第4話:死ぬな
入学式を終えた教室には、朝とは少し違う空気が流れていた。
緊張がなくなったわけではない。
けれど、朝とは違って、顔と名前が一致したやつがもう何人かいる。
それだけでも、最初にここへ入った時よりは随分と居心地がよくなった気がする。
「じゃあ、ここからは少し学校の話をするぞ」
教卓の前では、上里先生が一枚目のプリントを手に取った。
俺も前を向く。
配られたのは、これからの学校生活についてまとめられた紙だった。
目次だけを目で拾っていくと、書かれているのは、授業時間や校内施設の利用について。
それから、寮での生活について、などなど。
細かい文字が結構な量で並んでいる。
「全部読み上げても眠くなるだけだから、細かいところはあとで自分で読め。今日は必要なところだけ話す」
入学式で長い話を聞いたばかりだ。
ここから同じくらいの時間をかけて説明されたら、さすがに集中力が持つ気がしない。
上里先生は余ったプリントの向きを教卓で整えながら話し始めた。
「まず、授業は明日から始まる。最初のうちは座学が多いが、実技もすぐ始まるからな。運動着とか必要なもんは早いうちに持ってきとけ」
その言葉に、翔太が少し嬉しそうに反応した。
さっきから実技を楽しみにしていたし、座学より身体を動かす方が好きなんだろう。
「それと、実技の前にお前らの属性や魔力量、制御精度なんかも一通り測る。中学で測ったことあるやつもいるだろうが、もう一回やるからそのつもりでいろ」
魔力量。
制御精度。
聞き慣れた言葉が続く。
俺も中学までに何度か測ったことはある。
魔力量は特別多くも少なくもない。
火力も、持続時間だって普通。
良く言えば平均。
悪く言えば平凡だ。
その代わり、狙ったところへ魔法を当てたり、狭い範囲に魔力を集めたりするのは、魔法が使えるようになってからずっと得意だった。
星詠学園なら、それをもっと上手く扱えるようになるかもしれない。
「先生」
声が上がった。
見ると、美月が手を挙げている。
「なんだ、朝倉」
「先生たちも授業で魔法使うんですか?」
「使う時もある。危険な時なんかは特にな」
「先生はどんな魔法を使うんですか?」
「ああ」
上里先生が答えようとした、その時。
別の男子生徒が、先生の胸元を見ながら声を上げた。
「先生、それ……銀魔法士のバッジじゃないですか?」
一瞬、教室が静かになった。
それから、ざわめきが広がる。
「え、銀魔法士?」
「マジ?」
俺も上里先生の胸元を見る。
そこには、たしかに小さな銀色のバッジが留められていた。
銀魔法士。
卓越した魔法士として国から認められた者に与えられる国家資格。
その証として授与される銀色のバッジから、いつしかそう呼ばれるようになった。
バッジは鳥の翼を模した形で、中央には宝石のような物があしらわれている。
当然、誰もがなれるものではない。
魔法を扱う技術や知識だけでなく、様々な面で高い能力を認められた魔法士だけが、その資格を持つことを許される。
つまり、銀魔法士とは、魔法士として一流であることの証明だ。
俺も実際に銀魔法士を見るのは、これが初めてだった。
「すげえ……」
隣から翔太の声が聞こえた。
見ると、ご馳走を前にした子供のように目を輝かせている。
分かりやすいやつだ。
「先生!」
「今度はなんだ、高峰」
「先生って、やっぱめちゃくちゃ強いんすか?」
何人かが笑う。
上里先生は翔太を見ると、少しだけ眉を上げた。
「なんでそう思うんだ」
「いや、だって銀魔法士じゃないですか」
「そうだけど」
「国から認められてるんですよね?」
「そうだな」
「じゃあ強いじゃないですか」
翔太は当然のことのように言う。
論理の飛躍があった気がする。
上里先生はそんな翔太を見てから、教室全体へ視線を移した。
「勘違いすんなよ。銀魔法士は、強さを自慢するための資格じゃない」
さっきまでの軽い調子のまま話している。
「魔法を扱う技術がある。知識がある。必要な時にちゃんと判断できる。そういうのをひっくるめて、魔法士として一定以上の能力があると国から認められた証だ」
上里先生は胸元の銀色のバッジを指先で軽く示した。
「だから、これ持ってるやつが一番強いとか、そういう単純な話じゃねぇ」
翔太はまだ少し納得していないようだった。
「じゃあ先生は?」
「何が」
「強いんですか?」
「話聞いてた?」
再び教室に笑いが起こる。
翔太も笑っていた。
「まあ、その辺はいずれ授業でやることになる。お前らもこれから、自分の魔法で何ができるのか、何が得意なのかを知っていけばいい」
そう言ってから、上里先生は教卓のプリントを一枚めくった。
「あと、最初だから一応言っとくけどな」
何人かがまだ話していた声を止める。
「ここにいると、周りも全員魔法を使えるから忘れそうになるが、それが世の中の普通ってわけじゃない」
そして、ゆっくりと教室を見渡した。
「ほとんどの人間は、生まれつき魔力回路を持ってる。ただ、持ってるからって、全員がまともに魔法を使えるわけじゃねえ」
それ自体は、俺も知っている。
