第16話:校外実習
朝のホームルーム。
上里先生が教室へ入ってくるなり、いつものように出席簿を教卓へ置いた。
出席を取り終えると、そのまま黒板へ向かい、大きく四文字を書く。
『校外実習』
「今日は連絡がある。来週、初めての本格的な校外実習に行く」
その言葉に、教室の空気が少し変わった。
入学してから一か月と少し。
実技場での授業だけでなく、市街地演習場を使った安全演習も経験しているけれど、基本的には学園の敷地内で授業を受けてきた。
校外実習という言葉が出たのは初めてだった。
「どこ行くんすか?」
翔太が真っ先に反応する。
「総合防災施設。実際の市街地で災害が起きた状況を想定して訓練するための施設だ。一般向けには、災害の体験ができるコーナーもあるな。街一つとまではいかねえけど、かなり広いぞ」
先生は教卓に置いていた紙の束を持ち上げた。
前の席から順番に資料が回されてくる。
俺も一部取って、残りを後ろへ渡した。
表紙には施設の名前と、その下に今回の実習内容が並んでいる。
倒壊建築物への対応。
火災現場における救助。
魔力事故発生区域への進入。
負傷者の救命。
避難誘導。
災害現場における状況判断。
思っていたより、ずっと項目が多い。
「……これ、ついに実戦っぽいやつじゃん」
隣で資料を眺めていた翔太が、明らかに嬉しそうな声を上げる。
「実戦って?何かと戦うの?」
美月が聞く。
「そりゃなんかいるだろ。悪い魔法士とか」
「訓練施設なのに?」
「その役を先生がやるとか」
「やらねえぞ」
上里先生の声が飛んできて、教室に笑い声が広がった。
「でも、模擬戦くらいはやるんですよね?」
今度は蓮司だった。
資料を見ながら、先生へ問いかける。
「市街地なら遮蔽物も多いし、実技場とは戦い方も変わる。建物の中に標的を置いて、それを制圧するとか」
考えていることは翔太と似ているらしい。
ただ、翔太よりずっと真面目に戦闘のことを考えている。
「神谷、お前もか」
「違うんですか?」
上里先生がため息をつく。
「先に言っとくが、敵をぶっ飛ばす日じゃねえぞ」
「じゃあ何するんすか?」
「書いてあんだろ」
翔太がもう一度資料へ目を落とす。
「倒壊建築、火災、魔法の暴発……その中で戦うとか?」
「何でそんな戦いたいんだよ」
また笑いが起こる。
俺も最初は、翔太たちと似たようなものを想像していた。
市街地。
魔法による災害。
実習。
そう聞けば、街の中を動き回りながら魔法を使う訓練なのかと思う。
でも、資料を読む限り、どうも違うらしい。
「……救命」
近くから聞こえた声に目を向ける。
凛が資料の一か所をじっと見ていた。
『負傷者の救命』。
その項目だ。
「これって、治療の訓練もするんですか?」
「やる。今回は初回だから基本だけだけどな。負傷者を見つけた時の対応、応急処置、魔法でできることと、やっちゃいけないこと。今後そっちを伸ばしたいなら、特に覚えといて損はない」
「はい」
凛は頷いて、もう一度資料へ目を落とした。
さっきまでとは違い、かなり真剣に読み込んでいる。
「魔力事故発生区域……」
今度は真壁が別のところに食いついた。
「先生、この施設って魔力事故も再現できるんですか?」
「できる」
「どうやって?」
「俺に聞くな。詳しい構造までは知らん」
「魔導設備ですよね?魔力濃度とか出力異常まで再現できるんですか?」
「だから知らんって」
「施設行ったら設備見てもいいですか?」
「勝手に分解しないならな」
教室のあちこちから笑い声が上がった。
同じ資料を見ているのに、興味を持つ場所は全然違う。
翔太と蓮司は戦闘。
凛は救命。
真壁は設備。
俺は改めて、紙に並んだ項目を見る。
倒壊、火災、事故、救命、避難。
今まで授業で習ってきた魔法とは、少し違って見えた。
火をどれだけ強く出せるか。
