幕間:女子寮の夜
何日か前に入学式をしたくらいの気持ちでいたけれど、早いもので、ここでの生活も、もう一ヶ月くらいが経とうとしていた。
廊下を歩いていて聞こえる誰かの笑い声とか、ドライヤーの音にも、もう随分慣れた。
みんなとの共同生活が始まるまでは、一人っ子の私が寮なんて賑やかな場所で暮らしていけるのかなぁ、なんてぼんやりと考えていた。
でも、今は違う。
放課後の挨拶に、「またあとで」が増えた。
寮に帰ったらまたみんなに会える。
そんな日々が楽しくて、毎日がとても眩しかった。
今日の集合場所は、美月の部屋。
特に何かをする予定はなかったけれど、何気なく話しているうちに、
「寝る前、私の部屋集まろうよ!」
と美月が言い出して、そこから話が広がっただけ。
そういえば、先週もそんな話が出たっけ。
たしか、誰かが疲れて寝ちゃって、その日の集まりは無しになったんだ。
今日集まったのは、私と美月、春ちゃん、奈々ちゃん、そして彩葉ちゃんの五人だった。
「五人で集まるには、やっぱり一部屋じゃ狭くない?」
部屋へ入ってくるなり、彩葉ちゃんが言う。
「余裕余裕!ベッド使えばいけるって」
「いいの?美月のベッドじゃん」
彩葉ちゃんは困ったように笑った。
美月は、いいのいいの、と繰り返しながら、床とベッドの上にクッションをいくつか並べた。
結局、私と彩葉ちゃんが床。
春ちゃんはベッドの端。
奈々ちゃんは窓際。
美月は椅子に座った。
「なんか、こういうのっていいね」
私が言うと、美月がにやっと笑う。
「でしょ?女子寮っぽい」
「女子寮っぽいって?」
聞き返すと、美月は机の上に並べたお菓子を指差した。
「ほら、なんかあるじゃん。夜に集まってお菓子食べながら話すやつ」
「イメージだけで言ってない?」
「うん」
私と美月のやりとりを聞いていた彩葉ちゃんが、なにそれ、と笑う。
机の上には、誰かが持ってきたお菓子がいくつか並んでいる。
美月と彩葉ちゃんは早速好きなものを取っているけれど、春ちゃんはまだ少し遠慮しているみたいで、自分から手を伸ばそうとはしなかった。
それに気づいて、美月が春ちゃんの前へ小さな袋を差し出す。
「春ちゃんも一緒に食べよ」
「え?」
「これおいしいよ」
春ちゃんは差し出された小袋と美月の顔を交互に見た。
「でも……」
「でも禁止」
そのまま美月が強引に袋を近づける。
春ちゃんは少し困ったように笑ったあと、ようやく一つ取った。
「……ありがと」
「どういたしまして」
美月はそれ以上何も言わず、すぐに別のお菓子へ手を伸ばした。
こういうとこ、すごく美月らしい。
気にかけていることを相手に気づかせないまま、自然に輪の中へ入れてしまう。
私にはできないなぁって思った。
春ちゃんも、最初の頃より少しだけ話すようになってきた気がする。
まだ自分から何かを言うことは少ないけれど、話しかけられればちゃんと答える。
笑う回数も増えた。
そんなことを考えていると
「あ、ここいいかも」
窓際にいた奈々ちゃんが鞄の中から何かを取り出した。
「何それ?」
美月の質問に、え?とでも言いたげな顔の奈々ちゃん。
「植物」
「見れば分かるよ」
小さな鉢植えだった。
掌に乗るくらいの大きさ。
奈々ちゃんは当たり前のようにそれを窓辺へ置こうとしている。
「ちょっと待って」
美月がすぐに止めた。
奈々ちゃんの手が、鉢植えを持ったまま止まる。
「なに?」
「ここ私の部屋なんだけど!」
「うん。置こうと思って」
「置こうと思って、じゃないよ!」
窓と奈々ちゃんの間に割って入るように美月が立ちはだかった。
奈々ちゃんはぽかんとしている。
「えー、可愛いからいいじゃん」
「よくない!」
「窓辺、日当たりいいし」
奈々ちゃんは諦めきれないのか、もう一度置き場所を確認するように窓へ目をやった。
「毎日見られるよ」
「私が?」
「うん」
「見たくなったら奈々の部屋行くからいい!ここに置かないでよ!」
美月がなんだか面白い。
必死に奈々ちゃんを阻止しようとしている。
私が笑うと、彩葉ちゃんもたまらず吹き出した。
春ちゃんまで小さく肩を揺らしている。
「えー、じゃあ一日だけ」
「一日だけって何?」
「明日取りに来るから」
「最初から持って帰って!」
