第13話:身体強化
「今日は身体強化をやる」
一時間目の教室。
黒板の前に立った上里先生が、いつも通り唐突に授業を始めた。
黒板には、大きく四文字。
身体強化。
そのままだ。
「先生」
さっそく翔太が手を挙げる。
「何だ」
「それってあれですか。魔力で身体強くして、こう……めっちゃ速くなったりするやつ」
「まあ、大体合ってる」
「合ってんじゃん!」
上里先生は黒板へ向き直った。
「身体強化は、属性操作と並んで魔法士の基本になる技術だ。火だろうが水だろうが風だろうが関係ない。全員覚える」
そう言いながら、黒板に人の身体らしきものを描いていく。
頭、胴体、腕、脚。
たぶん人間だ。
絵はかなり下手だった。
「何だこれ」
隣から翔太の小さな声。
「人じゃない?」
「化け物だろ」
「聞こえてるぞ高峰」
「人です!」
先生は一度だけ翔太を睨みつけてから、人らしき何かの中心に丸を描いた。
「お前らの身体には、常に魔力が巡ってる。今まで属性魔法を使う時は、その魔力を外へ出して、火なり水なりに変換してきた」
そこから何本もの線が、腕や脚へ伸びていく。
「身体強化は少し違う。外へ出すんじゃなく、自分の身体に使う」
先生はチョークを置いた。
「魔力を全身へ流して、身体そのものを補強する」
「補強……?」
陽菜が小さく呟く。
「簡単に言えば、力が強くなる。速く走れる。高く跳べる。身体も頑丈になる。反応も速くなる。まあ1.1倍から2倍ってとこだ。人によって幅はあるが、漫画のみたいな超人的な力や速度にはならん。体がイカれちまうからな」
「でも、めっちゃ強くないですか?」
大地が目を輝かせる。
「だから全員使えるようにするんだよ」
先生は教卓へ軽く腰を預けた。
「魔法士同士の戦闘は、突っ立って魔法を撃ち合うだけじゃない」
実技では、まだそういう訓練の方が多い。
動きながら標的を狙うことはあっても、身体能力を強化したことは一度もない。
「身体強化が使えるようになると、戦い方そのものが変わる。距離を詰める速度も、避ける速度も、攻撃を受けた時の耐久力も変わる」
「じゃあ、これ使いながら魔法撃つんですか?」
彩葉が興味深そうに身を乗り出した。
「最終的にはな」
「難しそう……」
「最初は難しい」
先生はあっさり認める。
「属性魔法は、魔力を一か所に集めて外へ出せばいい。身体強化は全身だ。右脚だけ強化して左脚がそのまま、とかじゃ使いづらい」
想像してみる。
右脚だけものすごい力で地面を蹴って、左脚が普通のまま。
転びそうだ。
「だから最初に覚えるのは、全身へ均等に魔力を流すこと」
上里先生が自分の胸へ手を当てる。
「イメージは何でもいい。自分の身体を魔力の鎧で覆うでもいいし、薄い膜に包まれてるでもいい。自分が一番やりやすい形を探せ」
そこで一度、教室全体を見回した。
「今日の実技から始める。すぐできなくても焦るなよ。一、二週間もあれば、全員最低限は使えるようになる」
それなら、そこまで難しいものでもないのかもしれない。
そう思ったところで。
「ただし」
先生が続ける。
「使えるのと、上手いのは別の話だ」
黒板にもう一つ、大きく書き加えられた。
属性纏い。
「何事にも得手不得手がある。身体強化も例外じゃない。得意なやつはその先へ行ける」
翔太が露骨に反応した。
「その先?」
「自分の属性の性質を、身体強化に乗せる」
教室が静かになる。
「例えば火なら、瞬間的な爆発力を乗せて攻撃や移動ができる。風は浮けるし、土は身体をより頑丈にする。水や木にも、その先がある」
「雷は!?」
翔太が食い気味に聞く。
「速くなる。速度だけなら一位だ。」
「よっしゃ!」
「まだお前ができるとは言ってねえ」
「でも速くなるんですよね!?」
「なる。できたらな」
「最強じゃん!」
昨日まで一番強い属性で騒いでいた男は、今日も変わらなかった。
「そういう属性の特性まで反映させた身体強化を、便宜上『属性纏い』って呼ぶ」
先生は黒板の文字を軽く叩く。
「ただ、これは今のお前らにはまだ先の話だ。まずは普通の身体強化を覚えろ」
翔太だけは、すでに属性纏いのことで頭がいっぱいに見えた。
◇ ◇
午後。
実技場へ移動した俺たちは、いつもの実技用の服に着替えて並んでいた。
頑丈な作りで、多少の怪我は無傷に抑えられる。
おまけに軽い。
「危ないと思ったら魔力を切れ。それだけだ。じゃあ、やってみろ」
「説明それだけ!?」
大地が思わず声を上げる。
「詳しいのは午前しただろ」
