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星屑の瞬く夜に  作者: 鈴太
第一章
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12/17

第11話:明日もきっと

四月も、もうすぐ終わる。

入学式の日には少し大きく感じた制服も、いつの間にか身体に馴染んでいた。

朝の星見坂を、千咲と並んで上る。

中学生の頃から、朝は大体こうだった。

いつも同じ時間に家を出て。

いつも同じ場所で合流して。

並んで学校へ向かう。

帰りも、特に用事がなければ一緒だった。


高校生になって。

制服が変わって、通学路が変わって、家からではなく、寮から学校へ通うようになっても。

隣を歩いているのは、相変わらず千咲だった。


一か月前にも、こうして二人で歩いた道。

あの日は、坂の先に見える校舎も、同じ制服を着た生徒たちも、何もかもが知らないものに見えた。

けれど、今は違う。

少し前を歩いているのは、隣のクラスで何度か見かけた男子。

向こうで大きなリュックを背負っているのは、たぶん二年生。

眠そうに欠伸をしながら一人で歩いている人もいれば、朝から楽しそうに話している集団もいる。

知らない顔ばかりだった景色の中に、少しずつ見覚えのあるものが増えていた。


道の端には、春の名残みたいに花びらがいくつか落ちている。

風が吹くと、坂道の上をふわふわと転がった。

隣を歩く千咲の髪も、同じ風に揺れる。


三分ほど前に、おはよう、と挨拶を交わしてから、何も話していない。

でも、別に珍しいことじゃない。

喧嘩をしたわけでもない。

昔からそうだった。

一緒に歩いているからといって、ずっと何かを話しているわけじゃない。

話したいことがあれば話すし、なければ黙って歩く。

それで気まずくなったことなんて、一度もなかった。


木々の間から差し込む朝の光。

風に揺れる葉。

遠くから聞こえる鳥の声。

坂の上に少しずつ近づいてくる校舎。

中学生の頃とは、何もかもが変わった。


着ている制服も。

歩いている道も。

これから向かう教室も。

そこで待っている人たちも。


なのに、朝こうして千咲と並んで歩いている時間だけは、何も変わっていない。

新しい生活の中に、一つだけ昔からの日常がそのまま残っている。

それが少し不思議で。

でも、たぶん俺たちにとっては、それすらわざわざ口にするようなことじゃなかった。


坂を上り切る頃には、校門へ向かう生徒の数も増えていた。

その流れに混ざって、俺たちも学園へ入る。


「あ!ねえ見てまもるん!」


千咲は空を指差していた。


「あそこ!綺麗な鳥!」


今日もまた、いつもの一日が始まる。


     ◇     ◇


「お! 護、おはよう!」


教室へ入った瞬間、翔太が後ろから肩を組んできた。


「重い」


「朝から冷たいな」


「朝だからだよ」


腕を外して自分の席へ向かう。


すぐ後ろから教室へ入ってきた千咲には、美月が声をかけていた。


「千咲、おはよ!」


「おはよー、美月!」


千咲はそのまま美月の席の近くで足を止める。

もう、ごく自然な光景だった。

入学したばかりの頃なら、少し変な感じがしたかもしれない。

千咲は昔から、あまり友達をたくさん作るタイプではなかったから。

でも今は、美月と話している姿も見慣れた。

窓際では奈々が慧に何かを見せている。


「これ、昨日拾った」


「枝だね」


「うん」


机の上には、小さな枝が一本置かれていた。

奈々はそれを宝物でも見せるみたいに指先で転がす。


「形、きれいじゃない?」


慧は少しだけ首を傾けてから、枝を手に取った。


「……ああ。ここ、ちょっと面白いかも」


「でしょ?」


奈々が満足そうに笑う。

慧は枝を光に透かしたり、表面を指でなぞったりしていた。


「ここ削ったら、何か作れそう」


「何かって?」


「まだ分かんない」


それでも、もう頭の中では何か考えているらしい。

奈々もその横から覗き込んでいた。


少し離れた席では、春が教科書を開いている。

でも、以前みたいに周囲と壁を作るようにして読んでいるわけではなかった。

教室の会話を聞きながら、ときどき顔を上げている。

俺と目が合った。


「春、おはよう」


声をかけると、一瞬だけ目を丸くする。

それから、小さく笑った。


「……おはよう、天野くん」


「お!春、おはよう!」


翔太まで横から顔を出す。


「……うん、おはよう、高峰くん」


「一時間目って何だっけ?」


「魔法学基礎かな」