「えー」
奈々ちゃんは不満そうだったけれど、しぶしぶ鉢植えを自分の横へ戻した。
その様子を見ながら、私はなんとなく思う。
入学したばかりの頃は、みんな知らない人だった。
名前を覚えるだけでも大変だった。
それが今では、奈々ちゃんが植物を持ち込もうとして、美月が怒って、彩葉ちゃんが笑って、春ちゃんも少しだけみんなの輪に入り始めている。
不思議な感じだった。
◇ ◇
いつの間にか、話題は制服のことになっていた。
「やっぱりさ、星詠のスカート、ちょっと長くない?」
彩葉ちゃんが自分のスカートの裾をつまむ。
「それくらい普通じゃない?」
「もうちょっと短くてもいいと思うんだけど。折っていいかな」
美月が「うーん」と首を傾げながら、彩葉ちゃんのスカートと自分のものを見比べる。
「先生に怒られるよ」
「少しくらいならバレないって」
「そういうこと言ってる人が一番バレるんだよ」
「えー」
不満そうな彩葉ちゃんを横目に、私も自分のスカートを見る。
言われてみればちょっと長い気もするかも。
「私も今度、ちょっと折ってみようかな」
「いいじゃん!千咲可愛いし、短いのも似合いそう」
美月の思わぬ一言に、面食らってしまった。
きっと私は、すごく驚いた顔をしていると思う。
「え」
「だってそうじゃん。顔整ってるし」
「やめてよ、急に」
そういう話になると思っていなかった。
どう返せばいいのか困っていると、彩葉ちゃんまで身を乗り出してくる。
「ほんとほんと。私、最初見たときアイドルかと思ったもん」
「アイドル?」
「うん。目鼻立ちはっきりしてるし、髪も綺麗だし」
美月と彩葉ちゃんに褒められて、さすがに顔が熱くなってきてしまった。
恥ずかしくなって顔を逸らすと、今度は春ちゃんと目が合った。
春ちゃんは少し迷ったあと、小さな声で言う。
「…………私も、千咲ちゃん、すごく可愛いと思う」
「春ちゃんまで!?」
「ほんとに」
真面目な顔で付け足された。
なんだか余計に恥ずかしい。
「も、もうこの話やめよ」
「あーー!照れてる!」
抗議の意志を強く込めて、私は美月の顔を見る。
「もう!美月ってば!」
「はいはい、ごめんごめん」
美月は楽しそうに笑いながら手をひらひらと振った。
どう考えても、分かっていてやっている。
「でもさ、千咲ってあんまり髪型変えないよね」
「髪型?」
「うん」
美月が自分の髪をまとめるような仕草をする。
急に始まった褒め殺しの時間が終わって、話題が別のことに移る。
ぽかぽかと温まっていた顔の熱がゆっくりと引いていくのを感じた。
「たしかに、あんまり変えないかも」
「明日違うのやってみようよ」
「急だね」
思わず笑うと、美月は得意げに胸を張った。
「女子ってそういうものじゃん」
なんだかよくわからない理屈だけれど。
「便利だなぁ、その言葉」
でも、こういう会話もすごく楽しい。
◇ ◇
「食堂のご飯、何が一番好き?」
少しして、今度は奈々ちゃんが聞いた。
「唐揚げ!」
彩葉ちゃんが即答する。
「サクサクで美味しいんだよ!」
まだ食べたことないや。
今度食べてみようかな。
彩葉ちゃんの隣で、美月は少しだけ悩んでから人差し指を立てた。
「うーん、私はオムライスかな。春ちゃんは?」
急に振られて、春ちゃんが目をぱちぱちさせている。
数秒考えてから、小さな声で言った。
「……お魚、とか」
「意外」
彩葉ちゃんが笑う。
春ちゃんは少し不安そうにこちらを見る。
「…………変かな」
「ん、全然?むしろ健康的でいいじゃん」
彩葉ちゃんが笑って答えると、春ちゃんもほっとしたように表情を緩めた。
美月の顔が勢いよくこっちを向く。
「千咲は何が好き?」
「んー……」
今までに食べたメニューを思い浮かべる。
ラーメンも、サンドイッチも美味しかった。
大盛りカルビ丼も捨てがたい。
でもやっぱり1番は。
「カレーかな」
「普通だ!」
彩葉ちゃんが勢いよく言うと、また笑いが起きた。
◇ ◇
そして、女子が何人か集まれば、いつかはこの話になるらしい。
「ねえ」
不意に、美月が声を潜めた。
さっきまでとは明らかに違う調子に、みんなの視線が集まる。
「なに?」
「恋バナしようよ」
「出た」
彩葉ちゃんが楽しそうに笑う。
