1-7:断章ノモラス 上
「ハルトさん、アイツは私が倒します! ハルトさんは、祭壇の女の子を連れて逃げてください!」
女は一瞬だけ振り向いてそう言った後、一瞬の隙をついて武器を変形させる。それは、巨大な刃を持つ槍である――女はすぐさま駆け出し、自身に迫る蚯蚓の頭へ突貫した。
女の子を救い出せと言われても、こんな空間の中で人一人を抱えながら逃げるなんて至難の業だ。
もちろん、どこからともなく連れてこられた無垢な子供が犠牲になるというのは、避けるべき事態ではあると思う。しかし、あの女は本気なのか、槍で蚯蚓の頭を引き裂きながらデミゴッドに近づいて行っている――より近づけば攻撃の発生源を抑えられると、そう考えているのかもしれない。
確かに祭壇に近づくのは立ち位置的にも今がチャンスだ。あの女がデミゴッドの足止めをしてくれているなら、そのまま目的の物を持って脱出も不可能ではないかもしれない。
ひとまず、女の子の安否をあの女が気にしているのなら、アオートの胚のついでに救ってやれば彼女も満足だろう。そう考えて、部屋の中を迂回してデミゴッドを避け、女を横目に移動を始めるのだが――。
「クっ……女ぁ!」
デミゴッドが忌々しげに咆哮すると、祭壇より黒い霧が立ち上り、それが蠢く異形の体へと一気に収束していく。すると、女の武器でずたずたにされていた異形の身体が一気に回復する。やはり、あの祭壇に重大な何かがあることは間違いない。そうでもなければ、いくらデミゴッドと言えどもあの再生力は説明がつかない。
一気に祭壇へと駆けようとした瞬間、鈍い音が横から響く。見ると、先ほどまで優勢だったはずの女の身体が、ちょうど自分と反対側の壁に吹き飛ばされていた。それもとんでもない力で押されたのか、その体は壁を粉砕し、めり込んでしまっていた。
衝撃のせいか、女が被っていた仮面が外れる。顔には苦悶の表情が浮かんでおり、大きく吐血しながら、そのまま重力に身を任せて床へと落ちた。だが、気丈にもすぐに立ち上がり、紫色の瞳には燃えるような闘志を宿している。
立ち上がりこそ少々弱々しかったが、武器を握るとまた力強く前進し――覚醒者にもまた凄まじい再生能力があるというのは嘘ではないらしい――女は先ほどよりもさらに激しい黒い渦の中にその身を投げ入れた。
幸か不幸か、さすがに女の攻撃の苛烈さにデミゴッドもこちらに気を回す余力はなさそうだ。それなら、彼女の頑張りを無駄にするわけにはいかない。今度こそ祭壇に――そう思った直後、今度は自分の背後から轟音が響く。
「……ちぃっ!」
もはや半ば条件反射で振り返り、再び壁へと叩きつけられた女の前へと駆ける。あの蚯蚓の攻撃をもろに喰らえば、恐ろしいダメージをもらうのはもちろん、掠めただけでも石化させられてしまうかもしれない。
こちらへ迫り来る蚯蚓の頭に対し、蝙蝠の名を叫びながら全力で右手を振りかざす。中空に現れた鋭い爪が蚯蚓の頭を裂き、自分と女の身体を避けるように真っ二つに割れ、壁へと激突した。
「あ、ありがとうございます……それに、ごめんなさい……今度こそ、遅れは……取りませんから……!」
剣を握って半神半人の方へと構える自分の横に、女が長柄の得物を杖代わりにしながら並び――そしてすぐさま部屋の中央へと駆けだした。決意がその身を動かしているのか、確かにあの化け物に対して女は遅れこそ取っていない。
だが、異様なのはむしろあのデミゴッドの方だ。自分も数回対峙した程度ではあるが、あの蚯蚓の力は書に封じたパンタグリュエルやアトラク・ナクアを大きく凌いでいるように思う。
『あのデミゴッド、強すぎないか!?』
『それが、アオートの胚の効果だ。我らイグノートゥスの原初、混沌の渦に通じる鍵……要するに、我々イグノートゥスからしてみれば、単純に力を強化できる装置に等しい。
煉獄の最下層の封印を解くのにはもちろん、君の様に邪神を使役する者が活用できれば、その効果は何倍にも膨れ上がるだろう』
確かに、祭壇から瘴気が噴出する度に、デミゴッドの力は増しているように見える。だが、それならあの女が不利だ。確かに彼女も歴戦の猛者なのだろうし、その体力も士気も強靭だが、相手は力を増していく化け物。そのうちじり貧ですり潰されてしまうに違いない。
また、それほど貴重なものであれば、アオートの胚を持って逃げるなどというのも夢のまた夢だろう。イグノートゥスにとっては喉から手が出るほど欲しい品であるだろうし、それを持ち去ろうとすれば、あの化け物は女を放ってでも自分を追いかけてくるに決まっている。
それなら、やはりこの場で決めるしかない。以前、二柱を封印するだけでもギリギリだったことを考えれば、自分一人ではアレを止めることはできないだろう。
しかし、今なら――。