狙った場所に当てられるか。
身体強化でどれだけ速く動けるか。
これまでは、そういう分かりやすい部分を練習することが多かった。
でも、資料に並んでいるのは、強い魔法を使えればそれで解決できそうなものばかりではない。
「お前ら、たぶん今、校外実習って聞いてテンション上がってるだろ」
上里先生が教卓に両手をつく。
何人かが目を逸らした。
主に翔太だ。
「別に楽しみにするなとは言わねえ。ただ、遊びに行くわけじゃない。星詠でお前らが学ぶのは、魔法で相手を倒す方法だけじゃないからな」
教室が少し静かになる。
「魔法士が必要になるのは、戦闘だけじゃねえ。詳しいことは現地で聞け。今回はその道の専門家がいる」
「先生よりすごい人ですか?」
翔太が聞く。
「何を基準にだよ」
「強さ」
「お前ほんとそればっかだな」
「気になるじゃないですか」
上里先生は少しだけ考えてから、面倒くさそうに頭を掻いた。
「少なくとも、お前が勝てる相手じゃねえよ」
「俺基準!?」
「今のお前が聞いて意味あるの、それくらいだろ」
「じゃあ先生とどっちが強いんですか?」
「本人に聞け」
「聞いていいんすか?」
「知らん。俺は止めない」
翔太のことだから、本当に聞くんだろう。
先生もたぶん、それが分かっていて言っている。
そんな予感がした。
◇ ◇
そして、校外実習当日。
学園からバスに乗ってしばらくすると、窓の外を流れていた街並みが少なくなり、代わりに大きな施設が見えてきた。
最初に目に入ったのは、高い外壁だった。
その向こうに、いくつもの建物が並んでいる。
住宅。
ビル。
商店らしき建物。
道路。
信号。
遠くには歩道橋まで見えた。
「うわ、でっか」
翔太が窓に張りつく。
俺も同じことを思った。
市街地を再現した演習場なら、星詠学園にもある。
少し前には、そこで安全演習も受けた。
でも、規模がまるで違う。
バスが門を通り抜ける。
近くで見ると、本当に街の中へ入っていくようだった。
建物の一部には、最初から損壊しているものもある。
壁が崩れ、内部の柱が剥き出しになった建物。
黒く焦げた住宅。
ひび割れた道路。
横倒しになった標識。
ここが訓練施設だと知らなければ、何か大きな災害が起きた後の街だと思ってしまいそうだった。
「すごいね。これ全部、訓練用なんだ」
隣の千咲が窓の外を見ながら呟く。
「みたいだな」
やがてバスが止まり、上里先生に続いて俺たちも外へ出た。
五月の風が、建物の間を抜けていく。
目の前に広がっているのは、実技場というより一つの街だった。
「こっちだ、集まれ」
上里先生の声に従って集まる。
二十人全員が揃ったところで、先生が少し横へずれた。
「じゃ、紹介する。今日の実習を担当してもらう久世さんだ」
その後ろに、一人の男が立っていた。
大きい。
最初に目についたのは、その身体だった。
背が高いだけじゃなく、肩幅も広い。
がっしりした体格なのに、威圧するような立ち方はしていなかった。
年齢は四十歳くらいだろうか。
短く切った黒髪に、飾り気のない服装。
先生が朝のホームルームで「専門家」と言っていたから、もっと近寄りがたい人を想像していたけれど、見た目だけなら随分と普通だった。
男が俺たちの前へ一歩出る。
「久世征一郎です。今日はよろしくお願いします」
それだけだった。
翔太が続きを待つように見ている。
俺も何となく待った。
でも、久世さんはそれ以上何も言わなかった。
「……終わり?」
翔太が小声で呟く。
「聞こえてるぞ」
上里先生が笑う。
久世さん本人は、特に気にした様子もない。
「あれ?」
美月が小さく声を漏らした。
その視線は、久世さんの胸元に向いている。
つられて見ると、小さな銀色の徽章が付いていた。
見覚えがある。
というより、毎日のように見ているものと同じだった。
上里先生が胸元に付けている、銀魔法士の徽章。