「やっぱ女子会っていったらこれでしょ」
美月は堂々としている。
そして、誰の許可を得るでもなく進行役を買って出た。
「もうすぐ消灯なので、ぱぱっと進めます。みんな、どんな人がタイプ?」
そんな時間だっけ。
ちらりと横目で時計を見ると、消灯まではまだ結構ある。
「まだ時間あるよ」
「細かいことはいいの!」
どうやら早くこの話をしたいだけらしい。
美月は自分の胸に軽く手を当てた。
「私はねー、かっこいい人がいい!あと優しい人!」
「すごいこと言うかと思ったら普通だった」
彩葉がお菓子をつまみながら笑った。
「普通が一番いいの!」
美月が言い切る。
でも、彩葉ちゃんもその意見自体には共感したらしい。
「まあ、かっこいい人がいいのは分かるかも」
「ほら!」
「私は頼れる人とかかな。あと話しやすい人」
「分かる!」
「あとはー」
「分かる!」
「まだ続き言ってないよ」
みんなが笑う。
美月は彩葉ちゃんの意見全部に頷いている。
だんだん面白くなってきた。
「美月、全部分かるじゃん」
「恋愛のことなら美月さんに任せて」
そう言って、得意げにふふん、と笑った。
「美月って彼氏いるんだっけ?」
彩葉ちゃんからの質問。
美月が止まった。
美月だけじゃない。
時間そのものが止まったような静寂だった。
さっきまであれだけ自信満々だった美月は、みんなの視線から逃げるようにすっと横に目を逸らして。
「………………いません」
人間、こんなに気まずそうな顔ができるんだ、というくらいの気まずそうな顔だった。
堪えきれず、みんなで大笑いした。
ひとしきり笑ったあと、美月は誤魔化すように春ちゃんへ身体を向ける。
「じゃあ春ちゃんは?」
「…………え」
「好きなタイプ!」
春ちゃんは手元に視線を落として、少し考えるような素振りを見せてから。
「私は……まだよく分からないかも」
少し困ったように笑った。
「そうなの?」
「うん。考えたことなくて」
「そっかぁ」
美月は意外にも深追いしなかった。
「じゃあ、できたら教えてね」
「……うん、できたら」
春ちゃんも笑う。
前よりも柔らかい笑顔で笑うようになった。
初めはどことなく固さが残っていたけれど、今の笑顔はとても自然で可愛い。
美月が、今度は奈々ちゃんへ顔を向けた。
「奈々は?」
奈々ちゃんは少しだけ考えて、口を開いた。
「ひまわりみたいな人」
一瞬、部屋が静かになる。
みんなの頭には、きっと同じ疑問が浮かんでいる。
「ごめん、どういう意味?」
最初に聞いたのは美月だった。
「ひまわり」
「そこは分かってるの」
奈々ちゃんは少し首を傾げてから、何でもないことのように続けた。
「明るくて、ちゃんと太陽の方を見る人」
「おお……」
彩葉ちゃんが感心したような声を出す。
「なんか深い」
「そう?」
「奈々ちゃん、たまに詩人だよね」
言われた本人には、その自覚が全くないらしい。
奈々ちゃんは不思議そうに瞬きをしている。
「そういう人には、どこかで会ったことあるの?」
美月がさらに聞く。
「ない」
「ないんだ!」
奈々ちゃんは真顔だった。
やっぱり奈々ちゃんはちょっと独特だ。
「じゃあ最後」
美月がゆっくりとこちらを向いた。
嫌な予感がする。
「千咲」
「私?」
「そう」
全員の視線が集まる。
「えー……」
急に聞かれても困る。
「どんな人が好き?」
「分かんないよ」
「彼氏いたことあるでしょ?元カレ、どんな人?」
「ないよ」
「え!?」
美月と彩葉ちゃんの声が綺麗に重なった。
「何その反応」
思わず笑ってしまう。
二人は本気で驚いているようだった。
「今まで一回も?」
「ないよ?」
「告白されたことは?」
「それは……まあ」
「ほら!」
美月が何かを確信したように彩葉ちゃんを見る。
彩葉ちゃんも大きく頷いていた。
「絶対モテてますね、これは」
「そんなことないんだけど」
「あるって」
さっきの容姿の話といい、今日はやけに褒められる。
居心地が悪くてクッションを抱えると、美月がさらに聞いてきた。
「告白されたのに付き合わなかったの?」
「うん」
「なんで?」
「なんでって……」
少し考える。
嫌いだったわけじゃない。
でも、その人と付き合いたいとも思わなかった。
