第15話:「技」
ある日の放課後。
「護!」
実技服に着替えて廊下を歩いていると、後ろから翔太が走ってきた。
「今日ちょっと自主練付き合ってくれ!」
「珍しいな」
「珍しいって何だよ。俺だって練習くらいするわ」
「自主的に?」
「するって!」
翔太が俺の肩を叩く。
その顔が、妙に楽しそうだった。
ただ練習したいだけではないらしい。
「千咲たちもいるけど」
「ちょうどいいじゃん。みんなで来いよ」
「何すんの?」
「見せたいもんがある」
それだけ言うと、翔太は先に行ってしまった。
「……何だあいつ」
少し離れたところにいた千咲が、俺の隣までやってくる。
「翔太くん、何だって?」
「見せたいものがあるって」
「なんだろ」
千咲が首を傾げる。
その後ろには、美月と春もいた。
実技の授業が終わったばかりだったから、みんなまだ実技服のままだ。
「行ってみる?」
美月が聞く。
「まあ、すぐ終わるなら」
「私も行く!」
千咲は乗り気らしい。
春も小さく頷いた。
結局、四人で翔太を追いかけることになった。
◇ ◇
実技場に向かうと、翔太はすぐに見つかった。
ただ、一人じゃなかった。
「お願いしますって!」
「嫌だ」
「ちょっと見てもらうだけっすから!」
「一人でやれよ」
「感想ほしいんすよ!」
「友達に聞け」
「先輩の感想がほしいんです!」
「いらねえだろ」
少し離れたところからでも聞こえる。
「……あれ」
美月が目を瞬いた。
「榊先輩?」
どうやら知っているらしい。
この前、翔太が廊下でいきなり勝負を申し込んだ二年生。
榊玲央先輩。
今日もネクタイは緩んでいる。
実技場にいるのに制服姿だから、練習しに来たわけでもなさそうだ。
それなのに、翔太に捕まっている。
「絡んでる」
千咲が苦笑する。
「……困ってるね」
春がぽつりと呟いた。
誰が見ても分かるくらい嫌そうだった。
「お」
翔太が俺たちに気づく。
「来た来た!」
その声に、榊先輩もこちらを見た。
俺と目が合う。
「……お前」
「こんにちは」
「こいつの連れか」
「はい」
「持って帰ってくんね?」
「無理そうです」
こういうときの翔太は、たぶん俺が何を言っても帰らない。
「先輩、ほんとちょっとだけなんで!」
「お前さっきからそれ何回言った?」
「三回くらいっすか?」
「七回だ」
数えてたんだ。
榊先輩が大きくため息をつく。
そして長い沈黙の後。
「分かった」
「マジっすか!?」
「見るだけな」
「はい!」
「終わったら帰る。何やるつもりかしらねえけどさっさとやれ」
「はい!」
返事だけはいい。
たぶん、終わったら別のことを聞き始める。
榊先輩もそう思っているのか、もう何も言わなかった。
「高峰くん!」
振り返ると、彩葉がこっちへ走ってきていた。
「お、彩葉」
「やっぱりここにいた!」
彩葉は俺たちの傍で立ち止まる。
少し息を切らしている。
かなりの距離を走ってきたのかもしれない。
「高峰くんが、二年生の先輩に技見せるって聞いたから!」
どこから聞いたんだ。
「ていうか、榊先輩ですよね?」
彩葉が玲央先輩を見る。
「今度は誰?」
「一年A組の三浦彩葉です!私も雷属性です!」
「ああ、そう」
やっぱり興味がなさそうだ。
でも彩葉は気にしていない。
どことなく、先日の翔太の姿と被って見えた。
「私も見ていい?」
「いいぞ!」
翔太が即答する。
「早く始めろよ」
榊先輩の呟きは、きっと翔太には聞こえていなかった。
◇ ◇
俺たちは、翔太から少し離れた場所まで下がった。
翔太の正面には、一直線に伸びた実技場の走路がある。
今日は標的を置いていない。
代わりに、二十メートルほど先の地面に目印が置かれていた。
さらにその先にも、十分な距離が取られている。
「何するの?」
千咲が聞く。
「見てれば分かるって」
翔太は嬉しそうだった。
スタート位置に立つ。
軽く足を開き、腰を落とす。
普通に走り出す時よりも、かなり低い姿勢だった。
何度か呼吸を整えて、前を見る。
さっきまで面倒くさそうにしていた榊先輩も、今は黙って翔太を見ている。
身体強化。
最近ようやく、俺たちも最低限は使えるようになってきた技術。
翔太はその中でも飲み込みが早かった。
クラスの中でも明らかに上手い。