「やば」


「え?」


「宿題」


「……やってないの?」


「やったような、やってないような」


春が少しだけ笑った。

入学したばかりの頃なら、春がこうして俺たちの会話の中で笑うことは、あまりなかった気がする。

今だって、自分から輪の真ん中へ入ってくることは少ない。

それでも。

誰かに話しかけられれば答える。

たまに冗談も返す。

笑うことも増えた。

本当に少しずつだけど、春も、この教室の中に自分の居場所を作り始めている。


「まもるん」


千咲の声がした。

振り返ると、俺の机の横に立っている。


「数学の課題、今日提出だよ」


「……マジ?」


「マジ」


翔太が固まった。


「護じゃなくて俺が死んだ」


「あちゃー」


千咲が笑う。

美月も、春も笑っていた。

教室のあちこちで別の会話が重なっている。

入学初日は、それが全部知らない誰かの声だった。

今は。

声を聞けば、何となく誰か分かる。

そんな小さな変化が、妙に心地よかった。


     ◇     ◇


昼休み。


「席、足りなくない?」


食堂で、美月が俺たちのテーブルを見回した。


「最初から分かってただろ」


陸が呆れたように言う。

四人掛けのテーブルに、俺、千咲、翔太、陸、美月。

すでに五人いる。

そこへ春がやってきて、少し離れた席を探そうとした。

その動きに気づいた千咲が、すぐに手を上げる。


「春ちゃん、こっち」


「でも、もういっぱいじゃ……」


「詰めればいける!」


そう言いながら、翔太が自信満々に横へずれる。

陸がその隙間を見た。


「無理だな」


「いけるって」


「お前はまず荷物をどけた方がいい。二人分使ってる」


「嘘だろ!?」


春が困ったように笑った。


「私、別のところでも大丈夫だよ」


「だめだめ」


今度は美月が止める。


「せっかく来たんだから一緒に食べよ。ほら、天野くん、もうちょっとそっち」


言われるまま、椅子をずらす。

千咲も寄る。

陸も無言で少しだけ場所を空けた。


「……ありがとう」


春が遠慮がちに座る。

これで六人。

狭い。

かなり狭い。

右肩は千咲に当たっているし、左には陸がいる。

それでも、誰も別の席へ行こうとはしなかった。


     ◇     ◇


「まもるん、それ食べないの?」


千咲が俺の皿を覗き込む。


「食べるけど」


「さっきからずっと残ってるよ」


「最後に食べるんだよ」


「じゃあ私のこれと交換しない?」


「嫌だ」


「まだ何と交換するか言ってないじゃん!」


向かいで翔太が笑う。


「千咲、護の扱い上手いよな」


「長いからねー」


「何年くらい?」


翔太が身を乗り出した。

千咲は少し考えるふりをしてから、にやっと笑う。


「翔太くんには教えない」


「なんで!?」


そのやり取りを見ていた春が、小さく笑った。


「春、今笑った!?」


翔太はすぐに気づいた。


「……ちょっとだけ」


「ひどくない?」


「だって、高峰くんって……」


春は少しだけ考える。


「……見てると面白い」


「それ褒めてる?」


「……たぶん」


「たぶん!?」


美月が吹き出した。

千咲も笑う。

春も口元を押さえながら肩を揺らしている。

そこへ、修也がトレーを持ってやってきた。


「俺もいい?」


全員がテーブルを見る。

そして修也を見る。


「無理」


翔太が答えた。


「詰めればいける」


結局、修也も入った。

どう考えても狭い。

でも、こうして誰かが来るたびに少しずつ椅子をずらして、そのための場所を作る。

誰かが一人で食べるより、それでいいと思えるようになっていた。


最初の頃は、昼休みになると誰と食べるのか少し迷った。

今は、気づけば誰かがいる。

誰かが席を取って。

別の誰かが来て。

また一人増える。

そんな光景も、いつの間にか当たり前になりつつあった。


     ◇     ◇


実技場では、相変わらず上手くいかないことも多かった。

一週間くらい前から始まった、チームでの実技演習。

自分のことだけじゃなくてしっかり周りも見ろ。

チーム演習を始める前、先生はそう言った。

それなのに。


「大地くん、前出すぎ!」


「分かってる!」


そう返しながらも、大地はもう次の標的へ走っていた。

分かってない。

その少し先では、蓮司が一人で大きな炎を練り上げている。


「待って!蓮司くん」


千咲の制止も聞かず、放たれた炎が広がる。

俺が狙っていた標的がその向こうへ隠れてしまった。


「蓮司、見えないって!」