魔力回路があっても、流せる魔力が少なかったり、回路そのものが属性現象を起こせるほどの性能をもっていなかったり、魔力を上手く制御できなかったり。
理由は人によって違うけど、安定した魔法を使えない人の方が、世の中ではずっと多い。
「目安で言えば、実用的な魔法を使えない人が七割くらい。日常生活で使える程度なら二割から三割くらいだ。そこからさらに、専門的な魔法教育を受けられる水準となると、一割以下。五パーセントもいない」
改めて数字で聞くと、少なく感じる。
今日、星詠学園へ来てからは、魔法を使える人間ばかりを見てきた。
廊下を歩いている時だって、花壇へ魔法で水をやっている姿や、風を使って掲示物を直している姿を見た。
ここにいると、それが普通に見えてしまう。
「星詠学園は、その五パーセント以下のやつらが通う場所だ」
上里先生が続ける。
「だから、お前らは少なくとも専門的に魔法を学べるだけのものを持ってる。そこは自信をもて」
そして、少しだけ間を置く。
「ただし、それで自分は特別だなんて勘違いはすんなよ。扱える力が大きくなれば、その分だけ扱い方にも責任が出てくる。できることが多いことと、正しく使えることは別問題だ。」
その言葉に、教室の空気が少しだけ引き締まった気がした。
「で、せっかくだから一個だけ覚えとけ。三年間で一番大事なことだ」
何だろう。
試験。
単位。
魔法の扱い方。
色々思い浮かんだけど、そのどれでもなかった。
「死ぬな」
短く、それだけだった。
教室が、しんと静まり返る。
誰もすぐには反応しなかった。
入学初日のホームルームで担任から言われるとは思わない言葉だ。
俺も一瞬、聞き間違えたのかと思った。
「……いや、そんな顔すんなよ」
上里先生が苦笑する。
「別に今から命懸けの授業やるぞって話じゃねえから」
少しだけ空気が緩んだ気がする。
でも、先生は真面目な顔をしていた。
「魔法を使う以上、事故は起きる。朝も言ったけどな。自分の実力以上の魔法を使えば、自分が怪我することもある。実技で判断を間違えれば、他人を巻き込むことだってある」
朝。
先生が教室へ入ってきた直後にも、似た話をしていた。
魔法を使う時は絶対にふざけるな。
魔法は便利な道具じゃない、と。
「魔力が切れそうならどうする?」
突然、上里先生が問いかける。
誰も答えない。
先生はすぐに続けた。
「それ以上魔法を使うな。逃げろ」
教卓を指先で軽く叩く。
「無理だと思ったら?」
一拍。
「人を呼べ」
もう一度。
「友達が倒れたら?」
今度は少し間があった。
「助けるな、とは言わねえ。でも、一人で格好つけて突っ込むな。自分まで倒れたら、助ける側の手間が増えるからな」
先生は教室を見渡して、少しだけ口元を緩める。
「逃げるのが格好悪いとか、人を呼ぶのが恥ずかしいとか、そういうのはいらねえからな。無理なもんは無理って言え」
言葉自体は難しくない。
むしろ当たり前のことばかりだ。
危なくなったら逃げる。
一人で無理なら助けを呼ぶ。
だけど、先生はそれを、わざわざ「三年間で一番大事なこと」と言った。
「学校なんだから、失敗していい。魔法が上手く出なくてもいいし、実技で負けてもいい。試験で点取れなきゃ……まあ、それは勉強しろ」
誰かが小さく笑った。
先生の顔にも笑顔がある。
だけどその目だけは、ずっと真剣だった。
「でも、命だけは取り返しがつかないからな」
笑っていた誰かの声は、気づけば消えていた。
「だから死ぬな。それだけは守れ」
言い聞かせるみたいに、先生は一人ひとりの顔を見ていた。
点呼では、一人どころか二人も飛ばしてしまうような、どこか軽く適当な先生。
今朝会ったばかりで、俺が知っている先生へのイメージなんてそれくらいだ。
でもこの言葉は、軽い気持ちで言っているようには見えなかった。
「先生」
静かになった教室で、翔太が手を挙げた。
「なんだ」
「もっと夢のあること言ってほしかったっす」
一瞬の沈黙。
「お前なぁ……」
上里先生が呆れたように翔太を見る。
「いや、だって魔法学校入って初日に、強くなれとかじゃなくて逃げろって」
「大事だろ」
「そうですけど」
翔太は笑っている。
上里先生も、ほんの少しだけ笑っていた。
それから。
「死んだらもっと夢ねえぞ」
「たしかに!」
翔太が吹き出すものだから、つられて何人かが笑い、あっという間に教室に声が広がった。
俺も思わず笑ってしまった。
翔太なんて、自分で言っておいて「そりゃそうだ」なんて笑っている。
さっきまでの少し重たかった空気が元に戻っていく。
でも。
笑いが少しずつ小さくなっても、上里先生はすぐには次の話を始めなかった。
ほんの少しだけ教室を見渡してから、手元のプリントへ目を落とす。
「……まあ、覚えとけ」
その声は小さかった。
みんなの笑い声に紛れて、聞こえなかったやつもいたかもしれない。
でも、たしかに聞こえた。
死ぬな。
入学初日に担任から教わることとしては、随分と変わっていると思う。
だけど、たぶん。
言葉も。
先生の顔も。
ずっと忘れないだろうなと思った。