「もっとこう……実演とか!」
「見たって分かんねえよ」
先生が自分の腕を持ち上げる。
「身体強化は基本的に身体の内側と表面を魔力で補強する技術だ。派手に光ったりするもんじゃない」
「じゃあ、できてるかどうかは?」
「自分で分かる」
「本当に?」
「ああ」
随分雑な説明に聞こえる。
でも先生は、本当にそれ以上説明するつもりがないらしい。
「まず魔力を全身に流せ。いつもみたいに手の先へ集めるなよ。頭から足先まで全部だ」
言われた通りに、魔力の流れを意識する。
いつも火を使う時は、右の掌。
そこへ魔力を集めている。
今回は違う。
胸から、肩、そして腕。
腹にも、脚にも。
全身だ。
「…………」
難しい。
腕を意識すると、脚が薄くなる。
脚へ流そうとすると、今度は腕から魔力が抜ける。
「何だこれ……」
思わず呟いた。
「難しいよね」
隣から千咲の声。
「うん」
「私もちょっと変な感じ」
千咲は目を閉じている。
十秒ほど経った頃だった。
「……あ」
不意に千咲が目を開く。
「できたかも」
「は?」
千咲は自分の両手を見ている。
握ったり開いたりして、体の感覚を確かめるようにしている。
そして、その場で軽く跳ねた。
「うわっ」
本人が一番驚いていた。
身体が予想以上に浮いたらしい。
着地して、一歩よろける。
「千咲!?」
「だ、大丈夫!」
千咲は目を丸くしたまま自分の足元を見ていた。
「今、そんなに跳ぶつもりなかった……」
「桐原」
少し離れたところから上里先生が近づいてくる。
「もう一回やってみろ」
「はい」
千咲が集中する。
さっきより少し時間をかけて。
全身へ魔力を巡らせている。
「そのまま五歩走れ」
「五歩?」
「いいから」
千咲が地面を蹴った。
「きゃっ!?」
一歩目から明らかに速い。
二歩。
三歩。
四歩。
五歩。
止まろうとして、危うく前に転びかける。
「わっ、と……!」
「感覚が追いついてねえな」
先生はそう言いながらも、少し感心したように千咲を見る。
「でもまあ、初日でそこまでできたら十分だ」
「やった!」
千咲が嬉しそうに笑った。
やっぱり、千咲は魔法士の才能がある。
「俺も!」
それをキラキラした目で見ていた翔太が、目を閉じて集中し始める。
数秒後。
「……なんか、できた気がする!」
そして、軽く地面を蹴った。
「うおっ!?」
一気に前へ飛び出した。
速度だけなら千咲よりも速い。
でも、少し様子がおかしい。
翔太のことだから、「できたできた!」なんてもっと喜んでも良さそうなものだけど、なんだか慌てているように見える。
「やばいやばい!どうやって止まんのこれ!」
たしかに、足が地面に接触する瞬間に勝手に加速している。
少なくとも、翔太の意思とは無関係に。
「うわ、止まれねえ!」
「切れ!」
「え!?」
「魔力を切れ!」
「そんなこと言われても……うわあああ!」
そして、ドーン!と大きな音を立てて壁に激闘した。
そのまま後ろにパタリと倒れる。
「……え、死んだ?」
誰かの声。
「いってー!」
直後、翔太が飛び起きる。
心配そうに見ていた女子の何人かが、大きなため息をついた。
「まず、お前はコントロールを覚えろ。ここの壁は衝撃を和らげるようにできてるからそれで済んでるが、コンクリートなら死んでたぞ」
翔太は少し気まずそうに苦笑いしている。
しかし、すぐにその顔を綻ばせた。
「でも、できてましたよね!?」
「だから危ねえんだよ」
土まみれの翔太が嬉しそうに笑う。
反省しているようには見えなかった。
◇ ◇
「……こんな感じか」
今度は陸だった。
その場で拳を握る。
見た目には、何の変化もない。
でも、近くに置かれていた訓練用の重りを持ち上げた瞬間、陸が目を丸くした。
「……軽い」
普段なら両手で持ち上げるような重さのものを、片手で持っている。
「お前も早いな」
先生が陸の腕や姿勢を確認する。
「全身に回ってる。偏りも少ない」
「何となく……身体の周りに固いものがある感じです」
「その感覚を覚えとけ。たぶんお前にはそのイメージが合ってる」
陸が頷く。
千咲と翔太、それから陸。
この三人は、身体強化がかなり得意らしい。
千咲はそつなく何でも器用にこなすイメージがあるから納得だが、翔太と陸は少し意外だった。
その一方で。
「…………」
春は、さっきからほとんど動いていなかった。
目を閉じて、何度も呼吸を整えている。
でも。
「雪村、腕に寄ってる」
先生の声。
「……はい」
「脚へ回せ」
「…………はい」