もっとも、覚えたその日に加速しすぎて壁にぶつかったことまで含めれば、上手いと言っていいのかは少し迷う。
「……いきます」
翔太が呟く。
身体全体に魔力が巡る。
身体強化。
そこまでは、俺にも分かった。
次の瞬間。
バチッと乾いた音が響いた。
翔太の両脚の周囲で、黄色い雷が一瞬だけ弾ける。
そして、翔太が消えた。
「え?」
視線が追いつかなかった。
風が遅れて頬を撫でた。
気づいた時には、翔太はすでに二十メートル先の目印を通り過ぎていた。
それでも止まらない。
「うおおおおっ!?」
翔太自身の声が遠ざかっていく。
二十メートル。
三十メートル。
慌てて身体を起こし、何歩も地面を踏みながら速度を落とそうとしている。
けれど、勢いはすぐには死なない。
最後には大きく足を踏み出して、半ば跳ねるようにようやく止まった。
「…………」
誰もすぐには声を出さなかった。
さっきまで翔太が立っていた場所を見る。
それから。
かなり先で両膝に手をつき、息を整えている翔太を見る。
速い。
それしか出てこなかった。
身体強化を使って走る翔太なら、もう何度も見ている。
でも、今のは全然違った。
走ったというより、一気に飛び出した。
最初の一歩から、ほとんど最高速だった。
「速いね」
千咲が呟く。
「今の、見えた?」
美月が聞く。
「最初だけ」
「私も」
春は何も言わず、翔太が通り過ぎた跡を見ていた。
そして、彩葉だけは明らかに表情が違った。
「すご……」
目を見開いたまま、翔太を見ている。
少し遅れて、翔太がこちらへ戻ってきた。
さすがに連続で使う気はないらしく、歩きながらだった。
「どうよ!」
「高峰くん、今の何!?」
彩葉が真っ先に翔太へ駆け寄った。
「めちゃくちゃ速かった!もう一回やって!」
「だろ!?」
翔太も満足そうに笑う。
「全然見えなかった!」
「だよな!」
「どうやったの!?」
「身体強化して、走り出す瞬間に脚へ雷流した!」
「もしかして属性纏い!?」
浮かれる二人の後ろから、榊先輩の声が割り込む。
「今のは属性纏いじゃねえよ」
「え?」
翔太が振り返る。
「違うんすか?」
「全然違う」
榊先輩が翔太の脚を見る。
「身体強化した状態で、踏み出す瞬間だけ脚へ雷属性の魔力を流してる。雷の性質で筋肉と魔力の出力を一気に跳ね上げて、初速を無理やり引き上げてるだけだ」
「だけって……」
「技としての発想は悪くねえけど、属性纏いとは別物だ」
「いけたと思ったのに……」
翔太が大袈裟に肩を落とす。
「バカか。そんなすぐできるわけねえだろ」
榊先輩は呆れたように鼻を鳴らす。
「三年まで全部合わせても、この学校でまともに属性纏いできる奴なんて十人いるかどうかだぞ」
「そんな少ないんすか!?」
「だから得意なやつだけが使えるようになるって習っただろ」
「いや、俺得意なんでいけるかなって」
「習って一ヶ月も経たないうちに分かるわけねえだろ、タコ」
「タコ!?」
横で聞いていた彩葉は、属性纏いではなかったことなんて気にしていないようだった。
まだ翔太が駆け抜けた道を見ている。
「でも!玲央先輩!」
翔太がすぐに立ち直る。
「属性纏いじゃなくても、今の悪くなかったっすよね!?」
榊先輩は答えなかった。
翔太が立っていた場所を見る。
二十メートル先の目印を見る。
さらにその向こう。
翔太がようやく止まった場所まで視線を動かす。
「…………」
そして、少しだけ目を細めた。
「先輩?」
「それさ」
「はい」
「どこまで行くかは、自分で決められんの?」
「え」
翔太が固まる。
「二十メートルの目印、普通に通り過ぎてたけど」
「あー……」
「途中で止まれんの?」
「…………」
「走ってる最中に右へ曲がれって言われたら?」
「…………」
「左は?」
「今の質問と一緒じゃないっすか?」
「できねえんだろ」
「今は!」
翔太が慌てて言い返す。
「今は無理ですけど!」
「じゃあ目の前に壁あったら?」
「……ぶつかります」
「人が出てきたら?」
「……危ないです」
「相手に避けられたら?」
「通り過ぎます」
「欠陥だらけじゃねえか」
「これからできるようになるんすよ!」
「はいはい」
「いやマジで!」
榊先輩は面倒くさそうに耳を掻いている。