「別の狙え!」


仕方なく別の標的を探す。

見つけた。

右手を向ける。

中心。

そこだけを見る。

火を絞って放つ。

放たれた火は一直線に走り、標的の中心を正確に捉えた。


それとほぼ同時に、俺の隣にいた千咲も小さな火球を放つ。

標的からは少し外れた軌道。

外した。

そう思った瞬間、火球が空中で弧を描いた。

障害物を回り込む。

そのまま裏に隠れていた標的へ命中した。

炎は一瞬だけ広がり、標的だけを包んで消える。

すぐ近くの障害物には、焦げ跡一つついていない。

相変わらず、気持ち悪いくらい正確に魔法を操っていた。


「はい、終了」


少しして、後ろから上里先生の声が響いた。

魔力を切って、先生の方を振り向く。

先生は手元の記録を確認しながら、俺たちのところへ歩いてきた。


「なんか、お前らさ」


嫌な予感がする。

先生は少しだけ眉を寄せた。


「一週間前より、うるさくなってない?」


千咲と顔を見合わせる。

たしかに声は増えた。

でも。


「先生が連携取れって言ったんじゃん」


大地が不満そうに言う。


「連携取れとは言った。だが喧嘩しろとは言ってない」


「喧嘩じゃないです!」


千咲がすぐ否定する。

蓮司が腕を組んだまま鼻を鳴らした。


「お前らがいちいち騒ぐからだ」


「蓮司くんが人の話聞かないからでしょ!」


「聞いてる」


「聞いてない!」


上里先生が額へ手を当てる。

俺は思わず苦笑した。


「……まあいい」


先生が記録へ目を落とす。


「前よりはマシだ」


大地の顔が明るくなる。


「ほんと!?」


「ほんのちょっとだけな」


「よっしゃ!」


「褒めてねえよ」


千咲が笑う。

俺も笑った。

大地も。

少し遅れて、蓮司まで小さく息を漏らした。

まだまだ満足のいく連携なんて取れていない。

試験だったら落第だろう。

でも、きっと少しずつでいい。

今はこれくらいでいい気がした。


     ◇     ◇


放課後になっても、すぐ部屋へ戻る日ばかりではなくなった。

誰かの部屋へ行く日もある。

教室に残る日もある。

食堂へ寄ることもある。

この日は、男子寮の談話室に何人か集まっていた。


「誰かこれ分かる?」


翔太がテーブルいっぱいに課題を広げる。

向かいでは陸が自分の課題を進めていた。


「それ、昨日までじゃなかったか」


「昨日は昨日。今日は今日」


「意味が分からん」


そう言いながらも、陸は翔太のプリントを手元へ引き寄せる。


「答え違うぞ」


「どこ?」


「全部」


「終わったーマジで」


翔太がうなだれて机に突っ伏す。

少し離れたところでは、慧が細い木の板を手にしていた。


「慧、それ何?」


気になって聞くと、慧が顔を上げる。


「余った木材。実技で使ったやつ、先生に聞いたら持って帰っていいって」


薄い木材の表面には、細い線で何かが描かれている。

慧は小さな道具を使って、端を少しずつ削っていた。


「何作ってんの?」


「まだ決めてない」


翔太が顔を上げて会話に加わってくる。


「え、決めてないのに削ってるの?」


「削りながら考えてる」


「すげえな」


「そうでもないよ」


慧は少し気まずそうに笑い、また手元へ視線を落とした。


しゃり。


しゃり。


小さな音が、談話室のざわめきに混ざる。

それを見ていた修也が身を乗り出した。


「俺にも何か作ってよ」


「何を?」


「格好いいやつ」


「一番困る注文」


「じゃあ強そうなやつ」


「もっと困る」


修也が笑う。

慧も笑った。

慧は普段、そこまで前に出る方じゃない。

でも、こうして同じ場所にいて。

黙って何かをしながら、ときどき話へ入る。


一方、智也は俺たちの会話にはほとんど参加せず、談話室の天井を見上げていた。

照明をじっと見ている。

それに気づいた陸が手を止めた。


「智也」


「何?」


「いじるなよ」


「まだ何もしてない」


「『まだ』って言ったか」


修也が吹き出す。

翔太も笑っている。

慧まで木材を削る手を止めて肩を揺らした。

陸だけは本気で智也を警戒している。


こういう時間にも、ずいぶんと慣れた。

談話室に集まって。

課題をやって。

菓子を食べて。

どうでもいい話をする。

そうして、一日が終わっていく。


     ◇     ◇


次の日の夕方。

俺と千咲は星見坂を歩いていた。

朝とは逆に、学園から寮へ向かって坂を下る。

空はまだ明るい。

西へ傾いた陽の光が、道を橙色に染めていた。

朝より少し強くなった風が、道の両側の木々を揺らしている。