しばらくして。
「今度は上半身が抜けた」
「……はい」
春が小さく息を吐く。
そして、もう一度目を閉じる。
なかなか上手くいかない。
「…………」
少し離れたところから、その様子を見る。
昨日、教室でずっと自分の右手を見ていた春を思い出した。
何を考えていたのかは分からない。
ただ、いつもよりずっと真剣な顔をしていた。
今日も同じ表情だった。
「……また右。」
小さな声。
珍しく、少し苛立っているようにも聞こえた。
「最初はそんなもんだ」
上里先生は特に気にした様子もない。
「雪村は全身へ均等に流すのが苦手みたいだが、焦らなくていい」
「……はい」
春が頷く。
でもその表情は、あまり納得しているようには見えなかった。
◇ ◇
俺も何度か試した。
結論から言えば、できなかった。
「天野は腕に集める癖が強いな」
「癖?」
「恐らく、一点に集めるのに慣れすぎてる。いつもの癖だ」
「ああ……」
それなら、何となく分かる。
俺は、火を広げるより集める方が得意だった。
星詠学園に来てからも、実技ではそれを鍛えてきた。
「身体強化はむしろ逆。全身だ」
「はい」
「お前の場合、一点に集める癖を一回捨てろ」
難しいことを言う。
もう一度魔力を流してみる。
胸から肩、そして腕。
腹を通って、脚。
全部。
「……あ」
一瞬、身体が軽くなった気がした。
拳を握ってみると、軽い力なのに、なぜかいつもよりしっかり握れているような不思議な感覚。
その感覚を掴もうとした瞬間。
「あ」
「戻ったな」
「戻りました」
「まあ初日ならそんなもんだ」
先生は笑いながら、次の生徒のところへ向かっていった。
周囲を見る。
まだできていない奴の方が多い。
できても、一瞬だけ。
片腕だけ。
脚だけ。
そんな感じだ。
その中で。
「うおおおおお!」
翔太だけが実技場を走り回っている。
「高峰!走るなっつってんだろ!」
「これ楽しいっす!」
「話を聞け!」
遠くで怒鳴り声が響いた。
千咲が隣で吹き出す。
「翔太くん、絶対怒られると思った」
「もう怒られてるけど」
そんな会話をしていると、翔太がこっちへ戻ってきた。
「護!やばいぞこれ!」
「何が」
「身体めっちゃ軽い!」
「見れば分かるよ」
「お前まだできないの?」
「できない」
「教えてやろうか?」
「いい」
「なんで!?」
千咲がまた笑う。
少し離れたところでは、陸が自分の腕を見ながら、感覚を確かめるように少しずつ体を動かしている。
得意なやつ。苦手なやつ。
同じ技術を習っているのに。
もう違いが出始めている。
「全員、一回集まれ」
それぞれ練習を止め、先生の前へ戻る。
「今日できなかったやつも気にすんな。言った通り、一週間から二週間くらいで全員最低限はできるようになる」
先生は俺たちを見回す。
「ただ」
少しだけ表情が変わった。
「身体強化は、使えるようになってからが長い」
翔太が首を傾げる。
「どういうこと?」
「強化率。維持時間。魔力効率。全身の均一性。動きながら使えるか。属性魔法と併用できるか。伸ばすところはいくらでもある」
なるほど、と思った。
使えることは、入口に過ぎないらしい。
「それに」
先生は翔太へ目を向けた。
「得意なやつほど、その先がある」
「属性纏い!」
「そうだ」
翔太の顔が一気に明るくなる。
「でも今はやるなよ」
「えー」
「普通の身体強化もまともに止められねえやつが雷なんか乗せたら壁に刺さるぞ」
想像すると、少し面白い。
みんなも同じことを考えていたのか、クスクスと小さな笑い声があちこちから聞こえる。
「おい!笑うなよ!」
翔太が不満そうに振り返った。
俺も笑いながら、ふと、春を見る。
「…………」
春は自分の両手を見ていた。
結局、今日は一度も成功していない。
でもその横顔に、以前のような諦めに似た雰囲気はなかった。
悔しそうに。
ただ、見ている。
「よし。今日は終わり」
上里先生が手を叩いた。
「身体強化は明日からもやる。できなかったやつは焦るな。できたやつは調子乗るな。特に高峰」
「なんで俺だけ!?」
俺たちはそれぞれに片付けを始める。
身体強化。
魔力を、全身へ。
魔力の鎧を纏うように。
俺は歩きながら、もう一度だけ試してみた。
胸から肩、そして腕。
腹を通って脚。
全身へ。
ほんの一瞬、身体が軽くなった気がした。
「……お」
でも、次の瞬間には、またいつもの感覚に戻っていた。
できるようになるまでには、俺ももう少しかかりそうだった。




