遺跡へ(7)
「まったく、バタン、バタンと喧しく扉を開け閉めするもんじゃないよ。どこの子だい? 親の顔が見てみたいもんだよ」
――出来るものなら、アタシだって見たいよ。
老婆の小言にサキは胸の中で答える。
無言で近づくサキに、老婆は顔を向けると何か気づいたようだ。
「あら、なんだい? あんたこの辺の子じゃないね。何の用で来たんだい?」
サキが見知った顔ではないと気づいくと、老婆は声は険の無いものに変わった。
「オレはサキ。つい先日ここに滞在していた旅人だ。マリーに用があって戻って来たんだが、さっきそこで村長殿が怪我をしたって聞いてね」
「ああ、そうかい。そういえば、珍しく来客があったって聞いたね。そら、バドの小僧ならこの調子だよ」
老婆は寝台に横たわったバドを指し示す。意識は無く、眠るように深い呼吸を続けている。
「儂が来た時にはまだ意識があったんだけどね。血を流しすぎたんだろう。ご覧の通り寝込んでじまってね」
「ご老体は医者なのか?」
サキの質問に、老婆は再びヒ、ヒ、と笑った。
「そんな立派なもんじゃないよ。儂ぁ、ただの呪い婆ぁじゃ。この村にゃ医者なんて居ないから、儂がその真似事をしてるだけさね」
「村長殿は助かりそうなのか?」
老婆はゆっくりと頷く。
「油断はできないけどねぇ」
「城主に刺されたっていうのは本当か?」
「儂は直接は見ちゃいないが、皆そう言ってるねぇ。大公様は領民思いで徳の高い方だってのに、その息子がこの調子じゃねぇ」
バドを見やりながら老婆は嘆息する。
「そうか……。ところで、マリーを探しているのだけど、何か知らないか?」
サキはバドの意識が無いことに落胆しつつ、念のためにと老婆に尋ねてみた。
「ああ、知ってるよ。儂は何でも知ってる。あんたのこともねぇ」
老婆はそう言ってヒ、ヒと笑う。サキはため息をついて頭を振った。
「いまは時間が惜しいんだ。冗談なら後で聞くよ」
そう言って踵を返して部屋を出ようとするサキを、呪い師の老婆は呼び止めた。
「なんだい、自分は質問をするだけ質問して、気が済んだら行っちまうのかい? お嬢ちゃん」
「……は?」
サキは驚いて振り返る。
「アタ……オレは、男だ」
老婆が被っていたフードを脱ぐと、光のもとに現れた眼窩にはまる二つの眼球は、白く濁って光を映してはいなかった。
「無理するんじゃないよお嬢ちゃん。何か小細工をしてるんだろうけど、儂にゃ関係ない話さ。儂の眼はとっくに光を失ってるからね。儂が見てるのは、もっと人間の根源的な部分さ。こいつはちょっとやそっとじゃ誤魔化せるもんじゃないから、アンタがお嬢ちゃんだってことは、アンタがこの部屋に来てすぐに分かったよ」
「根源……? それは一体……魔力に男女差があるとでも言うの?」
「頭で考えたってわかりゃしないよ。こういう事は時が来れば自然と分かるようになるもんさ。そんなことよりアンタにゃ用がある」
「オ……アタシに?」
「ああ、そうさ。こっちにおいで。あんたの顔を儂に良く見せておくれ」
サキは不審に思いながらも老婆にそっと近寄ると、老婆の隣の椅子に腰かけて己の皺ひとつない顔を老婆の皺だらけの顔に近づけた。老婆は見えない眼でサキの顔をじっと見るような仕草をして、枯れ木のような手を伸ばして左頬にそっと触れた。
「これは金創だね」
サキの左の頬に残る創を、創の深さを測るように老婆の親指がゆっくりと撫ぜる。
「こんなもの、大したことないよ」
「馬鹿をお言いでないよ。せっかくの奇麗な顔が台無しじゃないか」
「別に奇麗なんかじゃないよ。それに、あなたは顔が見えてないんだから、奇麗かどうかなんて分からないじゃないか」
老婆は小さく鼻で笑う。
「上っ面を見なきゃ分からないようなのは美人とは呼べないよ。本物の美人ってのは目を瞑ってたって匂いで分かるもんさ」
そう言って老婆は鼻をひくつかせた。
「無茶苦茶だよ。それに、それならなおさら違うと思うけどな」
「いいから黙ってじっとおし」
老婆がそう言うや否や、彼女の眼が怪しく輝いた。
瞼を閉じてもごもごと口を動かしす。
「いと慈悲深き双神がひと柱、麗しき月の女神ヴィーレに願い奉る。その大いなる御業をもって、この者が負いし傷を癒されん」
老婆の親指の先から金色の光が溢れる。その親指でなぞる先から、サキの頬の傷が初めから無かったかのように姿を消した。
「これは……治癒の術……? こんな呪文は初めて聞いた」
「これは呪文じゃなくて祝詞さ。誰も覚えちゃいないような、古い、古いやりかたさね。だけど気を付けなきゃいけないよ。聖王国の生臭坊主共が認めない古い神の名だからね。唱えているのがばれたら、魔女だって言われて異端審問官に火あぶりにされちまう。儂も、アンタもね。ま、そうなったら儂は見ての通り潤いの無い婆さんだから、よく燃えるだろうねぇ」
老婆はまたしてもヒ、ヒと笑った。自分の言った言葉がよほど面白かったらしく、これまでよりも高い声だった。
――彼女は魔女なんだ。
サキは驚いた。辺境には、大陸中央の聖王国が唱える神学に異を唱えるものが居るという事は聞いていた。だが、各地を旅したサキでさえ、実際に会うのは初めてだった。
「ヴィーレ、ってのが古い神の名なのか?」
サキは用心しつつ、口を開いた。
――余計なことを口にして呪われたりしちゃたまらない。
もちろん、傷を治療してくれたのだから目の前の魔女は敵ではないのだろう。だが、魔女の価値観というものが分からない。言葉遣い一つ間違えただけで、彼女が敵対しないかどうかなど、サキには知りようも無かった。
「そうさ。青き月の女神ヴィーレ。双子の神の片割れで、妹の方だね。もう一人は双子の兄である、白き月の神ヴィール。あんたがいつも見てる、空の双子月の神様さ」
「双子の神……。そうか、双子月は兄妹だったのか……」
サキはそう言って、心中に二つの月の姿を思い浮かべた。
「そうさ。誰かさんみたいにね」
サキはもう彼女の言葉には驚かなかった。この魔女である老婆には何でもお見通しなのかもしれない、とすら思い始めていた。
「……なんでもお見通しってわけだ」
「ヒ、ヒ。あんたが何も分かるまいと思う以上のことを儂は知ってるが、あんたが何でもお見通しと思う程は知らないのさ。じゃが、あんた自身だって自分のことを分かっていないのだから、この婆ぁに分からんのも仕方のない話さ」
そう言って老婆はサキの左手を両手でつかんだ。
「さ、こっちも直しちまおうじゃないかい」
老婆はサキの左手の包帯を解くと、絹糸で縫われた傷口を撫ぜながら先ほどと同じように祝詞を唱えて、治りきっていなかった左手の傷を癒した。
拙い作品ながら、読んでいただいてありがとうございます。
ここまで毎日更新をしてきましたが、書き溜めておいた分が乏しくなってきたため今後は土曜、日曜の週二回更新にさせていただきます。
次回は7/9(土)に更新します。