「上里先生と同じだ」
千咲が呟く。
「銀魔法士だ!」
彩葉の声をきっかけに、クラスがざわつき始めた。
「久世さんも?」
「銀魔法士が二人いるってこと?」
「今日の実習だけで?」
入学してすぐ。
俺たちは上里先生の胸元にある銀色の徽章に気づいて、先生が銀魔法士だと知った。
その時は、普段のあまりにも気の抜けた態度と、ごく限られた魔法士しか持てない資格ということがどうしても結びつかなかった。
今ではもう、上里先生が銀魔法士であることにも慣れてきたつもりだった。
それでも、校外実習の担当者として紹介された人まで同じ銀色の徽章を付けているとなれば、さすがに気になる。
「久世さん!」
案の定、翔太が手を挙げた。
「はい」
「先生とどっちが強いんですか?」
聞いた。
本当に聞いた。
「お前は銀魔法士が二人いたら戦わせないと気が済まねえのか?」
上里先生が呆れている。
でも、久世さんは笑うでもなく、怒るでもなく、真面目に考え始めた。
少し視線を落とし、数秒してから上里先生を見る。
「対人戦なら、上里先生にはまず勝てないでしょう」
「え?」
翔太だけじゃなかった。
何人もの声が重なる。
俺も思わず上里先生を見る。
上里先生は銀魔法士だ。
強いことは知っている。
それでも、同じ銀魔法士からここまではっきり「勝てない」と言われるとは思わなかった。
「そんなに?」
千咲が俺の隣で小さく呟く。
「らしいな」
久世さんは特に悔しそうでもなく、そのまま続けた。
「私は戦闘が苦手です」
「銀魔法士なのに?」
翔太が首を傾げる。
「銀魔法士だからといって、全員が同じ能力を持っているわけではありません。私は対人戦を専門としていませんし、上里先生はそちらの技術が非常に高い。真正面から戦えば、私の方が不利です」
それなら納得できる。
前に先生から銀魔法士について聞いた時にも、戦闘だけで決まる資格ではないと教えられた。
戦闘能力。
救助能力。
状況判断。
知識。
指揮。
それ以外にも、魔法士として必要になる様々な能力を総合的に評価される。
同じ銀魔法士でも、得意な分野が違うのは当然なのだろう。
「じゃあ、久世さんはそんな戦うタイプじゃないんすね」
翔太が納得したように頷く。
「勘違いすんなよ」
横から上里先生が口を挟んだ。
何だか面白そうに笑っている。
「お前ら全員でかかっても敵わないぞ」
「え?」
また声が重なった。
「でも、戦闘苦手なんですよね?」
翔太が久世さんを見る。
「はい。得意ではありません」
久世さんは普通に頷く。
「俺たち全員でも?」
「現時点なら、おそらく問題なく」
さらっと言った。
否定するどころか、少し考える様子すらなかった。
翔太が黙る。
蓮司も久世さんをじっと見ている。
銀魔法士の中では戦闘が苦手。
対人戦なら上里先生にはまず勝てない。
それでも、今の俺たち二十人が全員で挑んでも敵わない。
銀魔法士という資格がどれだけ遠いところにあるのか、改めて分からされた気がした。
「まあ、その話はいい」
上里先生が手を叩く。
「今日は久世さんと戦いに来たわけじゃねえからな」
「そうですね」
久世さんが俺たちの前へ出る。
大きな身体。
落ち着いた声。
胸元には、上里先生と同じ銀色の徽章。
久世さんは俺たちに背を向けると、目の前に広がる模擬市街地へ手を向けた。
崩れた建物。
焦げた家。
瓦礫の散らばる道路。
傾いた電柱。
俺たちが今まで魔法を練習してきた実技場とは、まるで違う場所だった。
「今日の訓練では、倒すべき相手はいません」
さっきまで久世さんの強さを気にしていた翔太も、模擬戦を期待していた蓮司も、今度は何も言わなかった。
久世さんの手が、崩れた街のさらに奥を示す。
「死なせてはいけない相手がいます」
五月の風が、静かな模擬市街地を吹き抜けていった。