でも、最初から全部駄目だと言っているわけではなかった。
むしろ翔太がどう加速して、どこまで制御できていないのかを、俺たちよりずっと細かく見ていた。
「でも速かったですよね?」
「速いだけだな」
「!」
翔太の顔が輝く。
榊先輩が露骨に嫌そうな顔をした。
「十分っす!」
「十分じゃねえから言ってんだよ」
翔太はもう半分くらい聞いていない。
スタート位置まで戻り、さっき自分が走った一直線の走路を眺める。
「よし」
何だかすごく満足そうな顔をしている。
「決めた」
「何を?」
翔太が自分の脚を見る。
「名前」
「名前?」
「技できたんだから名前いるだろ」
「いる?」
「いる!」
何の迷いもなかった。
少し考えるように視線を落として。
すぐに、にっと笑う。
「雷駆」
「……らいく?」
千咲が聞き返す。
「雷で駆けるって書いて、雷駆!」
いかにも翔太が考えそうな名前だった。
攻撃でも、防御でもない。
ただ、雷を使って。
誰よりも速く駆ける。
今の翔太には、妙に似合っている気がした。
「どうっすか、先輩!」
玲央先輩は少しの間だけ黙っていた。
「技名つけて満足すんなよ」
「先輩!練習付き合ってください!!」
「テメェさっき見るだけだって言っただろ!いい加減にしろ!」
玲央先輩の声が実技場に響く。
千咲が笑う。
美月も口元を押さえている。
春も小さく笑っていた。
その中で、彩葉だけは真剣な顔をしていた。
「雷駆……」
小さく、その名前を口にする。
「高峰くん」
「ん?」
「私も、ああいうのやりたい」
翔太が一瞬、きょとんとした。
「雷駆?」
「うん!」
彩葉は勢いよく頷く。
「身体強化して、脚に雷を流すんだよね?私も練習したら――」
「いや、やめとけ」
思っていたのとは違う返事だったのか、彩葉が目を瞬いた。
「え?」
「危ねえから」
「でも高峰くんやってたじゃん」
「俺はいいんだよ」
「なんで!?」
「なんでって……」
翔太が困ったように頭を掻く。
少し前まで、自分の技を見せたくて仕方なかったやつとは思えない。
「今見てただろ?俺、全然止まれてなかったじゃん」
「でも、すっごく速かった!」
「速いけど危ねえんだって。下手したら壁に突っ込むぞ」
「高峰くんも前に突っ込んだんでしょ?」
「そうだけど!」
「じゃあ私も――」
「俺は身体強いから無事だったけど、彩葉がぶつかって怪我しないかは分かんないだろ」
翔太が慌てて遮った。
彩葉は不満そうに頬を膨らませる。
「…………私だって同じ雷なのに」
「だからって何でも同じことやる必要ないって先生も言ってたじゃん」
「でもやりたいんだもん」
「ダメ」
「……高峰くんのケチ」
「ケチとかじゃねえよ!」
そのやり取りを聞いていた榊先輩が、呆れたように息を吐いた。
「自分は止まれもしねえ技を見せびらかしてんのにな」
「それとこれとは別です!」
「何が違うんだよ」
「俺がやるのと、彩葉がやるのは違うんすよ!」
「意味分かんねえ」
俺にもよく分からない。
でも、翔太の中では何かが違うらしい。
自分が無茶をすることには抵抗がないくせに、それを見た彩葉が同じことをしようとすると止める。
彩葉はまだ納得していない顔で、翔太が駆け抜けた道を見ていた。
「……でも、やっぱりかっこいい」
「え?」
「雷駆」
翔太が黙る。
それから、分かりやすく口元が緩んだ。
「……だろ?」
「調子乗んな」
すぐに榊先輩から声が飛んできた。
「乗ってないっすよ!」
「顔に出てんだよ」
千咲が吹き出し、美月も笑う。
春も小さく口元を緩めていた。
俺は二十メートル先の目印を見る。
翔太はあそこを止まる場所として置いたはずなのに、実際には勢いよく通り過ぎて、その倍近く先まで走っていった。
速い。
でも、それだけ。
止まれない。
曲がれない。
距離も選べない。
今の雷駆は、榊先輩の言う通り不完全な技だった。
それでも、一瞬だけ視界から消えるほどの加速は、明らかに翔太だけの武器になり始めている。
身体強化がもっと上手くなれば。
雷の扱いも上達すれば。
いつか、自分の意思で止まり、曲がり、好きな距離を駆け抜けられるようになるかもしれない。
その時の翔太がどれくらい速くなっているのか。
今はまだ、想像もつかなかった。




