↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天穹の双月  作者: すだちなんてん
第一章
30/100

遺跡へ(3)

 マコク山の斜面につづら折りに続く山道を光源の術で照らしながら少女の影が駆けていく。光の下では、濡れた杏色のお下げが艶やかに輝いて揺れていた。

 昼過ぎから南方から湿った風と共に暗雲が流れてきて、夕暮れ前には天気が崩れていた。完全に日が沈んでからは雨足はいよいよ強くなり、風はごうごうと音を立てて吹き付けて木々を揺らし 時折雷鳴が響いた。

 夜はすでに更けている。マリーがその夜暗の中で振り向くと、少し離れたところを追ってくる騎兵が掲げたランタンの光が、木々の隙間から覗き見えた。

 向こうからもマリーがこれ見よがしに掲げた光源の術の光が見えていることだろう。天候が荒れていることもあり、マリーがその気になれば光源の術を消して夜陰に紛れるだけで逃げ切ることが出来ただろう。わざわざ自分から居場所を知らせているマリーのことを、追っ手たちは少しは疑ってもよさそうなものだ。だが、誰一人として脱落せずに着いてくるところを見ると、多少の魔術が使えるにしても小娘一人と、まだ高を括っているのかもしれない。あるいは、疑問に思ったとしてもまだ激昂冷め止まぬゴルデに叱責されて、どうすることも出来ないのかもしれない。どちらにしても、マリーにしてみればありがたい話だ。

 マリーは走りながら軽い眩暈に襲われて、慌てて首を振った。

――だめよ、マリー。今は気をしっかり持たなくちゃ。

 髪飾りを撫でつけながら自分を鼓舞する。

 疲労感が見えない足かせとなって彼女の足取りを遅らせる。もう半日も走り続けているのだから、当たり前の話だ。マリーは走るのが決して苦手ではないが、それでもこんなに長時間、しかも悪路を走ったことなどない。身体強化の術を使っていなかったならば、とっくに疲れ果ててへたり込んでいるところだ。

 道をたどって登り続けると次第に樹木が疎らになり、やがて視界が開けた。不意に空が眩しく光り、驚いて山頂の方を見上げると、巨大な建造物の天辺に雷が落ちたところだった。 落雷の閃光に幾つもの塔の影が浮かび上がった。そのあまりの巨大さに、マリーはその影が再び闇に沈んだ後も足を止めて暫く見上げたままだった。轟音が鳴り響いたのは建造物群の姿が完全に見えなくなってからであることを考えると、まだそこまでには距離があるようでもあったが、そう考えるとなおさらその巨大さには驚嘆させられるものがあった。

 追っ手の騎兵たちの眼には落雷のために一瞬マリーの姿がはっきりと映ったのだろう。後方で鋭い声が上がったが、雨音に邪魔されて何を叫んでいるのかまでは聞き取ることが出来なかった。

 しかしマリーはその声に我に返ると、振り返って追っ手の姿を探した。追っ手たちも森林の中から出たところらしく、ランタンを掲げた数騎の騎兵と、明りもつけずにその後を追ってくる装甲魔動機兵の姿が見えた。止めてしまっていた足を再び動かして、途中に大小の岩がゴロゴロと転がった道を再び逃げ出した。

 更に道をさかのぼって行くと、マリーは低木の茂みの中に入った。マリーの姿が見えなくなったことで、後方では先ほどにも増して鋭い声が上がった。

 もう一度雷鳴が轟いた時に、マリーの眼前に浮き上がった影は建造物の物だけではなかった。恐ろしく巨大な人影が地面に伏しているのが分かった。

 マリーが光源の術を強めると、その光の中に赤黒い肌をした巨大な躯が浮かび上がった。雨で多少流されてはいたが、首の後ろから流れ出たと思われる大量の血が地面に黒く大きな染みを作っている。魔物というものが、病死をしたり衰弱死をしたりするという事があるのかは分からないが、眼前の魔物に関しては死因には疑う余地がないようにマリーには思えた。

