二つの月が満ちた時に遺跡の扉が開かれるという事? 今夜あたり双望月のはずだけど、そうだとしても……。

「もしそれが本当だとしても、生憎今日は月が見えないよ」

 外の天候は嵐である。月光の破片すらも頂上から拝むことは出来ない。

「馬鹿だねぇ。雲があったってなくたって、お月さんは変わらず空にあるもんだ。人間の眼から見えないからってどこかに行っちまうもんじゃない」

「そっか、そうだね。でも、遺跡の扉が開くのだとしても、マリーの居場所に何か関係があるの?」

「あの子は馬鹿じゃない。目的もなく逃げ惑ったりはしないよ。出来るだけ長い間、凶暴な城主を何処かに連れて行こうとしてるのさ。だけど、あの子が行き方を知っていて遠い場所なんて、そう幾つもないよ」

「マリーは西へ逃げて行き、きっとそのまま遺跡へ向かった……。そのマリーがいつまでも帰ってこなくて、今日は遺跡の扉が開く日、そしてその遺跡が光っていた……」

 確証は何もない。だが、これだけの状況証拠が揃っていると、サキにはマリーは遺跡の中に入ったのではないかと思えた。

「分かった。お婆さん、ありがとう。アタシ、遺跡に行ってみるよ」

 すっと立ち上がって言うサキに、老婆は頷く。魔女の眼の輝きはもうすでになく、そこには一人の盲いた老婆がいるだけだった。

「それがいいよ、お嬢ちゃん。バドの小僧のことは儂に任せておきな。それはそうと、これだけ覚えておいてくれないかい?」

「……何?」

「あの子を信じておやり。あの子は必ずあんたの事を助けに行くからね」

「アタシがマリーを助けに行くんだけど……?」

「今は分からなくて良いよ。ただ、この干からびた婆の言った事、頭の片隅で覚えていてくれれば良い」

 サキは頷く。

「分かった」

「それと、マリーのところへ行くなら、これを持っていっておくれ」

 老婆は懐から真新しい白い封筒と、古びたなめし皮の表紙の書物を取り出してサキに差し出した。

「これは……?」

「この封筒は、バドの鼻たれから意識があるうちに渡されたものさ。マリーに渡してくれってね」

 老婆は寝台に横たわるバドを見やる。

「本来、自分で渡すべき物だけど、万が一って事もあるからね。バドも、マリーもね」

 サキはリュードッグから聞いていた話で、その封筒の中身に何が書かれているのか分かるような気がした。

「もう一つは我が家の秘伝書さ。儂のあばら家で埃を被っていた物だが、きっと必要になると思ってね。これもマリーに渡しておくれ」

「どうしてマリーにそんな貴重なものを?」

「貴重なんかじゃないよ。儂が持ってても使い道がないのだからね。でも、マリーならきっとうまく使ってくれるよ。とにかく持って行っておくれよ」

 老婆にそう頼まれると、サキはそれ以上は何も聞かずに頷いて封筒と書物を受け取った。老婆にもう一度礼を言って部屋を出る。


 少女の足音が部屋を出て遠ざかって行くのを老婆はしばらく聞いていた。

「まったく、喧しいお嬢ちゃんだったねぇ」

 老婆はそう言ってヒ、ヒと笑った。笑い終わると、獣脂蝋燭がジリジリと音を立てて燃える中で、もう一度言い伝えの言葉を繰り返す。

「『双月、天穹に満つる時、古の扉開かれん。二人の神子、鳥かごを開きて、失われし青き月と白き月の絆を取り戻さん』……我が一族五百年の悲願、遂に叶うときが来たのかねぇ」

次回は7/10(日)に更新します。

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