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1-8:断章ノモラス 中

「おい、アンタ!」


 連携を取ろうと女に声を掛けるが、敵との闘いに集中しているせいか――今は得物を身体がすっぽりと覆うほどの盾にして敵の攻撃を防いでいる――こちらの声が届いていないらしい。もしくは、アンタ呼びだと自分の事だと認識できていないのか。


 それなら、名前を――先ほど、何と言っていたか――。


「……アザレア!」

「わ、私ですか!?」


 先ほど聞いた名前らしいものを叫ぶと、今度は反応してくれた。


「そうだアンタだ! あのイグノートゥスは俺が仕留める! 力を貸してくれ!」

「イグノートゥスを仕留める!? デミゴッドを倒すんじゃないんですか!?」


 女の疑問はもっともだ。本来、イグノートゥスを滅ぼすことはできない。それらは各々の次元を居城にしており、そこに本体を隠しているため、物質世界からは直接的に干渉できないからである。


 だが、自分にはそれが出来る――正確には、右手に握っている刃の力があれば、それを為すことができる。


「細かいことは後だ! アンタは俺がアイツの懐に入れるように、なんとか足止めをしてくれ……俺を信じろ!」

「は……はい!」


 わざわざ信じろと言ったのは、そうでも言わないとまた無駄な問答が発生する可能性があったからだ。


 こちらの有無を言わさぬ調子に、女も大真面目な顔で慌てたように頷き返し、そしてすぐにデミゴッドとの戦闘に戻っていく。あの化け物を倒さなければという先ほどまでの危うさは少し落ち着き、女の動きは間合いを取りながらも冷静に敵の攻撃をいなすやり方にシフトしている。


 自分としては、あまり悠長なことは言っていられない。パンタグリュエルの制限時間もあるし、何よりあの女ほど身体は頑丈にもできていない――懐に潜り込めるチャンスはあと一度しかないと考えるべきだろう。


『……アイツの弱点、どこだと思う?』

『心臓でなかったなら、頭と考えるのが常道だろうが……何せ変態しているからな。下手をすれば、弱点が常に移動しているのかもしれない』

『本当はわかっててすっとぼけてるんじゃないのか?』

『何度も言うが、主の窮地にとぼけるほど薄情ではないよ……だが、予測はつく』

『どこだ?』

『混沌から生じる力を欲するのは肉体ではない、と言えば分かるかな?』


 混沌を欲するのは、肉体でなく邪神本体であるはずだ。言われてみると、瘴気を吸収している箇所は、コイツが言うように移動しているようだ。胸から左腹部、左から右腹部と――蠢く蚯蚓で構成される表面の裏で、恐らく本体も動き回っていると、そういうことなのだろう。


 幸い、それこそ瞬間移動したりはしていないし、また瘴気を取り込むために体の表面側を移動している。あの速度なら位置を特定することもできるし、狙うこともできるだろう。


「ク、ク、ク……素晴らしイゾ、この力!」


 改めて剣を構えて息を整えているうちに、また女の身体が吹き飛ばされた。彼女は武器で上手くいなしていたが、今度は祭壇の方へと吹き飛ばされてしまった。


 挟み撃ちの形になったと言えば聞こえはいいが、彼女の動きが見えないと連携がしにくい。そう思っていると、異形の胸から先ほどの司祭風の男の顔が現れ――黒い蚯蚓で構成されているので不気味だ――不敵な笑みを浮かべる。


「人間としてハなかなかだったが……遊ビは終わりダ!」


 男の口から、今まで溜めていたであろう黒い瘴気が一気に噴き出す。


「……異空潮流コズミック・タイド!?」


 冷静に考えてみれば、これは当たり前のことではあった。アイツは異界の瘴気を大量に取り込んでいるのだから。


 そもそもとして、イグノートゥスどもは現世に影響する際に、微弱ながらに異界の気をこの世界に解き放っている。この瘴気に触れると――その影響には個人差があるが――人は精神に異常をきたす。


 人にとっておぞましいはずの連中が信徒なんぞを持てるのは、それこそ邪神の力に魅せられる部分もあるものの、多くの場合は瘴気によって精神が錯乱しているからに過ぎない。


 コズミック・タイドは、その瘴気が一気に噴き出したものである。その影響力は甚大であり、その中にいれば人は必ず発狂すると言われている。


 現に、空間一杯に広がった瘴気のせいで、自分の感覚もおかしくなってしまっている。聞こえもしない音が聞こえ、見えもしない幻覚が見える。本来なら漆黒に染まった瘴気の中では何も見えないはずだが、目は辺りをねじ曲がった極彩色の空間のようにとらえ、その中で体のただれた無数の亡者たちが蠢き、地獄のような怨嗟をあげながらこちらへと近づいて来ている――そんな風に自分の脳が辺りを処理しているのだ。


『この瘴気は範囲こそ室内だけだが、濃度は十年前の災厄レベルに近い。だが……これは君にとってはチャンスなのではないかね?』


 そう、この濃度を受けるのは、人生において初めてでもない。これであのデミゴッドが勝ち誇ってくれるのなら、それこそ自分にとってはチャンスと言える。


 亡者どもが生き血を求めて押し寄せ、無数の小さな節足動物のような異形が身体を這いずり回り、そのすべてがこちらの体にむさぼりついてくる。その幻覚に呼応して、確かに身体は痛覚を覚える。


 しかし、これは全て自分の脳が処理している幻覚に過ぎない。五感が取り込む過剰な情報量のせいで頭も痛くなってくるが――幻覚と分かっていれば、あとは気の持ちようでどうとでもなる。


 そして実際に、デミゴッドは既に勝ち誇ったように攻撃の手を緩めているようだ。それならば、その慢心を確実に貫いてやる。

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