 一体どうやってこれほど巨大な魔物を倒したのか見当もつかなかったが、それでもそれをした人物には見当がついた。マリーの知る限り、これほど大きな魔物を倒せるような人間は、ミノカの村のみならず周辺の村々を含めて一人も住んではいない。

――やっぱりサキはここに居たんだわ。

 ここまで逃げてくる途中の道には最近人が通った跡がなかったため、マリーは一度はサキが来てはいないのではないかと疑ったが、やはりここに来ていたらしい。

 雨のために近づくまで気が付かなかったが、異様なにおいが周囲には立ち込めていた。マリーはほんの数日前にそれと似た匂いを、巨大な魔犬から嗅いでいた。しかし、匂いの強さと胸が悪くなるような質の悪さでは、今眼前に横たわる魔物の躯から漂う匂いの方が数倍きついものだった。

 マリーは鼻を抑えながら後ずさって、なおも躯の様子を観察した。この巨大な生き物の命が絶たれたのは、そう何日も前ではないように見える。それでも、ここ数時間という事は無さそうだ。

――サキは、ここにはもういないみたい。この後、いったいどうすれば……。

 マリーは、自分が心のどこかで塔にたどり着けばすべてが解決するように思っていたことに気づいた。塔にたどり着けばそこにはサキとリュードッグがいて、今マリーが置かれた厄介な状況を解決してくれる。そんな虫の良い考えが頭の片隅にあったことはことは否めない。だが、現実はそれほどうまくはいかないようだ。

 思いのほか近くから馬の嘶《いなな》きが響いて、マリーはいつの間にか追っ手が傍に近づいて来ていることに気づいた。光源の術をその場に残したまま、マリー自身は怪物の躯の傍に寄ってその巨体が作り出す影の中に身を潜めた。匂いは気になるものの、怪物の異形があまりに視線を集めるので、かえってその陰は意識されづらいはずだ。

 マリーが隠れてから程なくして、雨音を越えてどよめきが伝わって来た。そっと躯の陰から様子をうかがうと、騎乗したゴルデとランタンを掲げる四騎の騎兵、それに二体の装甲魔動機兵がそれぞれに怪物の遺体を見ているところだった。騎乗の者は皆、驚愕の表情を顔に浮かべている。魔導鎧を操る兵士の顔は見えなかったが、きっと同じ顔をしていることだろう。

「これは一体⁉」

「まさか、こんな大物がいたのか」

「三級…いや四級相当か? こんな怪物がいるならば、この人数では足らないのでは?」

「一度キノハに戻るべきではありませんか?」

「うろたえるな!」

 騎兵たちが口々に不安を訴えるのを、ゴルデは大喝して黙らせた。

「この化け物はもう死んでいる。ほかに仲間がいたところで、こちらには装甲魔動機兵が二体いるのだぞ。この程度の怪物、恐れるに足らん。そうだろう?」

 ゴルデは振り返って装甲魔動機兵を見やる。二人の兵士は互いに視線を送りあって頷きあうと、その片割れが答えた。

『も、もちろんです。この程度ならば、日ごろの訓練の成果を見せるのに手ごろな大きさです』

 人工声帯から発せられた声にも関わらずその少々声は上ずっていたが、騎兵達は気づかなかったらしく、表情に安堵の色を浮かべた。

「そんなことより小娘を探せ! こんな小細工をするぐらいだからまだ近くにいるのだろう」

 ゴルデは光を放ち続けるマリーが残した光源を苦々し気に見上げながらそう言う。彼の心中では、いつの間にかマリーは妹から小娘に降格していたらしい。

 騎兵たちは「はっ」と答えはしたが、暗がりから怪物が出てこないか不安だというように、慎重に辺りの捜索を始めた。

 騎兵の影が傍に寄って来たのを見て、マリーは光源の術を拡散させた。周囲に閃光をまき散らして術が解けると、騎兵たちは目を抑えて喚いた。

 その隙に怪物の陰から飛び出してマリーは走り出した。塔へ走り寄ってその陰に身を滑り込ませようとしたときに、不意に髪を後ろから掴まれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。