四月も、今日で終わる。

朝、二人で上った道を、今度は二人で下っていく。

こうして千咲と並んで帰るのも、中学生の頃から変わらない。

学校が終われば、どちらからともなく一緒になって。

どうでもいいことを話しながら帰る。

高校生になっても、それは同じだった。


「なあ」


「ん?」


千咲がこちらを見る。


「高校って、もっと面倒くさいと思ってた」


何となく口から出た。

千咲が少しだけ目を丸くする。

それから、くすっと笑った。


「まだ一か月も経ってないけど」


「うるさい」


「だってそうじゃん」


千咲は楽しそうに笑って、少しだけ前を歩く。

髪が夕方の風に揺れた。


「これから嫌になるかもしれないよ?」


「縁起でもないこと言うなよ」


「まもるんが言い出したんでしょ」


そうだった。

言い返せなくなって黙る。

千咲がまた笑った。

その時、坂の上から声が聞こえた。


「おーい!」


振り返る。

翔太だった。

その少し後ろを、春が歩いている。


「護ー! 千咲ー!」


相変わらず声が大きい。

千咲が足を止めた。

俺も止まる。

翔太はそのまま坂を駆け下りてきた。

春は走らず、少し遅れてついてくる。


「何で先帰ってんだよ!」


「別に一緒に帰る約束してないだろ」


翔太が俺の隣へ並ぶ。

少し遅れて春も追いついた。


「高峰くん、急に走るからびっくりする……」


「春も走ればよかったじゃん」


「……疲れるからやだ」


即答だった。

千咲が吹き出した。


「春ちゃん、はっきり断るようになったね」


春は少しだけ困ったように笑う。


「……高峰くんには、これくらいでもいいのかなって」


「春!?」


翔太が振り返る。


「いいと思う」


「護も!?」


「三対一だね、翔太くん」


「千咲までそんなこと言うの!?」


いつの間にか、四人で歩いていた。

誰かが一緒に帰ろうと言ったわけじゃない。

翔太が追いついて。

その後ろに春がいて。

それだけだった。


中学生の頃から、ずっと二人で歩いていた帰り道。

高校生になっても、その隣には変わらず千咲がいる。


ただそこに今は、翔太の大きな声があって。

少し後ろには、春の姿がある。


変わらないものの隣に、知らなかったものが少しずつ増えている。

そんなことを、ぼんやりと思った。


「今日の夕飯、何かな」


翔太が言う。


「昨日も言ってなかった?」


「毎日大事だろ」


千咲が少し考えるふりをする。


「今日はね、お肉だよ」


「マジ?」


翔太がすぐ食いついた。

千咲は悪戯っぽく笑った。


「知らないけど」


「適当かよ!」


「翔太くん、すぐ信じるんだもん」


春も笑っている。

ふと千咲が思い出したように言った。


「そういえば翔太くん、今朝も騙されてたよね」


「何が?」


「課題、明日までってやつ」


「あれ嘘だったの!?」


「来週だよ」


「誰だよ言ったやつ!」


「修也くん」


「あとで覚えてろ!」


翔太の声が、夕方の星見坂に響いた。

俺と千咲が笑う。

その横で、春も声を立てて笑っていた。

風が吹く。

木々が揺れる。

四人分の影が、坂道の上に長く伸びていた。

入学してから、まだ一か月も経っていない。

魔法だって、まだ大したことはできない。

失敗して。

怒られて。

誰かとぶつかって。

それでも次の日になれば、また同じ坂を上る。

同じ教室へ行く。

そこには、いつもの二十人がいる。

もう、知らない誰かじゃない。


「護、早く行こうぜ!」


少し先へ出た翔太が振り返る。


「走るなって」


「寮まで競争!」


誰の返事も待たず、一人で駆け出した。


「高峰くん、また……」


春が呆れたように呟く。

千咲は、どんどん小さくなっていく翔太の背中を楽しそうに眺めていた。


「まもるん、行こ」


「うん」


俺たちは歩き出す。

春も自然に隣へ並んだ。

少し先で翔太が振り返る。


「あれ!? 誰も来てねえ!」


四月の風が、星見坂を吹き抜けていく。

明日になれば、俺はまた、千咲とこの坂を上る。

坂を上った先で待っている毎日は、少しずつ変わっていく。

千咲と二人だった日常のすぐ隣に、翔太がいて、春がいて、教室には、いつもの二十人がいる。


明日もきっと、今日とそんなに変わらない一日が始まる。


「翔太くーん!追いついたらジュース奢ってー!」


走り出した千咲の声が、オレンジ色の空に高く溶けていった。

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