「好きとか一緒にいたいとか、そういう気持ちにならなかったから……かな?」
素直に答えると、美月が妙に納得したように何度か頷いた。
「なるほどねー、じゃあ今は?」
「今?」
「好きな人」
「いないよ?」
特に迷うこともなく答えた。
美月がじっと私の顔を見る。
「ほんと?」
「ほんと」
「怪しい」
「ほんとにいないのに」
私の顔を困った顔を見て、美月は少し笑った。
「なんとなく、いそうだなあって」
「なにそれ」
いないって言ってるのに、変な美月。
思わず私も笑った。
別に隠していることなんてない。
恋愛なんて、今まであまり考えたこともなかった。
高校に入ったばかりだし。
授業も始まったばかり。
寮生活にもようやく慣れてきたところ。
今はそれだけで十分楽しいから、それ以上を求めようとは思わない。
「まあいいや」
美月はあっさり追及をやめた。
代わりに、少しだけ嬉しそうな顔をする。
「じゃあ、そのうち好きな人できたら一番に教えてね」
「なんで?」
「親友だから」
あまりにも自然に言われた。
「親友?」
思わず聞き返す。
すると美月の方が不思議そうな顔をした。
「え?違うの?」
違うとは思わない。
入学してまだそんなに経っていない。
でも、美月とは一番よく話す。
教室でも、食堂でも、寮に戻ってからも。
気づけば美月と一緒にいることが増えていた。
気の合う友達だなって、私も思っていた。
だから、親友って言われたのはとても嬉しかった。
だけどちょっぴり照れ臭くて、つい誤魔化してしまった。
「そのうちね?」
「千咲ひどい!」
美月が手元のクッションを掴むのが見えた。
投げてくる。
私の直感がそう言ってる。
「冗談だってば!」
弁明など聞いてやるものか、といった様子で美月は掴んだクッションを振り上げた。
「ひどい!」
飛んできたクッションを、慌てて両手で受け止める。
その様子を見てみんなは笑っていた。
春ちゃんも、少しだけ驚いたような顔をしながら笑っていた。
星詠学園に来て、初めてできた親友。
そう考えると、少しだけ嬉しかった。
◇ ◇
そのあとも話はしばらく続いた。
気づけば時間はかなり遅くなっていた。
「やば、そろそろ戻らないと」
彩葉ちゃんが時計を見て立ち上がる。
「……ほんとだ」
春ちゃんも続いた。
美月も椅子から立ち上がり、両手をぱんっと叩く。
「じゃあ解散!また集まろうね」
「うん」
奈々ちゃんも立ち上がる。
その腕には、例の鉢植えがしっかり抱えられていた。
「奈々、絶対それ置いていかないでね」
美月が念を押す。
「分かってるよ」
「ほんとに?」
「たぶん」
「奈々ー!」
私たちは、最後までそんな調子だった。
みんなは美月にお礼を言ったり、また明日ね、なんて挨拶したりしてから、それぞれ部屋に戻っていく。
私も美月に手を振って、廊下へ出た。
「おやすみ、千咲」
「うん、美月もおやすみ」
扉が閉まる。
さっきまで賑やかだった分、廊下が少し静かに感じた。
◇ ◇
自分の部屋へ戻る。
ベッドに腰を下ろし、そのまま後ろへ倒れた。
「楽しかったなぁ……」
思わず声が出る。
女子だけで集まって、あんなに長く話したのは久しぶりだったかもしれない。
少なくとも高校に入ってからは初めてだ。
スマホを手に取る。
画面を見ると、一件メッセージが来ていた。
まもるん。
『明日の一限って何だっけ』
思わず笑った。
まもるんは、実はこういうところがある。
私は壁に貼った時間割を横目で確認してから返事を入力する。
『数学』
少しして、画面に新しい文字が表示された。
『ありがとう』
返事はすぐだった。
短いやりとりを終えて、スマホを枕元へ置いた。
そして、ゆっくりと布団に入る。
今日もいろんなことを話した。
制服のこと。
髪型のこと。
食堂のこと。
恋愛のこと。
入学したばかりの頃は、知らない人ばかりだった。
それなのに今は、明日になればまた会いたいと思える人がいる。
私は枕元のスマホへちらりと目をやった。
画面はもう暗くなっている。
窓の外を見ると、星屑の大樹が見えた。
月明かりを受けて、葉っぱの隙間がキラキラと光っている。
「おやすみ」
誰にともなくそう言って、私は何回かまばたきをしてから静かに目を閉じた。




